- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103500711
作品紹介・あらすじ
この男なくしてシャープの興隆はなく、この男をなくしてシャープは墜落した。「ロケット」と称された爆発的な着想力が、電子立国日本の未来を切り拓いた。トランジスタからLSI、そしてMPUへ――シャープの技術トップとして半導体の開発競争を仕掛け続け、日本を世界のエレクトロニクス産業の先頭へ導いた男。インテル創業者が頼り、ジョブズが憧れ、孫正義を見出した佐々木正の突き抜けた人生。
感想・レビュー・書評
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シャープで技術開発の中心人物だった、「ロケット佐々木」の異名を持つ佐々木正氏のお話し。内容は面白いのだが作風がやや下町ロケット的で、実話をもとにしたノンフィクションノベルといった感じ。
少年時代を台湾で過ごした佐々木氏は、帰国後に軍の命令により技術者として、レーダーや超音波の開発に携わる。戦後は研究職の道を目指すが、シャープ創業者である早川徳次の説得により、シャープの前身である早川電機に入社する事となる。
早川電機入社後の佐々木氏は「共創」の精神で、若い技術者の良き相談相手となり、海外の部品メーカーとの連携も円滑に勤め、社内だけではなく日本の電子産業の中心人物となる。ライバル会社のトップである松下幸之助に招かれ、松下電器で講演を行ったエピソードは大変興味深い。
佐々木氏が退職後のシャープは承知の通り、液晶事業に傾き過ぎてしまったばかりに、海外企業の傘下となってしまう。しかし資本を注入した鴻海が、佐々木氏がかつて暮らした台湾の企業というのも、何か不思議な縁を感じてしまった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
技術立国(電子立国)を支えた佐々木正とい技術者の偉業、考え方がよくわかる本であった。スティーブジョブズが憧れた伝説のエンジニアという通り、様々なものを開発した。液晶、LSI、計算機、電卓、MPU,ザウルス、MOS等であった。そこにはあきらめということは一切なかった。アメリカに行ってQuality Controlを習ってきた。特殊原因と共通原因、統計的管理、ともに開発していくという共創のDNA、技術は人類の進歩のためにある、人類の進歩に終わりはない、等技術に関する興味深いエピソードばかりだ。これをどう生かしていくか?
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スティーブ・ジョブズや孫正義の若いときに同時期に会っているというのが因果を感じる。
佐々木はドイツから潜水艦に乗ってレーダー技術を持ちかえるという荒業を経験した。
佐々木の明石の工場が爆撃されなかったのは、占領政策で通信網を円滑に構築するマッカーサーの指令ゆえであった。
戦後GHQからの指令でアメリカに渡り、生産管理のノウハウを学ぶ。たとえば、女子工員が部品を床に落とせば日本では上司が叱るが、アメリカでは、女子行員の床下にベルトこんであがあって、それが部品を回収する仕組みになっているのを見た。
江崎玲於奈も佐々木も門下生。江崎の息子は佐々木の秘書と結婚した。
ライシャワーとも家族ぐるみで親交がある。皇太子妃だった美智子様がアメリカのライシャワー宅にホームステイすることになり、佐々木の娘がお世話係として随行した。娘がパン焼き機が作れないか相談したところ、佐々木は懇意の船井電機の社長に相談。船井は持ち前の瞬発力でパン焼き機を開発。 -
シャープの社員ではないが、関係する者の立場として読んだ。
佐々木氏の素晴らしいところは、技術者としての先見性やアイデアなどであることは言うまでもない。それ以上に日本が世界の中でもまだビハインドしている時でも、また日本の電機産業の急成長を企業が謳歌する中でも変わらず、世界に目を向け、欧米企業と対峙し、ネットワークを構築していったところにあると思う。
改めてビジネスは人である、ということを再認識させた。
特に終盤では現在のシャープのことも描かれ、評判の悪い経営陣ではあるが、現社長の高橋氏の行動なども描かれ、少し見方が変わった。
そこらの小説よりも感動できる本であり、最後はうるっときた。 -
孫正義、西和彦、スティーブ・ジョブズなど知ってる人の若い頃を知ることができて面白い。樫尾四兄弟とか電卓戦争なんかも掘り下げて調べてみたくなった。
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シャープの伝説、佐々木正の伝記。大阪でも決して大きくないシャープが電卓でのし上がったのはこの人の功績で、営業職時代のバイタリティあふれるエピソードやジョブス、孫正義との出会いもあり佐々木正を知るうえでベーシックなエピソードいいとこ取りの本。
