呪いの時代

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著者 : 内田樹
  • 新潮社 (2011年11月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (285ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103300113

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有効な左矢印 無効な左矢印
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呪いの時代の感想・レビュー・書評

  • 内田先生の本です。

    印象的な部分を引用します。

     だったら、そういうピットフォールに落ち込まないように、自説の正しさにつねに留保をつけておく節度が必要だと僕は思います。「私はとりあえず手持ちのデータに基づいて『正しいことが事後的にあきらかになる蓋然性が高い見通し』を述べている。しかし、私はすべてのデータを網羅したわけではなく、これから起きる出来事の全てを予見できるはずもないので、私の見通しは誤る可能性がある」という宣言を議論の出発点に置くべきなのです。そのときにはじめて「私が吟味しなかったデータを吟味した人」、「私が予測しなかった出来事を予測した人」との生産的な対話が成立する(P83~)。

     贈り物というのは、それ自体に価値があることが自明であるようなものではないのです。贈り物は受取った側が自力で意味を補填しないと贈り物にならない。挨拶を送った側が返礼がないと傷つくこともそれで説明できます。挨拶を返さない人は、「あなたが発した空気の振動には何の価値もない」という判定を下した。僕たちはそのことに傷つくのです(P179)。

     「木で鼻を括ったような説明」が私たちを不快にさせるのは、そこで述べられていることが間違っているからではない(必ずしも間違ってはいない)。そうではなくて、そこに聴き手の知性や判断力に対する信頼と敬意の痕跡を見て取ることができないからである。「お前が私の意見に同意しようとしまいと、私の意見の心理性は揺るがない」と耳元で怒鳴りつけられ続けていると、私たちは深い徒労感にとらわれる。それはその言い分が実践的には「おまえは存在する必要がない」という宣言と同義だからである。「お前ななんかいいんだ」と言われ続けていると、その呪詛は私たちの生命力を酸のように侵してゆく(P274~)。

  • 面白かった。
    たぶん自分の考え方とは違うところもあるけど、
    自分では考えてみなかった視点とかが提示されてた。
    で、なるほど、と思って読める。考えられる。

    今の人って古くさいもの(祭祀的なもの)を
    遠ざけて私って現代人だぜ、みたいな体でいる。
    でも抜け出しきれてないんだなぁって思った。
    その祭祀的なものっていうのは
    怪しかったりオカルトだったりするわけじゃなくて、
    人として生きていく上で逃れられないものなんだなぁ。

    それはどこで生きていてもそう。
    どんな宗教でも風習でもそう。
    だからどんだけグローバルになっていっても、
    そういったローカルさって消せないのかも、と思った。

    死者を弔うのは人間だけっていうのもそうなんだよなぁ。
    なにがいいってわけではなく、そういうものなんだねぇ、と。

    原発についての文章もなるほど、と思うところがあった。
    一連の報道とか、人の意見とか、いろいろ見てて、
    なんか腑に落ちないというか、ずっともやもやしてた。
    自分の立ち位置が考えても考えてもよくわかんなかった。

    だけどこの本読んで、
    あー私がどの立ち位置にも落ち着けなかったのって
    この視点がなかったからかも、と思った。
    私たちはこれから長い長い時間をかけて、原発を弔わなきゃいけない。
    自分たちで抑圧してきた危険と向き合わなきゃいけないんだなぁ。

  • ■書名

    書名:呪いの時代
    著者:内田 樹

    ■概要

    巷に溢れる、嫉妬や妬み、焦り―すべては自らにかけた「呪い」か
    ら始まった。他者へ祝福の言葉を贈ることこそが、自分を愛するこ
    とになる―呪いを解く智恵は、ウチダ的“贈与論”にあり。まっと
    うな知性の使い方と時代を読む方程式を考える一冊。
    (From amazon)

