- Amazon.co.jp ・本 (121ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103325819
作品紹介・あらすじ
そしてぼくは、何も何もできない。頑張ってモールス信号を覚えたって、まだ、空は燃えている――。終戦のまさにその日の朝、焼け野原の東京から故郷広島に汽車で向かった「ぼく」。悲惨で過酷な戦争の現実から断絶された通信兵としての任務は、「ぼく」に虚無と絶望を与えるばかりだった――滅亡の淵で19歳の兵士が眺めたこの国とは。広島出身の著者が伯父の体験をもとに挑んだ、「あの戦争」。鬼気迫る中編小説。
感想・レビュー・書評
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〈終戦のまさにその日の朝、焼け野原の東京から故郷広島に汽車で向かった「ぼく」〉
映画監督の著者
さすがに映像が流れていく
映画「ゆれる」の評価が高いようだ
終戦のそれぞれの迎え方
あーこういう若者もいたんだと
表紙のモールス信号が象徴的
〈滅亡の淵で19歳の兵士が眺めたこの国とは。広島出身の著者が伯父の体験をもとに挑んだ、「あの戦争」。鬼気迫る中編小説。〉
≪命令に ただそのままに 帰途に就く≫詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
太平洋戦争終戦の玉音放送があった"その日"、東京の通信隊本部で陸軍初年兵だった「ぼく」こと吉井と益岡は部隊が解散となり、それぞれの実家のある広島と大阪に早朝発の列車で帰って行く。その道中、通信隊で過ごした二ヶ月間の様子が淡々と回想される。何物にも動じない話の内容に、戦時中にも「軽やかさ」のようなものがあったことに意外な印象を持った。
カバー表紙に描かれている黄緑色のモールス信号の内容は本文中にあります。 -
子どもの頃、近所に「女子挺身隊」だったというおばあちゃんがいた。
その人の話がやたらと面白くて、とにかくとことん明るく戦時中を語るのだ。
まぁ、なんの後悔も無いよ、精一杯働いたから。というお決まりの結び文句までしっかり覚えている。
暗く悲惨なイメージが先行する戦争体験談が一般的だが、こういった人たちも案外多いのではないか。
西川美和さんのこの本も、その時代に生きた親戚の伯父さんの「軽やか」な体験談から生まれたもの。
しかしそこはさすがの西川さんで、静かで淡々とした筆致ながらも見事にツボは抑えている。
【終戦当時、ぼくは広島に向かった。この国が負けたことなんで、とっくに知っていた】という帯文に惹かれて読み出した私は、またもや「してやられた」。ええ、本当に。
終戦間際に通信隊に召集された、作者の伯父さん。
その手記と証言から、終戦までのわずか3ヶ月間の心理描写を、丹念に、細かに、綴っていく。
激変した故郷広島に舞い戻るまでの主人公の心情には、心音すら聞こえてきそうなリアル感が漂い、終末に近づくにつれ、読み終えるのが惜しくて惜しくて。
時間軸の使い方も巧みで、ひとの持つ汚さや愚かしさ、たくましさや優しさなどが、静謐な文体で見事に描かれていている。
いつもながら、ひとの感情にはこんなにも色々な側面があるのだと、その描写力にはヒヤッとさせられる。
短い作品の最後では、広島で耳にした「ツクツクボウシ」の鳴き声から、人生を思索している。
その終わり方も、(戦争ものでありながら)実に美しいのだ。
現代の若者がそのまま戦時中にタイムスリップしたかのような主人公の考え方や感覚がむしろリアルで、こういった描き方もあるのだと、深い読後感に浸ってしまった。
ここがいいなと思う場面がいくつもあって、読まれた方はたぶんそれぞれに見つけられることと思う。
後書きがまた秀逸で、「3.11」の体験が、この作品を世に送り出す必然のタイミングとなったという。
