小澤征爾さんと、音楽について話をする

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  • 新潮社 (2011年11月30日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (375ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103534280

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小澤征爾さんと、音楽について話をするの感想・レビュー・書評

  • ベートーベン「ピアノ協奏曲第3番」の聴き比べから大興奮。
    「ど素人」の音楽ファンの私でも お二人の会話にいちいち感心したり感動したり・・・
    もう、何回でも読み返しますよ CDも用意して。

  • 村上春樹さんがこんなに音楽マニア(オタク?)だったと、初めて知りました。

    なんかもう、笑えるくらいの知識の豊富さに加えて、とても耳がいいんだと思う。わたしなんかみたいにレコードを集めてなんとなく「聞く」んじゃなくて、「聴く」ということをしている人なんだなと。小澤征爾さんとこんなに話が噛み合うんだから、物書きの天才はやはりそこだけには留まらないんだなーと。

    対談はとても面白くて、二人が聴きながら話しているCDを聴きながら読むともっと面白い。残念ながら同じ指揮者やソリストじゃないんだけど。。

    マーラーも真剣に聴いたことがなかったけど、読みながら聴くと面白い。マラ2素敵。
    オペラも『フィガロの結婚』と『魔笛』くらいしか観に行ったことがなかったんだけど、今ものすごく興味を持ってしまっている。『ラ・ボエーム』が観たい。

    話している内容ってほとんどわからない(同じレコードがなし、知らない人物の名前が多いしで、とても調べながら読んではいられないから)んだけど、音楽熱がかなり上がる一冊でした。

  • 「アンダーグラウンド」と比べていいのか
    分かりませんが、村上さんは人の話を聞くのが
    すごく上手いなぁと感じました。
     音楽については、自分のペースで聴けたらいいです。

  • こんなに解らない分野のことを、こんなに面白く読めるって
    やっぱこの人の文章力なんだろぉか。
    それとも、心から好きなことを語り合う人同士の話って
    解る解らないを跳びこして、こんなにも面白いものなんだろぉか。
    ともあれ、凄い♪

    録音した会話の中から、丸々書き起こしてる訳じゃないだろうに、
    例えば
    「これ、砂糖ですか?」みたいな本題とは関係ない部分のチョイスが
    効いてるんだよね~。
    その辺は、やっぱり著者のセンスだわね♪

  • 驚きました。春樹さんといえば、ジャズとクラシックがとてもお好き、ということはもちろん知っていたのですが、世界の小澤からこんなにも深い話を聞き出せるほどの“好き”であったとは。





    私はクラシック音楽には全然詳しくないのですが、小説家村上春樹のファンなので、ただ、春樹さんの語りが読みたい、という興味でこの本を手にとりました。

    小澤征爾さんの娘さん・征良さんとたまたま知り合いだったというご縁から、春樹さんは時折、小澤さんとも親交を持たれるようになり、特に、小澤さんが大きな病気をされてからはその機会が多くなったとか。そして、(たぶん)音楽畑にいない自分だからこそ気楽に語ってくれるこの話を誰かがテープにとって文章として残すべきである、と思われた、というきっかけには頷けるものが。
    だって、春樹さんって、これまでにも感じていたたけれど、その人が語りたいことをピンポイントで引っ張り出す優しさをお持ちの方だなぁ、と思うから。
    小澤さんという人も、たぶんかなりフランクなお人柄で、音楽の話をするのもお好きではあったんでしょうが、こんなにも気持ちよく話せた自分(*^_^*)に驚かれているのでは、と思います。

    春樹さんは、この本の最初で、世の中には「素敵な音楽」と「それほど素敵じゃない音楽」がある、というデューク・エリントンの言葉を引用しています。
    これだけで、春樹さんは音楽がホントにお好きなんだなぁ、と感じとられ、とても嬉しくなりました。どのジャンルであれ、音楽ファンには、いいものはいいと認めつつ、それほどでもない、という演奏にはかなり辛辣になったり、極端なことを言えば、悪口が言いたいがために音楽の話をしているんじゃないの、と思えることもあるから。

    それにしても・・・
    上にも書きましたが、春樹さんのクラシック音楽に対する深い愛情と膨大な知識にはホントに驚きました。素人が“蘊蓄”を語ることなく、こんこんとただ綺麗な水が湧きでるようにひとつひとつの演奏や指揮者、演奏者についてさらっと口にし、小澤さんがそれに応え、かつ、忘れていたけど…と言われながら当時のあれこれ(これは小澤征爾の、そして、クラシック界の貴重な歴史なんでしょうね)を語る、というパターンが実に素晴らしいです。

