その日東京駅五時二十五分発

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著者 : 西川美和
  • 新潮社 (2012年7月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (121ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103325819

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その日東京駅五時二十五分発の感想・レビュー・書評

  • 子どもの頃、近所に「女子挺身隊」だったというおばあちゃんがいた。
    その人の話がやたらと面白くて、とにかくとことん明るく戦時中を語るのだ。
    まぁ、なんの後悔も無いよ、精一杯働いたから。というお決まりの結び文句までしっかり覚えている。
    暗く悲惨なイメージが先行する戦争体験談が一般的だが、こういった人たちも案外多いのではないか。

    西川美和さんのこの本も、その時代に生きた親戚の伯父さんの「軽やか」な体験談から生まれたもの。
    しかしそこはさすがの西川さんで、静かで淡々とした筆致ながらも見事にツボは抑えている。
    【終戦当時、ぼくは広島に向かった。この国が負けたことなんで、とっくに知っていた】という帯文に惹かれて読み出した私は、またもや「してやられた」。ええ、本当に。

    終戦間際に通信隊に召集された、作者の伯父さん。
    その手記と証言から、終戦までのわずか3ヶ月間の心理描写を、丹念に、細かに、綴っていく。
    激変した故郷広島に舞い戻るまでの主人公の心情には、心音すら聞こえてきそうなリアル感が漂い、終末に近づくにつれ、読み終えるのが惜しくて惜しくて。
    時間軸の使い方も巧みで、ひとの持つ汚さや愚かしさ、たくましさや優しさなどが、静謐な文体で見事に描かれていている。
    いつもながら、ひとの感情にはこんなにも色々な側面があるのだと、その描写力にはヒヤッとさせられる。
    短い作品の最後では、広島で耳にした「ツクツクボウシ」の鳴き声から、人生を思索している。
    その終わり方も、(戦争ものでありながら)実に美しいのだ。
    現代の若者がそのまま戦時中にタイムスリップしたかのような主人公の考え方や感覚がむしろリアルで、こういった描き方もあるのだと、深い読後感に浸ってしまった。
    ここがいいなと思う場面がいくつもあって、読まれた方はたぶんそれぞれに見つけられることと思う。

    後書きがまた秀逸で、「3.11」の体験が、この作品を世に送り出す必然のタイミングとなったという。
    北野武さんが、東日本大震災について「2万人が一度に亡くなったのではなく、1人の人間が命を落とした事件がいっぺんに2万件起きた、と考えるべきだ」という内容の話をしていたのを思い出す。
    そしてこの作品もまた、「真ん中の話しではなく端っこの物語」だが、紛れもないひとりの人間の戦争体験談なのだ。

  • こういう終戦の迎え方もあったのか。
    戦争の話なのに、たまたま主人公は特殊情報部の通信兵という事で戦うシーンはなく、こういう戦争体験記もあるんだと、そしてこれは作者の伯父様の体験なのだと。
    短い文章でも、当時の事が伺い知れて、読んで良かったと思いました。

  • タイトルの「その日」とは終戦の1945年8月15日。
    「時代に巻き込まれ、あの戦争への参加を余儀なくされながらも、完全なるコミットを果たせぬままに放り出された宙ぶらりんな少年の境遇」(あとがきより)を描いた本書は、短いながらずしっと胸に残る。
    これまでの西川作品と同様に、戦時下を描いたものといえど静かな空気が流れている。陸軍特殊情報部で通信兵の訓練を受けていた「ぼく」の寄る辺なさがふわふわと漂い、空疎だ。悲しみとか苦しみとかの激しい感情はフリーズドライされたかのよう。淡々と進みながらも、軍の上司や帰郷の鉄道で出会う子供とその叔母、わずかな会話からその人物らのバックグラウンドが透けて見えるような描写がうまいなと思った。
    感情のうねりが極力排された展開ながらもぐっとくるのは、同期・益岡との別れのシーンかな。汽車の窓を小刻みに叩く益岡のモールス信号。ここまできてようやく、表紙がモールス信号を意味していると気付くのだが、もしかしたらここでのセリフなのかな?軽やかでしたたかな、関西人・益岡のキャラクターがとても印象的だった。一見お調子者だけど実はシャイなところも。
    広島に帰郷する「ぼく」が、原爆投下後の故郷を目の当たりにして何を思うだろうか…とそこにばかり捉われてしまったが、帰郷直前に出会った、家財をごっそり運び出すたくましい姉妹の姿になんだか勇気付けられる。あっけらかんとした図太さ、みたいな。
    様々な悲劇と対峙しつつも、生きていかねばならない目の前の「日常」がある。あの3.11の記憶を重ね合わせて綴られたあとがきを読み、強く実感した。

