騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

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著者 : 村上春樹
  • 新潮社 (2017年2月24日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103534327

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編の感想・レビュー・書評

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  • ん~~まだ謎だ。どういう風になっていくんだ。

    とても読みやすい文章なんだけど、普通じゃない状況にいつの間にか陥ってる。
    淡々と毎日を過ごしているようで、普通じゃ起きないような事が多々ある。それが村上さんの小説だ。

    人妻との関係も必ずだね。

  • 前半の方が面白かった。好奇心にはリスクが伴うというのが胸に刺さった。
    音楽、食べ物、仕事、洋服、性的なこと、南京事件、セリフの言い回し、などなどが、いかにも村上春樹だった。
    読んでいると夢中になる。でも、何が後に残ったのかがわからない。それが村上春樹…なのかな。

  • 1Q84の穏やか版。
    免色さんが出てくるたびに、
    スプートニクの恋人を思い出す。

    美術館に行くのが楽しくなった。
    ミュシャ展に行った時、ものすごくこの話がちらついた。

  • 『青年時代の私は、フォルムの形式美やバランスみたいなものに強く惹きつけられていた。それはそれでもちろん悪くない。しかし私の場合、その先にあるべき魂の深みにまでは手が届いていなかった』―『4 遠くから見ればおおかたのものごとは美しく見える』

    遠くからきれいなものだけを眺めていたいのなら小説など読まないほうがいいのかもしれない。近寄ってみれば大概のものは凸凹でグロテスクあったり色々なものが一緒くたになって汚らしかったり。人も仮面の下でベロを出してこちらを見ているか、顔だけはこちらに向けながら全く別のことを考えているか。小説はそういうものを全て白日の下に晒してしまう。

    村上春樹に関して言えば、やたらと投げ込まれる性的な描写と、もはやお馴染みになったアンダーグラウンドのドロドロ。それをどう受け止めるかということになるのだろう。それは誰の心にもあるんだよ、という語りかけが、この随分と非現実的な例え話を通して続く。そんなものかな、とも思うし、そんなことはない、とも思う。積極的に見たくはないのに目を逸らすことも出来ない。思考停止ではなく思考過多による機能不全。思考することを可能にした脳の発達によって人間は飛躍的に進化したというけれど、その思考によって人間は不自由でもある。そんなことをぽつりぽつり考える。

    「1Q84」がそうであったように、この物語も閉じているようで何も閉じていない。村上春樹の書く物語に大団円など期待している訳ではないけれど、このあちらこちらに開きっ放しになつている物語を一つ一つ閉じなければ現実の世界には戻れないよと、ミヒャエル・エンデの物語のように問われたら、村上春樹は暗いアンダーグラウンドから戻ってくることは出来ないだろう。もちろん村上春樹の主人公はいつも現実の世界に戻って来る。戻ってきた所が、元の現実の世界かどうかの保証は無いけれど。そして底無しの暗くドロドロとした穴の中に何があるのかも解ったようで判らない。ただ、いつもカエルくんのような存在がいて穴の底に落ち込んでしまわないよう助けてくれる。そんな風にまとめてしまうと村上春樹はいつも同じ話を書いているのだとも言える。

    土地の名前、車の種類、ウィスキーのメーカー、そして、音楽に関わる固有名詞たち。そういうものはどれもこれも実際の名前であるのに、そこから何かが連想されて物語に影響を与える訳でもないところも村上春樹的だな思うところ。それは舞台の小道具のようにさり気なく置かれたという文脈の中に在りながら、かなりわざとらしく存在が主張される。そのイコンの意味するものは何か。これもいつものことだが、その意味を上手く掴み取ることが出来ない。それは、あたかも現実の世界を見分ける符丁であるかのように書き込まれるのだが、シンボリックなものであればある程嘘臭く実在が不確実に見える。例えばハメットの小説に登場する小道具も決まりきっているけれど、存在が否定されるかのように扱われる。そのシンボリックな意味合いは、例えば路地裏に転がるウイスキーの空瓶のように、大概の場合明らかだ。それに比べて村上春樹の小道具は存在を強烈に主張するが故に名詞に張り付いた意味が文脈から逸脱する。例えば白いスバル・フォレスターが持つ意味のように。この固有名詞の意味するものの表層的な印象とその仮面の下にある暗澹たる本質のコントラストと言うものが何よりも村上春樹的であるように思う。

