- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103256243
作品紹介・あらすじ
みんな遠くへ行ってしまう。本当の自分を知っているのにね――。四年ぶりの長篇小説! 麦彦とヘガティー、思春期直前の二人が、脆くはかない殻のようなイノセンスを抱えて全力で走り抜ける。この不条理に満ちた世界を――。サンドイッチ売り場の奇妙な女性、まだ見ぬ家族……さまざまな〈あこがれ〉の対象を持ちながら必死で生きる少年少女のぎりぎりのユートピアを繊細かつ強靭無比な筆力で描き尽くす感動作。
感想・レビュー・書評
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初川上未映子さんです。小学生の男の子と女の子の一人称で進む物語2章。最初チューニングが合わなくて、あ、読むのやめようかなと思ったのだけれど、少し続けたらのめり込めました。小説とはいえ、子供のなのにいろいろ難しい事を考えているな、と思いつつ読む終わりました。自分はどうだっただろう?昔の自分は、他の人とは違って変わっていることを自覚していなくて能天気に生きていた気がする。それでも年を取るにつれてだんだん人と合わせなくてもいいや、と思えるようになったのを何故だかこの小説を読んで自覚しました。電子の積み本に川上さんの小説があったからそれも読んでみよう。
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ヘガティーと麦くん、四年生と六年生の時のお話。
四年生の時は麦くん目線、六年生の時はヘガティー目線で語られている。
二人とも元々周りと群れたり同調したりするタイプではなかったのだけれど、誰もが通り過ぎるであろう子どもからちょっと大人へと抜け出ようとしている最中とでもいうかなんというか、うまく言えないけれどもなんだかそんな風な、いやそんな言葉では片付けられないような‥‥
みたいな感じで子ども特有の頭の中には色々浮かんできているのだけどうまく言葉にはできないもどかしさみたいなものが、改行なしでずらずらーっと書かれている文章にこめられているような気がしました。
自分の心の中だけで秘かに大事にしてきたものが、他の人にとっては大したことではなかったと感じた時の不安や違和感が強く伝わってくる。でも、ヘガティーと麦くんは、それを分かち合える。理解し合える。小学生の時にそんな友だちに巡り会えるのはとても心強くて幸せなことだと思います。
そして、相談する前に二人とも自分一人でじっくりと考えて煮詰めているところがいいな!と思います。
「窓のむこうにみえる風景のひとつひとつが、いつもとは少しだけちがうように感じられるのだった」
心も体も成長の真っ只中、ふと昨日までとは何もかもが違って見える、そんな作品でした。
ヘガティーと麦くんには、男女の枠を飛び越えて友情を持ち続けてほしいな。でも、一周まわってそれをまた飛び越えて結婚してしてもらってもいいかも。
ちなみに作中に出てくる犬の名前が『コットン』で、ちょっとドキッとしてしまいました(笑) -
子供の目線からしか見えない街の風景や人間模様、大人にはわからないダメージポイント、成長途上のピュアな心。子供の世界が見事に再現されていると思います。読んでいるうちにときどきふっと自分自身の子供の頃を追体験しているような感覚に。84〜85頁にかけて、家までの道を歩く麦くんの描写が秀逸!屈託のない視界はまるでビー玉の瞳を通して覗いているようで…、なんというか遠い昔に無くしてしまった大切ななにかを、思いがけず目の前に差し出された感じです。あらためてこの著者はすごいと感じました。アルパチーノ
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焦がれるということ。
父親不在の男子と母親不在の女子。
それぞれに寂しさや哀しさを抱えている2人ではある。
この不在であることが尚更、いついなくなるかわからないという寂しさや哀しさに敏感にさせるのだろう。
思春期心性を描く作品は数あれど、思春期直前の前思春期心性を抉るような作品は滅多にないかもしれない。
この2人はなににあこがれ、なにに焦がれたのだろう。
ひとつには、大切な(或いは対して重要じゃない)他者はいつまでも変わらずに存在し続けるという確証、いわゆる対象恒常性だろう。
ひとつには、安定的で理想的な家庭像、特に同性の家族構成員への焦がれだろう。
これらをひとことで説明するのも難しいが、優しさ、共感、安心感だろうか。
結果としてこのふたりは安心感を得ることができたのだろうか。
そしてこの物語を読む我々も安心感や共感性を持ち、他者に向けて働かせることはできているだろうか。