北野武さんが、東日本大震災について「2万人が一度に亡くなったのではなく、1人の人間が命を落とした事件がいっぺんに2万件起きた、と考えるべきだ」という内容の話をしていたのを思い出す。
そしてこの作品もまた、「真ん中の話しではなく端っこの物語」だが、紛れもないひとりの人間の戦争体験談なのだ。 -
西川美和さんの中編。第二乙種で陸軍の通信兵となった主人公の3ヶ月に渡る体験記。題名の「その日」とは終戦の8月15日の早朝の事、物語はそこから始まる。特に訓練や営巣の様子、空襲等がとてもリアルで映像として迫ってくる。汽車の窓にモールス信号で別れを告げた友人との関係も淡々と描かれているからこそ切ない。
あとがきも本文同様説得力があった。 -
こういう終戦の迎え方もあったのか。
戦争の話なのに、たまたま主人公は特殊情報部の通信兵という事で戦うシーンはなく、こういう戦争体験記もあるんだと、そしてこれは作者の伯父様の体験なのだと。
短い文章でも、当時の事が伺い知れて、読んで良かったと思いました。 -
タイトルの「その日」とは終戦の1945年8月15日。
「時代に巻き込まれ、あの戦争への参加を余儀なくされながらも、完全なるコミットを果たせぬままに放り出された宙ぶらりんな少年の境遇」(あとがきより)を描いた本書は、短いながらずしっと胸に残る。
これまでの西川作品と同様に、戦時下を描いたものといえど静かな空気が流れている。陸軍特殊情報部で通信兵の訓練を受けていた「ぼく」の寄る辺なさがふわふわと漂い、空疎だ。悲しみとか苦しみとかの激しい感情はフリーズドライされたかのよう。淡々と進みながらも、軍の上司や帰郷の鉄道で出会う子供とその叔母、わずかな会話からその人物らのバックグラウンドが透けて見えるような描写がうまいなと思った。
感情のうねりが極力排された展開ながらもぐっとくるのは、同期・益岡との別れのシーンかな。汽車の窓を小刻みに叩く益岡のモールス信号。ここまできてようやく、表紙がモールス信号を意味していると気付くのだが、もしかしたらここでのセリフなのかな?軽やかでしたたかな、関西人・益岡のキャラクターがとても印象的だった。一見お調子者だけど実はシャイなところも。
広島に帰郷する「ぼく」が、原爆投下後の故郷を目の当たりにして何を思うだろうか…とそこにばかり捉われてしまったが、帰郷直前に出会った、家財をごっそり運び出すたくましい姉妹の姿になんだか勇気付けられる。あっけらかんとした図太さ、みたいな。
様々な悲劇と対峙しつつも、生きていかねばならない目の前の「日常」がある。あの3.11の記憶を重ね合わせて綴られたあとがきを読み、強く実感した。 -
語り手である吉井は、陸軍の通信隊として兵隊に取られることとなった。通信兵としての訓練に励む毎日だったが、ある日を境に身分を捨て、すべてを忘れて故郷へ帰るよう命令される。それは人々より先に知らされた敗戦のせいであった。
本書を「戦争モノ」と分類しても良いものかわたしには悩むところである。戦時中〜終戦の話であることはたしかだが、銃・爆弾・命のぶつかり合い、そんなものは出てこない。しかしこういう人たちも現実にいたのだ。
これは著者である西川美和さんの叔父の手記をもとに書かれた物語だが、わたしの祖父の戦争にまつわる手記にも同じような「戦争中とは思えない当たり前の日常の光景」が書かれていた。戦争中ではあっても、当時のその人たちにとってはそれが日常だったのだと気づかされる。 -
さすがは映画監督だけあって、それぞれの場面が印象的で心に刺さる。中尉が一人娘の写真を投げ入れるシーン、広島で蝉の声がする中を一人歩いて行くシーンなど、静謐な中にも言葉に出来ない深い悲しみとこれから生きていこうとする力を感じる。
表示の装丁もいい。 -
1945年8月15日の早朝5:25東京初の列車で故郷広島に向かう陸軍特殊情報部の通信兵吉井と益岡。
