爪と目

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (125ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103345114

感想・レビュー・書評

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  • 「あなた」のすべてを「わたし」は見ている。
    不倫相手の妻が亡くなった。
    彼の三歳になる娘と、同居をはじめた。
    妊娠するのは気乗りがしないので、すでに産んである子供は好都合だった。
    無口でおとなしい手のかからない娘との暮らし。
    不倫相手は妻を亡くしてから、自分のことを抱けなくなった。そうして彼は、また愛人を作る。
    そして自分も古本屋の男を愛人にする。
    そんな父や継母を姿を、おとなしい「わたし」はずっと見ていた。いつも爪を噛みながら。
    「あなた」のわるい目が、コンタクトレンズ越しに見ている世界。それを、「わたし」の、目とギザギザの爪で正しいものに変えてもいいですか?

    怖い!淡々と進むストーリーに、終始語られる「わたし」目線の話。
    人間味の無い父と継母も不気味で、後味の悪さも抜群な読後感が私には好みだった。
    あの後も継母と暮らしていることが一番怖いかな。

    「しょう子さんが忘れていること」
    脳梗塞を患い、リハビリ専門の病院に入院しているしょう子さん。
    同じ患者の川端くんは、若く優しく皆の人気者。
    夜になると彼はしょう子さんのベッドへやってくる。
    川端くんの話を嬉しそうに語る、孫娘は独身の37歳。しょう子さんは37歳の頃、すでに子供を得ていたし、37歳の時には最後のセックスを済ませていた。
    夜、消灯後にまどろみながら、知らず知らずにセックスについて考えている自分が不快になるしょう子さん。今夜もまた川端くんがやってくる。
    彼はしょう子さんの力の入った目尻にくちびるをつける。なぜ、朝にはこのことを忘れるのだろうと思う。しょう子さんの妄想なのか否か。
    セックスについて考える自分に嫌悪感を抱きながら、若く溌剌とし、誰にでも優しく接する川端くんに嫉妬しているのか・・?
    自分の中に葬ったはずの色情が見せた妄想か・・?
    年を重ねても、誰かに身を委ねたいと思うことは自然なことだと私は思いたい。

    「ちびっこ広場」
    霊に呪われたと泣く息子。
    そんなものは嘘だと証明するために、真夜中の広場に行こうと息子の手をとる母。
    一番わかりやすい話だった。

    • 奏悟さん
      NORAさん、お久しぶりです。

      他の方のレビューの評価は低いですが、戦慄の純文学ホラーだけあって、理解し難い暗黒好きには響くものがありまし...
      NORAさん、お久しぶりです。

      他の方のレビューの評価は低いですが、戦慄の純文学ホラーだけあって、理解し難い暗黒好きには響くものがありました(笑)

      表紙のイラストも魅力的ですよね。
      しかし、「爪と目」ラストはきっと「目がぁ~目がぁ~」とムスカ口調となることでしょう(@_@;)

      いつも楽しいコメントありがとうございます!
      2021/08/17
    • NORAxxさん
      。。。小休憩中にお返事を読んでいたらムスカら辺で口内の米粒を前方に発射してしまいました...(笑)

      もうこれは読まないとですね!
      その際は...
      。。。小休憩中にお返事を読んでいたらムスカら辺で口内の米粒を前方に発射してしまいました...(笑)

      もうこれは読まないとですね!
      その際は「爪と目」に差し掛かったらおにぎりは自重します( ̄^ ̄ゞビシッ
      2021/08/17
    • 奏悟さん
      NORAさん

      私は、米粒前方発射に、珈琲を鼻腔内発射致しました・・・
      お互い大変でしたね(笑)

      NORAさんのレビューも楽しみにしていま...
      NORAさん

      私は、米粒前方発射に、珈琲を鼻腔内発射致しました・・・
      お互い大変でしたね(笑)

      NORAさんのレビューも楽しみにしています( 〃▽〃)
      2021/08/17
  • 父親との不倫相手を、娘の視点で書いた小説。そのため、「あなた」という二人称で書かれていた。娘の視点にあどけなさはなく、妙に大人びていたのが印象的だった。気持ち悪い描写もあったが、引き込まれた。芥川賞受賞の表題作のほか、2作品収録。

  • わけのわからない作品に幾度当たっても懲りずに芥川賞を読み続けるのは、やはり結構な確率でこういう、舐め回したいほど何回も何回も読み続けたい文章に出会えるからだ。純文学ホラー、といえばそうなのだろう。ぴったりなキャッチフレーズでありつつ、純文学はどことなく全部ホラー的な要素があるのではないかと思う。

