知ることより考えること

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (176ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104001088

作品紹介・あらすじ

『知ることより考えること』とは、決して知ることの否定ではありません。考えるとは、本当のことを知るために考えるという以外ではあり得ない。しかし、きょうび「知る」とは、外的情報を(できるだけたくさん)取得することだとしか思われていない。取得するばかりで、誰も自ら考えていない。だから世の中こんなふうなのであります。インターネットなんかいらない。もし本当を知りたいのなら、考えることだ。痛快哲学エッセイ。

感想・レビュー・書評

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  • PCなどとは無縁の年輩の方々は本当に賢い。
    一度でも見聞きしたものはほぼその場で覚え、自在に引き出す。その頭の良さには驚きを通り越して尊敬さえしてしまう。
    思えばわたしの親もそうだった。
    五感をフル稼働して生きているからなのか、無駄なことか意味のあることか判断が早かった。
    辛いときでも「じゃこうしよう」という転換も早く、問題解決能力が非常に高かった。
    言葉に頼らず、文字に頼らず、自分で考えて生きていたのだ。
    わたしはいつから、考えることをやめてしまったのだろう。
    無駄知識ばかりを頭に詰め込んで、それでどうなるというのだろう。
    生身の私は子供の頃から一向に進歩しないまま、うかつなひと言をもらしたり、肝心のひと言を言えなかったり、大事なはずの物をなくしたりしている。そもそも考えるということをしていないのだ。

    そんな疑問でいっぱいになっていたとき、この本に出逢った。
    今年の2月に亡くなられた池田晶子さんの本である。
    「41歳からの哲学」を読んでからもう3年。

    その死を受け入れられなくて著作さえも目を通さなかった。
    『知ることより考えること』は、週刊新潮の連載コラムをまとめたもの。
    ひとつの章が3ページから4ページなので時間があればひもとき、読んでは目を閉じてかみしめた至福の半月間。

    誰もが考えたであろう疑問。何故自分は生まれてきたのか。
    生きるとはどういうことか。存在するとはどういうことか。
    死とは何か。見えるとは何か。見えないものとは何か。 
    知るとは、考えるとは何か。その頃の気持ちを思い出す。
    池田さんが生涯追求し続けたのも、まさしくそれである。
    分かりやすく説いてはいるけれど、そこは哲学者なので「非科学」や「非政府」「非政治」などの表現が随所に登場する。
    そのアイロニーに振り回されると、常識の欠乏した人と取られそうだがそうではない。彼女は「本当を知りたいなら考えることだ。インターネットなんかいらない」と実に潔い。

    とりわけ、2006年の念頭の挨拶では声を失った。
    『時代や社会がいくら悪かろうが、そこで私が善く生きることのいかなる妨げにもならない。たとえ世の全員が金儲けに狂奔しても、私は金儲けのために生きることはしないと決める。
    たとえ世の全員が互いに悪意を投げ合っても、私は悪意を所有しないと決める。笑われようが殺されようが、私は、私だけは、善い人間として、善い人生を全うするのだ。』
    こういう言葉を親以外に言ってくれたのは、池田さん、あなただけだ。
    昨今の「自分大好き」や「自己中」などとは見事に一線を画している。
    他人に振り回されず、自分の生の精度を高めよというのである。
    何故なら「良い」ではなく、「善い」と言っているじゃないの。
    46歳という年齢で死と向き合いそのまま還らぬひととなった池田さん。
    その脳には何が去来したのだろう。
    新たに存在を始める「自分」がどんなものであるのか、その興味だけに集約されていたのではないか、そんなふうに思えてならない。

  • やっぱり池田さんの本は戻ってきたくなる。
    知ることが考えることより劣っているということではなくて、考えるということは、本質を知る・わかるところから始まるということ。
    池田さんが語っていることはいつも同じ。それが普遍的なものだから。
    もうそろそろ、池田さんの言葉なしで考えられそう。

  • 知ることより考えること。知ることの量があまりにも増えて、知ることに傾くばかりで考えることができない人が増えている。自分もそのひとりであることが痛いほど実感するとともに、そのスパイラルから脱するための一筋の光明を得たような心持ちになる一冊でした。一見便利になったようで、それなしでは生きられなくなったこの不便な世界でどう生きていきたいか、見つめ直す機会としよう。

  • 池田晶子『知ることより考えること』新潮社、読了。知ることが悪いわけではないが「考えるとは、本当のことを知るために考えるという以外ではあり得ない」。週刊誌連載の名コラム「人間自身」で綴られた珠玉の哲学エッセイを集めた一冊。時事的内容も多いが決して古くない。自ら考える、その美しい見本のようだ。

    「宇宙について考えられない思想は二流である。世には幾多の思想、批評、評論の類が並んでいるが、自分が存在しているという事実から、独自の宇宙論を形成しない思想は、偽物とは言わずとも二流である」(私のコスモロジー)。こんな具合、しびれますぜ。