  •  語り手である吉井は、陸軍の通信隊として兵隊に取られることとなった。通信兵としての訓練に励む毎日だったが、ある日を境に身分を捨て、すべてを忘れて故郷へ帰るよう命令される。それは人々より先に知らされた敗戦のせいであった。

     本書を「戦争モノ」と分類しても良いものかわたしには悩むところである。戦時中〜終戦の話であることはたしかだが、銃・爆弾・命のぶつかり合い、そんなものは出てこない。しかしこういう人たちも現実にいたのだ。
     これは著者である西川美和さんの叔父の手記をもとに書かれた物語だが、わたしの祖父の戦争にまつわる手記にも同じような「戦争中とは思えない当たり前の日常の光景」が書かれていた。戦争中ではあっても、当時のその人たちにとってはそれが日常だったのだと気づかされる。

  • 中江有里さんの本で知って、借りてみたこの本。
    読み終わって登録しようとしたら、すでに「読みたい」本として登録されていた。
    過去の私よ、いつの間に!

    戦争の話ですが、あまり悲惨さを感じません。
    でも確かにあの時代、こんな風に時を過ごした人もいるんだろうなあと思いました。
    限りなく運のいい人なんだと思うけど。

  • 戦争という大きなものの中にいたのは普通の人なんだと思った。
    小説とあとがきと、両方読んでそう思った。

    祖母に戦時中の話を聞いたことがあるけど、文章や映像で知るそれらよりも当人の語り口は穏やかだった。
    それが祖母にとっての毎日だったからだと思う。
    語られる内容は結構ヘビーなんだけど、その中を普通に生きてきたんだろう。それが祖母の生活だったんだ。
    もちろん話を聞いた当時にそこまで考えたわけではなくて、この小説を読んで、そういうことだったんだな、って腑に落ちた。

    この物語の主人公はとても普通で、周りにいる人たちもとても普通で、そんな日常の中であんな怖くて悲しいことが起こっていたのか。
    と、考えたら、なんとも言えない気持ちになる。

    ポツダム宣言のくだりで、
    「ぼくらはみんなつられて笑った。おかしいわけではなかった。ほかに表すべき感情が湧かなかったから、だらだら感染してくる笑いに抗わなかっただけだ。」という文章が印象に残っている。
    当時、戦争は日常で、だけどやっぱりどこか歪んでいるから、柔らかい部分が少しずつ削られていっているように感じた。

  • 西川美和さんの本はいつも行間に熱い何かを秘めているので、読みやすいばかりでなく心に長く残るものが多いのです。これもそうですね。

    第二次世界大戦の終息を淡々と一兵卒の視線で。

    奇しくも大震災と重なってのご執筆ということで付されたあとがきにも感銘を受けました。

  • 一般よりも一足先に『終戦』を知ってしまった青年たちの物語。特種情報部で通信兵として訓練を受けていた主人公たちは、敗戦とともに所属していた部隊が解散となり、それぞれ郷里への帰路につく。そこで目にし、感じた世界とは…。著者の叔父の体験記を基に小説化されたようで、従来の戦争ものとは一線を画すような空気感が不思議で、淡々とした主人公たちの姿が、逆にリアルな「あのとき」を伝えているような気もする

