いつも彼らはどこかに

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著者 : 小川洋子
  • 新潮社 (2013年5月31日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104013074

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いつも彼らはどこかにの感想・レビュー・書評

  • 小川洋子さんは、死者と生者を分け隔てしない。
    欠けてしまったものや失ったものも、けっして別世界へと追いやったりしない。
    見えないけれど、傍らに寄り添ってくれている愛おしい気配に身をゆだねながら
    「彼ら」への感謝を言の葉に乗せ、私たちへと届けてくれる。

    異国での輝かしいレースに参加する天才馬の不安を鎮めるためだけに
    飛行機に押し込められ、一緒に旅をする帯同馬。
    長年にわたり自著を翻訳してくれたのに、ついに一度も顔を合わせることなく
    この世を去った翻訳者から贈られた、真っ白なビーバーの骨。
    学校に行くのをぱったりとやめた少女を、ドールハウスの中から見守る犬。
    「h」の文字を綴りの中にひっそり隠し持つ、檻の中のチーター。
    忘れられない数字をからだに纏って、身代わりガラスの中を泳ぐ竜の落とし子。

    動物をモチーフにした短編集だけれど、どの物語の中でも
    主人公は、動物の血の通ったからだに触れることはありません。
    ことさらに可愛い可愛いと褒めそやしたり、撫でたりしないのに
    カウントダウンのカレンダーを持った作り物のうさぎにも、白い骨になったビーバーにも
    等しく敬意と愛情が注がれているのが伝わってくるのがすばらしくて。

    時の彼方に消え入りそうな記憶も、忘れられない悲しみも
    首から下げた身代わりガラスの中身のように、そっと抱きしめながら。
    人に褒め称えられなくても、たとえ奇異に見られようとも
    自分が好もしい、正しいと思ったことを、声高に主張せず、ただ静かに積み重ねる。
    時に、ニュースで知った帯同馬の奥ゆかしさや
    命ある限り木を齧り続けたビーバーの骨の中に眠る命の輝きに励まされながら。
    そんな慎ましい人たちの、慎ましい日々の尊さに
    波立っていた心が、いつしか凪いでいることに気付くのです。

    この世では二度と会えない人に贈られたビーバーの骨に
    生きるエネルギーをもらいながら本を書き続ける『ビーバーの小枝』の作家に
    小川洋子さんの姿がふわりと重なる、静かで美しい短編集でした。

  • 堀込高樹、堀込泰行。二人の兄弟からなるバンド、キリンジ。
    その堀込兄弟によるキリンジとしてはラストとなるアルバム『Ten』
    そこに収録されている『ナイーヴな人々』という曲が、この本を読んでいる間、頭のなかでいつもかすかに流れていた。

    ナイーヴな人々 ナイーヴな人々
    世界をそうっと美しくしてくれるのは
    そういう人だ
    そうだろう?

    『帯同馬』
    『ビーバーの小枝』
    『ハモニカ兎』
    『目隠しされた小鷺』
    『愛犬ベネディクト』
    『チーター準備中』
    『断食蝸牛』
    『竜の子幼稚園』

    自分の気持ちと向き合いながらに静かに生きる人々。
    そして、その心にそっと寄り添う動物たち。

    物語の登場人物たちは内面世界だけをみれば、不器用や愚直さを通り越して奇妙に、あるいは少し狂っているとさえ思う人もいるかもしれない。
    でも彼らはどこにでもいる、もの静かで、少しだけ真面目で、きっと普通の人だ。

    カラオケボックスのソファではくつろげない。
    ファミレスの壁紙をみていると落ち着かない。
    いま売れています、いま流行っています、という大音量を聞くのは疲れる。
    声の大きな人が世の中を動かしているように見えるけれど、小さな声で共感しあう目に見えない大多数の人々がいるはず。
    『いつも彼らはどこかに』

    体にこびりついた垢は、目の粗いタオルでこすりシャワーを浴びて落とせばいい。
    脳みその溝につまった余計なものや、心にたまった澱のようなものは、小川洋子さんの小説が洗い流してくれる。

