新リア王 下

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著者 : 高村薫
  • 新潮社 (2005年10月26日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (396ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784103784050

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新リア王 下の感想・レビュー・書評

  • ひと月かけて読んだ。
    婚外子の息子と父の話。僧侶と政治家。40歳と70歳。

    上巻は父が雪の中、さびれた寺にたどり着く。息子と過ごす初めての日々の中で、息子の半生を知る。
    これがきついと言えばきつかった。仏教の概念がよくわからないから。
    そして高村薫に出てくる男たちは何らかの宗教が身近にあるけども、結局宗教なんて救ってくれない、受け入れられるのは怠惰な自分だみたいなやつばかりで、無宗教よりたちが悪いのではと思う。
    下巻はミステリー色が強くなる。なぜ秘書は死んだのか。とくにラストのあたり。今まで息子としていた思い出話がつながる様は圧巻。
    一人一人のセリフや行動はそういう意味だったのねと驚かされる。

    思ったこと。
    ・こうしてみると、僧侶と政治家なんて、聖と俗の境地と思っていたのだけど、異次元という意味では似ている印象を受けた。栄がもっと俗なこと(汚職とか)をしていれば、秘書は死ななかったかもしれない。
    ・栄も優も彰之もみんなそれなりに好感のもてる人物だなあと思う瞬間もあるのだけど、え、お子様なのと軽蔑したくなる瞬間もある。好きになれないけど、好き嫌いとかそういう次元ではないのでしょう。
    ・好きではないと言えば、初江と彰之はぐずぐずしすぎてて、本当にこいつら馬鹿なのと殴り倒したくなる。子供の人生はおろか、自分たちの人生にも責任をもてないのか。
    ・栄と優やその他で政治論をするシーンをはじめ、同じ政治家で息子の優を栄が冷ややかに見ている。自分の言葉で自分の信念を語る時代は終わったのだと感じる栄。しかしそう感じたのは今から30年前。今の政治家たちはいったいどういう姿なのだろう。
    ・そしてあのころ(と言っても私は生まれていないのだけど)、日本は常に成長すると信じられていたのだ。消費により経済は回り、それが動力となると。今は全然成長する兆しが見えないし、不安ばかり。
    ・青森の閉塞感は晴子情歌と相変わらず。それどころか原発の誘致とかしたり。新幹線の誘致も積極的だけど、結局開通したのはそれから30年も経ってから。地方都市、地方自治はどうすればいいのだろうね。

    そしてラストの3ページほどが意味わからな過ぎて。
    なんでその子が死んでしまうん。
    栄の独白による孤立よりも、彰之とその息子が気になってしかたない。

