ねむり

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著者 : 村上春樹
制作 : カット・メンシック 
  • 新潮社 (2010年11月30日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (93ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103534266

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ねむりの感想・レビュー・書評

  • 装丁の美しさとタイトルに惹かれて借りた。村上春樹の独特な世界観が昔はよく分からず苦手とさえ思っていたけれど、最近はしっくりきてとても好き。 女の淡々とした毎日とねむりの関係。女が金縛りにあった時に老人は何故足に水をかけたのか 不思議で色々想像するのが楽しい。 終わり方もぞくっした。もう一度読みたい。

  • 私の大好きな短編「眠り」のイラストレーション付き単行本。
    深い群青と鋭いシルバーのコントラストがとても素敵な雰囲気をつくりあげています。
    「眠り」は一度読んですぐ気に入って、読み返すのはそれ以来なのですが、そのときとはまたちがった面持ちがありました。
    どんよりとたちこめる死の影と、果てしなく果てしなく広がる精神世界。
    死ぬということが、永遠に覚醒し続けることだったら?
    底のない暗闇をただじっと見つめていなければならないだけだとしたら?
    まるで私も彼女のシティに閉じ込められたかのような息苦しさを感じていました。
    アンナカレーニナ読みたい。
    あとがきで、この短編の執筆背景について語ってくださっているのもファンとしては嬉しい。
    窓から見える人々は楽しげで、陽気で、鮮やかな原色の花があふれる、春のローマ通りの光景。
    やれやれ、これからまたなんとかやっていくしかないな、という爽やかで気持ちの良い諦念にも似た決意。

  • 眠れない状態になってからの17日間。
    眠れなくなるトリガーや、本にのめり込む喜びを思い出すところから段々と狂っていく過程など、描写がとても生々しくて怖かった。
    邪悪なものが前面に出てきます。
    ドルストイを読んでみたくなった

  • 突然眠ることが出来なくなった主婦。絶え間なく繰り返す日常と、覚醒し続ける夜。この感覚…離人症のような主人公の内面の心の動き。同じ事の繰り返しの日常をこなしているうちに、感情と行動が乖離して行き、乾いて行く感じ…。

    17日間一睡もしない夜に、彼女は結婚以来やめてしまった事をやり始める。ブランデーを飲み、チョコレートを食べ、『アンナ・カレーニナ』を延々と繰り返し読み、時には真夜中のドライブに出かける。それらは、かつて好きだったこと、気に入っていたもの、夫との暮らしの中で封印していたこと。

    生産性の無い単調な専業主婦の生活は、彼女にとって自分の本当の感情を切り離してもこなして行けるものだ。そこに感情が伴わなくても誰にも気づかれないまま、機械を操作するように決まり切った流れで過ぎて行く日々。現実とはなんてたやすいものだろう、彼女は思う。時々のアクシデントも彼女の存在を揺り動かすことは無い。

    眠りとは何か?それは肉体と精神の休息であり、個々の人間の偏った傾向を中和し、クールダウンするものだ。そう書かれた本を読んで、彼女は傾向的に消費される生活の偏りを回復するための眠りなんていらないと思う。「眠るかわりに私は本を読む」そう決心した彼女は不眠を恐れなくなり、「私は人生を拡大しているのだ」と考える。

    眠らない夜を過ごすうちに肉体も若返り、美しくなって行く彼女は、身じろぎもせず眠る夫の顔に老いの影を見て醜いと思ってしまう。時間の流れにただ消費される人生に疑問を持たずに老いていく夫。眠りと引き換えに自分だけの時間を過ごす事で若々しく強くなって行く妻。

    眠らない夜が続き、暗闇の中で覚醒している彼女は、自分が眠りの感覚を忘れていることに気づく。眠ることで休息しなくても生きている異常な自分…。「死」が眠りの延長で、人生の永遠の休息だと思っていたのは間違いではないか?もしかすると今の様に、何も無い暗闇の中で永遠に覚醒している状態だとしたら…それはぞっとする様な怖ろしい仮説だ。だが、「死」がどんなものかを誰一人知らない。永遠の休息では無く、暗闇の中での永遠の覚醒…。

    ラスト、少年の様な服装をした彼女が、広い真夜中の駐車場で車の中にいるとき、左右から2人の人物が車のガラスを叩き、激しく揺らして来る。「私の車を倒そうとしている」そう彼女は怯えるが、車のエンジンはかからず、キーを落として泣くことしかできない。