    一篇ずつ、時間をかけて味わって読んだ。
    騒がしい場所で流し読みするのがもったいないので早起きをした。
    朝五時半に起きて珈琲を淹れて、本を開く。
    土砂降りの休日、薄暗い窓辺で雨音に耳を傾けながらページをめくるのもなかなか乙だった。

    この本は図書館で借りたけれど、きちんと購入して時々読み返したいと思う。

  • 登場人物の多くは、不器用で少し孤独な人たち。
    動物をモチーフにした8篇の物語は、時に優しく温かく、時に孤独をさらに浮き上がらせ、時には滑稽さを覚えたりもする。

    「帯同馬」
    「ビーバーの小枝」
    「ハモニカ兎」
    「目隠しされた小鷺」
    「愛犬ベネディクト」
    「チーター準備中」
    「断食蝸牛」
    「竜の子幼稚園」

    なかでも好きなのは「愛犬ベネディクト」。
    不登校の妹が盲腸で入院する間、彼女の愛犬の世話を任された兄。愛犬ベネディクトはブロンズの犬だが、妹から散歩や餌について細かい指示を出される。
    彼女が家で毎日こつこつ作っている縮尺のおかしなドールハウスやベネディクトの餌。一緒に住む祖父と兄の、それらの扱い方に妹への静かで濃やかな愛情を感じた。

    「ビーバーの小枝」は描写が美しいと思った一篇。
    森の緑、庭の畑、古いピアノ、バッハのゴルトベルク変奏曲、満月の下で泳ぐ池、ビーバーの気配。
    そして、机に置かれたビーバーの骨とつややかな小枝。
    色や音や匂いや、ひそやかな気配までもがページから漂ってくるよう。

    「断食蝸牛」は怖かった。
    落丁図書室は興味深いし、風車小屋からの景色も素敵そうだけれど。
    虫がニガテ、特にうにょうにょしているものや寄生虫の話には卒倒しそうになるので、とても(生理的に)怖かった。
    頭の中で映像化しながら読む自分のクセが恨めしい。

    最初の「帯同馬」で、遠くへ行くのが怖くなり移動手段や距離に限りがある女性を描き、最後の「竜の子幼稚園」では、身代わりガラスを首から下げ依頼人に代わりどこへでも旅に出る女性を描く、という構成になっているのが、なんともいい。

    登場人物は孤独な人たちと書いたが、みんな、どこかで誰かを思い、繋がっている。
    くっきりとでなくても、ふんわりとした関係でも繋がっている。
    だから、淋しいだけの物語集にはなっていない。
    読み始め、不思議に感じた「いつも彼らはどこかに」というタイトルが、読み終わったとき、胸にすとんとおさまった。

  • 8編ある短編を、一日に1話ずつ読みすすめた。
    スピードをあげて読むことが出来ないのは、小川さんの世界に少しでも長くゆっくりと浸っていたかったから。
    そして、読み終えた後じっと、本を抱きしめていたくなるのが、いつものこと。

    「新潮」の2012年6月号から2013年1月号に掲載された8篇の短編を収めた作品集で、すべて何かしらの動物たちが登場する。
    相互に関連性はないものの、マイノリティーな存在に向ける温かい眼差しと、まぶたの奥がじんと熱くなるような美しさに、酔ってしまいそうになる。
    読み手の負の感情を否が応でも引きずり出す作品が世にずいぶんあり、作家さんの根暗で底意地の悪い性格を見せ付けられたようでとても気分が重くなってくる。
    ところが、小川洋子さんの作品では過去一度もそんなことがない。
    ある意味、稀有な作家さんではないだろうか。

    モノレールの沿線でスーパーの売り子さんをしている女性を描く『帯同馬』。
    クラシック三冠馬のディープインパクトが、闘うためにフランスに空輸される。
    移動のストレスを緩和させるために帯同する駄馬の、砂をかむような不安と孤独に、彼女は優しく寄り添っていく。
    『ビーバーの小枝』は、長年一緒に作品を作り上げてきた女性小説家と翻訳家の話。
    机上にある、よく磨かれた白いビーバーの頭の骨の物語。
    ビーバーは、【自分に与えられたささやかな歯で、諦めることも知らないまま幹を削っていく。(中略)しかし誰も褒めてくれるものはいない。ビーバーは黙々と労働を続ける。】
    作家は、そんなビーバーの骨に手を添え、小説を書き続ける。