    ■感想

    相変わらず、独特の切り口で物事を見ている方です。
    本書は「言霊」というものを切り口にして、言葉の呪いはやめよう!
    他社と共存して、幸せになろう!みたいなことを軸にしています。
    (その他にも色々な事を言っています。)

    言っていることは素晴らしい事ですし、楽しめます。

    でも、しかし、この人の言葉には、罠があるように感じます。
    この人が使っている言葉は抽象的で難しいです。
    いかような解釈が出来る言葉を多数使っています。
    最たる例が、「記号化」という言葉でしょう。
    これ、恐らく読者はなんとなくイメージは分かる、けど、この
    言葉を具体的に説明できる!という人はそうそういないのでは?
    と思います。
    で、内田さんは「記号化」を危険と言っているように思いますが、
    自身の評論も、かなり「記号化」されています。
    そもそも、抽象化と記号化って同じ意味だと思うので。

    人間って面白いです。
    言葉ではいかようにも言えますが、真実は行動にしか無いです。
    で、この内田さんの言っていることを内田さん自身が実践して
    いるか?という観点で、誰か本を書けば面白いと思います。
    (実際、どういう結果が出るかは私は知りません。)

    私は、別にこの人が言っている事を批判するつもりは全くあり
    ません。その通り!と思うことも多々あるし、なるほどな~と
    思うことも多々あります。
    文章や評論の切り口も独特で面白いです。
    この人の本を読むと、自分が知っている知識で、別の物事を解釈
    し説明する力をこれほど持っている人もいないだろうな~と思い
    ます。
    内田さんの本を何冊か読むと余計そう感じます。
    というのも、基本的には同じ知識、別のことを物語っている事
    が多いです。
    けれど、そういう人があまりいないから、この方の本は読んでいて
    楽めます。

    話がとっちらかりました。


    自分で思考して議論したい人向けの本かな?と思います。

    ■自分がこの作品のPOPを作るとしたら?(最大5行)

    内田さん好きには堪らない一冊!
    自分も呪いから解き放たれたくはないですか?
    世の中に祝福を!!!

    ■気になった点

    ・「君は「こんなこと」もしらんのか?」と気色ばむ学者は、
     「こんなこと」が議論の始点にならなければならない理由について
     ほとんど説明責任を感じていないようでした。

    ・学者というのは「知識を持つ人間」ではなく「自分の持つ知識に
     ついての知識を持っている人間」だと思います。

    ・「現実を変えよう」と叫んでいる時に、自分がものを壊しているのか
     創り出しているのかを吟味する習慣を持たない人はほとんどの場合
     「壊す」ことしかしない、という事です。

    ・破壊は創り出すよりはるかに簡単です。

    ・想像するというのは個人的であり、具体的な事です。
     だから、難しいのです。

    ・創造する者は匿名性にも忘却にも逃げられない。自分で創ってし
     まった物がそこにあるのですから逃げも隠れも出来ない。
     創造の怖さというのは、そのことです。

    ・全能感を求める人はものを創る事を嫌います。
     想像すると自分がどの程度の人間かあからさまに暴露されてしまう
     からです。

    ・「自分は十分な権威を受けていない」と思えば、どれほ... 続きを読む

  • 最近は内田樹をよく読んでいる、と言ったら、急に古文の先生なのだけれど哲学も教えている先生から貰った本。
    先生の書き込みがあって面白い。

  • 現代が、「呪いの時代」であるという前半60頁が特に胸にしみた。
    現代に蔓延する「呪い」。壊すことは創造することよりも簡単だ。
    今の「ディベート」は、お互いの意見を聞き、妥結点を探りあっていく
    のではなく、相手の意見を徹底的につぶし、自分の意見を押し通すもの
    でしかない・・。

    結婚観、就職観も独特。

    “結婚というのは普通の人達が、別に「赤い糸」で結ばれていなくても、
    卓越した人間的資質がなくても、生涯変わらぬ激しい愛情なんかなくても、
    そこそこ幸福に過ごせるようなシステムとして設計されている。”