    小澤さんがスイスで毎年行われている、若い弦楽者たちのためのセミナーにも春樹さんは同行されてます。寄せ集めの若い演奏家たちの演奏がたった10日間ほどでどんな具合に“良き音楽”になっていくか、の美しいレポートには感嘆するばかり。
    (私は、中・高・大・社会人、と吹奏楽バンドでピッコロを吹いていたので、1人の指揮者によって音楽が変わって行く様、特に、バンドの他メンバーの音が急に厚い層として耳に入ってくる&その中に身を置く自分の位置が喜びを持って感じられる、という経験は持っています。レベルは全然違うけれど、そんなことをふっと思い出したりもして、これも嬉しいことでした。)

    また、休み時間に受講者たちと話をしたことを小澤さんと後に語っていた際、「彼らはそんな風に思っていたんですか」と小澤さんが驚かれるのも面白かった。プロの音楽家ではない春樹さんだから、(そしてやはり春樹さんが人の本音を引き出すのがお上手だから)話してくれたんでしょうね、と言われているのも納得できたし。

    「音楽好きの友人はたくさん居るけれど、春樹さんはまあ云ってみれば、正気の範囲をはるかに超えている」、そして、「春樹さん、ありがとう。あなたのおかげですごい量の思いでがぶり返した。おまけになんだかわからないけど、すごく正直にコトバが出てきた」という小澤さんによる後書きが、春樹ファンとして、とても誇らしかったことをここに記しておきます。(*^_^*)

  • 考えてみれば、この二人の対談というのはアリだろう。村上も自分で書いているが、二人には確かに共通する部分があるからだ。何点かの共通点は、実際に村上の文章で読んでもらうことにして、一つ思い出したのは、どちらも日本で権威があるとされている人たちにこっぴどくいためつけられていながら、ちょうどそれとは反対に海外ではたいそうな評価と好意を得ている点だ。

    今の人は知りもしないだろうが、小澤は忘れていない。ちゃんとN響からボイコットを受けたことを口にしている。村上にしても日本文学の権威筋からはかなりバッシングを受けている。はっきりと書いているわけではないが、村上はそうした二人の共通する部分をかなり意識しつつ、このインタビューを持ちかけたにちがいない。

    小澤がここまで心を開いて音楽について語ることができたのは、村上に対する信頼があってのことである。たしかにかつてジャズ喫茶のマスターであった村上は自分で言うほど音楽の素人ではない。クラシックにしても、そのレコードコレクションがどれほどのものかは、小澤が驚くほどだ。

    ではあるにせよ、演奏家でなく単なる聴き手にすぎない作家相手にずいぶん突っ込んだ話をしているし、最後にはセミナーの会場に同席を許してさえいる。音楽と文学という異なる分野で仕事をしていても、互いを理解し合える相手を得たという悦びがインタビューから伝わってくる。音楽について話される内容は勿論のことだが、何よりそういう生き生きした前向きな感動があるのだ。

    音楽については、大好きなマーラーについて「巨人」第三楽章の曲をかけながらの対談が素晴らしかった。小澤の「とりーら・ヤ・った・たん、とやらなくちゃいけない」というようなくだけた語り口調がそのままマーラーの曲になって頭の中に響いてくる。音楽について書かれた本を何度も読んだが、こんな経験ははじめてだ。

    対談の中で村上が文章を書く方法を音楽から学んだと語っている部分に感銘を受けた。「文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まない」「でも多くの文芸批評家は、僕の見るところ、そういう部分にあまり目をやりません。文章の精緻さとか、言葉の新しさとか、物語の方向とか、テーマの質とか、手法の面白さなんかを主に取り上げます」。このあたり、かなり手厳しい日本の文芸批評に対する反論になっている。村上はきっと音楽を聴くように自分の作品を読んでくれる批評家を待っているんだ。そう思った。

    でも、日本にも村上の良さを分かる批評家はいる。例えば、清水徹が、こう語っている。「普通に書いているようでいて、突然予想外な発展をしていくし、それから文体に魅力というものがある」(『書物への愛』)。これなど、村上の「しっかりとリズムを作っておいて、そこにコードを載っけて、そこからインプロヴィゼーションを始めるんです。自由に即興をしていくわけです。音楽を作るのと同じ要領で文章を書いていきます」という発言の言い換えのように読める。