  • 最初の出だしから進まない。こんなに大変だとは思わなかった。結局政治の話や宗教の部分は飛ばし、内容だけを追ってしまった。しかし、何かすごく損をしたような気もする。もっと丁寧に読んだらもっと感動したように思うから。上下の厚さと前作の「晴子情歌」を読みまず思うこと、この長さは必要なのだろうか。飛ばしに飛ばして読んだくせに何を言うかだが、実際ぐじぐじとした文章に感じる。砂防会館の事務所の人間模様についても丁寧と言えばそうだが、もっと簡潔に微妙な雰囲気が書けるのではないか。そうでなければ話を誰か一人に絞ってその物語として独立させたほうがよかったのではと思う。と読み始めてすぐには思ったのだが、読み終えるとちょっと違う。この前段が合って最後の章の「死の周辺で」に繋がるのだろう。だがそれならせめて彰之の話とは分けてもよかったのではと思う。それはそれで一つの話として読んだほうが混乱もしないだろうに。構成の複雑さが読みづらさだと思う。「晴子情歌」のときは欲張りすぎ。政治に関する部分はほとんど読んでいないのでなんとも言えないが、「福澤」と言う地方の政治家一族がどんなにあがこうと時代は地方を切り捨て中央の下達で結局踊らされているだけなのだと言う感じがした。昭和の自民党史と誰かが書いていたが、三角大福から、竹下中曽根と言った実名が生々しい。榮にしたところで勝一郎が引退したときのような潔さも無く、周囲の空気を読み取れぬほど年をとってしまったのに世代交代の時期を見誤っていたのだからこの孤独に繋がるのだろう。彰之の禅寺の修行部分もほとんど読んでいないのだが、もっくんの映画「ファシーダンス」それを思い出し想像する。映画は明るくコミカルだったがこの彰之はひたすら真摯で重い。彰之の唱える「ぎゃーていぎゃーてい」は実家の宗教と同じなので耳に聞こえてくるようだ。でも最近はどんなときでも「般若心経」で済ませているように感じるが。そんな章之と初子や秋道と対決する章之が繋がらない。別人のように感じるのだ。「晴子情歌」で複雑な家族構成、「福澤」と言う一族の視線、そんなものから南洋や北洋そして出家へと道を求めて行く章之は繋がる。それに対しここで榮と対峙する章之は二人居るようなのだ。初子と言う女は登場こそ少ないがそれなりに人間像が想像できる。と言うか自分なりにこんな女というイメージを持っている。ねっとりとした女。たいした才能も美貌も教養も夢も無く、自分で自分の道を切り開く意志も努力もしないのに現状から引き上げてくれる誰かを待っていたところに章之と会う。東大生で将来も有望で地方の名家の出でしかもイケメン。すべて相手が何かしてくれるものとしがみ付いている女。生活を世話することでと言うより肉欲にしがみ付いている女。愛情なんか持っていない。どうにもならなくなったときふと昔の男の弱さを思い出す。こんな自分に手を出してしまった男の弱さ、捨てるときの曖昧さの中の弱さ。そして再会した男は相変わらずの弱さを持っていた。でも若いときにもてあましていた煩悩を捨てて生きようとしていた。もう肉欲と言うしがみ付くものが無くなった男に重い荷物を引き渡し新たな男にしがみ付こうとする女。そんな女と会うために服装まで女に合わせようとする彰之はどうしても繋がらない。女の聞く演歌に女の安っぽさを感じながら、そこに自分が性欲の捌け口として抱いたお金だけの女たちを重ねながら何故女の喜ぶような行動をしようとしたのか。自分の子供を生んだことも知らず、その子が悪魔が服を着て歩いているような息子に育っていたことに対する責任感、罪の意識としてもそんな風には繋がらないのだ。榮が何故初枝の事を聞きたがったか、そこには血のつながった父親など最初から自分には居ないような顔をした章之が「血」だけが繋がっている見たこともない息子の存在に対処できない様に榮自身が... 続きを読む

  • こんなに飛ばし読みした本は初めてだ……(苦笑 仕事で資料を読むみたい。
    でも途中でやめようという気にはならなかったのは、次作『太陽を曳く馬』も読もうという魂胆があるから。初江がらみの箇所を中心に読んだので、予習はバッチリだ(ホントか、おい?)

    213ページに電話で合田登場。『太陽を曳く馬』、『照柿』みたいだったらいいなぁ。

  • ようやく読了。長かったー。東北は青森の政治家一族の長である父と出家した曹洞宗の住職である息子・彰之との魂の対話。重厚でボリュームがあるため読むのに一苦労。以下に詳しい感想があります。http://takeshi3017.chu.jp/file6/neta6707.html

  • およそ平成の御世にこのような小説を新聞連載小説として書こうと企む作家は高村薫をおいて思いつかないし、また書ける作家も今や彼女をおいていないだろう。連載をめぐっては日経とのゴタゴタがあったと聞く。某老作家の不倫セックス小説を嬉々として載せる新聞社であれば当然の顛末だろうと思う。
    この小説は、例えば事あるごとに「もっとわかりやすい政治をして欲しいですよね。」等とのたまう街角の声を電波や活字に乗せる「マスメディア」から最も遠い場所にたっている。ドブ板のリアリズムから原子力施設の誘致まで政治の持つ「悪」や「業」のような負のエネルギーと向き合い、それでも大衆の怨念の具現化とでもいうべき「未来」を見据えようとした戦後保守の本流ともいうべき政治家の落日を描ききっている。
    しかし、著者自身インタビューに答えて語っていたように、この作品の時代を最後に政治を語る言語体系が変わってしまった。それは、例えばもう少し時間が経てば「坂の上の雲」の時代をある種憧れの眼差しで見つめたように、昭和を見る時代がやってくるということかもしれないが、当事者がまだ生きている今だからこそ、この小説は読まれるべき小説である。

  • 下巻に入っても上巻に引き続き親子の対話が続くが、彰之の仏教観というよりも、人間臭さが目立つようなエピソードが多く上巻よりも話に入っていきやすかったような気がする。
    後半英世の死に対しての同窓会のような場面に入ってからはかなりスピーディーに読む進む事が出来た。
    婚外子の息子に向けられた隠微なまなざしというのはやはり彰之の面差しが晴子に似ているからなのだろうか…とも思ったり。
    自分の息子に対して「美丈夫」という語彙を何回使ったのだろう…と思うと何か根の深さを感じずにいられない。
    合田さん登場の次回作も引き続き読もう。

