- Amazon.co.jp ・本 (444ページ)
- / ISBN・EAN: 9784103601036
作品紹介・あらすじ
文士は追悼に命を賭ける。追悼ハ珠玉ノ感涙文芸デアル。
感想・レビュー・書評
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5年間にわたって文豪たちの追悼文ばかり読んできたという著者の、大変な労作。
明治・大正・昭和の文人49人を掲載している。
没年順に並べて、彼らへの追悼文を考察するという非常に珍しい趣向だ。
これが面白くて、丸ごと現代文の副教材にしてほしいくらい。
川端康成ってカッコいいなぁ、メロスのおじさんはあかんわ、俺絶対夢二になる、子規むっちゃ好き。。。なんて言い出す子がいるかも。
「追悼はナマの感情が出る。新聞に依頼されれば一晩で書くし、文芸誌なら頼まれてから二、三日で仕上げる。人が死ぬのは突然だから、書く側はまだ心がうち震えており、生前の記憶が強く残っている。それで、心情をナマのまま書く。追悼には本心が出る」
・・著者のあとがきの、なんという斬新な着眼点。
読んでみると確かにその通り、追悼文はほとんど見送る側の「自白」になっている。
これは恐ろしい。追悼文など書かないに越したことはない。
最初に行っておくと、追悼の達人は泉鏡花、正岡子規、川端康成。
泉鏡花は、師である尾崎紅葉の死にあたって門弟を代表して弔辞を述べている。
引用された7行の、その圧倒的迫力。
まっさらで純真で、さあ泣けと言わんばかりの名文だ。
弔辞の達人である鏡花の死にあたり、残された者たちはさぞ頭を悩ませただろう。
どれも文学作品と呼べるほど、情のこもった熱いものばかりだ。
子規の弔辞は相手によって調子を変える詩になっており教科書に載るどの句よりも上手い。
本人は毒舌の論争家だったらしいが、弔辞はどれもおだやかで優しい。
35歳で亡くなったときは130人ほどの俳人たちが追悼句をよせている。
「菊枯れて仏に弟子の涙かな」「秋雨や仏恋しく鳴く鴉」「したたかに柿食うて悲し忌日哉」
ちなみに漱石の亡くなった際は追悼句が500句以上もあったというから、どれほどの人気作家だったかがしのばれる。
冒頭の4行目に川端康成の名を載せたのは、林芙美子の葬儀にあたっての弔辞が実に気が利いていて上手いからだ。素行がよろしくなくて文壇の嫌われ者だった芙美子さんの、死してもなお評判の悪いことに哀れをおぼえた葬儀委員長の川端が、
「生前の一切の怨念は消えてなくなる。どうか赦してもらいたい」と、故人のための言い訳をしているのだ。粋なはからいではないか。
「葬儀の名人」と自嘲するほど多くの知己を見送り、ひとりずつ文体を変えた素晴らしい弔辞を書いてきた川端康成の最期は、皆さんご存知の通りだ。
残された作家さんたちの困惑と悲嘆まで、ここはしっかり記されている。
自死という点では同じでも、有島武郎は「同情はするが同感はしない」と切り捨てられ、太宰にいたっては誰一人同情を寄せる者がない。
芥川はと言うと、多くの遺書を遺すという確信犯的な自死だったため、追悼という宿題はさぞかし重かったことだろう。
ジャーナリズムの軽薄さは、この当時からの伝統(?)でもあるらしい。
まぁ、文人たちの筆によって叩かれることけなされること。
生前は無名に近かった啄木や賢治は、死後に全集が出て世に知られるようになった。
鴎外の小説でさえ、存命中は売れなかったらしい。
谷崎潤一郎にしても同じ。意外なことだらけだ。
もっと意外だったのは、著名な文化人が死ぬと国会本会議で追悼演説がなされていたこと。
福沢諭吉と坪内逍遥がこれにあたる。
亡くなった文豪たちは「死ねばみな良い人」ではないところが難しい。
遺された作品はいつまでも人々の批評の的であり、蓋をした出来事までも歳月を経てから明らかになったりもする。
普通の人々である私たちだが、もって瞑すべしの気持ちも少しは持っていたい。
ところでもう一度言うけど現代文の副教材にならないかしら。かなり面白いのよ。 -
文士は追悼に命を賭ける。追悼ハ珠玉ノ感涙文芸デアル。
goya626さん
別に川端康成を敬遠されてる訳じゃないですよね。
エロティシズムで躊躇したら、読むモノ減りません?
中勘助も読め...
goya626さん
別に川端康成を敬遠されてる訳じゃないですよね。
エロティシズムで躊躇したら、読むモノ減りません?
中勘助も読めなくなっちゃう、、、
にや!
にや!