    『愛犬ベネディクト』に登場するのは、ブロンズで出来たミニチュアの犬だ。
    母は病死し、父は家を出て、祖父と僕と妹との三人暮らし。
    不登校になり、自分の精神世界に閉じこもる小さな妹は、ドールハウスを作り続ける。
    その妹の入院中、ふとしたはずみでドールハウスをひっくり返した僕が見つけたものは、妹が作製したミニチュア本の一冊だった。
    開かれたページに書かれた、「ブリキの太鼓」。
    この一行で胸の奥をぎゅっと掴まれたような気になった。
    自らの意思で成長をとめた哀れな「オスカル」に、妹は自分をなぞらえてでもいるのだろうか。。

    そして、一番心に残ったのは、ラストの『竜の子幼稚園』。
    何らかの理由で旅ができない人のため身代わりとなる品、通称「身代わりガラス」と共にあちこちを旅する女性の物語。
    身近なものに声をかけながら誠実に仕事を果たしていくのは、5歳で早世した弟の「喪の仕事」をしていたのだと、最後の数行で明かされる。
    終盤の2ページで、胸の中からこみ上げるものがあり、涙がにじんだ。

    孤独で、静かな時間の中に生きる登場人物たち。
    彼らが思いを寄せるのは、時に癒しになり時に現実を突きつけてくる生き物たちだ。
    それぞれは、与えられた自空間の中で真摯に時を刻んでいる。
    まさに、いつも彼らはどこかにいるのだ。

    生き物たちの美しさや優しさを描きながら、実は底辺に流れる存在の悲しみと不安を凝視する著者は、狭き門より入る求道者なのかもしれない。
    『最果てアーケード』以来の、静かに心を満たす感動作だった。

  • 小川洋子さんの短篇集。8つの物語が収められています。
    特に好みだったのは「目隠しされた小鷺」「チーター準備中」「竜の子幼稚園」。
    「断食蝸牛」のラストシーンには背筋がぞぞぞっと寒くなりました。

    小川さんの文章を読んでいると、いつの間にか物語の中のものに肌で触れているような錯覚を覚えることがあります。
    ウサギの胃袋の中にある黒々としてつややかな2つの球や、象牙のようにすべすべしたビーバーが齧った小枝、なめらかな曲線を描くひんやりとした身代わりガラス。
    そういったものたちが、ふと気付くといつのまにか手の平の中にあるように感じるのです。

    スーパーのデモンストレーションガールや日めくりカレンダーをめくる朝食専門食堂の男、「アルルの女」を流しながらやってくる修理屋…。
    この世界の片隅で誰の邪魔にもならないよう、ひっそりと生きている人々。
    彼らの孤独で、慎ましくひたむきな生き方に敬意を払わずにはいられません。
    きっと彼らはいるのでしょう、この世界のどこかに。

  • どこかに動物が絡んでくる短編を集めたもの。
    小川洋子さんらしい、ひそやかで切ない、心あたたまるというか、心が鎮まるような世界です。

    「帯同馬」
    スーパーで試食販売の仕事を続けている女性。
    モノレールで行ける範囲に限っていた。その理由とは。
    フランスで開催される競馬の凱旋門賞に出る名馬の緊張を和らげるため、付き添いで行く帯同馬に、思いをはせる‥

    「ビーバーの小枝」
    20年も自作を翻訳してくれていた翻訳者が亡くなり、家を訪問する作家。
    森の中にある家は快適で、その森にはビーバーが住む。
    翻訳家はビーバーが齧った小枝を机の上に乗せていた。

    「ハモニカ兎」
    町のシンボルであるハモニカ兎。
    その看板に、「オリンピックまであと何日」という日めくりが掛けられ、それをめくる仕事を担当する男。
    ところが‥?

