ハウス・オブ・ヤマナカ: 東洋の至宝を欧米に売った美術商

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (356ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103289517

作品紹介・あらすじ

なぜアメリカの有名美術館には、日本や中国の国宝級名品が収蔵されているのか?ロックフェラーらアメリカの大富豪を相手に超一級の美術品を商った山中商会の興亡。

感想・レビュー・書評

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  • 再読になる。
    依然読んだときに比すれば、ぐぃっと気持ちが入り込み、速読しつつも、流れを含め政治的な社会情勢・空気が感じられた。
    このところ、観るようになったネトフリ。
    仕方なく契約したのだが、これまで見ることがなかったベネルクス3国、東欧諸国(特にポーーランド)を中心に観ている。
    育されてきた世界情勢と私なりの感覚がいかに視野狭窄だったか痛感する・・最も映画、ドラマだから差っ引いてとはいえ。

    朽木氏の論評は淡々と、それでいて論点を外さないしっかりした語り口。読んでいても頭に入りやすく、下手な感情論がないこともあり、好み。
    これまで数点を読んできたこともある。
    200年続いた山中商会(大阪八尾にあった)の7代目があめりかに3か所の支店をおいたのは19~20C
    もともとは骨董店だった(美術商は日本込みならず、表具や、骨董店などが前身となっていることが多い)

    副題にある通り”東洋の至宝を欧米に売った美術商”
    が額面通りに読むと、国際犯罪化と思ってしまう・・匂わないでもないが。
    WW2の前にはひと塊もなく解体となり知る人も消滅~が2008年、とあるオークションで登場した石窟の仏塔で世界はさざめく~中国が買い取ったことも理由。

    今後も着々とかの国は自国から流出した文化財を買い戻す魂胆であろう。
    当作品を読んで山中商会が歩いてきた道のりは賛否両論があるはず・・しかし、若冲、琳派が世界に冠たる芸術であることは、今や、論を待たないが、その一端を担った功績がこの商会の働きであることは否定できない。

    ニューヨーク五番街から始まったアメリカの進出、もっぱら対応してきたのはAPC局。WW2による解体の終結時でも山中商会の社員との関係は極めて好印象だったと記録にある。
    実験的庭、だんじり、種々の日本文化が海を渡ったが大半は中国文化財だった。博物館は美術品の墓場と論ずる向きもあるが、山中商会のメンバーは大半、とてつもないビジネスマンだった事が伺える。

    美術品の作品鑑定技術が確立したのはWW2といわれる。日本の重要美術展が行われた背景は混迷を吹き編めて言った日米、そして中国がイメージ好転戦略という遠望があったはずとある。
    1944、山中商会解体へ向けての契約更新が贈られたとき、その3日後にパールハーバーが・・歴史は日時を選ばない!

    世界を複眼で見る事の重大さ、面白さを味わえた。

  • 資産の8割を欧米にあったとされる美術商、第2次世界大戦で没収

  • 圧倒的な迫力の美術書・歴史書である。明治時代以降、日本や中国の美術品が欧米に数多く流れていった。その背景には本書の主人公である山中商会を初めとする美術商の活躍があった。日本や中国の美術品が簒奪に遭い、欧米に流出してしまったという見方がある一方、流出したからこそ、毀損をまぬがれ、欧米で今日まで保護されたと言うこともできる。

    また本書は貴重な戦争史でもある。アメリカの日系企業の立場から見た、太平洋戦争への進行。祖国との音信が途絶え、そして山中商会の在米資産は全て没収されてしまった。

    本書はそんな山中商会の奇跡を辿る。

    http://naokis.doorblog.jp/archives/51695569.htmlブログ記事を参照下さい。

  • 東洋アートを欧米に売りまくった美術商のお話!