  • 王たる政治家として、ひたすらに走ってきた男の終焉。華々しくたくさんの人間の欲望や羨望を集めながらも、子供を作り、一族の繁栄の土台になりながらも、男の心に残ったのは「さびしい」という感情のみ。
    荒野を歩く裸の王の背中を見た。

  • 政治や宗教のことは分からないけど、続きは気になって仕方ないので戯曲を意識したような文章に苦戦しながら、何とか返却期限内に読了。
    おかげで他に借りた本全く読んでないよ。
    読み手によってはシェークスピアのリア王より後味が悪いんじゃなかろうか。
    榮は結局、誠実な夫や父であろうとしなかったツケを払わされたんだろうな。
    最後の数ページは優の気持にも榮の憤怒にも揺すぶられた。
    ラストは老人の愚痴のようだけど、なぜか面白く感じてそこばかり読み返した。

    生涯で唯一惚れた女の面影は寄り添ってくれず、最後に頼った彰之さえ切り離して。
    高村先生、今回はかなり厳しいですね。
    高村作品には父親と呼べない父親がたくさん出て来るけど、こうなると父親らしさってなんだろうってなるよな。
    彰之は必死で父親になろうとしていたけど、報われないし。
    このケースは極端だろうけど、親が尽くすほどに子供は報いてはくれない生き物ってことか。
    そしていつかは榮のように子供や時代に置いていかれるという…。
    砂漠か宇宙にでも漂っている気分になった。

  • (2004.10.31読了)(新聞連載)
    日本経済新聞・朝刊2003.03.01-2004.10.31連載
    (「BOOK」データベースより)amazon
    息子たちに乗り越えられた父はひとり魂の荒野を目指す―21世紀初頭に小説が行き着いた、政治と宗教の極北。

  • 今回の表紙はやはりレンブラントで「瞑想する哲学者」である。しかし、これはどう見ても老い疲れた老政治家でしかない。

    この下巻の見所は、栄の金庫番英世の自殺の真相でもなければ、栄の王国が息子の優の裏切りによって瓦解してゆく様を関係者を一同に会して会話体で描いたことではない。ましてや、一瞬だけ出てきた警視庁時代の合田の声でもない。福田王国の老王栄と、息子の優、そして官僚役人になったもう一人の息子の貴弘とのパーティでの「三酔人経綸問答」とでも言うべき日本論である。もちろん、中江兆民の様に立場を明確にして、理路整然と日本のあらゆる問題について論議したわけでもない。しかし、新自由主義的な優と、ケインズ学派的な貴弘、そして豊かな教養を持ちながらも、エリート意識でしか政治をみる事のできない典型的な自民党政治家、彼らの父の栄。この三人の、それなりに日本の将来を「考えている」かのようで実は非常に自分勝手な論理がとても面白く、そこだけ抜き出してパンフにすればいいのに、とさえ思った。

    いや、決して冗談ではないのだが、いやしくも革新系政治家を自認するような政治家ならば、一度この本を通読する事をオススメする。「敵を知り己を知れば百戦云々」という。敵と噛み合わない理想論を振り回すのは時間の無駄である。一秒つどに彼らの頭の中を脳スキャンで広げて見せたような本書を読めば、いわゆる保守の国会議員の発想がわかるようになるのではないか。

    私には現代のアベノミクスが、バブルの隆盛を控えた80年代後半の中曽根不沈空母、民活導入、規制緩和、新幹線・原発などの大型公共事業への陳情処理に明け暮れる自民党政治に重なって見えて仕方ない。彼等の頭の中を解剖することは決して無駄な作業では無いはずだ。

    しかし、上下読み終えるのになんと四ヶ月近くかかってしまった。非常に難解でな作品なのだ。取材力は圧倒的なので、再読、再々読にはもちろん耐え得るだろう。文庫になった時に、原発、再燃の部分をどう変えて行くのか、とっても楽しみな本でもある。あゝ、これでやっと合田が出てくる次作「太陽を曳く馬」に向かえる。

    2013年3月30日読了

  • 道化は誰だったのかなと、そんなことを思った。

    優や息子たちとの関係、選挙の行方、榮の忠実な秘書についてなどが語られる。
    とくに保田と竹岡について発言するシーンが好きだ。
    最後の説破の場面に涙が溢れた。
    抽象的になってしまうが、ゆっくりと染み入るような、それでいて切り裂かれるような寂しさがある。

