ハウス・オブ・ヤマナカ―東洋の至宝を欧米に売った美術商

  • 126人登録
  • 3.42評価
    • (3)
    • (8)
    • (10)
    • (2)
    • (1)
  • 17レビュー
著者 : 朽木ゆり子
  • 新潮社 (2011年3月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (356ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103289517

ハウス・オブ・ヤマナカ―東洋の至宝を欧米に売った美術商の感想・レビュー・書評

  • アート好きなら読んでみたいドキュメンタリー。
    明治から第二次大戦前まで、名の知られた美術商・山中定次郎と山中一族が経営する山中商会。その足跡を丹念にたどる。

    導入部の琳派屏風の左右をめぐる記述で、美的感覚にやや違和感を覚えたが(空白のある構図のほうが美しいと思うので)…読み進めると、すばらしい労作であったと感じた。

    1890年にNYに出店、以後、英国にも進出。
    ロックフェラー財団や名うての蒐集家、エリザベス1世までの御用聞きとなり、日本含む東洋美術の至宝を世界に売りさばいた豪商。義和団事変で中国美術の需要に目をつけ、美術品とは言えないようなインテリア雑貨もまぜつつ、販路拡大。しかし、1920年代後半の金融恐慌、30年代の中華事変、さらには第二次大戦直前の関税法や在米資産凍結令で、解体されてしまう、山中商会。

    戦後はもと社員の協力で復活の兆しも見られたが、日本が経済復興しても忘れ去られてしまう。

    著者は資料の乏しさにもひるまず、無数のコレクターや美術館、公文書にあたり、膨大な調査によって本書をまとめあげた。財務情報や当時の物価などの引用考察は、並みの美術史家ならば思いもよらない視点で、読み物として面白い。学術書ではないが、研究として価値がある。

    日本美術の海外流出を嘆き、高額な競売ばかりがセンセーショナルにとらえられがちな風潮に異議申し立てし、東洋の文化価値を世界へ広めた「民間文化外交官」としての美術商の価値を再認させる狙い。目から鱗が落ちる。

    『武士の家計簿』もそうだが、生活や経済感覚と結びつく教養系学問はもっと推奨されるべきであろう。

  • 明治から第二次世界大戦までの50年間ニューヨークに店舗を構えた山中商会は戦前のアメリカでは最も有名な日本企業だった。当時の東アジア美術商としては世界最大規模でニューヨーク以外にもボストン、ロンドン、シカゴに支店を開きロンドンではイギリス国王ジョージ5世とメアリー王妃から二つの王室御用達を認定され、1917年にはNY5番街の53stと54stの間に新築されたロックフェラービルの5番街に面した1−2階にギャラリーつきの店舗を構えている。設立にロックフェラー夫人が関わった近代美術館がすぐ近くに移転して来たのは1932年のことだ。狂騒の20年代にはアメリカの美術界も活況を呈しヤマナカも大いに繁盛したが29年の世界大恐慌、31年に始まる満州事変から暗転し第二次大戦で資産没収をへてアメリカの支店は解体されていく。

    日本の美術品がアメリカに受け入れられるようになったのは1876年のフィラデルフィア万博がきっかけで、例えばヤマナカ以前に陶磁器を輸出した中には森村商会などがある。その後ノリタケ、TOTO、INAX、日本碍子などを生み出す母体となった森村の発展のきっかけが陶磁器の輸出だった様だ。ヤマナカは1905年くらいまでは日本原産の骨董品や雑貨を販売している。1880年の対米輸出高では扇子が17万弱と陶磁器や漆器にならぶ輸出品目だった。ちなみにこの時緑茶が600万台で生糸が300万台である。骨董品だけでなく雑貨も人気が出始めていた。

    しかし、1908年あたりから輸出品目はほぼ中国産になっていく。日本で文化財保護が言われ始め、また茶道具を中心に美術品の価格が値上がりし始めたのに対し、清朝の崩壊に伴い美術品を手放す資産階級が増えたのと、略奪や盗掘などで不法に持ち出される美術品が増えた。例えば龍門石窟の仏頭なども石窟から取り外され持ち出されているが当時はそれは違法とはされていなかった。そしてアメリカではヤマナカも中国美術品の講義を後押しした。

