ラブレーの子供たち

著者 :
  • 新潮社
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感想 : 22
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  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103671053

感想・レビュー・書評

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  • 芸術家や文学者が食べていた料理を再現し、実食することでその人物像に接近しようと試みた唯一無二の料理エッセイ。

    何度目かの再読。既読の四方田作品のなかで、そしてあらゆる食の本全体のなかでも特に好きな一冊。美しく再現された料理の写真がカラーで掲載されているのがいいのだ。
    私は文学者が書く食エッセイを読むのが好きで四方田さんなら『ひと皿の記憶』も大好きだ。いろんな本からお気に入りを抜きだして集めたアンソロジーを編む妄想もするが、この本から選ぶならどこにするかかなり迷う。イタリア未来派ディナーコースや明治天皇の大昼食のヴィジュアル的な面白さをとるか、マルグリット・デュラスの豚料理やジョージア・オキーフの菜園料理みたく純粋に美味しそうさで選ぶか。ラフカディオ・ハーンが『クレオール料理読本』なんて本をだしているという情報の意外性も捨てがたい。
    けれどたぶん斎藤茂吉のミルク鰻丼を選んでしまう気がする。ご飯に缶詰の蒲焼きをのせて温かい牛乳をかけた食べもの。自分で作る気はしないが本書のなかでも断トツに再現しやすく、しかもここまで〈斎藤茂吉〉を感じる料理はないと思う。作者の食体験と作品を容易に結びつけてしまっていいのかというテクスト論的な疑問はこの本全体にうっすらとかぶさっているのだが、茂吉の場合はテクストだけを見ても〈鰻の人〉だと言えるだろう。しかもそこに温かいミルクの匂いが漂ってくるなんてあの強烈なマザーコンプレックスまで表現されているみたいじゃないか。蒲焼きの缶詰をめぐる切実なようでどこかずっこけたエピソードもキャラがブレなすぎる。

  • この書そのものが通好みの贅沢な珍味。ブリキの太鼓の鰻料理、怖くて心躍る。M. デュラスの章は閲覧注意。

  • 年末年始にYouTubeで行き当たった米粒写経の書籍談義から。四方田犬彦が「芸術新潮」に2002年から翌年まで連載していた「あの人のボナペティ」という連載を中心にまとめられた世界の芸術家と食の関係を語るエッセイ(?)。実際に彼らの好物を再現し、食して語るというものすごく挑戦的な企画で、その再現料理のカラー写真がまるで料理本のように掲載されているのも「芸術新潮」ならでは、と思いました。著者のアイディアというより新潮社の伊藤泰子さんという編集者の企画らしく、よくぞ著者をキャスティングしたな、と感心しました。芸術家のチョイスと好物の裏にあるひとりひとりの芸術の根っこみたいなものの掴み方は、さすがの四方田犬彦。彼自身の人生も絡めていきます。いわく「食物とは記憶である」と。あまりに面白いので、各メニューを備忘としてメモします。ロラン・バルトの天ぷら、武満徹の松茸となめこのパスタ、ラフカディオ・ハーンのクレオール料理、イタリア未来派のお国尽くしディナー、立原昌秋の韓国風山菜、アンディ・ウォホールのキャンベルスープ、明治天皇の大昼食、ギュンター・グラスの鰻料理、谷崎潤一郎の柿の葉鮨、ジョージア・オキーフの菜園料理、澁澤龍彦の反対日の丸パン、チャールズ・ディケンズのクリスマス・プディング、『金瓶梅』の蟹料理、マリー=アントワネットのお菓子、魔女のスープ、小津安二郎のカレーすき焼き、マグリット・デュラスの豚料理、開高健のブータン・ノワールと豚足、アピキウス 古代ローマの饗宴、斎藤茂吉のミルク鰻丼、ポール・ボウルズのモロッコ料理、イザドラ・ダンカンのキャビア食べ放題、吉本隆明の月島ソース料理、四方田犬彦のTVふりかけ、そして甘党礼賛でプルーストとマドレーヌの話にもふれています。これみんな、実際に調理、実食と実写なのです。その情熱が、芸術的!

  • 芸術家や著名人が好んで食べた料理を再現して実食。その料理から、その人物の料理観と人生観を探り出す… という一冊。登場するのは、ロラン・バルト、小津安二郎、開高健 etc... 忘れ得ぬ至上の美味しさには、高品質の食材や高度な調理技術とは別の要素も重要なことを、私が学んだ一冊です。

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  • 「どんなものを食べているか言ってくれたまえ。君の人となりを、言い当ててみせよう」有名なブリア・サヴァランの言葉を引いて始まる本書。歴史に名を残した著名な人物や芸術家たちがいったい何を好んで食べてきたかを調べあげ、その料理を再現してみせる。そして、それを舌に乗せ、その人の「人となり」を噛みしめる。作家、思想家、芸術家、天皇、女王、あげくに魔女まで、その味わいは古今東西多岐にわたって飽きさせない。また、著名人たちの嗜好を探ることは、著者自身のそれを明らかにすることでもある。あとがきで、品書きの豚料理ばかりになりそうだったことが反芻されていて(豚は反芻しないが)面白い。もちろん読者も、自らの嗜好を確かめずにはいられないだろう。

    「歴史を振り返ってみるなら、多くの芸術家は食いしん坊だった。それは単に食欲の問題である以上に、彼らが生来的に抱いていた、世界に対する貪欲な好奇心に見合っていた。ある者たちは優れたレシピ集を残し、別の者たちは後世の伝記を通して、その健啖ぶりを伝えられた。」

    「食べ物について語ることの半分は、目の前に置かれ湯気を立てている料理についてではなく、遠い昔の記憶を呼び覚まして、喪われたものについて語ることであるとは、よくいわれるところだ。フーリエが人類の未来をお菓子のヴィジョンで埋め尽くしたとすれば、プルーストは逆に過去のいっさいがマドレーヌの記憶に喚起され、お菓子を分光器として語られるものであるという立場を選んだ。二人ともに、料理について書こうとする者たちを見守る偉大な守護聖人であるといえる。人間にとって幸福とは、目に見えるもののことごとくを自在に口に運ぶことにあるとはプラトンの『パイドロス』が冒頭で語っていることであるが、彼らは幼少期にわれわれが喪失して久しいこの幸福を、まさにプラトン的に想起することができた、幸福な人種ではないだろうか。」

  • 読みやすかったし 写真も良かった。

  • 昔の画家や作家たちが、
    作品やエッセイの中に残した料理を再現していく本である。

    実際に再現してみると、
    おいしそうなものから遠慮したくなるものまで
    様々だなぁと。

    「味は記憶であり思い出である」
    という一文はまさにそうだなと思う。

  • 文学作品、作者の料理を再現した随筆。
    カラーページが多いのが、眼福。圧倒的
    。料理は思い入れによるものであるかと。

  • 文学者の食べた料理、または文学作品に出てきた料理を再現してみるという企画はおもしろいのだけれど、それらの料理をあまり食べたいという気にならないという点で、この著作はあまりおもしろくない。

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著者プロフィール

四方田 犬彦(よもた・いぬひこ):1953年生れ。批評家・エッセイスト・詩人。著作に『見ることの塩』(河出文庫)、翻訳に『パゾリーニ詩集』(みすず書房)がある。

「2024年 『パレスチナ詩集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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