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今年亡くなった報道を聞き、ジョブズや孫正義があこがれたという謳い文句に惹かれて読んだ。
シャープの佐々木正。こんなに気骨のある技術者が居たのかと。
海賊と呼ばれた男の出光左三はリーダー・経営者としての凄さを感じたが、
佐々木正は技術者として、しかも電子・情報という同じ業界の技術者で、
さらに人をつなぐ触媒というのは自分の理想像。その理想像を体現する人は
想像を超える生き様の人だった。
ジョブズとのやりとりの場面、その後ビルゲイツとの提携を知った佐々木の独り言
「君は独創的な人間だが、一人では世の中を変えられない。人類は共創で進歩してきたんだ。他人と手を組むんだ。」
「君の言うとおり、彼には足りないものがある。しかし君にも足りないものがある。だから共創するんだ。二人で世界を変えていくんだ。」
「そうなんだジョブズ。人類の進歩の前に、企業の利益など、いかほどの意味もないのだ。
小さなことにこだわらず、人類の進歩に尽くすのが、我々、技術者の使命なんだ。」
人と人との繋がりで新しい世界を切り開いてきた人だからこそ言える。電話一本で自社他者関係なく人をつなぐ。今、そんな人がいるのだろうか。企業の利益を上げるための競争の為に、相手に盗まれないようにと、自分の中や会社の中に閉じこもる。
それにしても、1970-80年代は激動で刺激的な時代だったんだろうな。 -
日本にこんな人かいたのか。。意外に知られてなかったことにびっくり。。
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この本を読むまで全く知らなかった。
これはスゴイ。レベルが違い過ぎる天才だ。
日本にもこんなスゴイ人がいたのかと、感心する一方、なぜこういう人材が今の日本から輩出できないのか?
時代背景の影響だけではない、大切な何かが現代は欠けているのではないだろうか。
まさに平和ボケだからか?そんな事すら感じてしまう。
当時だってササキは異質な存在だったはずだ。
しかしそれを周囲も受け入れ、自由に行動させる風潮が社会全体で容認されていた。
イノベーションは管理政策からは絶対に生まれない。
自由な発想と共創こそが最も大切なのだ。
そのことをササキは人生を駆けて体現した。
ササキの人生の起点は、幼少期の体験だ。
生まれてから京都大学に入学するまで、日本統治下の台湾で暮らしたことが、ササキの人生を決めたのだ。
日本であって外国。日本統治下であっても、現地の人達といかにこれから協力して台湾を開拓していくか。
その様子を間近で見て接した幼少体験は大きな意味を持つ。
ササキの魅力は、本人の一技術者としての能力だけに留まらない。
一つの目的のために他者と協力し、持っている技術は分け与える。
更に先入観なく優秀な人材を抜擢し、目標に向かって高みを目指していく。
そういう感覚は、幼少時代の体験が刷り込まれたからこそなのではないだろうか。
戦争体験も大きく影響をしているはずだ。
1915年生まれのササキは、終戦時で30歳。
技術者のササキは軍需工場の工場長を任されている。
この頃からすでにマネジメントを経験できている点が、今の時代と大きく異なる点だ。
今の時代は少子高齢化の影響で、40歳50歳になっても、部下が入らず管理職にすらなれない人が多い。
これでいきなり部門長を抜擢されても、今まで全くリーダー経験がないために、部下を育てる準備すら出来ておらず、機能不全を起こしているのだ。
これは、日本全体の特に歴史のある会社ほど同様のことが起っている。
若い内からリーダーとしての資質を伸ばしていかないと、将来のマネージャーには絶対に成り得ない。
若くして現場だけでなく、マネジメントも勉強させる。
そしてグローバルな視点と人脈、経験を早くから植え付ける。
日本社会全体でこういうことを実践していかないと、本当に人が育たない。
この辺はこういう伝記を読むたびに痛感させられることだ。
確かにササキは突出している。
最後はシャープの副社長という肩書だったが、レベル的にはそんな器では決してない。
日本を技術立国として牽引したのは、間違いなくササキの功績だ。
自分のような凡才にはとても真似は出来ないが、こういう人達の足跡を知ることで「その中でも自分ならこれは真似できるのではないか?」と考えることが出来ると思うのだ。
何よりすごいのは、1915年生まれのササキが、102歳まで生きたことだ。
なんと2017年という、つい最近までこの世に存在していたというのが本当に素晴らしい。
長寿もそうだが、情熱を持って人生を生きること。
こういう人になりたいと思うし、少しでも近づければと思う。
まだまだ諦めずに前に向かって進むしかない。
(2020/6/20)