    村上は小澤の音楽についての話を書き残しておきたいという思いがあったのだろうが、期せずして作家としての自分の仕事について誰かに心おきなく話しておきたいという気持ちも無意識の裡にあったのではないだろうか。それが、小澤という願ってもない相手と向き合ううちに自ずから顕れ出たのが、このインタビューであったような気がする。まさに、運命の出会いというべきである。

  • 一気読みした。
    村上春樹がクラシックを勉強しすぎていてビックリした。小澤さんよりも音楽史的なことは把握出来ていて、小澤さんに「そうなんだ。」と言わせていた。

    小澤さんが本をあまり読まない様で、「文章にリズムなんてあるんだ。知らなかった。」みたいなことを言ってる。村上春樹がインタビュアーだったら何かしら作品の話するかな、と思ったけど一切出ず。。。

    バーンスタインの弟子時代・副指揮時代の小澤さんの勉強の取り組み方はすごい。早朝からスコアとにらめっこする。誰にとっても楽譜を読み込むことは基本中の基本なこと。誰も劇場にいなくなってからスコアをピアノで勉強する。安月給でも他のアルバイトをしていては勉強の時間が無くなるので一切しない。常に劇場へスタンバイしている。だから、急遽指揮者交代しないといけないときは小澤さんが信頼されて指揮を任された。ここまで仕事にかけていたから今の成功があるんだと思った。

  • 面白くてあっという間に読み通してしまった。デューク・エリントンからの引用—世の中には「素敵な音楽」と「それほど素敵じゃない音楽」の二種類の音楽しかない—、村上春樹が音楽から学んだというリズムを大切にする文章の書き方の話、小澤征爾から見たカラヤンとバーンスタインの違い、などの話が特に印象に残った。

  • 図書館で借りて読んだんだけど、あまりにも面白かったので、買ってしまいました。話に出てくる曲を収録した三枚組CDも。曲と向き合う村上春樹の集中力は彼の小説に対するそれと全く変わらない。プロの小澤征爾が驚嘆するのも頷ける。彼の音楽に対する造詣の深さと聴き込みの深さ、とにかくすごい!

  • 対談ということで非常に読みやすい。小沢征爾が語る他の演奏者、クライバーやバーンスタインについてなど興味深かった。村上春樹の聴き込みの深さ、音楽についての鋭い洞察、音を言葉にする技術に脱帽。クラシック音楽はよく聴くけど、これまでやや敬遠していた「世界のオザワ」の演奏を聴きたくなった一冊。

  • オーケストラを指揮し、音楽を産み出す「創り手」の小澤征爾さんと、
    昔から音楽を熱心に聴いて来た「受け手」の作家・村上春樹さん。
    音楽に対する立場は異なりますが、お二人とも「音楽が好き」という点は
    共通していました。そんなお二人の貴重な対談が活字化された一冊です。

    <大学2年 松田春菜>

  • クラシック音楽が美しくない、と思う人はいないのではないかと思いますが、、、この本を読んだらもっともっと聴きたくなると思います。凄い。単行本で購入して損なし。納得の「小林秀雄賞」受賞。

  • 図書館に購入依頼を出してあったRDG最終巻が到着したという知らせを受けて借り出しに行った際に、ふと目に留まって一緒に借り出してきた本を読了しました。  こういう本が出版されていることは知っていたけれど、何とな~く敬遠していた本だったんですけどね(苦笑)

    この本が出版されていることを知りながら、ずっと敬遠していた理由。  それはまさに KiKi の天邪鬼ぶりが発揮された理由なんだけど、何となくビッグネーム2人を並べて「どうだ?」と言われているような気がしちゃってその商魂たくましさみたいなものに反発を覚えちゃった・・・・ということにありました。  偉大な音楽家たちの生き様にはかなり興味のある KiKi だし、そうであるからこそ同じ新潮社が出している小澤さんの文庫本「ボクの音楽武者修行」なんかはこれまでに何度も何度も読み返しているんだけど、そこに村上春樹氏が絡んできた途端に「え~、なんかなぁ・・・・・」と思っちゃった(苦笑)

    もちろん氏の小説なんかを読んでいると、彼が結構な「クラシック音楽マニア」であることはそこかしこから察せられていたんだけど、それでもなんか嫌だったんですよね~。  ・・・と言うよりそうであればこそ尚みたいなところがあったんですよ。  それはね、この本の中の「インターリュード」の1番にある「レコード・マニアについて」というところで小澤氏が語っている言葉ともどこか通じるものがある感情だと思うんですよね。

