死刑のための殺人: 土浦連続通り魔事件・死刑囚の記録

  • 82人登録
  • 3.75評価
    • (3)
    • (12)
    • (9)
    • (0)
    • (0)
  • 11レビュー
  • 新潮社 (2014年3月18日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103354314

死刑のための殺人: 土浦連続通り魔事件・死刑囚の記録の感想・レビュー・書評

  • 2008年3月に茨城県土浦市で起きた、凄惨な連続通り魔事件を覚えている人も多いだろう。
    本書は、9人もの無関係な人を殺傷し、その目的が自分が死刑になるためだったという前代未聞の事件の犯人、金川真大死刑囚(2013年執行)に面会を繰り返し、取材した記者によるものである。

    事件については、もう何も言うまい。
    金川に何があろうと、取り返しのつかない重大な事件を起こしてしまった責任を取るのは当然で、罪を償う義務がある。やったことの重大さ、身勝手さを考えれば、現行の司法制度では死刑が相当というのは疑う余地がない。
    だがしかし、死刑になることが望みだった場合、果たしてそれは刑罰になり得るのだろうか。死にたくない、生きたいという思いがあるからこそ死刑という極刑が意味を持つのであって、死刑を切望する人間に下す判決としてはむしろ、報酬ともなり得るのではないのか。
    死刑になりたかった金川にとっては、生きる「苦しみ」を与えることこそが罰としてふさわしかったのではないか。

    やはり行きつくところは、「罪を償うとはどういうことなのか」という答えの見えない問いなのだ。

    「生きてこそ、罪は償うことができる。死でしか償えないほど大きな罪もある。でも、死ねば償えた、と言えるんだろうか。罪を償うとは、どういうことなのか。どうすれば償えた、と言えるんだろう━。」
    金川の心を知ろうと面会を繰り返し、糸口を探した記者の言葉はそのまま、司法が抱える永遠の問いとも言える。

    亡くなられたお二人のご冥福を心よりお祈りいたします。

  • 更生の余地とは…

  • これは闘いの記録だ。。。

    新潮社のPR
    http://www.shinchosha.co.jp/book/335431/
    「「どこにでもいる青年」はなぜ人を殺したのか」評者:小林泰明=読売新聞記者(波 2014年4月号より)
    http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/335431.html
    「取材超え 揺れる心率直に」評者:香山リカ=精神科医(北海道新聞)
    http://www5.hokkaido-np.co.jp/books/new/2.html

  • 「死刑になりたい」だけが動機の連続通り魔殺人事件の犯人に40回近く面会した新聞記者による本

    事件の真相に迫ろうと面会を重ねた姿勢は立派だと思うし,このような犯罪者が現れた背景には現代の日本社会を覆う閉塞感があるという見解には説得力があったが,次のような,本の主題とは離れた部分が気になってしまって,イマイチ評価する気になれない。

    著者によると,犯罪直後に被害者に取材して心境を質問するのは,(報道により)被害者の気持ちを多くの人に理解してもらうことにより新たな犯罪の防止につなげることが目的であるとのこと。
    それは「報道側の論理」であると認識し,被害者に過大な負担を負わせることになることを心苦しく感じてはいるようだが・・・それ以前に,この論理自体が幼稚というかこじつけというか・・・に思われる。(極論すると,読者を,被害者の気持ちを想像することさえできない犯罪予備軍扱いしていることになるではないか。)
    本当に,著者は(そして,多くの新聞記者は)このような論理を信じて,被害者を取材しているのだろうか?


    【メモ】
    死刑になることが目的の犯罪者にとって,当然ながら,死刑は犯罪抑止力にはならない。

    死刑確定後の独房での生活は,犯行前の引きこもり生活と大差はなく,拘禁生活の苦しみがあったか疑問,というのが著者の意見

    現行法では,ドナー登録していても,死刑執行後の臓器移植はできないらしい。(福島瑞穂氏が行っている死刑囚アンケートへの,他の死刑囚の回答から)