    うーん、なるほどな、と。
    自分らしさが世の中にある、自分にぴったりの相手が世の中にいる、自分にぴったりの就職が世の中にある…
    そういう前提にたって動いても見つからない「本当の自分」「本当の結婚相手」「自分の天職」。
    自分はもっと認められてもいいはずなのに、もっといい相手がいるはずなのに、もっといい仕事があるはずなのに。。。
    しかしそんなものはないのだ。
    ありのままの、身の丈を知り、今の自分にできることをする。
    当たり前でいて、できていなかった自分を確認。

    無限の可能性だけを吹き込む現代の教育についての内田さんの視点も面白い。
    可能性は無限でも、資源は有限。
    学校教育を通して、「無理」ということを教えることも大事だと。

    全部が全部、「なるほど!」というわけではないけど、
    内田さんの文章が大学入試で頻出というのは納得の論理性。
    (何か読んだことある既視感があったのは、きっと受験勉強のときに
    筆者の文章を目にしたことがあったのだろう)
    視点も面白く、説得的。
    私が最近、マスコミやいわゆる「弱者」に対してぼんやり思っていたことを
    的確に書いていて、読んでいて面白かった。

  • また、目からうろこてきなとこがいっぱいにあったのだけれど、

    そうか。と印象に残ったのは、

    ネットという匿名性の環境で、顔を合わせたこともない人間に、平気で「氏ね」だとか人を傷つける言葉を浴びせかける。
     それが複数集まって、それを受けた人が、深い傷を負ったり、自殺に追い込まれていくような状況が実際存在する。

     それは、当の本人にそんなつもりなくても、言葉が命を持って人を呪い殺しているようなものなのだと、言うような件。(いや、内田さんはもっと人に深く届く言葉でこのことを語っていらっしゃいます。なんでですかね。私が似たようなことを言葉にすると、説得力が淡くなっていく。)

     わたしは、本を読んだ感想を、自分の思ったことを忘れないように、別に誰かに読まれたいとかそういう気はなく、でもただ、「知らない複数の誰か」に語りかけるように、ここにつづっている。