  • アート好きなら読んでみたいドキュメンタリー。
    明治から第二次大戦前まで、名の知られた美術商・山中定次郎と山中一族が経営する山中商会。その足跡を丹念にたどる。

    導入部の琳派屏風の左右をめぐる記述で、美的感覚にやや違和感を覚えたが(空白のある構図のほうが美しいと思うので)…読み進めると、すばらしい労作であったと感じた。

    1890年にNYに出店、以後、英国にも進出。
    ロックフェラー財団や名うての蒐集家、エリザベス1世までの御用聞きとなり、日本含む東洋美術の至宝を世界に売りさばいた豪商。義和団事変で中国美術の需要に目をつけ、美術品とは言えないようなインテリア雑貨もまぜつつ、販路拡大。しかし、1920年代後半の金融恐慌、30年代の中華事変、さらには第二次大戦直前の関税法や在米資産凍結令で、解体されてしまう、山中商会。

    戦後はもと社員の協力で復活の兆しも見られたが、日本が経済復興しても忘れ去られてしまう。

    著者は資料の乏しさにもひるまず、無数のコレクターや美術館、公文書にあたり、膨大な調査によって本書をまとめあげた。財務情報や当時の物価などの引用考察は、並みの美術史家ならば思いもよらない視点で、読み物として面白い。学術書ではないが、研究として価値がある。

    日本美術の海外流出を嘆き、高額な競売ばかりがセンセーショナルにとらえられがちな風潮に異議申し立てし、東洋の文化価値を世界へ広めた「民間文化外交官」としての美術商の価値を再認させる狙い。目から鱗が落ちる。

    『武士の家計簿』もそうだが、生活や経済感覚と結びつく教養系学問はもっと推奨されるべきであろう。

  • 明治から第二次世界大戦までの50年間ニューヨークに店舗を構えた山中商会は戦前のアメリカでは最も有名な日本企業だった。当時の東アジア美術商としては世界最大規模でニューヨーク以外にもボストン、ロンドン、シカゴに支店を開きロンドンではイギリス国王ジョージ5世とメアリー王妃から二つの王室御用達を認定され、1917年にはNY5番街の53stと54stの間に新築されたロックフェラービルの5番街に面した1−2階にギャラリーつきの店舗を構えている。設立にロックフェラー夫人が関わった近代美術館がすぐ近くに移転して来たのは1932年のことだ。狂騒の20年代にはアメリカの美術界も活況を呈しヤマナカも大いに繁盛したが29年の世界大恐慌、31年に始まる満州事変から暗転し第二次大戦で資産没収をへてアメリカの支店は解体されていく。

    日本の美術品がアメリカに受け入れられるようになったのは1876年のフィラデルフィア万博がきっかけで、例えばヤマナカ以前に陶磁器を輸出した中には森村商会などがある。その後ノリタケ、TOTO、INAX、日本碍子などを生み出す母体となった森村の発展のきっかけが陶磁器の輸出だった様だ。ヤマナカは1905年くらいまでは日本原産の骨董品や雑貨を販売している。1880年の対米輸出高では扇子が17万弱と陶磁器や漆器にならぶ輸出品目だった。ちなみにこの時緑茶が600万台で生糸が300万台である。骨董品だけでなく雑貨も人気が出始めていた。

    しかし、1908年あたりから輸出品目はほぼ中国産になっていく。日本で文化財保護が言われ始め、また茶道具を中心に美術品の価格が値上がりし始めたのに対し、清朝の崩壊に伴い美術品を手放す資産階級が増えたのと、略奪や盗掘などで不法に持ち出される美術品が増えた。例えば龍門石窟の仏頭なども石窟から取り外され持ち出されているが当時はそれは違法とはされていなかった。そしてアメリカではヤマナカも中国美術品の講義を後押しした。

    1941年7月アメリカは日本資産凍結令を公布し、日本との貿易が禁じられた。この時点ではまだ従業員への支払いや日本の家族への送金など個人資産の凍結解除はできた。12月7日真珠湾攻撃の直後にヤマナカの支店は財務省により閉鎖され管理下に置かれる。解体の手順が興味深いのだがAPC(敵国資産管理人局)がヤマナカの発行済み株式を接収し、在庫の90%を占める中国美術品は友好国の資産と言う名目で販売している。このときヤマナカの経営陣は追放されたが従業員は日本人も含め美術品への理解が深いという理由で雇用されちゃんと給与も支払われた。既存顧客や家主のロックフェラーとの関係も開戦前後も基本的には友好的だったようだ。

    戦後、山中商会は接収された資産の返却を求めて嘆願書を出しているが返還要請の期限が49年の4月30日であることを理由にすでに時効として聞き入れられなかった。戦時請求法の財源として使われてしまった様だ。日本の美術品の国外流出というと否定的な意見が多いかも知れないが、海外のコレクターが集めることで美術品の価値が再発見されたり高まったりしている側面もある。包み紙として使われていた浮世絵がヨーロッパで人気になったのもよく知られた話だ。著者の杇木氏がインタビューした中国人ジャーナリストに「中国の美術品が、かつて日本や西欧の美術商、学者などによって国外に大量に持ち出されたことをどう思いますか」と聞いたところ「美術品は貧乏な国から逃げていくものですよ。価値があるとわかったときに、とりもどせばいいんです」と言われている。そういうものかも知れない。