    彼女は「何かが間違っている」と思う。何が?夜の眠りの時間の彼女と、昼の生活の彼女が、本当の意味で生きていることにおいて、逆だと言うことだろうか。覚醒する無意識を解放する「夜の時間」を再び眠りへ閉じ込め、ただ無為に老いて行く事を強制しようとする外からの力を振り切って、走り出す事ができないことだろうか。外からの力…その2人の男は、無意識の中の彼女の夫と息子ではないかと思う。彼らを振り切って彼女は生きられない。

    キーを拾って、エンジンをかけ直さない限り、彼女の人生は何かが間違っていると感じたまま、死に向かって行くだろう。しかし、たとえエンジンがかかって走り出しても、彼女が行く所は何も感じない機械的な日々を繰り返す家庭なのだ。それは覚醒しながら虚無の中に居続けなくてはならない「死」に似ている。

    人生が一場の夢であるならば、眠りの時間の「私」こそが「本当の私」であり、起きている時間の「私」は眠っている事にはならないだろうか?

    異常な不眠経験の中で揺れ動く主婦の世界が、カット・メンシックの挿絵と装丁によって歪んだ鏡の中から、オイル時計の美しいオイルのように滴ってくる。

  •  眠れなくなった女の話。不眠症ではない。2週間以上もの間一睡もできなくなるなんて、一つの病名で表される類のものではない。
     睡眠ってなんのためにあるんやろう。忙しいとき、楽しいとき、睡眠を削りたくなる。一日の三分の一、この多大なる時間を活動に充てられればと思うけど、肉体がそれを許さない。のみならず、精神にとっても必要な行為だと本書の中では述べられている。眠りを失えば、人の存在そのものが存在意義を失ってしまうと。
     でも、傾向の檻の中で生きるくらいなら眠りなんて必要ない、と主人公は開き直る。そして、覚醒した暗闇の中で、死を思い描く。

     村上春樹らしからぬ短編小説。何かがスイッチとなり、その人の内面世界を深く掘り下げていく感じ(これをカフカ的と呼ぶのかな?)、嫌いじゃない。

  • 不眠症とは違う、生活の中から眠りというものが消えてしまっただけの、主婦の話でした。
    考察も何も読まずの感想なので、的はずれなことをいうかも知れませんがご容赦ください。

    定型文のように変わらない毎日を送る主人公が、眠りというものを失ったことで自分だけの時間を得て、眠れなくなる前までの自分の生活を改めて見つめ直すことになります。
    そして、眠りの必要の無い生活に慣れ、その素晴らしさのようなものを感じ始めた頃、眠りを失ったことで築き上げた世界(主人公の車)が帰ってきた眠り(二人の男)によってひっくり返されるという話なのだと感じました。

    多分最後の鍵を取り落としたりするシーンは、訪れた微睡みといつか、睡魔のようなものによる表現なのかな、と。

    2ページに1枚くらいのペースである不思議なイラストよ影響もあってか、とても不思議な印象を受ける話でした。

  • 村上春樹の作品の中ではダントツで自分的に共感できる作品。眠れなくなったという些細な出来事から今の平凡な生活に嫌悪感を感じる所がリアルでこの作品を引き立てていると感じた。
    最終的に眠れない現実が夢なのか、眠れない現実がリアルなのか、解らない所がまた良かった。

  • あとがきにあるように「『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』の長編小説が成功を収めた後、心が冷え込み、作家としても個人としてもきついことが立て続けに起こり、小説が書けずにいた」時代を経て、やっと書くことのスイッチが入った最初の短編。そして21年後ドイツのデュモン社より単行本化された本書は、青と銀の斬新なイラストや装丁により、1989年に発表された『眠り』を、より洗練させて復活させている。
    夜、睡眠するという当たり前の行為が突然できなくなってしまった女性の心理と結末。いや、結末はない。読者に委ねられる。想像を掻き立てられる読後感である。

  • 装丁と挿画が幻想的で美しいことに感激します。いつまでも眠らない主人公(ちなみに不眠症ではありません)、ありゃ~どうしたの? と思いながらぐいぐい引き込まれてしまう、ある種の狂気に脱帽。とても短いお話なのですが、生きる、ということについて苦悩した哲学的作品に仕上がっていると思います。