    1941年7月アメリカは日本資産凍結令を公布し、日本との貿易が禁じられた。この時点ではまだ従業員への支払いや日本の家族への送金など個人資産の凍結解除はできた。12月7日真珠湾攻撃の直後にヤマナカの支店は財務省により閉鎖され管理下に置かれる。解体の手順が興味深いのだがAPC(敵国資産管理人局)がヤマナカの発行済み株式を接収し、在庫の90%を占める中国美術品は友好国の資産と言う名目で販売している。このときヤマナカの経営陣は追放されたが従業員は日本人も含め美術品への理解が深いという理由で雇用されちゃんと給与も支払われた。既存顧客や家主のロックフェラーとの関係も開戦前後も基本的には友好的だったようだ。

    戦後、山中商会は接収された資産の返却を求めて嘆願書を出しているが返還要請の期限が49年の4月30日であることを理由にすでに時効として聞き入れられなかった。戦時請求法の財源として使われてしまった様だ。日本の美術品の国外流出というと否定的な意見が多いかも知れないが、海外のコレクターが集めることで美術品の価値が再発見されたり高まったりしている側面もある。包み紙として使われていた浮世絵がヨーロッパで人気になったのもよく知られた話だ。著者の杇木氏がインタビューした中国人ジャーナリストに「中国の美術品が、かつて日本や西欧の美術商、学者などによって国外に大量に持ち出されたことをどう思いますか」と聞いたところ「美術品は貧乏な国から逃げていくものですよ。価値があるとわかったときに、とりもどせばいいんです」と言われている。そういうものかも知れない。

  • 日本を含む東アジアの美術品の価値をヨーロッパとアメリカに広く伝え、当時の(とくにアメリカにおける)美術文化交流の要でありながら、第二次世界大戦を契機として解体させられ、消滅してしまった山中商会の興亡史。当時の社員達の気概や商魂を知る為にも興味深い一冊。
    ただし、著者が断っている通り、ヤマナカの「アメリカにおける」興亡しか追いかけていないので、ロンドンにもあったというヨーロッパでの商売についてはほとんど分からないというのが、やや画竜点睛を欠くという感じ。1920年代、ロンドンで王と王妃からそれぞれロイヤル・ワラントを賜り、その栄誉に浴していたのがイギリスの全ブランドも含めてヤマナカだけだった、とさらりと書かれているけど、これは実はとんでもないことだと思います。そんな栄光の歴史があるのであれば、あと100ページ増えてもいいからヨーロッパにもう少し目を向けて欲しかった。

    中盤から終盤にかけては、完璧に戦争に翻弄されたヤマナカの消滅までの歴史書。その中で意外だったのは、戦争で敵となった日本の会社を解体させるにあたり、当時のアメリカ政府が敵対的な手段ではなく(強圧的ではあったと思われるが)、それどころかヤマナカがそれまで半世紀にわたってアメリカの美術分野に与えた影響と、商売を通じて蒐集家との間で育まれた関係や心情を斟酌して、非常に寛大な処置をとりながら財産の処分をしていた、という点。
    普通、敵の文化だったらヒステリックに排斥したり、もっと悪ければ単純に破壊したり焼却したりしそうな感じだけど、当時のアメリカ政府はその点については非常に「文化的」だったんだと思います。
    さて、これが21世紀の戦争・紛争・内戦で行われているかどうか。その辺を考えると、今の政治の方が品が無いような気もします。まぁそもそも、戦争する時点で知性は欠けてんだけど。

    終章で、著者は「美術商には自国や他国の文化を流出させているというマイナスイメージがつきまとうが、そうではなく、それまで注目されていなかった美術品の価値を認め、広く普及させ、他国との文化交流の先駆けとなる存在。ヤマナカも、当時のアメリカにおいて殆ど知られていなかった東アジア文化を伝播させたという意味で、民間文化外交官の様な役割を果たした重要な存在であった」と述べています。
    それは確かにそうだろうと思うけど、じゃあなぜ本のサブタイトルに「東洋の至宝を欧米に売った」という、穿った見方をすれば挑戦的で侮蔑的とも取れてしまう言葉を並べたのか。実際には、ニュートラルに事実を書いているだけではあるものの、そこからマイナスイメージを想起する読者もいるはず。
    そこまでヤマナカの価値を認めているのであれば、せめて著者ぐらいはヤマナカ贔屓のサブタイトルをつけても良かったのではないか。そんなことを、読み終えてから表紙を眺めてつくづく思った次第です。