    それにしても、本書も「1Q84」と同じように、次の巻に続くのだろうな。何しろカオナシとペンギンのチャームの物語はまだ開始されてもいないのだから。

  • 感触は『羊をめぐる冒険』。変なしゃべり方のキャラもかわいくてマイペースな美少女もスマートで得体の知れない男も、春樹キャラそろい踏みで、原点回帰なのかも。

    それはそれとして。主人公が極度のボンクラ設定なのか村上春樹が渡辺淳一化したのか、妻と別居したらさっさとセフレを作るわ、去った妻の思い出を言語化すれば肉体的なことばかりだわ、おっさんの欲望に正直なのかもしれないがじつに幻滅である。80年代からさんざんおしゃれにやってきたのに、けっきょくそれかよ、今までのもポーズだったのかよ、というね。

    そして。とにかく口を開けて待っていれば事態が動くのは大変おめでたいことで、仕事をうっちゃっても関係者はやさしく放っておいてくれるし、人妻や美少女が<私>だけに心を開いてつまんない冗談にクスクス笑ってくれるし、誰かがやる気を引き出してくれるし、実に都合がいい。

    さらに。言い回しが一本調子であること(主人公の麻痺の表現なのかもしれないが)、会話に人間の息遣いが感じられないことがかなり気になる。もう細かいところに配慮する体力がないのか春樹。

    と、不満は多いけれど300ページを過ぎたあたりからストーリーに動きが出てきたので、第二部は集中して読めそう。気になることを気にしなければ楽しく読める。どういう読書をしているのかと思ってはいる。

  • 村上春樹の最新作。明らかに自分にとっては最高傑作ではない。最高ではないのだけれども、それでも続きが読みたいと思わせる不思議な力がこの小説にもある。そして読んでよかったなとなぜかいつものように思う。他にも使うことができる有限の時間を使ってあえて小説を読むということ、村上春樹への読者としての信頼感である。

    『騎士団長殺し』の主人公は画家である。画家を主人公とすることで、当然の帰結として絵画を言語的に描象する箇所が多く出てくる。いくつかの場面において、現実世界では二次元で示される絵画を、言語的メタファーの対照として表現できるという小説的技法を活用しているように思う。『騎士団長殺し』や『白いスバル・フォレスターの男』といった絵画について、実際の表象に関しては読者にゆだねられているのだ。それはより純粋な形で読者の中に読者自身が櫃ような形でそれら重要なパーツを浮かび上がらせる効果がある。これこそが映画では表現できない小説的表現であり、村上春樹の真骨頂でもあると感じる。そう感じたまま、読み進めることで、より深く小説の中に入り込むことができるように思う。

    --
    免色さんという名前の人物が準主役として出てくる。この人の名前もメタフォリカルである。『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』で、「色」について何らかのメタファーの役割を担わせることを試しているが、絵画を主題したこの小説において「免色」という名前にどこか否定的な言外の意図が感じられる。そして次の表現に至ってはそのことが隠されていない。

    「色のない免色さんの無意識の教示に従って、匂いも味も持たない水の流れに沿って下っていく - それは何かを暗示しているかもしれない。何も暗示していないかもしれない」(第2部 P.350)

    実のところ『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は次の大長編への習作なのかと思っていた。どうもそれは違うようなのだが、ただ、「色」のメタファーについて村上春樹の考えについて思いを至らせることはひとつ重要なことのように思われる。

    また、免色さんが自分の名前「渉」を説明するのに「川を渉るのわたるです」(第2部 P.349)と言う。よく考えれば奇妙である。「かわをわたる」と聞いたときには通常は「渡」の方を思い出すのではないだろうか。確かに川をわたる場合には「渉」の方が正しいのかもしれないのだが。ここに文字芸術である小説における手法を見ることができるかもしれない。また、「川を渉る」の例が後々の主人公が川を渉ることになるものを暗示させているのかもしれない。それは決して「渡る」のではなく「渉る」のである。

    --
    「おまえが行動すれば、関連性がそれに合わせて生まれていく」(第2部 P.362)

    『白いスバル・フォレスターの男』は何のメタファーなのだろうか。それは自分自身であるということもできる。
    主人公の東北での性行も同じなのかもしれない。隠すことのできない「嫉妬」を示しているのかもしれない。
    『白いスバル・フォレスターの男』の絵が小説の最後に火事で失われたことと、一度は別れた妻とその娘「室(むろ)」を受け入れたことと関係しているのかもしれない。首を絞めた性行相手の女性はどういう関連性を持っているのだろう。