    「……それでは私の人生とはいったい何なのだろう? 私は傾向的に消費され、そのかたよりを調整するために眠る。それが日々反復される。朝が来て目覚め、夜が来て眠る。その反復の先にいったい何があるのだろう? 何かはあるのだろうか? いや何もない、と私は思う。たぶん何もない。ただ傾向と是正とが、私の体の中で果てしない綱引きをしているだけだ」

    あとがきを見ると、この作品は、「ノルウェイの森」の大成功の後、作者が小説を書く気持ちになれなかったころに書かれたようです(それでもこんな短編が誕生するから凄い……)。きっと世間の称賛のみならず羨望やら怨嗟といった様々なプレッシャーやストレスがあったのかもしれないな……。

    「これが本来の私のあるべき姿なのだ、と私は思った。大事なのは集中力だ、私はそう思った。集中力のない人生なんて、目だけ開けて何もみていないのと同じことだ」

    主人公の危うい苦悩にはらはらとし、その眠ることのない哲学にちょっぴり共感しながら楽しく読了。
    そして私はぐっすり眠ります(^^♪

  • 村上春樹が20年前に書いた短編を手直ししたもので、装丁は、そのままではないが、ドイツ語翻訳版を使っている。カット・メンシックという人の印象的なイラストが添えられていている光沢紙のページは、物語を追う目にやさしい。本を支える手に、ほどよい重みが感じられる。読み出したら一気に読めてしまった。紙の本だからこそ味わえる読書体験!
    (yori)

    本館2階学習室(日本の小説) 913.6||Mu

  • 2016/8/31
    村上春樹ではある。

  • そんなものはいらない。
    私には私自身の方法がある。
    私は本を読む。
    私は眠らない。

    大事なのは集中力だ。
    集中力のない人生なんて、目だけ開けて何も見ていないのと同じ。

  • 最後が残念。
    なんでかな。
    どういう意味があるんだろう。
    もうちょっと考えようかな。

  • ≪県立図書館≫

    覚醒の物語だ。
    泣くことしかできない。
    その一言が強く響く。
    一番明るいところを選んだはずなのに、
    得体の知れない黒い影は彼女を強く揺さぶる。

    素晴らしい作品だと感じた。

  • 8年前「TVピープル」の「眠り」を読了済み。改稿版とのことで「ねむり」を再読。

    不眠症ではないけれど、17日以上全く眠れなくなった主婦のお話。主婦のただの日常の描写の中にも村上春樹氏の世界観がもたらされていて、やっぱり好きだと再確認。

    当初は自身が不眠症の真っ只中だったので、とても印象に残ってる。「眠り」と「ねむり」の違いを比べるのも楽しい。意外と細部まで憶えているものだ。

    舞台が「横浜」から「港」になっているのは、世界的に翻訳されているから、よりイメージしやすくしているのかな。

    「眠る」ことについての思考。
    眠りは「クールダウンするための治癒行為」であるけれど、それを眠らないことで「人生を拡大しているのだ」と解釈する主人公。誰にも邪魔されず、何も要求されず。

    この「誰にも邪魔されず、何も要求されず」にすべてがかかっているように思える。誰かに邪魔され、何かを要求され、日常を機械的にこなしているうちに、自分が自分でなくなってしまったような、そんな虚無感を抱いていて、かつての若き日の自分がしていたように、チョコレートを頬張りながら、「アンナ・カレーニナ」を読み耽る。そんな自分らしい時間を求めるために、眠りを拒否した。

    最後に車中で揺り起こされるところで終わるのだけど、17日以上眠れなかったこのストーリーそのものが夢だったのかもしれない。「クールダウンするための治癒行為として」。

    ドイツ語版で挿絵となったイラストレーションが、村上春樹氏の世界観にとても合っていてアートとの融合も素敵。

    そして、言葉を借りるなら、私は村上春樹氏の作品を読むことそのものが、眠りに匹敵するぐらいの「クールダウンするための治癒行為」であると確信している。

  • 『図書館奇譚』につづくアートブックシリーズ。図書館に1冊あったので借りてみた。このシリーズ、やたら高いので買いたくはないけど、1時間以内に読める気軽さがいいのかも。セレクトセンスもよい感じ。

    で、『ねむり』はねむれなくなった女性の話。でも、不眠症ではないのです。この設定からしておもしろくて、ぐいぐい入り込んでしまいました。
    女性はねむれなくなったことにより、かつて自分が本当に楽しんでいたこと(そして、現在の生活に苦しんでいたこと?)に気づくんです。