    「目隠しされた小鷺」
    修理屋の老人はなぜか「アルルの女」をテーマ曲に流していた。
    小さな美術館の受付をしている女性は、老人がたびたび来館するため、しだいに顔なじみになる。
    修理屋もほとんど客がないようだったが、ある日‥

    「愛犬ベネディクト」
    学校に行かなくなってしまった妹は、ドールハウス作りに熱中するようになった。
    妹の入院中、愛犬ベネディクトの世話を頼まれる兄と祖父。
    ベネディクトとは‥

    「チーター準備中」
    hを手放してから何年たつか、考えないことにしている女性。
    動物園の売店で働いているたある日、チーター(Cheetah)のスペルにhが入っていることに気づく。

    「断食蝸牛」
    断食施療院に入院している女性。
    風車を見物に行くのを楽しみにしていたが‥思わぬことに?

    「竜の子幼稚園」
    調理補助の仕事を定年で辞めた後、身代わり旅人の仕事に就いた女性。
    身代わりガラスに依頼主の決めた小さなものを入れて首にぶら下げ、代わりに各地へ出向くのだ。
    代わりというよりも、一緒に行く気配を感じ取っていた‥

    センスのいいタイトルで、中身を期待させますね。
    淡々と働いている人々のささやかなこだわり、胸の奥にある悲しみ、目に映る光景の中のきらめき、意外なことが呼び起こす一瞬の思い。
    丁寧な文章に吸い込まれるように、どこかの世界に自分も入り込んでいる‥
    切なさとともに、じんわりと染み入るように、静かな喜びがこみ上げてきます。

  • 何かしら動物が出てくる短編集。
    動物たちは、そんなにがっつりとは物語に絡んで来ないが、さり気なくひっそりと寄り添ってくる感じ。まさに「いつも彼らはどこかに」というタイトル通り。
    ビーバーの骨の話と、最後のタツノオトシゴの話が良かった。かたつむりは思わず検索してしまい、寒気がした…。

  • ただ生きているというだけのことに意味を持たせようとしてしまう。
    そんな生き方をやんわりと否定しているように思える作品。

    偽りの思い出を得意げに語る小母さんの哀しさや、手製のドールハウスの中で静かに生きる少女の儚さや、3月3日が背負ってしまった喜びと絶望が、なぜかとても優しい。
    小川洋子さんの作品を読んでいると、誰かの大切な記憶の中をこっそりと垣間見てしまったかのような少しの罪悪感と、その人の悲しみを見て慰められたことによる苦味がかすかに残るように思う。
    自分とは違う。けれどよく似た絶望を知っている登場人物たちの不器用だけど実直な生き方にいつの間にか救われている。
    私ももう少し頑張らなくちゃと思う。
    そう素直に思えるのはこの作品が決して「頑張れ」とは言わないからなのかもしれない。
    どこにも行かなくても、目の前の壁から目をそらしていても、そこに立ち続けていることの頑張りを認めてくれている気がする。
    そんな優しさを感じました。

  • 誰から見ても、本人的にも、
    いつでもどこでも幸せ、そんな突き抜けるような
    幸福感に満たされている人間は世界広しと言えども
    そう簡単には見つからないだろう。

    ある程度の年齢を迎えれば、
    なんでも自分の思い通りにはいかないことを知るし、
    大切な人が自分の傍を離れていく悲しみや
    自分一人の心の奥に抱える孤独感、
    この先自分はどうなってしまうのかわからない不安、
    納得できないような気持ちの悪い不公平感など、
    幸福とは対極にある感情達の存在を知る。
    受け入れたくないのに
    力づくで入り込まれて、
    なんとか自分なりにやり過ごさなくてはならない
    気持ちを一通りは体験済みである。

    そんな複雑な感情を道連れにして、
    人は日々生きていくのだが、
    しかし、そんな「生きること」の積み重ねである
    毎日もそんな「苦難」だらけで
    出来ているわけでもない。

