漂流

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (431ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103502319

作品紹介・あらすじ

奇跡の生還から8年。マグロ漁師を再び海に向かわせたものは何だったのか? 1994年冬、沖縄のマグロ漁師・本村実は、フィリピン人らと共に救命筏で37日間の漂流の後、「奇跡の生還」を遂げた。だが8年後、本村は再び出港し二度と戻らなかった。九死に一生を得たにもかかわらず、なぜ再び海に出たのか? 沖縄、グアム、フィリピンなどで関係者らの話を聞き、漁師の生き様を追った渾身の長編ノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • 1994年3月、フィリピン沖合で一隻の救命筏が発見された。乗組員9人を乗せたその筏は、37日間、約2800キロを、死と隣り合わせのまま漂流していた。船長は日本人・本村実。残り8名はすべてフィリピン人だった。この1件は、当初、漂流期間や距離が記録的に長かったため、日本でもそれなりに報道されたが、やがて人々からは忘れられていった。

    本書の著者は探検家である。自身の探検を中心に据えた著書もあるが(『空白の五マイル』、『雪男は向こうからやって来た』)、本書は他者の「漂流」をテーマとしている。海での遭難・漂流というのはかなり特殊な状況で、食糧も飲料水もなく、自力で望む方向に向かうことも出来ず、サメなど危険な動物にも取り囲まれ、助けが来るのか来ないのかもわからない。探検家として、自然と人間の関わりを終始考えている著者にとって、「漂流」という切り口はうってつけだった。
    そうして過去のデータベースを当たっていて、上記の本村の漂流事故に興味を持つ。その顛末を追うノンフィクションを書くはずだった。
    だが、ことは意外な展開を見せる。

    本村本人の話を聞いてみたいと連絡を取ったところ、本村の妻から衝撃的な事実を聞く。
    何と、本村は事故の後、再び船に乗り、行方不明になっているというのだ。それも10年もの間。
    驚いた著者は、本村の地元、沖縄に飛ぶ。
    それは、再び消えてしまった本村を追うとともに、遠く、沖縄離島の海洋民の歴史を追う旅でもあった。

    本村は、沖縄本島の南西に位置する宮古列島の1つ、伊良部島に生を受けた。島の佐良浜はかつて、南方カツオ漁で栄えた地だった。戦前から戦後にかけて、フィリピン・インドネシア・ミクロネシアといった南方の島々へ行っては豪快にカツオを獲って金を稼ぎ、派手に使うのが佐良浜漁師だった。
    元を辿れば佐良浜の人々は漂着民であり、海の先でも躊躇なく出かけてしまう気質や、素潜りなどの海技に長けた性質を受け継いできた。
    ある種、行き当たりばったり、ある種、思い切りのよい、腕のよい漁師。彼らは、その長所を武器に、沖縄周辺だけでなく、南洋へも進出していた。南方カツオ漁は徐々に廃れていき、現在ではグアムを拠点としたマグロ漁に移行している。実は沖縄は全国有数のマグロの産地なのだ。本村の漂流もマグロ船に乗っていたときのことだった。

    一度、過酷な体験をしたにも関わらず、なぜ本村は再び船に乗ったのか。
    その疑問を追ううち、著者は次第に海洋民の「陰」も感じるようになっていく。
    漁に出るのは、海が好きだから、とか、自由を愛するから、とか、牧歌的な理由ではない。彼らの行動規範や人生観には、陸で生きる人々とはまったく違うものがあるのではないのか。
    昔から、漁場をダイナマイトで吹っ飛ばしては魚をがっぽりと捕る、危険なダイナマイト漁にも手を染め、それに使う火薬を手に入れるために沈没船から違法に盗み出し、その過程で手や足を失ったり、命を失うものも多かった。
    行方不明になっているのは本村だけではない。出たきり帰ってこないものは他にもいた。行方不明の人々はあわいを漂う。生きてはいない。さりとて死んでもいない。人々は「拉致でもされたのかね」と噂する。いずれにせよ、ある程度日数が経ってしまえば、探すこともできず、安否が幸運にもわかることを待つしかない。
    海洋へ出るということは危険なことだ。楽しいわけではない。好きなわけでもない。しかし、ここでしか生きる「術」はない。
    「刹那」を生きる彼らの姿が、徐々に浮かび上がってくる。