    違和感、不快感、恐れ、衝撃、このすべてを本当に美しい筆質で書き上げ、理解を超越している部分を理解しようと何度も再度読ませるこの作品は、シュールレアリズム絵画的な美しさがあると私は思う。

    表題作の爪と目
    「あなた」という表現を使うことによって、いとも簡単に過去や現在を超えて、長く続く二人の関係を浮き彫りにする。少なくとも、隠喩する。この小説の成功は、この手法を見つけたときから確立していたのだろう。
    天才的な独裁者であれば、見ないようにすれば痛みも傷つきからも逃れられる。でもそうでない以上、どんなに鈍感でも、どんなに見ないことから逃げていようと、痛みは追いついてくるのだ。浮遊する「わたし」は、そのことを知っているけれども、それでも見ないふりをし続けていたということでは、「あなた」と同じ。
    「あなた」の悪意のない無関心と、本質的な愛情のない愛顧の描き方がとてもリアルながら、文学的。

    しょう子さんが忘れていること
    老女とセックスの欲望のお話。身体という荷物を脱ぎ去り捨てたいのに、その身体がつきまとう。でも、心臓の鼓動を感じ、また自分の心臓の鼓動を受け止める人をいつまでも求め続けるのは、本来受け入れてしまえばとても素敵な話なのに。

    ちびっこ広場
    人は現在の自分を完全に認めきれていない時に、何度も言葉で自分の満足と幸せを再確認する。一見、完璧な母親像を描いた本作だけれども、語り手である彼女は本当に信頼できる語り手なにかを読者は疑わなければならない。呪い、という言葉もなんとも象徴的だ。末尾の彼女は、そして子供は、呪いから無事でいられるのだろうか。

    共通して描かれているテーマは、見ないようにしていること。共通して使われている手法は、信頼できない、あるいは揺らぎ続ける語り手。
    三篇の短編を通じてのテーマ性もキュレーションも素晴らしい。

  • リアルな関係の欠如した「バーチャル」世界。その手応えのなさを嘆いているのは、私だけなのかと思っていた。
    1998年。「98」と呼ばれた国産のOSが、Windows98に瞬時に席巻され尽くした。情報漏洩に過敏な今日の企業社会からは信じられないことだが、ワードやエクセルで作りかけの資料をメールに添付したり、USBメモリーに保存して、多くのビジネスマンが自宅のPCで「持ち帰り仕事」をしていた。だから、家のPCもOSはマイクロソフトであることが鉄則であった。世界中を隷属させたマイクロソフト社はそののち8回もOSの衣替えを繰り返し、重い年貢を巻き上げ巨大化した。しかし、iPhoneとiPadの勃興により少なくともパーソナルユースの領域はれ独立した新たな連邦を形成しつつあるかに見える。話がそれつつある。本題に戻ろう。

    『爪と目』を読み解く鍵の一つは、男女や親子の人間関係までもが「疑似バーチャル化」してしまったことへの違和感と苛立ちであると思う。本来は生なましく、心の通い合いが伴うはずの人間関係が、ネット上での匿名のやり取りや通販のような、完全予定調和の安気な関わりに終始している今日の社会への「そうじゃないだろう」という違和感である。

    ブクログと毎日新聞の書評を併せて読んだ。だが、それらの中に本書の本当の含意を正しく斟酌しているものはひとつもなかった。多くは「芥川賞作品だから読んだが、くだらない、わからない、ありえない」といった、2、3行の暴言に近い書き込みばかりであった。自分の読解力の欠如は棚に上げ、一方的で乱暴な雑言を書き殴る。これらは、殴ったら殴り返されることがない世界でだけ通用する身勝手な憂さ晴らしにすぎない。まともな読者は、きっとこういう言い放しのメディアからはすでにに離れてしまっているのだろう。