玉音放送前のこの時間、彼らは日本の敗戦を知っていた。
太平洋戦争に関する小説の中では、常に取り上げられてきていた空襲や原爆、外地での戦いなどとは一線を画したような、至って淡々としたストーリーです。
でも、これも戦争の事実なのでしょう。
死と常に向かい合わせだった時代。
こんな風にその時を乗り越えてきた人達がいたからこそ、今があるということもあるのかも。
著者の叔父様の実体験が元になっているとのこと。
それを手記として残して下さったことに感謝。おかげで素晴らしい小説に出会えました。 -
戦争という大きなものの中にいたのは普通の人なんだと思った。
小説とあとがきと、両方読んでそう思った。
祖母に戦時中の話を聞いたことがあるけど、文章や映像で知るそれらよりも当人の語り口は穏やかだった。
それが祖母にとっての毎日だったからだと思う。
語られる内容は結構ヘビーなんだけど、その中を普通に生きてきたんだろう。それが祖母の生活だったんだ。
もちろん話を聞いた当時にそこまで考えたわけではなくて、この小説を読んで、そういうことだったんだな、って腑に落ちた。
この物語の主人公はとても普通で、周りにいる人たちもとても普通で、そんな日常の中であんな怖くて悲しいことが起こっていたのか。
と、考えたら、なんとも言えない気持ちになる。
ポツダム宣言のくだりで、
「ぼくらはみんなつられて笑った。おかしいわけではなかった。ほかに表すべき感情が湧かなかったから、だらだら感染してくる笑いに抗わなかっただけだ。」という文章が印象に残っている。
当時、戦争は日常で、だけどやっぱりどこか歪んでいるから、柔らかい部分が少しずつ削られていっているように感じた。 -
西川美和さんの本はいつも行間に熱い何かを秘めているので、読みやすいばかりでなく心に長く残るものが多いのです。これもそうですね。
第二次世界大戦の終息を淡々と一兵卒の視線で。
奇しくも大震災と重なってのご執筆ということで付されたあとがきにも感銘を受けました。 -
台風怖いね……
ってな事で、西川美和の『その日東京駅五時二十五分発』
読んでるとなんだか西川美和さんぽくない感じの内容じゃなぁと……。
終戦後の青年が故郷に帰る道中の話じゃが……
あとがきを読んで納得じゃないけど、西川美和さんの伯父の戦時から終戦に掛けての手記を元に書いたとの事でした。
西川美和さんのあとがきってなんか好きなんよなぁ。
2020年52冊目 -
通信兵として間接的に戦争に参加することになった広島生まれの主人公。自分のいぬ間に原爆を落とされ、通信兵という立場としても何処か客観的な立場いる彼の視点で、あの当時の風景や臭いを淡々と描写していく。
民間人、他の兵士よりも幾分早く敗戦を知るが、それさえも客観視しているように感じられる。
焼け野原に戻り、変わり果てた光景を目の当たりにしてさぁどう物語が進行するのか?となったところでまさかの終了!!人を食ったかのような終わり方だが、ある意味西川美和らしく、またある意味こういう人は実際存在していただろうと思わせる説得力がある。
それにしても非戦争体験者である作者、しかも女性がこうもリアルに状況を描けるのかと驚くばかりだが、あとがきを読んでなるど、お爺さまの談が素になっているということだった。 -
祖母に戦争体験をちゃんと聞いておくんだっと後悔することがあります。
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全てに乗りそびれて少年の、空疎な戦争体験
無関心なシスター達や農家の日常の静けさに安心感
八王子は焼けたり、遠い故郷広島が焼かれたりと確実に戦争は続いている。
いいことないな、戦争は。
だけど他の戦争モノより主人公が修羅場にたたされないのはこんな時代であってもこんな人もいたのかと、救いになるような気もする。それでも穏やかではないのだけど。