  • 日本と東洋の美術品を欧米に販売し、第二次大戦で解体された美術商の歴史を、米国公文書館にあった87箱もの資料ほかから読み解いた労作。索引が無いのが惜しい。

  • 請求記号:706.7/Kuc
    資料ID:50063616
    配架場所:図書館1階東館 め・く~る

  • 興味が無い分野の本を読んで、楽しめることはたまにはあるが、興味がある分野の本を読んで楽しめないこともたまにはある。
    古美術、ニューヨーク、昭和初期等興味深い内容のはずなのにあまりのめりこめなかった。よくできた本だとはおもうけれども。

  • 海外の美術館に行くと、なんでこんなに?と思うほど日本の美術品が充実していることがあります。
    この本に書かれていることは事実の一端にすぎないのかも知れないですが、その疑問の答えを知ることができたと思いました。
    せっかく色々な美術品の話が出てくるので、写真がもっとあれば良かった。

  • 戦前アメリカを中心に日本、中国美術を取り扱った古美術商の盛衰記。

    第二次世界大戦でアメリカ政府に接収され、結果的にその活動は途絶えたが、それまでは、初期は日本、後期は中国美術の価値を欧米に伝える功績があったとする。

    とかく縁のない世界ではあるが、富の移動として考えると興味深い。
    過去に販売された古美術品を流出したと捉え返還、買い戻しがニュースになっているが、この先、さらに先はどこに移っていくのか。

  • 戦前アメリカにあった山中商店のお話。史料を丹念に調べ上げてあるのがすごいと思った。一般書であるが、史料の典拠が示してあり、その点が個人的には好印象。
    ただ、史料量が少し多すぎて、やや読みにくい気がする。
    今までにない側面からの視点を気づかせてくれたのがもっとも参考になった。

  • 芸術には興味はないのだが、有名な美術商の話だということで読んでみた。独自の視点というモノが理解でき楽しく読めました。

  • 明治から第二次世界大戦まで、日本の美術品の価値を知り欧米の富豪たちに仲介した美術商のお話。決して歴史の表には出て来ないけれども、大きな役割を果たした人たちがいる。労作ではあるが本書は足跡を辿るだけで終わっている。

  • 歴史に埋もれ、今や知る者も少なくなった美術商「山中商会」の実像を発掘してみせた執念(読んでみるとわかるけれど、これは正しく「執念」というしかない)にまずは敬服。膨大な資料を丹念に読み込み、山中商会の軌跡を再構築する作業。その果実としての本書は、それだけで一読の価値がある。ひとつだけ難を言えば、調べ上げた資料が膨大であるが故に、本来なら切り捨てても構わない部分まで書き込んでしまっている憾みはある。ま、著者の気持ちは分かるんだけど、もっと思い切って捨てるべきを捨てれば、もっと読みやすく面白くなったんじゃないかな。蛇足を連ねれば、マンハッタンに支店を構えた山中商会の取引記録が米公文書館に残されていたという事実がまことに興味深い。公文書保存の取り組みに関して、彼我の差は大きいのだなあと改めて実感。日本もどげんかせんと。

  • 明治から第二次大戦前まで、美術商としてその名を轟かせた山中商会という会社があった。ニューヨーク・ボストン・シカゴに拠点を置き、東洋の美術品の流通に務め、時代の流れに飲まれていった1つの会社の足跡を追うノンフィクション。

    東洋美術が欧米のコレクターの手に渡るには、その蔭に仲介する美術商が必要だった。山中商会はその役割を果たした会社で、隆盛期はニューヨークの繁華街に立派な店を構え、高い知名度を誇っていた。フリーアやロックフェラーを初めとする多くの顧客に、数々の名品を売り、美術品の国際流通に大きな役割を果たした。そうした品々は日本のものだけでなく、中国から入手したものも多かったという。
    順調に商取引をし、顧客との関係もよかった会社が跡形もなくなり、歴史の中で忘れ去られた存在となったのは、第二次大戦で米国政府に接収されてしまったためである。
    筆者は、公文書や手紙、電報などを丁寧に読み取り、「ヤマナカ」の歴史を丹念に綴っていく。
    保存状態によっては、読めない箇所もあるような文書を辛抱強く読み取っていく筆者の姿勢は、誠実で好感が持てる。わかったところ、わからないところ、筆者が憶測したところ、そしてそう憶測した理由が、整理された形で提示されている。
    抑えた筆致であるが、こうした形でまとめるのは、対象への愛と熱意がなければ出来ないことだろう。その姿勢は、東洋美術を欧米に売るという形が確立されたいなかった時代に、アメリカに渡り、手探りで商売を拡大していった山中定次郎らの姿に重なる。彼らもまた、美術品への愛と熱意を持った人々だったのだろう。