     たまに、「何でこんな語りつくされているような内容を、とってつけたような言葉で本にしてしまったの?」と、憤りを隠せない本の感想を載せてしまっているのだけれど、

     もっと、言葉を選んだほうがいいのかも、とちょっと反省。

     でも、上記のようなひどい本は確かにある!これからはそれを、「質のよい本ではない」と見分けられなかった自分を責めよう、と思った。

  • p12
     学者というのは「知識を持つ人間」ではなく、「自分の持つ知識についての知識を持っている人間」のことだと僕は思います。ですから、自分の知っていることは「知るに値すること」であり、自分が知らないことは「知るに値しないこと」だと無反省的に信じ込める学者のことを僕は端的に「学者の腐ったようなやつ」と呼んでいました。
     しかし、かつては学会だけの固有種であったこのタイプの人々が今ネット上では異常増殖しているように僕には思われます。ディスプレイに向かって、グーグルでキーワードを検索しながら、個別的なトピックについてのトリヴィアルな情報を入手することをそれ自体は愉快なことですし、誰の迷惑になる訳でもありません(僕だって大好きです)。けれども、そうやって自分が仕入れた知識の価値を「知識についての知識」というメタレベルから吟味する習慣を持たない人にとっては、どれほどトリヴィアルな情報を収集しても、それは学的には無価値だということは忘れない方がいいと思います。
    (注、「学的には」にあった傍点は略)
     僕がかつて専門にしていたユダヤ人問題の領域では、「ユダヤ問題専門家」と自称する人々がたくさんおられました。彼らはしばしばたいへんな事情通で、「ユダヤ人問題」のデータや統計や「アンダーグラウンド情報」を次々と並べ立てることができました。けれども、それらの情報はしばしば「ユダヤ人の秘密結社が世界を裏から支配している」というチープでシンプルな物語のユレームワークの中に押し込められていました、僕はそういう「自称専門家」から「お前は『こんなこと』も知らんのか。『こんなこと』を知らない人間にはユダヤ人問題について発言する□はない」というご批判をしばしば頂きました。
     たしかに彼らはユダヤ人について実に多くのことを知っていました。けれども、彼らは自分がどういう基準で情報を収集しているのか(逆に言えば、どういう基準で情報を「棄てているか」)については意識的に考えたことがないようでした「ユダヤ人の世界支配」は、彼らにとっては、論証の余地なく自明のことだからです。僕は彼らとの論争には申し訳ないけれど一秒も時間を割きませんでした。それは純粋な消耗だからです。
     ネット論壇で頻用される「こんなことも知らない人間には、この論件について語る資格はない」という切り捨て方はこの手の「学者の腐ったようなやつ」のやり方をそのまま踏襲しています。そのタイプの書き手が今ネット上に数十万単位で出現してきているのを見て、僕はまことに気鬱になるのです。
     ネット上では相手を傷つける能力、相手を沈黙に追い込む能力が、ほとんどそれだけが競われています。もっと少ない言葉で、もっとも効果的に他社を傷つけることのできる人間がネット論壇では英雄視される。それが「もっとも少ない貨幣でもっとも高額の商品を買うこと」が消費者としてのパフォーマンスの高さとして賞美される消費社会のメカニズムをそのまま模写していることにたぶん彼らは気づいていない。そのことが僕の気鬱をさらに重たいものにするのです。

    p15
    ネット世論の語り口の問題点は、「私」の自尊感情の充実が最優先的にめざされているせいで、「公」的な次元で対話することへの努力が配慮されないことです。

    p42
    「拒否することによって、おのれの純粋さを際立たせる」という戦略は、ネット論壇に飛び交う言説のきわだった特徴です。彼らが他社を批判するときのロジックは、つきつめていうと「おまえは、無謬でないから、ダメだ」ということなのです。彼らはほとんどあらゆる人間の言動を否定し、嘲弄しますが、それはつきつめていうと、驚くべきことに「この人間は全知全能ではない」という理由なのです。

    p48
     身体という限定を持つことによって、人間は自分の活動できる範囲... 続きを読む

  • 「源氏物語」で六条御息所は葵上を呪い殺した。しかし、現代ほど「呪い」が蔓延している時代はない、と著者は言う。ネット上で人びとは、言葉でいかに深く他人を傷つけられるかを競っているかのようだ。
    「本当の自分はこんなものではない」。もっと愛され、敬意を払われていいはずだという自己呪縛にとらわれた人間は決して幸せにはならない。
    頼りなく、かっこわるく、ぱっとしない自分のありのままの姿を受け入れる、そこから始まるものがたくさんある。
    読み進めると話がどんどん進んでいき、最終的には「呪い」からは外れていくのだが、やはり最初の章がインパクトが強かった。

  • 妬み。嫉妬。焦り…。巷に溢れる自分への『呪い』が社会全体を不幸にしている。筆者の主張にはもろ手を挙げて賛成できない箇所がままあるものの、『草食系男子』をめぐる話や、原発事故の考察は面白かったです。

    この本は雑誌か新聞で話題になっていたはずなので手にとって読んでみることにしました。内容はというと巷にあふれる妬みや嫉妬。焦りなど、自分自身への『呪い』をかける事が以下に社会にとって不幸であるか、ということを説いた時事評論。もしくはエッセイといえばよろしいのでしょうか?