    新聞の書評も、「解ってない」と思えた。
    曰く、主人公の「生母の死因は何か。古本屋はなぜ義母のコンタクトレンズを舐め取ったか。主人公の復讐じみたいたずらはなぜあの形を取ったのか。理由は最後まで明かされていない」
    という。
    だがそれは、直接言及していないだけで解りすぎるほど分かり切っているではないか。
    父との夫婦関係が完全に冷め切っていた生母。だが、ひょうひょうと平静にネット通販で好みの品々を買い揃え、その自己満足をブログにつづる。その母に文字通りよい子に躾られた3歳の「私」は、大人の期待を裏切るような感情の発露のない気持ち悪いほどのよい子だ。義母は、肉体関係さえない夫と、なさぬ仲の幼子を「夫」と「子」として極めて平静に関係を保つ。愛人の古本屋とは肉体関係だけの割り切った関係で、相手が僅かに情緒に訴えてきた瞬間にもうその関係が嫌になる。本来リアルであるはずの人間関係が全て「疑似バーチャル」の一方的で安気で危機の迫る可能性のまるでない世界なのだ。
    物語の書き手が提示した「問い」の「解」はだからきわめて明解だ。
    生母の死因は謎ではない。彼女が残した愛読書に残された小さな折り込み、そこに記された箴言を義母が読んだとき、それは彼女自身の精神の奥底に潜む真実を明確に語っているのだ。見逃してしまいそうな三角の小さな折り込みこそ、彼女のリアルな心情の吐露の証なのだ。だから死因は謎なのではありえない。
    『爪と目』の目は、目そのものではなくて目と現実との間に緩衝材として介在するハードコンタクトレンズを象徴しているのに違いない。だから、身体の関係だけと割り切ってあっさり捨てられそうになる古本屋の男は、精一杯の抵抗としてその疑似バーチャルの象徴たるコンタクトレンズを乱暴に舐め取るのだ。
    「聞き分けのよい大人しい子」という型枠に押しとどめられている3歳の「私」が、その枠からはみ出そうとする情動の発露が「爪噛み」であることが解れば、『爪』もまたもう一つの象徴であることは自明だ。物語の最終盤、悪い習慣を断ち切ろうとそのぎざぎざになった爪にきれいなマニュキアを義母が塗ってくれる。だから、コンタクトレンズと同様にリアルとの間の緩衝材として、まさしく現実を疑似バーチャルとして誤魔化そうとするのがこの「爪」であるのだ。だから、「主人公の復讐じみたいたずら」と書評者が書いた、剥がした半透明のマニュアルをコンタクトレンズの代わりに義母の目に入れる悪戯の意味は、謎でも何でもない。それは、疑似バーチャルに対してリアルの側が鋭く突きつけた復讐にほかならないのだ。

    マイクロソフトの支配が私たちの生活の最深部まで浸透した前世期末、すでに大人になってしまっていた世代にはノスタルジーも含めバーチャル世界への違和感と、なにか異議申し立てしたくなる思いがある。そんなIT乗り遅れ世代の異議申し立て気分さえ内包してしまう、この物語の若い書き手の透徹した時代認識と世界観には、脱帽せざるを得ない。

  • とても面白かったです。欲望の希薄な「あなた」を幼児の「わたし」の視点で、現在の「わたし」(?)が語っています(語りの問題はまた考えたい懸案)
    「わたし」の父親と結婚した「あなた」が、亡くなった「わたし」の母親の欲望を次々と模倣していくんですが、欲望が希薄な女性が他人の欲望を模倣するってどう捉えたらいいのかしら。欲望する主体は空っぽなので、他人の欲望が入りやすいというのは分かるんですが、なぜ欲望が希薄な女性に他人の欲望が入り込むんでしょうか。欲望の薄い存在は、欲望することを希求するのかな?なんかもにょもにょしてるので、いずれ文章化したいなあ。

  • 『文藝春秋』掲載の本著を読了。

    冒頭の選者たちによる品評に目を通したところ、受賞作以外の候補である、いとうせいこう著「想像ラジオ」/戌井昭人 著「すっぽん心中」/鶴川健吉 著「すなまわり」/山下澄人 著「砂漠ダンス」などもそれなりに推され、今回の選考会は紛糾したようだった。

    石原慎太郎氏の毒吐き(「最近の若者は結局ダメだ」の典型)がないのはやはり少しだけ寂しい感じがするのと、評論自体が文学的に仕上がっているものがあって煩わしさを覚えた、今回の山田詠美氏はいつもよりノリが落ち着いているじゃんと思ったあたりを残しておく。
    作品を読む以前に、ここに目を通して作家たちの言いたい放題をやれやれと眺めてある種の悦に入ったり、受賞者のコメントからその人となりを類推してほうほうと感心したりするのが、あえて『文藝春秋』を介して芥川賞を知る醍醐味だ。

    さて、受賞作に関して、第一に取りあげられるのが「わたし」の視点で「あなた」という二人称を描写する手法が成功しているということらしい。
    読み始めてみると、なるほど、煩雑さもなくわかりやすい文章だし、手法に頼りすぎて奇を衒った感じもしない。むしろ、この手法だからこそ表したい内容ー義母に対する娘の侮蔑的な感情や両者の「他人としての」距離感ーが上手く著せている。
    前回の受賞作が黒田夏子氏の『abさんご』という技巧的で難度の高い雰囲気小説だっただけに、二人称の挑戦的な手法をとりつつも平易で心情描写に重きを置いた本作の受賞はバランスをとるための反動現象かのようにも思えた。