    個人的に専門外の分野なので評価は控えるが、1つの会社が興り、そして終焉を迎えたドラマを興味深く読ませてもらった。

    *筆者の名前はどこかで見たな、と思ったら、『フェルメール全点踏破の旅』(集英社新書:現存するフェルメールの全作品を見て回った記録)の人だった。熱意の人なんである。

  • グローバルに戦い、無残に散ってしまったベンチャー「山中商会」という視座で本書を読み進めた。周りで設立当初から世界を視野にビジネス展開を企む20代の起業家が増えている。そういった輩からすれば、東アジアの美術品を大量に売りさばいた山中商会は大先輩の商人である。

    「美術商は、価値を見抜くために美術の目利きであること、また、見る眼と資金を持つ顧客といった良質の販売ルートを抑えることが望ましい。」(Wikipedia「美術商」より引用)
    美術商は「【仕入れ】美術品の価値の理解と発掘力」と「【販売】優良顧客との関係性」この2つが重要なビジネスモデルである。また、仕入れの際も販売の際にも「交渉力」が非常に重要になる。この3点から山中商会及び本書の重要人物である山中定次郎を分析する。


    【仕入れ】美術品の価値理解と発掘力:
    岡倉天心と懇意にしており、日本を中心とする東洋古美術のことについて、店員たちが暗黙裡に教えを受けていた。美術品の目利きを一流の人間から学んでいた。
    また美術品の発掘で光る点は当初は日本の美術品を主な商材としていたが、政治的な動きを読み取り、自ら東洋美術に関する連続講義を開催して、東アジア美術に関する知識を浸透・拡大させていき、新たにアメリカでの中国の美術品ブームを牽引した。美術品仕入れのための拠点を北京に構え、義和団事変や辛亥革命の混乱期に乗じて、中国で大量に美術品を仕入れ、山中商会の東アジア美術品ディーラーとしての世界的名声を高めていった。

    【販売】優良顧客との関係性:
    美術品競売は富裕層が美しく着飾って競売を楽しむ場であり、新聞や雑誌が盛んに報道し、注目を集めていた。山中商会が毎年催す競売は社交界のイベントにまで発展し、美術品競売を通じて、アメリカ全土で名声と信用を築いていった。また、顧客にロックフェラーなど世界的富豪を顧客とし、ロックフェラーが持つニューヨークの一等地の新築ビルに店舗を構えるほどの親密な関係を築いていた。ロックフェラー家の別荘の内装を目当てとした店舗も構えたほどである。

    山中商会の交渉力
    これは美術品とは直接関係ないが、ロックフェラー家との家賃交渉が数字をファクトに鮮明に残されている。交渉とはこうやってやるのか?と目からうろこが落ちる。山中商会の交渉力の粘り強さの象徴として最大61,380ドルだった家賃が35,000ドル+出来高にまで値下げ冴えて契約している。日本の企業がかのロックフェラー家と交渉している現場を手紙の文面より学ぶことができる。

    しかし、1930年代から山中商会は世界恐慌、満州事変(中国からの美術品の調達が困難になる)、第二次世界大戦といった大きな時代のうねりに巻き込まれていくのである。

  • 明治時代から第二次世界大戦まで、東洋美術商として世界的に有名であった山中商会。メトロポリタン美術館、ボストン美術館、フリーア美術館、大英博物館など、大規模な東アジア美術コレクションを持っている美術館へは、相当数の作品を供給していたという。二〇世紀初頭にあっという間にビジネスを拡大した山中商会は、ニューヨーク、ボストン、シカゴからロンドンまで活動範囲を広げ、英国王室からも用命を受けていたほどだ。本書は、今では知るものの少なくなった、その興亡を描いた一冊である。