    個人的にはこの本が魂を揺さぶられるほどの感動、というものはなくまぁ、そういう意見もあるだろうな。という受け止め方をしております。自分にとって印象に残っている箇所は筆者自身が女子大学で教鞭をとっていることもあって自分のゼミでテーマにもなった『草食系男子』についての話題や女性の社会での立ち位置。90年代は外資系や金融などでバリバリのキャリア志向だったのが近年は物を作る仕事がしたいなど、に意見が変わっており、若い女性たちが時代に対して敏感な反応を示すのが一番近くに感じられる箇所にいる筆者ならではの意見だな、と感じました。

    『草食系男子』(自分では自分がこの部類に属するのかよくわからない)『線が細い』『弱くてかわいい』を前面に押し出す。恋愛などの『性行動』に消極的。などの特徴が生物的に大きなマイナスながらも多数派になってきた、ということに関する意見が面白かったです。そして原発事故に関して言及した『荒ぶる神を鎮める』という諸脳くだりでは霊的なものをたとえに用いていたり、原発を市場原理にゆだねるのではなく専門家がきちんと管理するべきだということが切々と訴えられており、僕は筆者のブログはあまり読んでいないのですが、震災と原発事故があったときに公開された『疎開をしよう』という内容の記事にはずいぶんと賛否両論があったと述懐されていたことをはじめて知りました。

    自分自身に限っていえば『呪い』を自分にかける、ということはまったく否定しないので、その辺は筆者と立場を異にします。むしろ自分の中にある『負』の部分を推進力にしている部分がかなりあります。こうやって文章を綴ることができるのも、そのひとつなのかもしれません。

  • これからの時代は「交換経済」から「贈与経済」へ移っていくのではないかと。昨今、話題になっているスペンドシフト的な要素もあり面白い。その他に、震災のことや、「今の自分」と「あるべき自分」の差異から生じる「呪い」について、論じている。昨今の社会的な事件、朝まで生テレビなどにみる政治家達のしゃべくりについての著者の見解は確かにそうだと思う。

  • 最近、読んで面白かった一冊は、内田樹さんの「呪いの時代」。

    本のタイトルにもなっていますが、内田氏は、この時代を「呪いの時代」と指摘しています。

    ネットの掲示板に「死ね!」と書くような行為や、メディアによる特定の人物に対するバッシングは、言葉によって人を傷つけ、時には、死にまで追い込んでしまうものです。

    破壊的な言葉によって、人を殺してしまう。
    これは「呪い」と同じ。というわけです。

    では、この「呪いの時代」をどう生きていけばいいのか?
    内田氏は、この問いの答えを「祝福する」ことだとし、次のように書かれています。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    それは生身の、具体的な生活のうちに捉えられた、あまりぱっとしないこの「正味の自分」をこそ、真の主体としてあくまで維持し続けることです。

    「このようなもの」であり、「このようなものでしかない」自分を受け入れ、承認し、「このようなもの」にすぎないに関わらず、けなげに生きようとしている姿を「可憐」と思い、一掬(いっきく)の涙をそそぐこと。
    それが「祝福する」ということの本義だと思います。

    呪いを解除する方法は祝福しかありません。
    自分の弱さや愚かさや邪悪さを含めて、自分を受け容れ、自分を抱きしめ、自分を愛すること。

    多くの人が誤解していることですが、僕たちの時代にこれほど利己的で攻撃的なふるまいが増えたのは、人々が「自分をあまりにも愛している」からではありません。逆です。

    自分を愛するということがどういうことか忘れてしまったせいです。
    僕たちはまず「自分を愛する」というのがどういうことか思いだすところからもう一度始めるしかないと僕は思います。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    なるほど。と思いました。

    少し角度が異なるのですが、数年前、ある中小企業の経営者から、こんな話しを伺いました。

    経営者は、従業員に「もっと、こうしてほしい」とか、「どうして、こうしてもらえないんだろう」とか、考えてしまいがち。
    でも、そういう思いを募らせて従業員に話しをしても、言葉は届かず、従業員との溝が深くなる気がしていたそうです。
    そして、その方は、「感謝する」ことを忘れていた。と気がついたそうです。