    「おまえがどこで何をしていたかおれにはちゃんとわかっているぞ」

    具体的な記憶を呼び起こすように言われるものの、暗闇の中何か(フォレスターの男のメタファー)に追いかけられると想起することによって記憶を呼び起こすことができなくなった。息苦しくさせた。そこに死を見ることを強制させるように感じたからだ。

    --
    「鎮魂」- 主人公は秋川まりえに対して『騎士団長殺し』の絵を「鎮魂」であると説明した。(第2巻 P.446)
    物語の最後に2011年の東日本大震災が置かれていることについて、その意味を考えざるを得ない。この小説自体が東北の震災への鎮魂なのだろうか。そうすると東北地方で会った『白いスバル・フォレスターの男』にも違う意味を帯びることになるのかもしれない。
    震災による犠牲とそれに続いた原発の話を小説の流れの中に置いたとき、危うさとともに、これが村上春樹が描きたかったテーマなのだろうかと思った。それは「世代」ということなのかもしれない。
    血のつながりがあるのかないのか微妙な娘に対する免色と主人公の態度の差には明確な意図がある。血のつながりを曖昧なものとしたユズの娘は何のメタファーとするべきなのか。その娘の名を「室(むろ)」とした意図は?

    石室(せきしつ)とは、古墳の墳丘の中に造られた石造りの埋葬施設である。(Wikipedia)
    室(むろ): 保存・断熱・育成などの目的で作られた部屋。氷室(ひむろ)、麹室(こうじむろ)など。(Wikipedia)

    作品が個人的なものであるとするのならば、村上春樹には実子がいないことについて影響を考えざるをえない。そうすべきではないことも明らかなのだけれども。子孫に関して血のつながり ー DNA的なものは関係ないとするのか否か。いずれにせよ、あなたの直接のDNAではないにせよ人類ということではDNAのプールを共有しているのであり、本来的には直系の子孫であるかどうかは関係はないという観念も存在する。

    「彼女は涙を流すことを必要としていたのだ」(第2巻 P.450) ー 彼女(秋川まりえ)が流すことを必要としていた涙は何を意味するのか。

    そしてこの本が何のための本であったのか。
    何を伝えようとしたのか。

    それに関しては、今までよりももう少し大きな「世代」ということについての本ではないのかと考えている。
    『1Q84』は「悪」について、『多崎つくる』は「嫉妬」について書かれていたとすると、『騎士団長殺し』は「世代」に関する小説であると。

    それでも、気を付けていなければならない。

    「「二重メタファー」というのは何のメタファーなんでしょうね。「それはあなたの中にいるものだから」とドンナ・アンナが言った。「あなたの中にありながら、あなたにとっての正しい思いをつかまえて、次々に貪り食べてしまうもの、そのようにして肥え太っていくもの。それが二重メタファー。それはあなたの内側にある深い暗闇に、昔からずっと住まっているものなの」」(第2巻 P.375)

    らしいので。


    --
    村上春樹本人が、免色さんがそのために購入した家から谷を隔てた家の明かりを眺める設定を 『グレート・ギャツビー』へのトリビュートだと言っている(『みみずくは黄昏に飛びたつ - 川上未映子訊く/村上春樹語る』)。これは読んだ瞬間から感じたことなので、うれしい。この辺りがもしかしたら作者と読者の間での信頼なのかもしれない。

  • 今回も、一度読み始めると途中で止められない一冊。
    淡々としていて、退屈かな?と思うとつぎの新しい展開がはじまって、しかもその先が想像できません。

    途中まで読んで眠り、次の朝また続きを読んで・・・と数日間、本の中に自分も入り込んだような感覚が得られるでしょう。

    ノーベル賞とかそういうことはともかく、ずっと、こういうたのしみを読者に与え続けられていること、すごいというしかありません。

    そして、、、。第二部に続いていきます。

  • やっぱり井戸(みたいな穴)が出てきた。謎が謎をよぶ第一部は「顕れるイデア」。いままで読んだ村上作品の中ではいちばんおもしろい。今回の主人公は女房に逃げられた絵描きさん。途中からファンタジーか!と思いきやこれが彼のイデアだった。後半はCD「ドンジョバンニ」を借りてきて聞きながら読みました。早起きしても読みたくなる小説は久々です。これも「時間を味方につけた」ことになるのではないかな?

  • 免色って、ジェイ・ギャツビーみたいな奴なんだね。

  • コレって、何月に発売された本だろう?

