- Amazon.co.jp ・本 (135ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103247319
作品紹介・あらすじ
この小さい光があれば、物語は消えてしまわない。はるか彼方、地球のどこかで暮らす子供たち。時間は不意に巻き戻る。忘れがたい世界へといざなう、野心あふれる長篇小説。
感想・レビュー・書評
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ずっとそっけなくまた落ち着いて語り続けてきた言葉の最後のページをめくると、ずらりと並んだ名前の列を目の当たりにして、こころが締め付けられると同時に急激にふくらんで、粉々にくだけて空へのぼって星座になった。かつてAでありBでありCでありDであった人たち。装丁のすばらしさ。頭がじーんとしている。
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淡々とA,B,C,Dで表記された子ども(あるいは動物?物?)の日常が断片的に繰り返し記述されている。
どこからがAの話でどこからがBなのか。読点のない流れるような文なのに,なぜかその切り替え点がわかる(というか,そうだと勝手に読解しているのか)。文章を読むことについて,いつの間にか身についてしまっている「くせ」みたいなのに気づかされる実験的な文章。
あのCとこのCは違う子。このDもこのDも全然違う(ようだ)。
あれこのBはさっきのC? さっきのDの話とこのAの話はとても似ている。
似ているけど違う。みんなちょっとずつ違うけど似たような日常を送っている。
文章は淡々とつづく。特別なことは何も起こらない(ようだ)。
でも、今もどこかでだれかが、じぶんと似たような日常生きて、いつかは死んで、そういうことの繰り返しなんだなぁって、そういうことをじんわり感じさせてくれる1冊だった。 -
いつ
どこで
どんな時に読むか
そういった些細な事で、感じ方がガラッと変わる小説だと思う。
そして、多分、どのページから読んでも楽しめる。
こんな小説は他にはないと思う。 -
杏のブックガイドから。しかし、これはアカン。とりあえず帯を読んでみて、”読点なし”って書かれているのに『?』ってなったんだけど、まんまその意味で、句点のみで紡がれる物語。にしてもその方針、文章を読みにくくする、という以外の意味はあるの?自分には分からん。その上、内容も何だかよく分からんから、ある意味、二重苦。短い本だから読み通せるだろうって見込みもあったけど、今の自分は、さっさと放り出す方の選択肢を取ります。
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星座から見た地球の人たち、
それは区別なんてほんのわずかで、むしろ区別なんてついてなくて、だからこそ等間隔に、平等で、ひとしい -
後半に不思議が解けるのかと思って読み急いでしまったので、もういちどパラパラと辿って終えた。すぐ手放すつもりだったが、ちょっと惜しくなっている。
帯に「長編小説」とあるけれど、長編小説よりは回り続ける自由詩というか、何というのか…。明らかな繫がりや進行方向がないぶん、何度でも気軽に捲れるのが良いと思った。 -
何回も読んでる生涯の一冊。詩や音楽に近い。理解するんじゃなく感じるもの。
「Bが考えてるほど町はせまくなんかないのだ」
「そしてその時お母さんはかすかにDのことを思い出した」
こんななんでもないフレーズがものすごく響く。なんでここまで響かせることができるのか考えた。
この小説、一言で言えば主語が透明。
普通の小説は「健太」とか「ユカ」とか主人公には名前がついててその名前のイメージでもって頭の中で想像されてる。
これはアルファベットだからなんかモヤモヤして始まる。2、3行読むと段々形を成してくるんだけど完全にイメージするの前に話が終わってしまう。
主語が透明だと何が起こるのか?