  • こんな形で戦争を戦った兵士もいた。
    陸軍特種情報部の通信員だった作者の伯父が残した手記により書かれた本作。終戦3か月前に徴用された兵士が、静かに終戦を迎える日々が描かれている。そこには無残な殺戮も、恐ろしい銃撃もなく、ただ平和で時にユーモラスな日々があった。
    一発の実弾を撃つこともなく兵士でいる主人公は考える。「戦争で死ぬことと、滅びた後を生き抜くこと、いったいどちらが苦しいことなのか」と。
    原爆を投下された直後の故郷に帰り、この世の終わりのような世界で鳴くツクツクボウシに、それでも未来への希望を見出し、壊滅の中生きていくよすがとする主人公。
    作品全体を漂うどこかのんびりした他人事のような雰囲気はとても今まで読んだ戦争の物語と趣を異にしている。
    だけど、作者のあとがきも含めて、これも一つの戦争物語なのだとしみじみ思う。

  • 西川さんが、戦争を体験した伯父さんの手記を元にして書いた中編小説。戦争ものというと、戦争の悲惨さ、残酷さが描かれていることが多いが、この本には血生臭いシーンは全くない。主人公は終戦3ヶ月前に徴兵され、特殊情報部という、肉体的な訓練とは無縁の場所で働き、終戦前日に敗戦を知り、一般市民が敗戦を知る前に、故郷への電車に乗る。「全てに乗りそびれてしまった少年」の空疎な戦争体験がとても淡々と書かれていた。

  • 2017/7/28
    短い。

  • 西川美和さんの叔父さんの戦争体験をもとにした小説。
    知らずに読み始めたので『どうしてこんな淡々とした話を書いたんだろう?』と思っていて、主人公が体験して来た戦争と、故郷である広島に戻って見た現実との落差でこれから盛り上がる(と言ってはいけないのかもしれないけど)のかなと思ったらプツンと終わってしまい『え?』と思ったらあとがきを読んで腑に落ちた。
    私の祖母も亡くなる少し前に自分の半生みたいなものを小冊子にして配った人なので、誰かに知って欲しい自分の人生の一部を持っている人って案外多いんじゃないかなと思う。
    今はブログとかSNSとかで日常的に書き留めて披露する機会がたくさんあるけれど、昔はその手段もなかなかなかっただろうし、きっと余計だろうなぁと思った。

  • 戦時下、兵役へ送り込まれたものの、戦争の実感がないまま帰郷する一人の青年の話。戦争中に全ての男性が銃を持ち、人を撃ったわけではなく、このような人々もたくさんいたのだろうな、とあらためて認識。
    ずしりと重い小説も多いけれど、このすっとぼけた感じもなんだか西川さんらしいと感じてしまう。

  • その日とは、昭和二十年八月十五日のこと。そうあの日です。
    その日の東京発五時二十五分発の汽車に飛び乗った通信兵の青年ふたり。部隊が解散され故郷へと帰る彼らは日本が負けたこと、戦争が終わったことを既に知っていた。
    作者曰く「全てに乗りそびれてしまった少年」の戦争物語。銃撃戦もなければ空襲から逃げ惑うこともありません。しかし確かにそこに「戦争」はあるのです。過激な表現もなく涙を誘う盛り上がりもありませんが、目の前に「戦争」があるのです。その見えないものを見せる手法が却って映像的に迫ってきます。
    主人公の周りに配される女性の役割も面白く、訓練する兵隊を遠くからじっと見るシスターたち、汽車で乗り合わせる幼い子連れは自らの希望にすがりつき、そしてたくましい姿を見せる火事場泥棒のふたり組。彼女たちもまた「戦争」と直面せずとも、隣り合わせで生きている人たちなのでしょう。
    「戦争」という日常から「戦争が終わった」日常へと移り行く瞬間。全てが終わった後の広島の地に立ち歩み出す主人公に、そんな思いを重ねてしまいます。

  • 西川美和さんの本としては、いつもの感じと違うと思いながら読み進めました。あとがきを読んで納得しました。あの後の掛井中尉と益岡がどうなったのか気になります。

  • さぁ明後日は広島原爆の日。

    今回は「永い言い訳」を名作と感じた西川さんの、戦争を舞台にした作品を。
    主人公のモデルは彼女の伯父となる方。
    故に彼女と同じ広島出身。

    中脇初枝さんの「世界の果てのこどもたち」と比較すると、戦争の体験や戦後の生き方が全くにして違う。

    これは批判ではありません。
    狭いようで広い日本ですから、各地の環境や年齢によって、戦争への意識の差は大きいでしょう。

    故にして広島に住む19歳という少年兵にとって、西日本最大の軍の街であったとしても、ピンとこないのもあり得るかと思います。
    中島京子さんの「小さいおうち」で丁稚奉公(家政婦)となる少女も山形の田舎に一時帰郷していたので、大空襲の悲惨さを感じていませんでしたし。