    発売されてしばらく経った頃、「あ、そう言えば」と思って図書館で予約してみた。
    図書館の人から「待ってる人数がすごいけど大丈夫ですか?」って聞かれて、ええ、ってアイマイに答えた。別に今すぐ読みたい本でもないし。そのうち来れば良いや、ってカンジで。

    たぶん300人~700人くらい待ち、だったと思う。
    2017年7月になって、上下巻が揃って届いた。
    本を借りて、数日間は、別の本を読んでたんだけど、返却期限の日までには読み終えなきゃ、って思って、読み始めた。
    最初は、つまんなくて、ちょっとずつしか読めなかったけど、第1部の後半くらいから、読むスピードが上がってきて、3時間くらいかけて最後までイッキに駆け抜けた。
    以下に感想を書く。

    まず、表紙のデザインがつまらない。
    もっと、オシャレにできないの?もうちょっと工夫できない?
    表紙のデザインって大事だと思うんだけど。

    題名もしっくりこない。
    こんなつまんない題名をつけなきゃいけない必然性があったの?
    もっと、みんなが欲しくなる題名は他にあるんじゃない?

    ページを開くと、いきなり、いつものくだらないファンタジーが始まった。

    「短い午睡から目覚めた時、顔のない男が私の前にいた。」

    やれやれ、またかよ。
    ため息が出た。

    主人公は、肖像画を描いて収入を得ている画家。
    妻の柚(ユズ)と突然、別居することになる。主人公には、理由は分からない。柚が見た夢のせいで、離婚したいという展開になる。
    『夢は妻にとっていつも大きな意味を持っていた。』
    柚は別の男と付き合ってるという。

    主人公が妻を選んだのは、彼女の目が、主人公の亡くなった妹に似ていたから。
    友人の紹介で、友人の父親の日本画家の家を借りて住むことになる。
    絵画教室で教えていたときに、声をかけて、2人の人妻とつきあうようになる。

    前半の方で、病気で亡くなった妹の話が出てくる。
    村上春樹の小説ではいつも誰かがアッサリ死んでしまう。これには違和感を感じる。
    狭い棺に入れられた妹を見ていた主人公は閉所恐怖症になる。バイト中にトラックの荷台に閉じ込められたこともあって、エレベーターに乗ることすらできなくなる。
    狭い場所に入ることを想像しただけでも恐い。
    それなのに、後半で、免色に頼まれて彼をほら穴に1時間も閉じ込めるのは平気、という設定は不自然だ。

    登場人物の行為に関して、フロイト的な解釈が持ち出される。
    いまさらフロイトかよ。
    いや、フロイトをユングに取り替えたところで同じこと。河合隼雄なんて過去の人じゃないか。古すぎるよ。ブルース・スプリングスティーンの『ザ・リバー』をターンテーブルに乗せて、うれしそうに聞いているのと同じくらい古い。
    まあ、『ザ・リバー』は、オレも好きだけど。さすがにレコードでは聞かないなあ。もし、聞くとしてもmp3で再生するくらい。

    村上春樹の感性は、完全に時代に追い抜かれてしまっている。
    これって、だいたい1980年代~せいぜい1999年くらいまでの感覚で書かれた小説であって、現代の、コンテンポラリーな小説とは言えない。

    彼の小説を読むとき、オレには、いつも、この言葉は、英語や外国の言葉に翻訳されたとき、どうなるんだろう?って想像してしまう癖がある。
    たとえば『1Q84』なんてくだらないダジャレは、いったいどうやって外国語に翻訳できるんだろう?とか。
    そもそもジョージ・オーウェルの小説は『いちきゅーはちよん』と読むのではなくて『せんきゅうひゃくはちじゅうよねん』だからね。

    そんな、これって訳せるの?って疑問に思うワードが、今回はとても多かった。
    ・おまもり
    ・将棋の駒
    ・日本画
    ・祠(ホコラ)
    ・おみくじ
    ・即身成仏
    ・飛鳥時代
    などなど。

    過去の作品では、現代の、世界中どこにいても、あまり変わらない生活、マックやスタバがあったり、ビールやワインを飲んだり、サンドウィッチやパスタを食べたり、みんなジーンズをはいていたり、車に乗ったり、スマホで話したり、インターネットしたり、そういう民族性や地域性が薄れて均一化された現代世界を描いてきたのに、今回の小説では、やたらと日本のローカルな事柄が出てくる。
    これは、これまでとは、ちょっと違う傾向かなあ。