    私にとって、とても好きな系統の本だった。

  • 前作『晴子情歌』では母と息子が物語の中心だったが、今作では父と息子が物語の中心である。父が話す政治の話も、息子が話す仏法の話も、なんといっても細かくて長いので、理解できたかといわれれば理解できないというしかない、という気分。ただ、父:榮さんが話す政治の話に関しては、福澤家がある青森県を中心に話が進むため、東北に住む自分にとってはなじみのある言葉が多く、興味深く読むこともできた。
    上巻下巻とたくさんの思いが前面に出てきていたけども、これは著者の思いなのかなあなんて思った。ふたりが語り合っている場所は寂れた雪の降り積もった庵なのに、むしろ読み手であるわたしにはそのつめたさよりも、憤怒しているというか、強烈な熱さというものを感じた。憤りというものが随所に感じられた。彰之は飄々としていて、実はだれよりもなにかに固執しているのかなあなんても思った。俗世を捨てて生きていこうとした彰之が垂れ流す俗っぽさに色気が多分に含まれていて、これは魅了されるよなあと思った。「十四歳の少女など、私の眼には脱皮が早すぎた不完全な成体という以外の何ものでもないし、生々しくすらない。ああいや、生理的な不快は欲情と紙一重でありましょうから、それはそれでそそられなくもない。」この発言がなぜかつぼにはまった。
    なんだかんだで最終的にふたりが行き着いたのは、圧倒的な孤独、というのにも一抹のさびしさを覚えた。

    (844P ※上下巻)

  • ようやく読み終わった、というのが正直な感想。

    1980年6月の王・福澤榮の絶頂期と子・彰之の静かな闘いがひたひた綴られた上巻は、長い前奏だったのか。

    下巻は、1983年、1986年と続く。

    下巻の白眉は、この1983年11月19日、榮の地元青森での政治資金パーティーである。

    むつ小川原の原燃開発をめぐり錯綜する様々な欲望を引き合いに出して、榮は滔々と政治を語る。通産省と科学技術庁という二頭立ての馬車の上に原子力委員会という空虚な御者を乗せて、原子力という巨大な国策が動いて、地元を巻き込む。

    あてのないエネルギー政策の行き着く先は、地元に暗い未来と開発途中で投げ出された不毛の地しか無いにも関わらず、政治家は日々湧出する「チンジョウ」の対処に明け暮れる。

    入れ替わり立ち替わり榮の目の前を現れ、握手をし、立ち去っていく顔たちを通して、1980年代という時代を形作った空気が語られていく。もう少し正確に言えば、1980年代に行き着いた昭和という時代の雰囲気がその一節に凝縮されている。

    そして、3年後の1986年11月に長男の裏切りと懐刀であった娘婿の自殺という事態を迎えて、狂乱した王によって王国は一気に瓦解する。1986年は政局であり、一気に加速するフィナーレである。


    「これはいったい何の物語だ?」と問われれば、「リア王だ」としか答えようがない。

    高邁な目標を持ち、確固たる信念を抱きつつも、己の眼前に広がる現実問題に対しては、地道な手段によって前に進むしかない政治家たる父王・榮と仏家たる子・彰之の対話だと括っても釈然としない。

    あるいは、昭和のとりわけ戦後という空前の国土開発の時代を通してできあがってきた「政治」、そしてそれは利権という縁を方々に結んで成立する。その対極として、己一人で禅を組み、俗世との縁という縁を断ち切ってなお諸仏と結ばれる保証のない「宗教」が配置される。
    そして、縁という縁を結びきれなかった政治家と縁という縁を絶ちきれなかった仏家、その父子の物語とも言えるだろうか。

    いずれにせよ、この作品はおよそ巷間に平積みされる「小説」とは次元の異なる傑作である。これほどまでの気迫と堂々たる筆致で、「政治」を語り尽くした文学が他にあるのだろうか。

  • 三部作の二作目。

    前作は北洋漁船の乗組員だった彰之の独白のようなものと母親・晴子の手紙で語られる物語でしたが、
    今作は、前作から時間がだいぶ経過して出家した彰之が、代議士の父親・榮と対話することで語られる物語です。