    また、母に対する娘の冷ややかなトーンが、前々回受賞作の鹿島田真希 著『冥土めぐり』に近しい印象を受けた。
    母と娘、とりわけ娘が母の呪縛に長年もがき苦しみ、なんらかの形で解放されたと見せかけて堂々巡りするというようなテーマは、現実世界においても表現世界においても、どっしりと横たわる永遠のテーマだと感じる。(私の体験談は割愛するけれど。)
    それは川上未映子氏の『乳と卵』でも、最近読んだ田房永子氏の漫画『母がしんどい』でもそうだった。

    本作でいちばん私が共感を覚えたのが、娘が不倫をし、不倫相手の本妻が亡くなったことで後妻に入ることを告げられた母が、娘へ失望し、憤ったーそれは娘を自分の所有物のように捉えている女の性ゆえに自分に向けられたものでもあるーその後。
    この先、不倫の引き換えに何かが起こらなければよい、娘に平穏が訪れてほしいと願いながらも、今後は今までのような甘い考え方で物事は進まないわよ、と優越とも制裁を望むともいえる悪感情を抱く場面だ。
    母も、子の親であると同時に、人であり、女である。
    誤解を恐れずに書くならば、誰かに所有される者であり、所有する者でもある。
    だから、一見矛盾しているともとれるアンビバレンツは至極正当で現実的だと思った。よくここまで女の心を的確に描けるものだと感嘆してしまう。

    受賞者である藤野可織氏が「怖いものほど美しい」というコメントを残しているし、幾つかの書評がホラーの要素を孕んでいると言っているけれど、私はあまりホラーに思えなかった。
    後日談としてのホラーは予想されるけれど、チクッとした痛みを感じる程度のものであり、凄惨で身の毛のよだつようなそれは感じない。(「ホラー」と聞くと、アメリカのホラー映画を連想してしまうからだろう。)
    逆説的にも、純粋さや冷静さが狂気的な事件の引き金になる、ということはよくわかる。

  • 「爪と目」「しょう子さんが忘れていること」「ちびっこ広場」の三篇収録。

    もっとも面白いと感じたのは表題作。
    代名詞を巧みに利用して読者をまず、混乱させ、その次に引き込んで逃さないという感じがしました。

    巷でホラーと評されているだけあり、絶妙な力加減で「わたし」の持つ不気味さや生活空間に漂う重苦しい空気を表現していて、そこに出入りしながら(寧ろ構成員のひとつでありながら)全く二人に関与せず存在しつづける「わたしの父」の姿と存在感のなさも、著者のことですから計算した描写なのだろうと思います。
    特に描写の端々に感じるグロテスクな響きや、最後に(これはこういうこと、という明確な描写は無いにしても)ドーンと胸に垂れ込めてくる一言の、

    「今、その同じガラス板が、わたしのすぐ近くにやってきているのが見えている。わたしは目がいいから、もっとずっと遠くにあるときからその輝きが見えていた。わたしとあなたがちがうのは、そこだけだ。あとはだいたい、おなじ。」

    という数行の文書が(文字通り)突き刺さるように響いてくる感じがします。

    物語の構成や背景、登場人物を知ったうえで再読したくなる特殊で特別なお話だと思いました。

    他、二編については感想を割愛します。
    どちらも「おや?」となりつつも興味深い世界がありますので、気になる方はご覧になってください。

  • あとあとまで、心がひっぱられる。

  • 初めてこの作者の作品を読んだが、体に対する意識とその描写があまりにも独特で、その才能に驚愕した。この人は書かなくてはならないと思う。

  • 風呂で読み始めて風呂で読み切ったら日付が変わっていた。いろいろと根深く私たちの生活を皮肉に暗喩しているように思う。北欧家具、ブログ、観葉植物、コンタクトレンズ。リネン。全粒粉の手作りパン。hina*mamaの住んでいたところは武蔵小杉あたりの高層マンションじゃないかな?それで二子玉川あたりに買い物にいくの。シュールなホラー純文学。

著者プロフィール

藤野可織(ふじの・かおり)
1980年京都府生まれ。2006年「いやしい鳥」で文學界新人賞を受賞しデビュー。2013年「爪と目」で芥川龍之介賞、2014年『おはなしして子ちゃん』でフラウ文芸大賞を受賞。著書に『ファイナルガール』『ドレス』『ピエタとトランジ』『私は幽霊を見ない』など。

「2022年 『青木きららのちょっとした冒険』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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