    私自身も、その頃、「感謝する」ということを忘れていたなぁ…。と思い当たることがあり、この経営者のお話がとても身にしみました。

    自分以外の人の存在や行為に「感謝する」こと。
    これって、やはり、とても大切なことだと思います。

    相手に対してどうこうというより、
    「感謝をする」時は、「自分のことを、よく捉えられている」時だという気がするからです。

    「たいしたことない自分」を認めると、自然に、今、自分に与えられている現状や、周りの人に対して「ありがたいな」って思えてきます。

    気持ちが楽になったり、変なプライドを手放すことができたりします。

    これまでと状況に変化がなくても、新しいスタートラインが見えたり、頑張ろうというエネルギーが沸いてきたりもします。

    「感謝する」「祝福する」は、誰かのためにするものではなくて、結局は、自分のためにしているのかもしれないですね。

    話を戻しますが、内田樹氏の「呪いの時代」の中では、
    第5章『「婚活」と他者との共生』と
    第6章「草食系男子とは何だったのか」も、なかなか面白かったです(*^_^*)。

  • 思想家、内田樹氏の最新著書。
    「経済の死角」をぱら読みしたところ面白かったので、こちらも。
    ※内田樹を知らない人の前でこれを読むと、
     オカルトな本を読んでると思われますのでご注意を!←経験則

    さて、肝心の中身はというと。
    快刀乱麻を断つ感じで、もはや清々しいほど。

    〝呪い〟といっても、呪術とかそんなんじゃあありません。
    ネットを中心とした、他人に対する批評的な言葉などなど。
    「知性の冴え」が「攻撃性」と同じ意味になっていき、
    「辛口」「毒舌」といった形容詞も許容される世に警鐘を鳴らしています。

    個人的には特に第一章がまるでわたしに向けられているようで
    ひやり、と反省しました。
    分不相応な自尊心を持ち合わせたゆえに
    他人に呪いをふりかざしてしまっているんですね。
    無意識だとしても、とても怖いことだなぁ、と。

    これまでの連載の編集編なので全編通したメッセージは薄いですが
    現代コミュニケーションを考えるうえで勉強になる一冊。
    著者の言葉選び(遊びといってもいい)も巧みでいて、
    読者に知性を求め、また敬意も感じられる文章ですね。

  • 武道家であり、思想家・内田樹さんの新著。まず「呪いの時代」というタイトルに驚きますが、本書でいう呪いとは、ネットを中心に飛び交う誹謗中傷、他人を徹底的にたたきつぶすためだけに発信された言葉。それは僕らが普段オカルト的なものとして感じている「呪い」と同じだ、というものです。

    「呪い」をキーワードに現代社会の切羽詰まった閉塞感に切り込む本書は一歩間違うと、これこそが非常に攻撃的なものになりがちですが、著者の言葉を借りると「情理を尽くし」丁寧に語られています。「相手の知性に敬意を払ってメッセージを伝える」姿勢から生まれる読みやすさ(リーダビリティ)は扱っている問題や言葉の難しさを越えて、理解に届くものです。すいすい読み進められるし、どんどん頭の働きが促されるようです。

    「呪い」がテーマになっているとおり、他にも霊的な表現やトピックが様々語られます。時代錯誤だと拒否感が生まれる方も多いかもしれませんが、正しいor間違いの二極で物事を捉えるのではなく、1度受け入れあって反芻してみるのが良いと思います。人を受け入れることで視点が広がるのは素晴らしいこと。進むのはゆっくりでもいいから、時間をかけて価値観を共有して形にしていく社会づくりに貢献したい。

  • 頭のよい人が書く文章を読むのは、なんとも気持ちがよい。

  • ここ数年で一番傑作の本。福島第一を火の神様へのメタファー(隠喩)に置き換えた部分。尊敬すべき火をないがしろにした点。それが事故へとつながっている。またネット社会の発想が「破壊」であること。「創造」する人は破壊者に耐えられないこと。この本を読んでスッキリした。贈り物、これを理解出来ない人間は人間ではないとの思考。納得する。この本のおかげで頭の整理ができた。前進できる気がする。