  • 日本を含む東アジアの美術品の価値をヨーロッパとアメリカに広く伝え、当時の(とくにアメリカにおける)美術文化交流の要でありながら、第二次世界大戦を契機として解体させられ、消滅してしまった山中商会の興亡史。当時の社員達の気概や商魂を知る為にも興味深い一冊。
    ただし、著者が断っている通り、ヤマナカの「アメリカにおける」興亡しか追いかけていないので、ロンドンにもあったというヨーロッパでの商売についてはほとんど分からないというのが、やや画竜点睛を欠くという感じ。1920年代、ロンドンで王と王妃からそれぞれロイヤル・ワラントを賜り、その栄誉に浴していたのがイギリスの全ブランドも含めてヤマナカだけだった、とさらりと書かれているけど、これは実はとんでもないことだと思います。そんな栄光の歴史があるのであれば、あと100ページ増えてもいいからヨーロッパにもう少し目を向けて欲しかった。

    中盤から終盤にかけては、完璧に戦争に翻弄されたヤマナカの消滅までの歴史書。その中で意外だったのは、戦争で敵となった日本の会社を解体させるにあたり、当時のアメリカ政府が敵対的な手段ではなく(強圧的ではあったと思われるが)、それどころかヤマナカがそれまで半世紀にわたってアメリカの美術分野に与えた影響と、商売を通じて蒐集家との間で育まれた関係や心情を斟酌して、非常に寛大な処置をとりながら財産の処分をしていた、という点。
    普通、敵の文化だったらヒステリックに排斥したり、もっと悪ければ単純に破壊したり焼却したりしそうな感じだけど、当時のアメリカ政府はその点については非常に「文化的」だったんだと思います。
    さて、これが21世紀の戦争・紛争・内戦で行われているかどうか。その辺を考えると、今の政治の方が品が無いような気もします。まぁそもそも、戦争する時点で知性は欠けてんだけど。

    終章で、著者は「美術商には自国や他国の文化を流出させているというマイナスイメージがつきまとうが、そうではなく、それまで注目されていなかった美術品の価値を認め、広く普及させ、他国との文化交流の先駆けとなる存在。ヤマナカも、当時のアメリカにおいて殆ど知られていなかった東アジア文化を伝播させたという意味で、民間文化外交官の様な役割を果たした重要な存在であった」と述べています。
    それは確かにそうだろうと思うけど、じゃあなぜ本のサブタイトルに「東洋の至宝を欧米に売った」という、穿った見方をすれば挑戦的で侮蔑的とも取れてしまう言葉を並べたのか。実際には、ニュートラルに事実を書いているだけではあるものの、そこからマイナスイメージを想起する読者もいるはず。
    そこまでヤマナカの価値を認めているのであれば、せめて著者ぐらいはヤマナカ贔屓のサブタイトルをつけても良かったのではないか。そんなことを、読み終えてから表紙を眺めてつくづく思った次第です。

  • 日本と東洋の美術品を欧米に販売し、第二次大戦で解体された美術商の歴史を、米国公文書館にあった87箱もの資料ほかから読み解いた労作。索引が無いのが惜しい。

  • 興味が無い分野の本を読んで、楽しめることはたまにはあるが、興味がある分野の本を読んで楽しめないこともたまにはある。
    古美術、ニューヨーク、昭和初期等興味深い内容のはずなのにあまりのめりこめなかった。よくできた本だとはおもうけれども。

  •  途中で放り出そうかと思いました。

     どうも俯瞰的な記述ばかりで、細かい人物も美術品も見えてこないので、ドラマ性がないし、焦点が絞れていません。史料としては一級なのかもしれませんが、読み物としては退屈です。

     戦中戦後のアメリカによる山中商会解体の経緯は面白かったですが、基本的に山中商会の年次収支報告書といった感じです。

     この本を読んで面白いと思う人はたぶん、時刻表を見て面白いと言う鉄っちゃんのような、通な人だけです。

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