  • 図書館で借りた本。

    2008年3月、一人の男が死刑になることを目的として、連続通り魔事件を起こした。
    そこだけ聞くと、死にたかったら自殺すればいいのに。誰にも迷惑をかけない方法はあっただろうに・・・。と思う。
    しかし、この男は人を殺すことと蚊を殺すことは同じだと言い放った。
    そして、自らを「ライオンやクマと同じ」である。ライオンは、シマウマを殺すときに罪悪感も善悪も考えないからだと。
    ライオンは生きるためにシマウマを殺して食べているのであって、この男は死ぬために同族を殺しているのだから、まったく次元の違う話なのに。
    ライオンは、殺される動物に対して敬意を払って、殺した動物は責任を持ってちゃんと食べるという事を自分に課している。こいつ、まずいな。やっぱりあっちのやつがおいしそうだ。と言って、最初に殺した動物を残して別の獲物を追いかけるなんて、聞いたことない。
    表面だけ見て、かっこいい部分だけ自分と重ねるなんて、浅はかで幼稚だと、怒りを感じた。
    そして、死刑を望むものに、簡単に死刑という判決・執行を与えても良いのだろうか。
    行き地獄の中で、自分のしたことの罪の重さに苦しむ時間を与えてほしかった。

  • 2014.5.27読了
    正直、読み進めながら具合が悪くなった。特に、父親の言葉に。そして、逮捕後の弟妹たちの反応に言葉を失った。こんな家族があるのかと。被害者の方々や親族の方々の心情を思うと、やり切れない。悔しい。記者の言葉にあった「死刑囚のまま友人を得て、恋をして、死にたくない、そう一瞬でも思ってから執行させて欲しかった」、当時執行のニュースを見ながら、私も同じことを考えていた。(図書館)

  • 彼が死刑確定後、拘置所でノートに何やら書いていたという。その内容が見てみたい。

  • 犯人、金川の両親は家庭に問題が発生しても何か言い訳をつけて、問題と直接対峙せず後回しにし続けている印象。
    金川真大もそんな両親の姿を見て、家族や友達に相談してもしょうがない、という想いを持ったのかも知れない。
    そして、彼自身も就職や進学という問題に対して、それを乗り越えるだけの力を身に付けることなく「人を殺せば死刑になる」という安直な方法しか思いつくことが出来なかったのだろう。
    ずっと反省の言葉がなかったという金川だが、絞首刑になる本当に最期の瞬間、何と言葉を残したのか、または何も言わないまま刑に服したのかが気になった。

  • 二〇〇八年に起きた、土浦の連続通り魔、金川真大の生涯を追った本。
    究極の状況に置かれた人間たちの、こんなぶつかり合いがあるものか。もはやドラマ。
    「死刑になるために殺人を犯した」、この一点張りをする金川に対して、なんとかひととしての感情を持ってほしい、と働きかけ続ける記者たち。
    「砂漠のような」と形容されるその家族。父親が尋問されるシーンには、ことばを失った。
    人間が人間に対してできること、の限界を感じる。ほんとうに、あっさりと死刑にしてしまってよかったのかと、考え続けたい。

  • 死刑になりたいと言って
    無差別殺人をおこなった犯罪者。
    新聞社の記者として
    とてもていねいに報告しています。

全11件中 1 - 11件を表示

死刑のための殺人: 土浦連続通り魔事件・死刑囚の記録を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

死刑のための殺人: 土浦連続通り魔事件・死刑囚の記録を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

死刑のための殺人: 土浦連続通り魔事件・死刑囚の記録を本棚に「積読」で登録しているひと

死刑のための殺人: 土浦連続通り魔事件・死刑囚の記録の作品紹介

死刑制度は誰のためにあるのか? 最高刑の根源を問う犯罪ドキュメント! 「自殺は失敗すると痛いだけ。確実に死にたい。そうだ、死刑になろう」。自ら望んで“極刑になるため”に、9人を殺傷した男。執行は、彼の歪んだ欲望を満足させるだけではないか――わが国犯罪史上、前例のない「動機」に戸惑い、30回以上も本人との面会を重ね、苦悩しつつ対峙する記者たち。真の贖罪とは何かを問う壮絶な記録!

死刑のための殺人: 土浦連続通り魔事件・死刑囚の記録はこんな本です

ツイートする