    ささやかな喜びや気がつけば
    そっと近くにいる小さな生命に
    心が温められる時もある。

    そんな生きることを
    コツコツ積み重ねる人々と
    小さな生命の交流の物語。

    この作品集では、人間同士の交流は
    あまり上手く出来ない、少し不器用な人々が、
    自分の周りにいる動物たちに「救われる」、
    「思いを寄せる」話が多く収録されている。

    職業も環境も、過去も違うのに、
    何故か登場人物達に気持ちが重ねることが出来て、
    少し戸惑う自分がいる。

  • うーん、小川ワールド!静かな静かな世界を堪能した。

    こんなに読者に親密に語りかけてくる書き手も珍しいのでは。まるで自分だけがそっと打ち明け話をされているような気さえする。優れた書き手は皆さんそうなのかもしれないが、小川洋子さんにはとりわけひしひしと、そういう気配を感じてしまう。マジックだなあ。

    「チーター準備中」と「竜の子幼稚園」が特に心にしみた。この二作に限らず、小川作品にはしばしば、心から愛する者を失った人たちが登場する。喪失はすでに取り返しがつかず、人は無力感と共に取り残されている。美しい世界は時に残酷で、その不条理を誰に訴えることもできない。

    さして不幸な目に遭ってきたわけでもなくても、きっと多くの人は漠然と不安感を抱えているのだと思う。この世界で居心地が悪く、なにかが間違っているような感覚。何とかうまくやっているつもりでも、ふいに世界の様相が一変して、呆然となすすべもなく立ち尽くすことになるのではないかという予感のようなもの。そういう、普段は意識しない心の暗がりに小川さんの言葉が届いてくる。

    それは胸に痛いはずなのに、そして確かに締め付けられるような痛みがあるのに、同時に穏やかに癒やされるものを感じるのが、作者のすごいところだ。繰り返し読むほどに味わいが深い。

  • 生きるのがちょっとだけ上手じゃないけれどそれでも自分の居場所をひっそりと保持できている人と、無力に見えるけど気高く生きている動物たちとの関わり合いを書かせたら、小川洋子さんは天下一品ですね。.


    大好きな「ブラフマンの埋葬」「ことり」の流れを汲む掌編集で、あぁ、いいなぁ、小川さん、好きだなぁ、と思いながら最後まで読むことができました。(#^.^#)

    スーパーでの試食品販売で一人暮らしの生計をたてる女性を描く「帯同馬」。
    誰の邪魔にもならず、自分の小さな場所から決してはみ出さず、と細心の注意を払う彼女なのに、販売の際の工夫によって、行く先々のスーパーで確実に売上を上げるという設定の優しさが嬉しいです。
    押しつけがましさのないあれこれに彼女の人柄が反映されとても好ましいし、私だってこれなら買っちゃう!って思ったりもしてね。

    そんな彼女の前によくあらわれる、試食品ハンターとでもいうべき小母さん。
    あぁ、やだなぁ、彼女がイヤな思いをしないといいけど、と思っていたのだけど、そこは小川さん、そんな小母さんにもしっかり小川色をつけてくれて、骨太なガラス細工(変なたとえだぁ~!)状の背景を。

    小母さんの虚言癖さえ、哀しみと可笑しみが混合されていて、うん、色々あったんだね、なんて。

    そして、彼女がスーパーに通う際に乗るモノレールの沿線にある競馬場からフランスのレースに出場するため出国した競馬馬と、その馬の“慣れない土地への移動のストレスを解消するため”に同行する馬がタイトルの帯同馬。

    彼女は暗闇で不安がる二頭を思い、ため息をついたり、そんな中でのお互いに慰めあう彼らを想像し誇らしく感じたり。
    特に、スターではない帯同馬に思いを馳せるのは、彼女の人となりを考えれば自然なことで、そんな、彼女の日常と馬たちへの想いの小さなお話、楽しんで読むことができました。

    そのほか、

    「ビーバーの小枝」「ハモニカ兎」「目隠しされた小鷺」「愛犬ベネディクト」「チーター準備中」「断食蝸牛」「竜の子保育園」

    どれもよかったです。(#^.^#)

  • 読後、ふっ、と心に浮かんできたのは

    す く う   と言う言葉だった。

    掬う?救う? す く う?

