仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か

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著者 : 魚川祐司
  • 新潮社 (2015年4月24日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103391715

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仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何かの感想・レビュー・書評

  • 2015.8.12仏教思想の根本、つまり悟りとは、という問いに、言語と論理の範囲内において言及した本。前半では仏教を理解するための主要概念を説明した上で、後半では悟りとは、という質問に対し答えている。まず仏教思想のベースには縁起という、つまりあらゆるものは様々な原因や条件の元、今この瞬間に一時的に成り立っている、という考えがある。しかしそれはトランプタワーのようなもので、互いの要素が互いに作用し合う故のものであり、一枚抜けばタワーの形が変わるように、すべてのものは変わりゆく、つまり諸行無常である。そして様々な原因により成り立つということは、存在における唯一絶対永遠の実体はないということ。この一枚がトランプタワーを支える、なんてことはない。唯一絶対の主体はない、我はない、故に諸法無我。そして人間はあらゆるものは変わりゆくのに、そしてそれに対し決定権も支配力もないのに、それらにとらわれる。生きることは欲望だが、欲望はこのような執着によるものであり、すべては縁起である以上、この欲望は満たされることなく常に不満足であり、故に一切皆苦である。理想と現実のギャップこそが不幸、欲望であり、これを埋めるには現実を上げるか理想を下げるかだとルソーは言ったが、仏教において現実をあげるのは不可能とする、なぜなら縁起であり、無常無我だから。ならば理想をさげよう、それは即ち無常無我を知り、認識し、悟ることであり、それにより欲望もなくなり、煩悩もなくなり、涅槃寂静となる。そのために四諦、即ち生老病死などの八苦、何が苦しみかを知り、その原因が欲望であると知り、欲望を下げる必要性を知り、その方法即ち八正道を実践する。しかしこれらの、ドグマを知って理解するだけでは、その延長には悟りはない。それらを理解し、実践し、そしてその積み重ねにプラスして、極度の集中体験により、悟りは開ける。それは漸次的なものではなく、ある日急に、閃きの形で訪れる。欲望はダメとか、一切は無常とか、私は無我とか頭で理解しても、欲望はあるし、無常っつっても目の前にあるし、私は私なのであり、体は反応してしまう。この、体の反応そのものを、自らの認知の枠組みそのものを破壊するほどの強力な集中体験による、涅槃の経験こそが、悟りである。我々は世界を作り出す、それは自らの価値観や主観、つまり欲望や煩悩によってである。二つの脂肪の固まりも、欲望がイメージとともに意味付ければおっぱいになるわけで。欲望から解放されると、あらゆるものをあるがままに見ることができる。無常であり、無我であり、しかしトランプタワーのようなバランスで成り立つ、そのような奇跡的な世界を見ることができる。これが悟り、涅槃である。ここまでが言語と論理の限界であり、その体験は引用により、重い荷物を降ろしたような、張った紐がプツンと切れたような、という例えは出されているが、これ以上その悟りの体験を言語化することはできないのだろう。この、仏教思想におけるゼロポイント、即ち悟りの境地には、思考や日常意識や実践の積み重ねが必要ではあるが、それらと全く異質の体験であるという点はとても参考になった。それは幸福とか不幸ではなく、安楽、平静なんだろうなと思われる。そしてその境地に至らなければ、現世が苦だと言うことは理解できない、理解というより、その真実を自らの価値観もしてもはや当たり前に、つまりその法則、ダルマと自らが一体化することはできないのだろう。個人的には、やはりこの俗世で生きる身では悟りへの道を歩む覚悟はでないが、苦しみを和らげる術と、閃きの術とは自らの人生に活かしたいと思う。私には私の経験からなる人生哲学があるが、その哲学を仏教の視点から見直すことで、仏教思想の食べたいところは食べ、咀嚼し、血肉に変えようと思う。これ以上なく仏教思想の根本について知れる良著である。