    小澤氏、曰く

    あのね、こんなことを言うと差し障りがあるかもしれないけど、僕はもともとレコード・マニアみたいな人たちがあまり好きじゃなかったんです。  お金があって、立派な装置を持って、レコードをたくさん集めている人たち。  僕はその昔、お金なんてなかったんだけど、そういう人たちの所に行ったことがあります。  行くと、フルトヴェングラーだとか誰だとか、そういうレコードがずらっと揃っている。  でもね、そういう人たちってなにしろみんな忙しい人たちだから、家にいる暇なんてあまりなくて、ちょこっとしか音楽を聴いていないんです。  (本文より転載)

    まあ、お金がなくて数少ないレコードをそれこそ擦り切れるまで聴いていた昔の KiKi ならいざ知らず、少なくともこんなブログ(と言ってもクラシック音楽関係カテゴリ限定だけど)を書くようになった今の KiKi 自身も世間的に言えば立派に「レコード・マニア(KiKi の場合は CD マニアか?)」と呼ばれるグループに入るんだろうし、人のことは言えない部分が多々あることは百も承知なんだけど、実は KiKi も長らく「レコード・マニア」みたいな人たちがあんまり好きではありませんでした。

    KiKi が長らく「レコード・マニア」みたいな人たちが好きじゃなかったのには2つの理由があって、その1つ目は KiKi にはとうてい手が出せないようなものすご~く高価な音響機器の良し悪しを論じていたりするところです。  もちろんいい機械で様々な音が聞き取れる環境そのものは素晴らしいし羨ましいと思うけれど、それって何だか「一見さんお断り」的な「安っぽい音で満足している人はお呼びじゃない」的な空気みたいなものがあるように感じちゃっていたんですよね~。  もちろんそういうごく限られた恵まれた人たちが KiKi のような人のことを本当にそう思っていたかどうかは定かじゃなくて、半分以上は KiKi の側のひねくれ根性によるものだったことはわかっているんですよ。  まあ、要するに劣等感とか嫉妬とかの入り混じった負の感情剥き出しだったんです(苦笑)。

    そして2つ目の理由はね、自分が楽器を演奏しない「レコード・マニア」の人たちの感想って言うのがどことなく「頭でっかち」というか「耳年増」的に感じられち... 続きを読む

  • 指揮者・小澤征爾と作家・村上春樹の対談本。
    音楽の聴き手のプロ?村上春樹が、演奏のプロ小澤征爾にクラシック音楽に纏わるいろいろなテーマについて、数回に分けてインタビューを行った。小澤征爾の経験や音楽に対する考え方を上手く聞き出していて、なかなか面白かった。良い作家は、インタビューも上手い。冒頭のテーマ、演奏者毎の聴き比べは、聴き手の楽しみではあるけれど、演奏者はあまりやらないらしい。小澤もこの対談でそういう楽しみ方がある事を知ったようだが、指揮者はそういう事には関心が無いらしい。昔は、レコード収集に嵌まり、聞き比べて薀蓄を言う人達が気に入らなかったとも言っている。村上春樹は、まさにそういうタイプで、その後の対談も作家らしい様々な言葉を駆使して薀蓄を語りたがる村上と、聴き手からの難解な質問に時々詰まってイライラする小澤の様子が浮かんで面白かった。野球で言えば、理論派の野村克也と感覚派の長島茂雄の対談のように感じた。演奏を仕事とする人は、自分の仕事をどう遂行するかに関心があり、聴き手というのは演奏家の仕事をどう解釈するかに関心がある。そこには、お互い理解できない壁があって、この対談でもその印象がある。でも、対談は上質で小沢とクラシックの巨匠たちとの面白いエピソード満載で(小澤の交友関係の広さを感じます)、音楽ファンにとっては、大変読み応えのある良い本だと思います。

  • ほんとうに久々に読了するのが惜しく感じた1冊。

    村上春樹と小澤征爾が約400ページに渡ってクラシック音楽について語り合う。専門用語は出てくるけど、村上春樹が具体と抽象を往復させ、素人の音楽ファンにもわかりやすく、音楽の魅力を伝えてくれる。そんな宝物のような本。音楽の懐の深さはもちろん、モノを作り、世に提供する意味とは何かまで考えさせられる。

    自然児的な立ち振る舞いと深い現実的な知、周囲をモチベートする明るさと深い孤独、柔軟性と頑固さ…本を通して浮かび上がる小澤征爾の人間像が印象的。一筋縄ではいかない演奏者をまとめていくために必要な素養なのか。