    本村はなぜ再び漁に出たのか。彼の安否はわかるのか。
    著者の旅はその疑問を牽引力とし、海の民の「生」、いや、さらに広く人が「生きること」への思索を誘う。それはどこか、人が奥底に抱える「原初」を見透かそうとする試みのようでもある。



    *同じく漂流を題材にしたノンフィクションとして『漂流の島』があります。鳥島漂着民の残像を追うような作品ですが、そういえばこの本、本書の著者の角幡さんの書評を読んで読む気になったのを思い出しました。

  • この一文、著者の著作のほとんどに通じると思う。
    『現代の都市生活者は死が見えなくなり、死を経験することができなくなることで、死を想像することもできなくなった。そしてその結果、生を喪失してもいる。』

  • マグロ漁という切口から沖縄の歴史を改めて知ることができ、大変面白かった。探検家として超一流だがジャーナリストとしてもレベルが高いと思う。

  • タイトルの漂流の話というよりも,木村実の人生(漂流も含まれる)を調べて,海で生きるということあるいは生きざるを得なかったことを本にしている.佐良浜の漁師たちの生き様,歴史,あるいはまぐろ漁の変遷と補陀落思想が混じり合って角幡氏なりの答えを出したようだが,氏の信じるロマンもいいが,やはり漁師しかなかった土地に少しのやりきれなさを感じた.

  • (2019-08-17)(2019-09-03L)

  • 人に勧められて読んだ本。沖縄は定期的に足を運び続けて長くなります。その沖縄の知らなかった一面を、鋭い視点と解釈で書き上げているルポ。海の世界、島の世界。陸の世界の人々にはわからない世界。本当に面白くて、手元に置いておきたい本だと思いました。

  • 自分は比較的海の男に近い人間だと思ってたけど、全然違うことを自覚した。重い。

  • 1994年3月、37日間におよぶ漂流から「軌跡の生還」を果たした男がいた。しかし、その8年後、男は再び漂流し、今日まで還っていない。そして、その生に引き込まれるようにして始まる著者の彷徨。沖縄、グアム、フィリピン、寄せては返す波に、ほとんどおぼろげな足跡が見せるのは、その男の生ではなく、その島の性であり、その民の歴史であった。漂流を祖に持ち、漂流を伝統とする海の民と、南洋マグロ、カツオ漁の栄枯盛衰。二度漂流した男、本村実はいかにして、どのようにしてあったのか。「海という世界がもつ底暗い闇の奥深さ」に触れる、誰も知らない、知られようともしないの民の歴史の断片。探検家、角幡唯介の新境地。

    「私が終止いだいていたのは、本村実は行方不明者となることで佐良浜という土地と海の倫理を貫徹することになったのではないかという思いだった。」

  • 読み終えて見れば特に何も起こっていないのだが、自分語りが嫌味になっていないのは、取材と体験を離れて語ることをしないからなんだろう。エピソードの並べ替えもあざとくならないのが不思議。

  • 一ヶ月くらいずっと読んでいた本。
    読んでいる間じゅう、底知れない取材力、そしてその内容に圧倒されていた。
    自分の語彙じゃ言い表せない。
    広い。
    深い、海の世界。
    考えてみたこともなかった、そんな視点で見たこともなかった。
    今年一番の本かもしれない。
    こういうのがあるから読書ってやつは最高だーな。

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著者プロフィール

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)
 1976(昭和51)年北海道生まれ。早稲田大学卒業。同大探検部OB。新聞記者を経て探検家・作家に。
 チベット奥地にあるツアンポー峡谷を探検した記録『空白の五マイル』で開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞。その後、北極で全滅した英国フランクリン探検隊の足跡を追った『アグルーカの行方』や、行方不明になった沖縄のマグロ漁船を追った『漂流』など、自身の冒険旅行と取材調査を融合した作品を発表する。2018年には、太陽が昇らない北極の極夜を探検した『極夜行』でYahoo!ニュース | 本屋大賞 ノンフィクション本大賞、大佛次郎賞を受賞し話題となった。翌年、『極夜行』の準備活動をつづった『極夜行前』を刊行。2019年1月からグリーンランド最北の村シオラパルクで犬橇を開始し、毎年二カ月近くの長期旅行を継続している。

「2021年 『狩りの思考法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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