  • 今まで読んだ仏教書の中で1番腑に落ちた。

  • これは面白い。世界三大宗教と言われながらその教義は幅広く、親しみやすいようで捉えどころのない仏教についてその起源から考える入門書。著者は仏教の本質を「その教えの説者が、「物語の世界」の外部の視野を、自ら有している」ことと定義し、悟りとはそうした苦痛や快楽の原因となる物語の世界―対称にイメージを付与してしまうものの見方―から解き放たれることと説明しているのはわかりやすい。他にも輪廻というものがいま・この瞬間にも生起し続けている話など、用語を丁寧に噛み砕きながら興味深い内容を教えてくれている。

  • ツイッターのTLで流れてきて、佐々木閑先生が帯で推薦者に名を連ねていることで読んでみた。

    内容的な事はそういうものかという以上の知識を持ち合わせていないです。

    しかし、ヴィパッサナー瞑想は最近の自己啓発系や心理学系にも応用されていたりすることなどから考えると、本来、仏教なりの宗教が社会的に担うべき部分が、宗教=いかがわしいであったり、宗教=金と言った部分から忌避され、スピリチュアルとか心理学といった忌避される原因の不明瞭な部分を剥ぎとったものに移行されているのが日本の現状なのかなと思わなくもないです。

    そして、そういった組織は明瞭会計な分だけ余力もなさそうですし、明瞭=いいことと考えて精神的な自立を促す反面、自立できなかった場合のバックアップはなく、個々人で思い思いの方向に救いを求めているのが現状でしょう。

    ”中年童貞”や”最貧困女子”を救う精神的なセーフティーネットとしての宗教=仏教として立ち上がって欲しいけれど、日本の仏教の現状はこの本に書かれているわけではないですがそういう感じではなさそう。

    だからこそ、日本の仏教研究者の著作が注目されてきているとも言えるのでしょうし、アメリカの研究に熱い視線が注がれているのだろう。

    したらばの潜在意識板に”達人スレ元祖1式”というスレがあって、「何を願うのかも含めて自分で考えるのを止める。全て潜在意識に丸投げする。」っていうのを、この本を読んで思い出した。

  • 再読。やはり素晴らしい。ちゃんと読めてなかった部分もたくさん。ニー仏さんのツイキャスなどを聞いてから読むとまた別の感慨もある。輪廻のところ、ツイキャスで質問したいわ。

  • これは名著ではないだろうか。ツイッターで著者に興味を持ち、Kindleで「だから仏教は面白い」を読んで興味が高まってこれを買った自分は、仏教に関する知識、興味といえば中学の修学旅行で訪ねた禅寺がきっかけで今でも臨済宗の寺が「なんとなく好き」ということくらい。そんな自分でも飽きることなく読み進めることができた。
    仏教用語の漢字(初出でふりがながあっても翌日には忘れていたりする)、言い回し、概念いずれも多少は難しいはずなのだけど、それで読むのがイヤになることもないし、常にわかりやすいと思えて、少し不思議な感覚。
    専門家の方の読み込みにも耐えるレベルのはずなので自分の「理解」なんぞ話にならないと思うのだけど、それでも大事なことはわかったぞと思えてありがたいし、その上で再読したらさらにナルホドに出会えそうと思わせてくれる。

  • タイトルどおり。
    智慧が思考の到達点ではない点の考察がおもしろかった。
    涅槃の感覚はプロセスを観察する意図で今後は考えてみたい。
    瞑想センター行きたくなる。

  • 初めての仏教解説書としてはなかなか難解だったけれど、自分には日本仏教よりも釈迦仏教(ゼロポイント)の方が合っているように感じられたのは大きな収穫。周辺知識をもう少しつけたらまた必ず読みたい。

  • 仏教の基本的な考え方を論理的に解説してくれていますね。
    自分は知識が少ないので、二度読みでだいぶ腑に落ちてきましたが、理解してしまえば説得力がある本だと思います。

  • 解脱・涅槃とは何か、輪廻と縁起をどのように捉えるか考えるために購入。

    パーリ経典に拠る仏教理解を基本にして、解脱・涅槃とは何かという「仏教のゼロポイント」を検討する。
    著者はテーラワーダ仏教の瞑想センターで実践を積んでいるが、仏教徒ではない。
    本書は、仏教「思想」の本であって、宗教としての「仏教」の本ではない。