    あと、この本を読んでいると、音楽を聴きたくなって仕方がなかった。来年はサイトウ・キネンを、小澤征爾の音楽を生で聴いてみたい。

  • 小澤さんと村上さんの、それぞれの立場からの音楽についての話や、小澤さんの指揮者としての音楽との向き合い方、教育者としての音楽との向き合い方というような様々な話が詰め込まれた濃い1冊。私は、村上さんによる、小澤さん主宰の音楽アカデミーの見聞録が印象に残った。この本に登場する楽曲を聴きながら、もう一度読み直したいとも感じた。

  • 音楽マニアの代表で"素人"の村上春樹さんが、いち音楽家の小澤征爾さんと語り合う珠玉のひととき。「スイスの小さな町で」が好き。読みながら感じたのは、音楽の可能性と、自分を含めた人間の可能性を、この方々はとことんポジティブにとらえている。だからこそ"正気の範囲を超えた"仕事ができるし、それにもかかわらず決して素人を置いてけぼりにしないという離れ業ができるのだと。愛のある離れ業は、胸を打ちます。

  • 対談形式という特殊な形で、天才的な音楽家の言葉を、天才的な小説家の文章で、起こした秀逸な本。
    音楽のことはてんで分からないし、感覚的レベルも生きる世界も違うが、自分に通ずるもの、自分の指標になること、がたくさん盛り込まれた内容。
    どんなレベルだろうと悩むこと考えることやるべきことが一緒であるということが分かっただけで、シンプルに嬉しい。

  • 話されている内容については全然わからないながら
    二人が楽しそうに話していることが伝わってきて それが楽しい

    村上さんの質問がいいのでしょうね

  • この本は、クラシックが好きな方も興味がない方もぜひ読んでみてほしいと思いました。さまざまな名曲や音楽人たちのことを知れてまた、いっぱい聴きたくなりましたし、その名曲を弾きたくにもなりました。

  • これもなかなか読めなかった本。なにしろ小林秀雄のモオツアルトの楽譜が読めなくて、奥さんに演奏してもらったくらいだから、音楽のマニアックな話はぼくに語りかける言葉にならないと思っていた。確かに細かい知識面はわからないことばかりだったが、村上春樹がどんなに丁寧に音楽を聞き込んでいるか、指揮者がどう考えているかを学んだのは大きい。小沢征爾の教育観も、、、

  • クラシックファンでないワタシにはまるでSFのような世界の話。
    SFのように未知の世界の広がりに目を見張る。時折入ってくるクラシック音楽にこれだけの深さと豊かな喜びがあろうとは。

    小澤征爾は村上春樹のことを『春樹さんはまあ云ってみれば、正気の範囲をはるかに超えている』と述べている。

    正気の低いレベルにいるワタシにはワタシの耳の届かないところでの深い議論は、特に興味はないはずなのに知らない世界を覗き込む楽しみに満ちている。
    その例には枚挙にいとまないのだが、例えばCDとして出す時に、ちょっとした音をやりなおす。2番フルートが息継ぎをしたとか、ホルンのパートをやりかえて、逞しい音から柔らかい音にかえた。そうしたレベルまで気を使うとか、マーラーの音楽はそれまでの音楽と全く違うとかドイツとフランスでは音が違うなどなど。とにかく面白く読みました。

    小澤征爾が「春樹さんのおかげで、カラヤン先生のこと、レニーのこと、カーネギー・ホールでのこと、マンハッタン・センターでのことなど思い出が蘇った』とあり、こうして文章化されたことに意味があるのではないだろうか。

    『新しい書き手が出てきて、この人は残るか、あるいは遠からず消えていくかというのは、その人の書く文章にリズム感があるかどうかで、だいたい見分けられます。でも多くの文芸評論家は、僕の見るところ、そういう部分にあまり目をやりません。文章の精緻さとか、言葉の新しさとか、物語の方向とか、テーマの質とか、手法の面白さなんかを主に取り上げます。でもリズムのない文章を書く人には、文章家としての資質はあまりないと思う。』

    『いち、にい、さん・・・ほら、ここのところ音が鳴ってない。音が途切れている。これはね、ブラームスにとっては悪いことをしてるわけです。本当はここで空白をあけちゃいけないんだ。ところがなにしろ頑固な男で自分はこうするんだ、ということで通しちゃった。』