    まず、政治にも仏教にも全く興味関心がないために、
    辛い・面倒臭い・退屈、としか思えなかったことが残念でなりません…

    主な舞台である青森の地方自治の問題なんかも、
    九州の南で生まれ育った自分には色んな意味で遠すぎて、
    全く想像ができないというか。

    重厚で難解、という印象は相変わらずなのに、
    それでも昔の作品が楽しめたのは、
    自分がキャラ読みしていたからだなあとつくづく思った次第です。

    このシリーズでいちばんすきなキャラクターが遥だってところで、
    個人的にはもう今作を楽しめる要素はゼロに近かったということでしょう…

    こういう作品をキャラ読み無しで、
    面白いと思える脳みそに憧れます。

    とりあえず、
    だいぶ楽しみにしていた合田刑事の登場シーンに気づかない程度には、集中することが難しかった本でした。

  • 福澤榮かたるところの福澤の女たちの描写がおもしろかった

  • 晴子情歌から長く長くずっと読み続けてきて、たどり着いたところは「孤独」。
    ラスト数ページで大号泣でした。

  • 高村薫の新作、「太陽を曳く馬」の前作に当たる作品です。
    買ってから長らく中断してましたが、
    年末年始に読み終わりました。

    年老いた自民党代議士の栄枯盛衰を、劇画のように仰々しく脚色した話です。
    代議士である老齢の父と、禅寺に出家した息子の対話形式で
    ストーリーが進んでいきます。
    父は話す言葉全てが政治、息子は話す言葉全てが仏教でして、
    正直ついていけないところがたくさんありました。
    加えてかなりのボリュームです。

    なので、かなり端折って読んでた部分もありますが、
    読み終えた後は、まるで代議士としての人生を終えたかのような
    達成感でした。

    因みに「新リア王」の前作として、「晴子情歌」という作品があります。
    「新リア王」に登場する代議士一族の原点となる話です。
    これまた相当ボリュームのある話でして、
    なかなか気楽に読める感じではありません。
    私としては、世代交代しかかってるじいさんを描いた「新リア王」より、
    女性の強さを描いた「晴子情歌」の方が個人的には好きな感じです。

    「太陽を曳く馬」はまだ読んでないのですが、
    古本で安くなるのを待ちつつ、
    また英語の本にチャレンジしていこうかなーと思います。

  • 今の生活に、今以上の新しい技術や新しいなにかが必要かと問われれば、私は「これで十分です。」と答えるだろう。一体、どれくらいの日本人が、今、現在以上の生活の便利さ、快適さを求めているのだろうか?結局、政治というものは、国民から徴集した税金をどう国民に公平に分配するかに尽きるような気がする。地域に利益誘導された多額の税金は、各家庭に分配されるのではなく、一体どこに消えて行ってしまうのだろうか。一度日本も、経済を成長させるのではなく、経済の現状維持のみを目標にして、税金分配を考えてみてはどうだろうかと、ふと思ってしまう。「言ったもん勝ち」と言われる、勝ち負けをいかに少なくできるかが、政治の力だと思うのです。金銭では測れないものに、投資する方が大切ではないでしょうか。こんなことを書いてしまう、私も年をとりました。

  • 新作の「太陽を曳く馬」がどうしても読みたくて下巻にチャレンジ。上巻は仏教用語についていけず、ずいぶん苦労しましたが、下巻のほうが読みやすいです。青森の核関連施設建設に絡むこと、陳情、補償、そして選挙、本当にこういうことがあるんだろうなあと思わずにいられない。そして王の金庫番の自殺。上巻の葬儀のシーンはこれだったのか、とつながる。あの時は人間関係すらよくわからずひたすら先にすすむのみでしたが。大きなどす黒い力と流れには個人の死などなんと小さいことか。いつもそんな恐怖を感じます。最後も非常に気になる終わり方で、やはりこの余韻が残っているうちに太陽を〜を読まなければ!

  • 図書館で借りてよみました。
    やはり未消化でした。リベンジ希望。
    私にはとある登場人物がいじらしくてなりません。
    表紙は上巻と同じくレンブラント、作品名は「瞑想する哲学者」

  • なぜ彰之が今、破れ寺とも思えるような寂れた寺で在家をしているのか、栄がなぜ彰之を訪ねてきたのか、秘書の英世の身に何が起きたのか、物語が一気に加速する下巻。

  • 購入者:矢北(2007.5.14)返却:(2007.7.10) 購入から、はや2ヶ月
    。やっと読めました!「生きること」への執念を捨てない主人公の姿は、考えさせられるものがありました。
    が、長い上、「上」と比べてさらに読み難くなっているので、読むのはホント大変です。
    返却;滝口(2007.10.27)

  • 10月06日読了。(連載以降のみ読んだ)

  • 仏教やお寺さんの話しも政治の話しも分かんないんだよ〜だから何なんだよ〜なんて思いながら読んでいたけれど、最後になってスコーンと目の前が晴れた。ああ、だから「新リア王」なのか、と。

  • やっと読んだあ!

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息子たちに乗り越えられた父はひとり魂の荒野を目指す-21世紀初頭に小説が行き着いた、政治と宗教の極北。

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