    輪廻については、業の結果が寄り集まったモノが縁によって生起し続けているだけであって、輪廻が仏教思想の弱点であるという見方を却ける。

    大乗仏教に対しては、肯定的とは言えない態度を採る。
    ただし、否定的では全くない。

  • 仏教の言葉、考え方がわかりやすく解説されている。整理されて書かれている。読みやすい。


    メモ

    無常。無我でいう我は常一主宰の我。

    瞑想で人格は良くならない。智慧は思考から来ない。

    輪廻を仏教の癌とし、ブッタ入っていないとの説を説くものもいるが、輪廻以外に仏教いいところあるから仏教よし。でもブッタが言っていないわけではないというのが、著者の論。

  • すばらしい! かつ分かりやすい。

  • 以前、増谷文雄さんの「釈尊のさとり」を読んで、「悟り」とは直観であるという解説が今ひとつ腑に落ちませんでした。
    今日までそのモヤモヤを抱えていましたが、この本を読んだことで、それがようやくすっきりした気がします。
    また仏教に限らず、特定の宗教を盲信するのではなく、最終的な判断は自らが考えて行うことの重要性にも気づかされました。

  • なんか、もう、今年最強。涅槃の説明。因果とかってラプラスの悪魔的なもんだよ(私の理解ね、著者の言葉ではないです。)だから、要は、そこで起こってることって色。色即是空。っていうようなことがつらつらと書いてあって、自由意志の問題とかを頭がくらくらするくらい考えてる欧米な人達と比べてのパンチ力半端ないよね。

  • パーリ経典から、ブッダの「悟り」(=仏教思想のゼロポイント)を読み解く本。
    初期仏教教団の形態や基本の教理(四諦、八正道など)を頭に入れたうえで、結局お釈迦さまの悟りってどんなものだったの?と思ったときに読むとヒントになりそう。
    私は輪廻の話や、悟ったあと利他行に転じた理由に関してが興味深かったです。

    後半は、だんだんと「日本仏教」を批判するような文が多くなってくるのがちょっと気になります(大乗仏教の思想を悪く言っているわけではありません)。「悟り」のみを扱うのなら、「日本仏教」のことはあんまり言及しないほうがよかったのでは…。

  • 恐ろしい仏教入門書を読んでしまった。私は仏教徒ではないということ。この本は、仏教価値を一転させた。さて困った。私の宗教とは?

  • 難しい! 中国経由で導入された仏教なので、漢字で理解が深まるが、本書によるとほとんど仏教用語が通常の漢字での意味と異なる由.例えば、「苦」は不満足の由.「輪廻」は、行為による作用が結果を残し、その潜勢力が次の業(行為)を引き起こすというプロセスをひたすら相続している と定義され、一般に言われる「ある人が、一つの生から別の生へ移るという物語ではない」.
    だったら、もっと分かりやすくするべきだ.最後の章で、日本独特の仏教について、なぜ仏教の看板をはずさないのか とある意味で強烈な批判をしているが、納得できる論考だ.

  • 仏教の目的は解脱する(悟りを開く)ことです。

    それを忘れた宗派は「名ばかり仏教」であると私は思ってます。本書はそんな思いを少し肯定してくれる部分もあり、それを「大乗」の奇妙さとして書かれています。これだけ初期仏教から乖離した日本仏教が、なぜ仏教を名乗っているのか?それに対する著者の考えにも納得です。そして初期仏教から変容し続けたからこそ、日本まで伝わったと言う説明はとても腑に落ちました。

    本書の内容はかなり専門的で、周囲よりもちょっと仏教を知っているくらいでは、読むのが大変です。実際かなりの時間がかかり、しかも理解できてない部分も多かったです。しかも著者は自分は仏教徒ではなく、探究を楽しんでいるだけだとも言います!!今までにない仏教に対する視点を与えてくれた貴重な一冊です。内容は難しいけど...。