    逆に、男性と女性が、なんの抵抗もなく、あっさりセックスする展開は、いつもと同じすぎて、ウンザリした。
    何かがウソっぽい。

    セックスについての記述はメンドくさかった。
    これは、いったい何のために書いてるのだろう?
    興奮してビンビンになっちゃうくらいリアルに描かれてるわけでもないし、抽象的、隠喩的に描かれてるわけでもない。
    こういう描写を読んで、読者は、興奮したり、喜んだり、するの?
    少なくとも、オレのペニスはピクリとも動かなかった。
    意味が分からない。

    それから、主人公がセックスする相手の年齢が上がってきてない?
    絵画教室の人妻とか、秋川笙子と免色との恋とか、40代で、年齢層がギリギリまで高くなってきてる気がする。
    村上春樹が年とってきたから?

    子供のことは、これまでの長編小説にはない新しい要素だ。
    秋川まりえは、子供をうまく描けているとは到底思えないキャラクターだった。直感が鋭いところは分かるんだけど。
    でも、実際、女の子は、あんなカンジじゃないよ。
    もっと、闇や虫や爬虫類や、いろんなものを恐がるはずだし。夜中に、山道の草むらの間をすり抜けて人ん家に行くなんて、そんな女の子いる?
    オレでも恐くて、そんなことできないよ。夜中の山道なんて、蛇がいるかもしれないし、どんな虫がいるか分かんないし、どんな生物がいるか分かんないし。恐ろしすぎる。

    これ読んでて、村上春樹には、法律上の妻とは別のところで、子供がいるのかもしれない、って、ふと、思った。
    主人公が、出会った相手といとも簡単にセックスできる小説ばかり書いてるんだから、村上春樹も、あちこちで、セックスしてるんだろう。
    だから、アチコチに、子供がいたとしても、おかしくないよね?
    この小説は、そのことを描こうとしているのか?

    安物の娯楽小説としては、『1Q84』よりも、リズム感やスピード感や、めまぐるしく展開していく力がはるかに鈍っているし、退屈なものになっている。
    また、少し内省的な長編小説としては『ねじまき鳥クロニクル』よりも「くだらないファンタジー」部分が肥大化しすぎているし、表現も幼稚になってきている。

    全体的に言って、極めてデキの悪い小説だ。

    それでも★★にしたのは、『ねじまき鳥クロニクル』にも出てきた、物語の大筋に、オマケのような形で挿入される、第二次世界大戦の短い記述が、過去の作品よりも迫力を増してきたから。
    この部分だけは、先鋭化されてる。ここだけは、もはや「くだらないファンタジー」ではない。

    雨田継彦が、上官に命令されて、軍刀で中国人捕虜の首を切り落とすシーンは、リアリティがあって恐かった。帝国陸軍においては、上官の命令は即ち天皇陛下の命令であり、絶対に逆らえない。
    ショパンとドビュッシーを美しく弾くために生きてきた音大の学生だった継彦は、捕虜の首を切り落としたことで精神を病み、帰国後、自殺してしまう。
    継彦の兄である雨田具彦がウィーンでの反ナチの地下抵抗組織に加わったのは、弟の自殺が、ひとつの動機だったかもしれない。

    言論の自由が失われてゆく現在の日本で、このように、作家が書きたいことを書ける、というのは大事なことだ。

    ただ、そこに国際的な文学賞をゲットしたい、とか、そういう卑しい根性がないのなら、日本人の殺戮行為だけでなく、ヨーロッパの帝国主義、植民地主義が、アジアで、アフリカで、犯してきた無数の殺戮行為も、それがどれだけ残虐なものであったか、狡猾ないやらしいものであったか、同時に描いて欲しい。

    ノーベル委員会の審査員の、特権的な白人たちが、もう立ち直れないくらい本当のことを書くべき時だ。時代は変わったのだから。中国人やインド人や、新しいパワーが世界経済と国際政治の力の均衡を現実に塗り替えている。
    白人中心の世界はもう終わったんだ。
    今こそ、アジアで、アフリカで、連中が犯してきた人類に対する罪を、徹底的に描くべき時だ。
    戦争とか殺戮のリアリティは、まさに、血で血を洗うところにこそ、あるのだから。

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騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編の作品紹介

その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側はだいたい晴れていた……それは孤独で静謐な日々であるはずだった。騎士団長が顕(あらわ)れるまでは。

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