    例によってあとがきから読んじゃったんですが、この作品は1989年、小説を書きたいきもちになれなかった時期に書いたのだそう(村上春樹40歳)。『ノルウェイの森』や『ダンス・ダンス・ダンス』が成功を収めた直後。このあとがきを読んでたので、なんとなく当時の春樹氏の感じなんだなぁ〜なんて感じ取りながら読めました。そうじゃないと、ちょっとわかりづらいのかも? でも、若干の隠喩はあるものの、書いているとおりそのままって感じもしました。(たとえば、ねむれなくなる前の記憶が遠のいて、その変化が自分にしかわからないことへの恐怖など。)

    なので、意味がわからない人は、あとがきから読むといいかも!と思います。

    ーー
    追記
    この女性が不眠中に読むトルストイの『アンナ・カレーニナ』が作為的だったので、DVDで観たところ、なるほど…と思いました。『アンナ・カレーニナ』も幸福そうでいて幸福でない(愛が足りない)ことに気づくんですよね。。

  • 異常に難しい内容だった。

  • 2015/9/24読了。
    村上春樹の短編小説。
    独特の世界観に今回もまたぱしっとはまった。
    不眠症の主婦である主人公が、最後揺さぶられる車の中でどうなったのか、
    そしてそれ自体は何を意味していたのか
    そこまではわからなかったけど、面白かった。

  • 眠ることができなくなった主婦の話。睡眠から死へ哲学が展開されていくのがさすがと思える流れだった。

  • 《ねむり》とは鈍感さや己を信じきってのうのうとしている様。そして《死》から目を背けること。主人公は、老人の姿をした《死》を見た夜から《死》を認識し、不眠に陥る。
    「誰もがいつかは死ぬ」でもそんなことを意識していては、日常生活は送れない。だから人は目を閉じ、眠る。無垢な子供はよく眠る。図々しい大人ほどよく眠る。繊細で不安を抱えた者は熟睡できない。
    車を揺さぶる彼等は「自分たちの推論を脅かすものとして」ねむらない彼女を排斥しようとしているのかもしれない。

  • 「眠り」が「ねむり」に改題。
    主人公は30歳。歯医者の妻で小学生の母。
    「毎日がほとんど同じことの繰り返し」だが、車(ホンダシティのブルーとか懐かしすぎる)で買い物に行き、スポーツクラブで水泳をし、毎日何一つ不自由ない暮らし。そんな中、金縛りにあったあと、眠れなくなる。普通の不眠というものではなく、何日眠らなくてもまるで平気で、夜じゅう「アンナ・カレーニナ」を読みお菓子を食べ酒を飲む。なのにむしろ健康になり力も漲り若返っている。

    最初は、有閑マダムの優雅な日々? とか思ったが。
    家族関係は良好で、それでも少しずつなにか苛々することもあって、義理の母とも多少の摩擦はあって、普通に面倒で普通に幸せ。いつのまにか本を読まない生活に慣れていた。主婦あるある。

    読みたい、と思ったからだろうか。それとも、食べたい? 飲みたい?
    結局眠れない理由はよくわからない。バッドエンドというほどでもないけど意味不明な終わりかた。

    これは全部夢オチと見るか、所詮人生こんなものという例え(箱の中でなすすべもなく揺さぶられているような)と見るか。

    全体に英文の翻訳みたいな文章だと思ったが、作者あとがきによると、翻訳の仕事もしてたからか。「ニューヨーカー」誌に翻訳掲載されたそうだし。
    国籍不明だけど舞台が日本というのはわかる。
    不思議な絵が国籍不明を増しているのかも。この絵が変わればまた違った印象で読めるかもしれない。

  • 21年前「眠り」として出版したものに手を加えて「ねむり」として出版したもの。21年前に読んで、詳細はともかく内容をほぼ覚えていた。最後にどうなるのか、解釈としてはいろいろあると思うが、この世界観が大好き。やはり村上春樹だ。

  • すごく引き込まれました。
    最初から最後まで夢だったのではと思ったり…。最後の終わり方に驚きました。
    私には全てが謎に包まれていてスッキリできないです。。。

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ねむりの作品紹介

覚醒する新世界。目覚めつづける女の不定形な日常を描いた短編『眠り』が、21年ぶりの"ヴァージョンアップ"を経ていま再生する-ドイツ語版イラストレーション、日本版のためのあとがきを収録した、村上世界の新しい「かたち」。

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