  • 文字通り原始仏教の思想をわかりやすくかみ砕いて解説した一冊。

    今の日本の俗にいう葬式仏教とは異なるものの、純粋な哲学として興味深く読むことができた。

  • イギリスの哲学者ホワイトヘッドの哲学がとかく仏教的で、で、仏教について知りたくなった。
    「輪廻」と「プロセス」との関係。ホワイトヘッドはプロセスをむしろ物質(および人間)の持つ本質のように捉えているけれども、ブッダは輪廻からは離脱せよと説く。
    どうして輪廻から解脱しなければならないのか。ブッダにとって輪廻とはネガティブなものなのか。
    どうも、ホワイトヘッドとブッダを截然とわけるその境界には、「無記」というキーワードがたちはだかっているように思える。
    色即是空と平気で言える仏教。
    色は色、空は空と言いたがる西洋。
    その違いも、「無記」から出てきているように思う。

  • 著者は上座部(小乗)の実践者のようなので、大乗の教えに対して拒絶反応があるようだが、何れにしても釈迦自ら大集経で説いたように有効期限が切れた末法の現代においては釈迦仏教で解脱は難しい。それと自分一人の解脱を目指すより一切衆生を救済する方が目的としては優れていると僕は思うが、そもそも大乗の教えは釈迦の教えではないと言うのも首を傾げた。ところどころに「自分さえ良ければ良し」とするニュアンスがあり、それがいかにも上座部らしかった。別にそれを否定するつもりはないが、社会としてそんな人間ばかりだと問題なんじゃないかと思わなくもない。

  • ブッダのいうところの悟り、解脱、涅槃とはなんなのか?
    そして、ブッダは解脱したあとで、どうして、そのまま死なずに、人に教えを伝えたのか?

    という問題に明快な答えを出しています。
    (2番目の問題は、この本を読んでみないと、どうしてそれが問題なのか分からないのだけど)

    仏教、とくに原始仏教に興味があって、ときどき思い出しては、読んでいる。大乗仏教の教典に比べるとシンプルで分かり易いのだけど、分かり易いがゆえに、すっきりとしないところがあった。

    それは多分、
    ・どうしてすべては「苦」なの?(人生、楽しいこともあるじゃん)
    ・輪廻転生って、本当にあるの?(あるいとしても、無我ということと矛盾しない?)
    ・輪廻から脱する、つまり完全にいなくなる、つまり完全に死んじゃうというのが、どうして求められるゴールなわけ?
    ・そもそも、悟りって、なんなのよ?
    ・解脱すると具体的にどうなるわけ?
    みたいな疑問だったと思う。

    で、この本は、このすべての疑問にとても明確に、整合的に応えてくれる。個人的にはかなりスッキリしました。

    ここに書いてあることが好きか、嫌いかはべつとして、そもそもブッダが説いた教えはこんなものだったに違いないと思う。(原始仏教の教典が整合的に読めるので)

    で、こうして分かってみると、とてもシンプルで、もうそうとしか読めない。どうしてこれまで、分からなかったのか、分からなくなる。

    本書では、日本におけるよくある理解(誤解)を取り上げながら、そういう理解はありえないことを説明してあって、自分もまさに「仏教とはこういうものだ」という考えから、ブッダの言ったことはこういうことに違いないと日本的な誤解をしていたんだな。目から鱗がぼろぼろ落ちた。

    要するに、知らない間に大乗仏教を通じて、ブッダを読んでいたわけですね。別に大乗仏教を信じているわけではなくても、なんとなく日本的な言説・風土のなか、その思想が深く埋め込まれているわけだね。

    大乗仏教がいいのか、原始仏教がいいのか、という問題ではなくて、まずはブッダ、原始仏教が言っていることを素直に理解してみて、それを踏まえて、大乗仏教とか、さまざまな流派がどう違うのかを理解していくことが大切だと思った。(まあ、宗教としての仏教を考えれば、あとで生じたさまざまな流派は、「ブッダが本当に言ったことはこれだ」というわけで、「ブッダの教えをこういうふうに改善しました」とは言わないわけだからね。)