    本書のタイトルは、小林秀雄の名講演「信ずることと知ること」に由来。本年は、小林秀雄・国民文化研究会編『学生との対話』新潮社も刊行。「信ずることと知ること」も収録されている。こちらも合わせて紐解きたい。

    若松英輔さんの『池田晶子 不滅の哲学』(トランスビュー)にも目を通しておきたい。 「考えることを失い、感性が鈍磨した時代に、池田の哲学や若松の潤いに満ちた仕事の意義は大きい」(東京新聞・書評)

    http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013120102000170.html

    若松は、自身が敬愛する哲学者、井筒俊彦を読むようにして、池田を読んでいるのであろう。たしかに池田は、存在がコトバとしてみずからを顕現する瞬間のことを繰り返し語っている」(日経・書評) 

    http://www.nikkei.com/article/DGXDZO63046280T21C13A1MZB001/

  • 2011.10
    知ることより考えること
    死に方4つ 自殺 他殺 病死 事故死
    考えるとは精神が本質を洞察すること
    大概が現象と浮沈しているだけ
    年齢とは意識的抵抗を越えた動かしがたい実在である
    人生はそれ自体が暇つぶしなのである
    存在が存在することに理由がないからである
    縁なき衆生は度し難し
    人は見事に自分の見たいものしか見ていない
    誤解して割りを食うのはその人だ
    アンチエイジングで猿になる
    40歳の体で百歳の知恵をもとう
    失われる快楽は価値ではない
    本当の価値は永続的な快楽即ち幸福である 快楽は幸福ではない
    老いることを価値とする以外に幸福はありえない
    規則を守るのが善悪ではない
    人は言葉が自分の財産である
    民主制はそこに参加する全員が同じくらい賢いのでなければ必ず堕落するのがギリシャ時代にでている結論
    思考にとって知るとはゼロから自分で考えて知ることをのみいう
    生きるために哲学をしようなどというのはそもそも話がぎゃくである
    私は私のことだけを気にかけて行きように他人のことなど知ったことかという私の独我論が前面にでてきた
    言葉がすなわち人でありますその態度がすなわちその心である
    論理的に死は存在しないが現象的に死は存在する
    論理と現象の絶対矛盾がが同一であるのが人間という存在
    宇宙の謎といわず存在の謎という
    何用あって宇宙へ
    宗教の本質とは現生的価値に対して永遠的価値を提示するところにある
    私が存在しなければ世界は存在しない
    本質的な事柄を考えるために外的な刺激や情報は不要である 頭ひとつあればいい いくらでも考えられる 自分の中からそれはでてくる だから退屈するということがない
    生死事大 無常迅速
    超常をいう前に常識を知れ

  •  何度も著者の本に触れていたのに、その素晴らしさを見過ごしていた、その悔しさ。本当に考えること、存在の神秘におののく体験、多くの宗教や哲学が同じ真理を示していること。現実を正しく見ること、考えること、そうする自分を唯一よりどころにすること。そう生きることに、なにかたいへんな訓練が必要に思え、今頃になってとあきらめそう。だが、生きるということは、たった一つの状況でしか存在できない。めげない。

  • 寿命なんて結果に過ぎない❗死亡率は100%(^o^)\(^_^)/

  • 今も生存していたら、もっともっと光っていただろうな。
    私にとっては、橋本治さんの次は彼女だと思っていた。

  • 池田さんの本、初めて読み切りました…14歳の哲学を先に読んでいたのですが、考えれば考えるほど混乱してきて行ったりきたり。

    タイトルのところでいくと知ること、考えることの違いと大切さ。また、知る、という定義が現代において情報の詰め込みに特化してしまっていることに警鐘を鳴ら…しているのかな?筆が強いので受け取り方に迷いはありますが、そう、受け止めました。

    生きること、死ぬこと、存在すること、自分の頭で考えること。

    自分で決めるのが怖い、責任を持ちたくない、情報で大きくなった頭で人のことを批判して中身のない人間、には、なりたくないなぁ。心は言葉。
    でも本質を理解して思考を深めるのは、まだ難しい。
    しばらくしたらもう一度読みたい。景色が、少し変わっているかもしれない。

  • 死ぬということは、人が本質的にものを考え始める絶好のチャンス。
    確かに幼い頃、それを思ったことがある。
    自分を自分と認めるのは自分でしかない。
    個性というものは、自分が見つけるものではなく、他人が見つけるものである。
    題名の通り、考えることを諦めてはいけない。そう強く感じた。

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著者プロフィール

1960年東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒業。文筆家。専門用語による「哲学」ではなく、考えるとはどういうことかを日常の言葉で語る「哲学エッセイ」を確立して多くの読者を得る。とくに若い人々に、本質を考えることの切実さと面白さ、存在の謎としての生死の大切さを語り続けた。著書多数。2007年2月23日没。

「2022年 『言葉を生きる 考えるってどういうこと?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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