  • 96
    第10章「荒ぶる神を鎮める」

  • 仕事以外の理由でインターネットを使用する頻度が高いわけではないのだけれども、それでも時々、とんでもない批判の応酬合戦みたいになっているサイトに出会うことがある。相手の全てを否定しつくす勢いで論が展開するのを読むのは、自分には関係のないことであったとしても、後味の悪いものだと思う。
    内田樹は、それは議論ではなく「呪い」である、と説明している。
    なるほど、と思う。何らかの結論を出すために「議論」をしているわけではなく、ただひたすら相手を否定しつくす呪詛の言葉を吐いているだけである、と考えれば、そういうものか、と思う。
    なぜそうするのか。それが楽だから。知的な議論はエネルギーが必要だけれども、呪詛の言葉(というか、否定の仕方は一見理論的な形をとる。定型的な批判の仕方もある)を吐くには定型的な批判の仕方だけを覚えておけば、知的なリソースを使う必要がないから、かつ、効果的に相手を否定することが出来るから。
    ということなのだろうけれども、そういう場所には近づきたくないね、と思う。

  • 鬱々としていた頃に読んでいた本。自分でも世界を呪いながら、不特定多数からの敵意のようなものが世に満ちていることに辟易としていた。著者の勧めるように身体感覚を取り戻すことを心がけるようにし、そうこうするうちに本自体を読まなくなってしまったという、私に転機をもたらした一冊のうちの一冊。

    今の私はかつてほどビッグワードは使わないし、何かお得なことが/面白いことが/特別なことが 起きないかなぁ〜というモノ欲しい気持ちが薄れ、感謝と他者への祝福とが自然にできるようになった。

    呪いの時代なのはきっと変わっていないのだろうけど。

  • レヴィ・ストロースものかとタイトルから連想したのだが、ほぼ関係ない。人生教訓系ビジネス書に近い。とはいえ筆が達者なので、興味をそらさない。震災以降ヒステリックになり、知識人に見られた累計独断がみられる。いわく「やらないよりいいリスク回避のために疎開しなさい」

  • 階層社会では階層下位に行くほど「この世の仕組みを私は熟知している」と過剰な自己評価をする確率が高まる。現代は呪いの事態であり、ネットなどで「死ね」と中傷を受けて自殺する人は後を絶たない。反証可能性の重要性。ダメだという切り捨て方が出現したのは80年代から。マスコミも同じ風潮の論じ方をする。日本は英語を使わなくても社会的上昇が可能なまれな国。就職情報、結婚あっせん業者は同じ構造。贈与論。霊的な備えが大切。リスクとデインジャー。

  • 「呪い」の言葉に満ちたこの世界を、もっと幸福な世界に変えていくためのポイントは、「祝福を与えること」と「贈与を活性化すること」の二つだという。
    「私たちの意識を批判することから提言することへ、壊すことから創り出すことへ、排除することから受け容れることへ、傷つけることから癒すことへ、社会全体で、力を合わせて、ゆっくりと、しかし後戻りすることなくシフトして行くべき時期が来たと私は思っている。」(p285、あとがきより) という内田先生の主張は、シンプルで力強く、しかも温かい。それはとても難しいことだけど、単なる理想論や観念論ではなく、そうすることが一人一人を、そして世界をもっと幸福なものに変えていくためのベターな道筋だと、この本を読んで深く共感した。

  • 思考の厚さ、を感じた。
    得難いヒントが多くあったが、閉じれば忘れてしまうだろう自分。本も映画も、いいものは繰り返し味わうべし。

  • 共同体を弱くするような言動は慎み、贈与(金銭だけの話しではない)に励むのがよろしいのではないかと思いました。

  • 中盤までは、様々な社会的問題を取り上げ著者なりの切り口で解説しており非常に面白い。
    後半、思想本になってしまい残念。

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