- Amazon.co.jp ・本 (544ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103534334
作品紹介・あらすじ
その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの、山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側はだいたい晴れていた……それは孤独で静謐な日々であるはずだった。騎士団長が顕(あらわ)れるまでは。
感想・レビュー・書評
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なんかすごかった。普段読むような雰囲気とは真逆でファンタジーの要素もある。中盤ぐらいがとても面白かった。いつか機会があったらまた読みたい。
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再生と連環の物語だろうか。
タイトルからすぐに想起するのは「父親殺し」。たしかにユズの子の父は謎、免色がまりえの父であるのかも謎、具彦は政彦の父として希薄。
「騎士団長」というイデアを抹消して生き直す男が、「騎士団長」がいたことを「信じたほうがいい」というのがすごくよかった。そしてここに深い意味がある。
読後、しばらく物語を反芻してしまう。
父親としての役割を果たせなかった男たちが、その悔恨のために止まってしまった時間を、再び動かし始める物語といっていいのか。
突き詰めて考えても無粋だろう。
優れた隠喩と暗喩に酔わされるだけで満足。 -
再読。
最後に主人公が「形のないもの、目に見えないものが自分を助けてくれる」という希望を学びとるのが良かった。
村上春樹作品は、世の中は不条理で私たちはそれに抗う術を持たない、と訴えているものが多いように思うけど今作は明らかに希望を語っている。
根拠のない自信、根拠のない希望。
そこから東日本大震災に話が繋がるのが納得感があった。
見知らぬ誰かの幸せを祈るのは、見知らぬ誰かが自分の幸せを祈ってくれていると信じることに繋がる。
何も慰めにならない現実に対して抗うには、自分の中に希望を持つしかないんだよな。
その希望を持てなかったのが免色なのかなと思った。 -
気がつけば、芝居、音楽、絵画と何故か芸術にまつわる本が続いている。
題名からイメージした内容とはかけ離れていたが、正直に生きることが、決して間違いではないと改めて教えてくれた気がする。 -
あーあ、終わってしまった…
が、今の感想。
本とAudibleを併用しての読了。
「ノルウェイの森」の妻夫木聡さんの朗読に続き、高橋一生さんの朗読が最高でした。
いや、高橋一生さん、素晴らしすぎた。
彼以外にこの本は朗読して欲しくないくらい、もはや彼の物語だった。
聴き始めてから、本で実際に読んでいる時にも彼の声が頭の中で聴こえていて、スルスルと最後まで読んで、聴いていられた。本で読み、Audibleで聴き、時には読みながら聴き、しばらくこの世界に浸っていたので、終わってしまってただただ今は寂しさが残っている。
ファンタジーは得意じゃないけど、村上春樹さんのファンタジーはファンタジーではないというか、嘘じゃないというか、不思議なことが起こっているのには違いないのに妙にリアルで、んなバカな…とは思わず、すんなり入り込めるのが不思議。
目で耳で村上節にどっぷり浸かることができて、すごく幸せな時間だった。本当にこの感覚が好きだ。しばらく余韻に浸っていたい。 -
Audibleにて再読。高橋一生の朗読がすごく良かった。もちろん、本の内容自体も。時間がないのでこの章だけ、この章だけ…と思っていても、やめられない止まらない。白髪(スプートニクの恋人にも白髪の女性が)、13歳の女の子(ダンスダンスダンスのゆき)、ゆず(色彩を持たない…にも出てきた名前)、クラシックレコード、深い穴、珍しい苗字(今回は免色。その他青豆、弓月)、妻の心変わり…と、他の作品にも出てくるものは重なれど、それはこの作品にとって絶対に外せないものなのだろう。
私も今から深い穴の底に入って、仕事でもするか… -
どうなるのかわからないまま、引き込まれていく感じがよかった。世の中にはよくわからないことも説明できないこともある。
魔が差すことも、自分ではどうしようもないこともある。謎の全てはわからないけど、謎は謎のままにしておくことが良いときもある。いい結末で自分としては満足した。 -
井戸のようなもの、通過儀礼のようなもの、試練、犠牲、女性、血縁、不思議な名前、色々な知識を持ちすぎている人々、イデア・メタファーといった得体の知れないもの。これまでに主に新潮社から出版されている作品群に出てきたモチーフに似た沢山のものが次から次へと現れてきて、概ね想像した通りに物語内の役割を果たしていきました。もちろん予想しえないことも沢山起こりましたが、いつも通りの、とても村上春樹さんらしい作品であった、ということです。
村上春樹さんの作品を読むときはやや恣意的に眼鏡を外した裸眼で見るぼやけた世界をイメージするようにしています。そうでもしないと、意味不明なものに振り回され過ぎて話の筋らしきものがさっぱり分からない、ということは初期に読んだ作品から学びました。自分の常識のフィルターにかけることは彼の作品を前には何の意味もなさない、というか。あらゆる固定概念を取っ払ってしまってはじめて心地よいもの、というか。
たとえば、主要な登場人物は皆一応日本社会に溶け込んでいるようだけれど少なくとも私は出会ったことのないタイプの人ばかりです。主人公と免色さんのお話しは文字で追う分には辛うじて耐えうるけれど、万が一突然間近で始まったら付いていけなさすぎて私の中の何かがドカンと爆発しそうです。私の教養が足りなさすぎるのか、それとも彼らが強烈なのか、そういうことは何とも判断しがたいですが、私の考える常識の範疇ではないことが共有されすぎているのは確かです。
ほかにも、まりえちゃんの年齢設定には違和感をおぼえました。もっと幼いような雰囲気もあるし、不気味なほど大人にも感じられる、そういう微妙さという意味では適切な年頃なのかもしれないけれど、でもそういう問題ではありません。違和感は違和感です。
ただ、掘り下げるべきはそういうところではないのでしょう。読者の世界との関係性、近さみたいなものはある意味でどうでもよいことで、物語の構造の中で起きていることをそのまま汲み取れたらそれでよいのではないか、と。あるいは、「面白い」と感じられるならば読書している間その構造の中に思い切って飛び込んでトリップしてしまえばよいのではないか、と。村上春樹さんの作品の正しい読み方、作法のようなものがあるのか、あったとしても知らないので、そんな調子できちんと味わえているのかもやはり知りませんが、とかく個人的には満足の行く時間の使い方を出来たのでそれで良いと思っています。
主人公の身に起きたことが「本当」だとするなら、どういう現象だったのだと理解するのが妥当なのか、というどうでもよいことだけが消化不良で胃に残っています。でも、地底の冒険の描写自体はメタファーだとしても、「分かるような気がする」現象だからそれでいいのではないか、とも思っています。
あと、本作を楽しめた一因は、「真実」との向き合い方について度々議論されていたからかもしれません。「真実はいつも一つ!」だと信じていた頃から随分遠くまで来たもんだ、と思ったり。「真実はいつも一つ!」もまた真だとは思いますが。
これ以上は、まだ反芻しきれていない感じがするので、何か思い浮かんだたらまた。