    実家の近くを流れる浅い川は、水がとても澄んでいるので、
    小さな鰍(かじか)が流れに沿って、ひよひよと泳ぐ姿を目にする事が出来る。
    (と~っても可愛らしい!^^♪)

    霧消に接触を試みたくなる私は、思わず水中に手を沈めて待ち伏せし、すくいあげてみる。
    (簡単にはいきませんが。)

    稀にぼんやりとした鰍が罠にかかり、
    ピチピチと手の中で跳ね回る姿を見て、(確かにいる)事に納得した私は安心し、(何に?)
    再び川へ放してやるのだが、
    あっという間に彼らは、波の流れと同じ光の線と化して、チョロチョロとどこかに消えて行ってしまうのだ。

    8編の物語の主人公達を私は、
    この小さな『鰍』のようだ、と思った。

    手のひらに感じた、
    確かに感じた
    どこかにはいる(彼ら)の気配。

    誰に気付かれることも、読まれる事もなさそうなひっそりとした物語。と言った感はあるが、
    たまらない愛おしさも同時に感じてしまった。

    救ったのか
    掬ったのかは、結局はわからず仕舞いだが、

    本を閉じた後は、私もおそらく『鰍』化するに違いない。事だけは、とりあえずわかった。

  • 社会の片隅でひっそりと慎ましやかに生きている、
    人と動物に光を当てた短編集。
    人は皆心の中に喪失を抱いている。
    家族のない一人ぼっちの人なら、
    孤独に耐えきれないこともあるだろう。
    だけどあなただけじゃない、動物たちもみんなそうなんだよと
    静かに励ます作者の声が行間から聞こえてくる。
    実に小川さんらしい、生命を慈しむ物語だった。

  • 小川洋子の作品は、いつも登場人物が周りの不理解で
    ひどい目に遭いませんようにと祈るような気持ちにさせられる。
    動物や植物なら、人間の生活のために犠牲にならないよう
    断絶しないよう祈ってしまう。
    儚いけれど生きている者たちに大してもっと謙虚であれと
    願わずにいられない。切なくて大切に隠しておきたい
    気持ちにさせられる。
    今回はビーバーの小枝がとても好きだった。

  • 小川洋子ワールドを堪能した8編の動物をモチーフにした短編集。
    どの主人公も、強い主張はないけれど、淡々と生きているし
    静かな中にある個性を感じさせてくれる。

    同じように、ひっそりと気高くそして優しく寄り添うかのように
    生きている動物たちの美しさにもスポットを当ててくれた。

    その当て方が、小川さんならではの世界観だから
    心にふっと染み込むラストに感じた。

    愛犬の瞳から見る人間の世界は、どうなんだろうか?と
    ふと感じてしまった。

  • 自分に与えられた場所で、自分に与えられた運命を受け入れ、自分の役割を日々真摯にこなしている。
    そんな登場人物たちに心が洗われた気がしました。

    ささやかな楽しみが、仕事のあとのアイスクリームって。
    ふふふ、私とおんなじだ。

    個人的には『ハモニカ兎』が一番おもしろかった。
    「犠牲」「牽制」「盗む」「重殺」・・・
    これをそのまま翻訳したら、どんな競技なんだ!?と確かに不安になるかも。
    新聞で「死球」という文字を見つけて、なにこれ、死んじゃうの!?と驚いていたうちの子どもをふと思い出しました。
    そういう日常のふとした違和感をストーリーにしてしまう小川さんって、ほんとすごい。

  • ビーバーの頭蓋骨の話が1番すきだな。私はこれまで会って姿を見て話すことが1番大切だと思っていたが、大切なのは、そこじゃないんだと感じたお話だった。

  • 動物にまつわるお話をまとめた短編集。
    どれも小川洋子さんらしい、何かが欠けていて、「普通」の世界には馴染まない人達の、一風変わった、じんわりと沁みるお話だった。彼らのささやかで慎ましやかな生活は、何故か私を哀しいような切ないような気持ちに…そして彼らのその小さな世界が脅かされることなく守られるようにと、祈るような気持ちにさせる。
    「ビーバーの小枝」「チーター準備中」、そして「竜の子幼稚園」が特に印象に残った。どれも今はもう会うことの叶わない親しい人を想う話。