    レビューの主題を著書に戻します。

    終戦の3ヶ月前に訓練兵から通信兵として徴収され、敗戦濃厚な状態で房総半島上陸戦なら、通信力が大事なのももっとも。
    となると、エンジニアの集団でしょうから、愛国心が濃い人より、主人公・吉井に近い人が多く、ノンビリした部隊も僅かながらあったんでしょう。

    冒頭で敗北を知ってしまった通信兵の主人公たちと、なにも聞かさせれていない他の部隊とのやり取りは、温度差ありましたね。

    しかし残念ながらタイトルの“その日東京駅五時二十五分発”、この電車に乗ってるやり取りや、 原爆投下後の広島帰郷に、長く触れてはいても、共感するものが殆どないです。
    なにしろ、モデルの伯父自身が淡白すぎたので。

    あとがきでも確かに「全てに乗りそびれてしまった少年」と西川さん自身も書かれていましたし。

    これは、彼女が実家で知った「2011311」と似ているのでは。気付いた人は原発や憲法改正に危機感を抱いてる人もいますが、無関心な人が多いのも事実で。

  • その時代、その世代によって捉え方が違う「その日」。重く受け止めた人も、普段と変わらず受け止めた人もいる「その日」。
    一般人より少し早く敗戦を知った主人公と、刻々と時間が過ぎていく西川版の「8月15日」です。

  • ううーん、リアリティが乏しすぎて、まったく入り込めず。残念

  • 1945年の夏、終戦を迎えた少年の日常。
    特に盛り上がることもなく物語は進むが、当時の多くの日本人にとって終戦なんてこんなものだったのだろう。
    2016/01

  • 戦争を主題としていながら、まるで清き水が穏やかに流れているかのような、淡く透明感ある文体と展開。
    とはいえ情景描写力は高く、まるで著者自身が戦争を目の当たりにしていたかのようなリアルさを感じ、次第に読み入りました。

  • 暗さの少ない戦争小説。
    戦争小説というと、永遠の0に代表されるように、どうしても最前線で戦うことが前提になることが多いが、本書は後方支援部隊の話なので、それほど悲壮感がない。こういった戦争体験もあるはずだと思っていたので、やっぱりこういう人たちも居たんだなと思えて、ホッとできた。

  • 始まりの場面は終戦の日。その明け方。
    主人公の青年が家族のことや軍隊での経験を淡々と、時には楽しそうに軽やかに語る。
    祖父の思い出の場面など、やりとりが目に浮かぶようで、とにかく文章がさりげなく上手い。
    あとがき迄もがひとつの作品。

  • その日、昼には「玉音放送」のある朝、東京駅から始発に二人のもと兵士が乗り込む。
    彼らは、すでに日本の敗戦を知っている。
    それは何故か。
    彼らにとっての通信兵としての戦中の日々と、その日が交雑していく。

    やっぱり、映画的だなと思った。
    たんたんといた展開が西川監督らしい。

    あの戦争の中でも一人ひとりが色んな生き方をしていたんだという当たり前のことが書かれている気がした。

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その日東京駅五時二十五分発の作品紹介

そしてぼくは、何も何もできない。頑張ってモールス信号を覚えたって、まだ、空は燃えている――。終戦のまさにその日の朝、焼け野原の東京から故郷広島に汽車で向かった「ぼく」。悲惨で過酷な戦争の現実から断絶された通信兵としての任務は、「ぼく」に虚無と絶望を与えるばかりだった――滅亡の淵で19歳の兵士が眺めたこの国とは。広島出身の著者が伯父の体験をもとに挑んだ、「あの戦争」。鬼気迫る中編小説。

その日東京駅五時二十五分発のKindle版

その日東京駅五時二十五分発の文庫

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