必然的に述語とか周りの人の言動の方が主語より強くなる。その強く響いた述語とかが普遍化されて、自分の思い出と響き合う。
いまいち上手く言えないけどその辺に謎を解くヒントがありそう。 -
登場人物は四人。名前はなく、それぞれA、B、C、Dと
呼ばれている。年齢は最後まで明らかにされないけれど、
それぞれの挿話を読み進めていくと、おおよその見当は
つく。四人とも小さい。
章立てはなく、四人の挿話を一つずつ書いた四つの挿話
が一つのかたまりとなって、それがずっと続く。
どのかたまりを取っても、読点とカギカッコがない。
それは、どこか遠くの空から俯瞰している誰かが綴って
いる物語だからだろう。
この俯瞰する書き方というのは、以前に読んだ黒川創
さんの『かもめの日』でもとられた手法。遠くから見て
いるから全体を包む優しさは感じるのだけれど、どう
しても物語は淡々と進むことになる。この点において、
この手法は読者の好き嫌いを明確に分けてしまうこと
になるんじゃないかと思う。
『かもめの日』でも書いたとおり、どうもワタシはこの
手法をうまく消化することができないようだ。 -
僕には合わなくて、読み込めなかったなぁ・・・。この本のように読点がない小説はたまに見るような気がするので実験精神というにはオーバーかもしれないけども、ABCDそれぞれの登場人物たちが順番に登場する感覚は実験精神と真面目さが両立している気がした。
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うーむ…。駄作とは思わなかったしよく書かれた作品なんだろうということはなんとなくわかるけど、私には合わなかった。
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人間が星星を勝手に結びつけて星座を定めたように、星座もAとかBとか名前も知らないだれかのものがたりを垣間見て、線を引いて星座にしてたりするのかな。
読んでいるとき、わたしの耳にはBUMP OF CHICKENのR.I.P.がずっと流れてた。 -
句読点もカギカッコもなく段落もほとんどなく、名前も小説に出てくるような名前ではなく。読み進めていくのにかなり集中力を必要とした。
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コロコロ変わる視点に宇宙を感じる地球上のお話。
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また読みたい
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装丁が可愛くて買った。(後日、装丁家名久井さんのドキュメンタリー番組で紹介されてた)しばらく積んでて、今日読み終わったところです。
段落の感じが何か法則ありそう。でもちょっと読んで法則性がつかめず、また一から読み直してみるものの、想像できるキャラクター像が一致しない。このコらは子供?大学生?ネコ?イヌ?
何回か戻って読み直したけど結局つかめず法則性は諦めて最後まで読んだ。変に頭を使いました。帯の紹介を読んでやっと何となく納得。私にとっては帯がないとこの本は救われなかったかも。
「星座から見た地球」ですが、法則性があるように見えるけどそれぞれのお話はてんで自由気ままで、星々が互いに関係のないものなのに、人間が勝手に結んでしまった星座を見たような気分でした。この感想はタイトルを見直した時に感じたこじつけかもしれないけど。アートな小説でした。
20131105 -
不思議な懐かしい物語。
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「Aはとびだした。それ以上がまんできなかったのだ。たった五分だがながいながい時間にそれは思われた。」
Aは何者なんだろうか。小さな男の子のようだけど・・・と思う間もなく、短いセンテンスでB、C、Dと移っていく。一章以外はこの流れの繰り返し。同じような場面がくり返されたり、続きのようだったりしながら話はどんどん流れていく。
そもそも同じ記号で語られている人物が、同一人物なのかも曖昧だ。明らかに矛盾する記述もあったし、猫じゃないのかと思われる描写もある。誰でもいいし誰でもあり得る、星のような大局から見ればそんな感じと言ったところなのだろうかな?
そして装画として並べられた三十二名もの名前。本文中には固有名詞が一切出てこないだけにインパクト大。
独特の文章と言い、私の感性では手に負えない話だった。 -
第1回(2011年度)受賞作 国内編 第10位
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初めて読んだ、新しいタイプの小説。前衛的だけど、読みやすい。
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岸本選
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110504*読了
情熱大陸で名久井直子さんが装丁を手がけられていると知り、そこから興味を持って図書間で予約。数ヶ月を経て手元にやってきました。
AとBとCとD。うーん、不思議。今までに読んだことがないタイプの展開で、私はちょっと苦手かな。わからなすぎるのもね。
子ども時代の懐かしさをひたひたと感じられたのはよかったです。子どもにとっては目に映る世界が全て。あの頃を思い出すとちょっぴり切ない。 -
ABCDという人物のそれぞれの一場面一場面を区切るようにして紹介されていく。
どうやら彼ら彼女らは子供たちのようなのだが、
最後までぼんやりとした形でしか彼彼女たちは紹介されない。
しかしそれでいてなぜだか彼ら彼女たちの姿がぼんやりと形作られていくところ、頭の中に描かれていくところにすごさを感じた。 -
Dのおへそを地球だとするとちょうど木星の軌道上に風船がある。午前中まで天井にくっつくように浮いていたのだがいまはこのように畳に触れるか触れないか微妙なところである。テーブルには麦藁帽子がひとつあってそれを土星とみなすことができる。すこしへこんでいる。遠く部屋のすみっこでゴミ箱がたおているのはボールがあたったせいかもしれない。ゴミ箱をたおして扉にあたってはねかえってボールは天王星の位置までもどってきたのだ。鼻紙が小惑星のごとくちらばっている。昨日ずっとさがしていたビー玉がころがっている。これが海王星というわけだ。Dのすぐ上にある糸で吊るした飾りは金星と水星。くるくるまわっている。カレンダーには大きなひまわりの写真がまるで太陽のようにかがやいている。赤いマジックでしるしのあるところがDの誕生日である。今年は火曜日だ。Dの手がおなかのうえにのって親指がちょうどおへそのとなりだ。爪がのびている。その爪が三日月となってこの小さな太陽系がほぼ完成した。わずか五分しかもたなかった本当に小さな太陽系だ。