  • 線香臭くない仏教の解説。今まで読んだ仏教を解説した本で一番現代的で、ニュートラルな見方だと思う。

  • 実際に瞑想の行を修した著者だからこそ書くことの出来た、
    ブッダの示した解脱・悟り、そして涅槃とは何だったのか
    (それが「仏教のゼロポイント」である)をわかりやすく
    論理的に説明しようとした本。確かにわかりやすく書かれて
    いるし、今までにない著作だと思うのだが、それが本当に
    ブッダの言う悟りだったのかということには様々な意見が
    出そうである。

    個人的に気になったのは、仏教に様々な宗派が存在している
    のは解脱に至る手法・過程の差によるのではなく、解脱に
    至った者がいかに俗世間に関わるか、その関わり方の差に
    あるという論点だった。

    もちろん、この本を読んだからといって悟れるわけでは、
    ない(笑)。

  •  私自身仏教徒ではないが、仏教の思想というものには元々興味があって、教義とは別に仏教を解説してくれるような本書は非常に興味深い。
     著者も仏教徒ではないが大学やミャンマーで仏教を学んでいる。ミャンマーの瞑想センターで瞑想している西洋人に「あなたは仏教徒ですか?」と訊ねると「そんなことはどうでもいい(I don't care)」と返ってくる。己の生き方についての指針自体はすでにある程度持っていて、その実践のために仏教的手法を採り入れてみよう、という感覚であるし、我が意を得たりという発見でもあった。
     これは絵を描くにあたり、油絵で描いてみたり、水墨画で描いてみたり、写実主義によってみたり、シュールレアリズムによってみたり、という手法の選択にも似ている。大事なのは描きたいものを描くことであって、それに適した(あるいは表現者が好む)表現方法を選択すればよいという話であって。

     宗教とは教祖あるいは経典を崇拝し、すべて教祖、経典の言うがままに従うというものではない、というのは日本人ならおおむね自然に身に着けている発想で、葬式は仏教、結婚式はキリスト教、地鎮祭は神道と目的や趣味趣向によって宗教的手法を使い分ける。
     ただこの「自然と身に着けている」というのが案外と厄介で、自然にできるからこそ「何故」を問いかけられると答えに詰まってしまう。呼吸は自然にできるが、「どうやって呼吸しているのか」と問われて正確に答えられる人は決して多くはないのではないか。

     そうした自然な心の動きを改めて認識し、在るものを在るものとしてとらえることで、また新しく見えてくるものもあるのではないか。


     余談。

    P.202
    『もしかりにゴーダマ・ブッダ滅後の世の中に、そのような「正しい仏教(引用注:ブッダが実際に説いた教えやその価値判断に厳密に従っているもの)」以外の仏教が生まれてくることがなかったとしたら、それは数千年の時間と数千キロの距離を越えて、私たち現代日本人にまで伝わり、そして受容されることはおそらくなかった。』

     仏教が発祥の地から遠く離れて、長い時を超えて生き続けたのは、その変幻自在というか、「物語の裁量」というものがあって、だからこそ多くの宗派が生まれ、互いに矛盾さえしながら多様性を広げてきた。
     これはなんというか、「参加できる」「ライブ性」のようなものであって、アイマスのプロデューサー概念をはじめとした多くの二次創作コンテンツもそういった要素があるからこそファンを増やし情熱が継続しているわけで。
     そういう視点から考えると「蓬莱学園」というコンテンツが、「学閥」なんてものを生み出すほどに強く深く人々に受け入れられたのは、その変幻自在な懐の深さだったのかなあ、などと本書を読んで思った次第。

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仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何かの作品紹介

日本仏教はなぜ「悟れない」のか――? ブッダの直弟子たちは次々と「悟り」に到達したのに、どうして現代日本の仏教徒は真剣に修行しても「悟れない」のか。そもそも、ブッダの言う「解脱・涅槃」とは何か。なぜブッダは「悟った」後もこの世で生き続けたのか。仏教の始点にして最大の難問である「悟り」の謎を解明し、日本人の仏教観を書き換える決定的論考。

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