    ◆本書の目次
    序章  琳派屏風の謎
    第一部 古美術商、大阪から世界へ
    第一章 「世界の山中」はなぜ消えたか
    第二章 アメリカの美術ブームと日本美術品
    第三章 ニューヨーク進出
    第四章 ニューヨークからボストンへ
    第二部 「世界の山中」の繁栄
    第五章 ロンドン支店開設へ
    第六章 フリーアと美術商たち
    第七章 日本美術から中国美術へ
    第八章 ロックフェラー家と五番街進出
    第九章 華やかな二〇年代、そして世界恐慌へ
    第十章 戦争直前の文化外交と定次郎の死
    第三部 山中商会の「解体」
    第十一章 関税法違反捜査とロンドン支店の閉鎖
    第十二章 日米開戦直前の決定
    第十三章 開戦、財務省ライセンス下の営業
    第十四章 敵国資産管理人局による清算作業
    第十五章 閉店と最後の競売
    第十六章 第二次世界大戦後の山中商会
    終章   如来座像頭部

    江戸末期以来、日本国内でも活発に古美術商として活躍していた山中商会が、日本国内の美術ビジネスに与えた最大の功績は、”展観”という販売スタイルを持ち込んだことにあるという。それまでは顧客と一対一で販売するのが通常だったのだが、欧米の画廊に倣い、会場で品物を展示してから販売するという方式に変更したのである。今でいうフリーミアムモデルのようなビジネスモデルが、百年以上も前に行われていたことになる。

    ニューヨークに最初の店を出したのが、一九八四(明治二七)年。明治日本のナショナリズムが高揚し、日本としても熱心に対外貿易を促進していた時代である。その当時、日本の美術工芸品のレベルの高さは群を抜いていたという。遠近感を無視し、植物や動物の描き方も誇張され、遊び心やデザイン感覚に富んでいたのである。そんな中、山中商会は、美術工芸品に限らず、盆栽、狆、金魚から”だんじり”まで幅広いラインナップを取り揃え、日本文化を知らしめる役割を果たした。今風に言うとキュレーションということになるだろうか。

    今でも海外のソーシャルメディア事情などを、日本国内に伝えるためのキュレーターは見かけるが、日本国内の情報を世界に発信しようとしているキュレーターには、あまりお目にかかれない。また特筆すべきは、山中商会のキュレーションが、美術に関して目の肥えた正真正銘のキュレーター(美術学芸員)達に対して行われていたということだ。つまり彼らはキュレーターから情報をもらうのではなく、情報を与えることでビジネスを行っていたということなのだ。

    彼らに取っての最初の転機は、明治後半に訪れる。日本の美術品が品薄になり、値段も高騰してきたのだ。そこに国内が政情不安に陥った中国より、安価な美術品が大量に出回って来た。まるで現在の世界情勢を彷彿とさせる出来事だ。そこで、山中商事は仕入れの中心を一気に中国へと舵を切る。多少非合法なこともあったようではあるが、大量の買い付けを行い、アメリカでの中国美術品ブームも牽引する美術商へとのし上がったのである。ここでの成功のポイントは、文脈形成ということに尽きる。自らが主催する講演会で、中国美術と日本美術を、ギリシャ美術とローマ美術のように相互に入り組んだ「同じひとつの芸術的活動」として取り扱う視点を提示したのである。

    ... 続きを読む

全17件中 1 - 17件を表示

ハウス・オブ・ヤマナカ―東洋の至宝を欧米に売った美術商を本棚に「読みたい」で登録しているひと

ハウス・オブ・ヤマナカ―東洋の至宝を欧米に売った美術商を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

ハウス・オブ・ヤマナカ―東洋の至宝を欧米に売った美術商を本棚に「積読」で登録しているひと

ハウス・オブ・ヤマナカ―東洋の至宝を欧米に売った美術商の作品紹介

なぜアメリカの有名美術館には、日本や中国の国宝級名品が収蔵されているのか?ロックフェラーらアメリカの大富豪を相手に超一級の美術品を商った山中商会の興亡。

ハウス・オブ・ヤマナカ―東洋の至宝を欧米に売った美術商はこんな本です

ハウス・オブ・ヤマナカ―東洋の至宝を欧米に売った美術商のKindle版

ツイートする