    『「ほら、ここにコンマが書いてあるでしょう。」「はあ、これはいったい何ですか?」「ここで息を継ぎなさいというしるしです。だからね、ぜんぶ書いてあるんです。もちろこんコントラバスだから、管楽器と違って息なんか継がないんだけど、でもここで息継ぎをするみたいに音をいったん切れと、音を切れ目なしでつながないでくれと、マーラーはそこまで細かく念入りに指示を出す人なんです。」』

    『沈黙というのは音がない状態というんじゃないんだ。そこにはちゃんと沈黙という音があるんだと』

  • 小澤征爾の音楽に対する情熱が素直に伝わって来る。

  •  村上「うん、たしかに尋常じゃないですね」
     小澤「狂うことが大事というか、倫理性がないというか。道徳とかそういうことを凌駕している部分があります」』
     -『グスタフ・マーラーの音楽をめぐって』

    この本の良さは、読んでいて頬が火照るような感じがしてくる程に二人の会話にのめり込めるところというか、話されている内容がどうであれそれがとてつもなく濃いということが解って頭の中が飽和して逆上せたようになってしまうところ、なんだと思う。頬が火照るとか、頭が逆上せるとかいうのは、内容を左脳的には理解し得ないまでも身体がその価値を物凄く認めている証拠で、その場では解ったような気になることができる、ということの表れでもあると思う。それに勝る幸福感というのは、ちょっと無いようにも思えるのである。

    言葉にリズムが伴っていないと言いたいことの半分も伝わらない、ということがあるように、音楽にも何か決定的な説得力を支配する要素があるように思う。文章にリズム感のない若い小説家は残っていかない傾向がある、と村上春樹が指摘するように、音楽でもそれは天賦の才の有無として演奏者をふるいにかけるのだ。例えば言葉は結局のところディクションなのだと個人的には思う。そしてそれは歌になった時にも普遍であり、ある程度音楽一般にも残る真実だと思う。言葉がなくても、言葉に載せられたものと同じように旋律にはディクションが必要なのだ。そしてそれは優れた俳優が別の地方の言葉で役を演じることができるようになるのと同じ意味で、訓練によって習得することもできる。

    文章について、訓練を積み重ねてリズム感を獲得することができるかどうかについて、自分は判断を保留するしかないけれども、歌についてはディクションを訓練で習熟することは可能であるのは、アマチュアとしての拙い経験からではあるけれども、正しいと解っている。しかし、文章でも音楽でも、圧倒するということに必要なものは、やっぱり天賦の才なんだということも、また、悲しいほどに解っている。

    この対談の中で、村上春樹は彼自身の立ち位置を音楽に対しての素人であると定め続ける。しかし、村上春樹の話を聞く限り、彼は明らかに耳がよく、音楽を長く丹念に聞き続けてきたことによって裏打ちされる感覚を持ち、かなり深く興味を持って調べた知識があることは明らかだ。そして彼の文章を読む限り、村上春樹はリズム感がとてもよい、と思う。単なる素人でもマニアでもないことは明らかだ。だからこそ、あのセカイのオザワからこんなにも沢山の頭がぼうっとなるような話を聞き出すことができたのだと思う。

    でもね、本当にすごいなと思うのは、この二人の天才の話はいつ聞いても勇気がもらえたような気になれるというところなのだと思う。もちろん、この二人は全く違った言葉でそれを成し遂げるのだけれど、そして本当に常人には及びようもないくらいの天才なのだと思うのだけれど、ひょっとしたら、二人のいうことを聞いて真面目に練習を積み重ねていったら、そんな風になれるのかな、と思わせてくれるところなんじゃないかな、とも思うのだ。頭のいい人と難しい話をしていると、その場では自分もすっかり理解できたような気になることがあるじゃないですか。この二人の傍にいて話を聞いていたらきっとそんな気になるんじゃないだろうか、と思うのだ。

    そんな二人が、真面目にこつこつとやることの重要性をあんなにも強調している二人が、結局は「狂気の芸術性」について語る。それはとてもすごいことなんだろうと思う。難解なものを解きほぐしていった先で敢えて筋道を逸らせること。そのことによるカタルシス的な満足感。結局はそこにどうしても人間は惹かれてしまうもののようだ。でも、だからといって最初から道を踏み外したのではどうにもならない。道はもくもくと... 続きを読む

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小澤征爾さんと、音楽について話をするの作品紹介

小説家はマエストロを聴き尽くす。東京で、世界の様々な場所で、時間を忘れ自由に語り合った一年に及ぶ日々。不世出の指揮者、その煌めく魂に触れる迫真のロング・インタビュー。

小澤征爾さんと、音楽について話をするの文庫

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