こんなことを考えてしまう。 -
大人になった今、何てことない出来事も、子どもの視点から見たらとてもワクワクすることだったり、逆にショックなことだったりもする。
瑞々しい切なさの中に希望もあって、最後は穏やかな気持ちになれた。 -
小学4年生の麦くんはちいさいときにお父さんを亡くしている。ママは占い師のような仕事をしているけれど、よくわからない。
麦くんのもっぱらの関心ごとは、近所のスーパーに入っているサンドイッチ屋さんではたらく、ミス・アイスサンドイッチだ。
彼の淡い恋心のようなものが愛おしかった。ミス・アイスサンドイッチを目の前にしているときの気持ちはふくざつだ。噛まないでぐっとのみこんだごはんが喉からゆっくり下へ降りていって、おおきなところへでる。そこはうさぎの耳みたいに素敵なところで、風にふわっとくるまれる。
会いたいときに、会いにいったほうがいいよ、と麦くんにアドバイスするヘガティーはもうすっかり大人のようだった。
「ミス・アイスサンドイッチ」
ヘガティーもちいさいときにお母さんを亡くしている。2人は小学6年生になっていて、そしてヘガティーはインターネットで昔お父さんが知らない誰かとも結婚していて一女をもうけていることを知ってしまった。
お父さんは映画評論家のような仕事をしているけれど、よくわからない。
お父さんが、ヘガティーの知らないところで知らないお父さんをやっていたのだ、という事実はたしかにショックだろう。今のお父さんが嘘のものだと思ってしまっても致し方ない。
まだ見ぬお姉ちゃんに会いに行きたい!という好奇心で決行した麦くんとの冒険。
それが崩折れてしまって、走るしか、泣くしかなくなってしまって、お母さんに会いたくなってしまったこと、手紙、すべてが苦しかった。可哀想で抱きしめてあげたかった。はやく大人にしてあげてほしい、おおきくて、なんでも一人でかいけつできるような大人に。
自分はこんなに悲しいけれど、世界はもっとずっとひろくていろんな人がいていろんな出来事が起きているんだと気づいたヘガティーは、でももう子供ではない。人間はみんな分子なのだ。アルパチーノ。
「苺ジャムから苺をひけば」
死んでしまうこと、まだ起こっていないけどいつか起こってしまうこと、夕焼けの色、今日のことを忘れないだろうなと思うこと、あこがれ。
麦くんとヘガティーといっしょに、かつては私にもたしかにあった記憶や風景を思い出していた。布団のなか、暗闇でひとりかんがえていたような。そうだ、私は私もしらない世界中のあらゆるものに「おやすみ」と声をかけてからでないと眠れない子供だった。
やわらかなイノセンスに久しぶりにふれることができました。 -
川上さんあんまりたくさんは読んだことはないのですが、どの作品にも共通して感じるのは繊細さと透明感。
どちらかというと文体は苦手なのですが、描かれている世界に最終的に心がまるっと持ってかれてしまうことが多いです。文学性が高い作品を書かれますね。
この作品ももれなくそうでした。繊細すぎて胸が痛い。
ミス・アイスサンドイッチ。素晴らしいネーミング。
小学生ってこうして何にでもあだ名をつけてしまう子がいつの年代にもいますね。文章のリズムが子供の心のとっ散らかった感がよく出ていてさすがと唸りました。
描かれている心模様は確かに恋ではなく、あこがれと言った様相。そのさじ加減が抜群にうまいと思いました。
そして皆さんがもれなく心を捕まれたであろうヘガティーの(ヘガティーもすごい小学生チックなセンスの絶妙なネーミング!)人生を穿った名言。でも子供って時々ナチュラルに人生の確信をついた言葉を放つときがあるのでこの流れ、違和感を感じません。
ミス・アイスサンドイッチの一件から数年後の、今度はヘガティー側から描かれた家族事情の一編も、確かにある種あこがれを描いていますが、あこがれ、というものはどうしたって切ないものなのだなと思わされます。
最後、街を泣きながら無茶苦茶に走ってゆくヘガティーと一緒に思わず泣きました。
「あこがれ」というタイトル、この本はそれ以外にないですね。
好き嫌いを越えて、川上さんの作品には読まされずにいられない引力を感じます。 -
あらためて感じましたが「あこがれ」っていいもんですね。ちょっぴり泣けますが、楽しく読めました。
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感想
会いたい人。大人になった今では覚えていない。記憶に残せなかった人。忘れたくなかった。でも行動しなかったから。後悔はしたくない。 -
泣いた。小学生の気持ち(と今思えるもの)をどうして彼女はこんなに鮮やかに描けるんだろう。装丁もとてもステキ。