  • それぞれに何かしらの動物が出てくる、短編集8話ですが、動物が主人公ではないです。
    タイトルの通りいつも彼らはどこかに…と、当たり前の様でいて、だけどもひっそりと佇んている様な存在感を出していました。

    小川洋子さんの作品は二冊目ですが、何か非日常的な雰囲気がとても良いです。本当は長編を読んでみるつもりで図書館から借りてきたのに、間違えて短編集を手にしてました。次回こそは。

    『英名:Cheetah
    チーターの最後にはhがあった。いつからチーターの一番後ろには、hが潜んでいたのだろう。』

    失った子供のh(本文では手放したとなっている)をチーターの綴りで見つけ、チーターを特別に感じる…なんてお洒落な表現なんだ!この、”チーター準備中”が1番好きでした。

    帯同馬/ビーバーの小枝/ハモニカ兎/目隠しされた小鷺/愛犬ベネディクト/チーター準備中/断食蝸牛/竜の子幼稚園

  • なにかオチがあるのかな、と思っても見当たらず、すうっと閉じてゆく。説明をしてしまうと興ざめしてしまうというように、軸を曖昧にして物語は進む。特に世界観がツボだったのが、「愛犬ベネディクト」「チーター準備中」「断食蝸牛」。忘れた頃、ふとなにかの拍子に場面が頭をよぎりそう。

  • 小川洋子さんらしい、穏やかで対象とするものへの愛おしさと尊敬に満ちた短編集。テーマとなった動物それぞれがタイトルとなっています。
    印象に残っているのは、ビーバーの話。遺されたものからその持ち主への想像を描くというのも、らしい。

    初期の小説にあったような、冷たい血の匂いを感じるような、性と死の影のあるお話が好みという意味では好きだけど、小川洋子さんの話を読んだあとはいつも心を浄化されるような心地になる。

  • 帯同馬
    ビーバーの小枝
    ハモニカ兎
    目隠しされた小鷺
    愛犬ベネディクト
    チーター準備中
    断食蝸牛
    竜の子幼稚園

    八本の短編集。
    帯同馬は多分日本だが、それ以外はどこの国かも判然としない、どこかの町の片隅でひっそり慎ましやかに生活している人の話。
    断食蝸牛がタイトルの感じも含めて好きかな。語り口が上品なのに漂う嫌な空気がおもしろい。
    小川洋子さんは、文章を読むのが心地よい。

  • 非常に高く評価している小川洋子の短編集

    相変わらずのハイクオリティ…
    森林浴ならぬ小川作品浴を深々と堪能できる作品集でした

    追随を許さないのに「圧倒的」が似合わない静かな佇まいが
    小川作品の魅力の最たるものではないかとオモウ

    装丁も美しくてイイ

    星は4つ

  • 「帯同馬」「ビーバーの小枝」「ハモニカ兎」「目隠しされた小鷺」「愛犬ベネディクト」「チーター準備中」「断食蝸牛」「竜の子幼稚園」の全8編。

    またまた小川洋子ワールド全開!
    彼女の小説は、いつも登場人物のなかに小川さん自身を感じてしまう。
    きっとこれは小川さんがいつもこうしているんだろうな、とか、こう感じているんだろうな、とか、どうしてもそう見えてしまうのが不思議。
    ひっそりと静かで、薄い布端にじわじわと水が染み込んでいくようなゆっくりとした時空間というか世界観というか。
    ひとつひとつの言葉を丁寧に取り込んで味わいながら読み進めないと、小川ワールドに浸るのは難しいが、でもひとたびその世界に入り込むと、そのなんとも言えない独特の世界観がやみつきになる。

    ていうか、今更だけど生き物がテーマだったんだ…。気づかなかった…。
    そういえば、生き物が全編出てきてたっけ??
    何を読んでたんだ私。

    美術館に通ってくるおじいさんの話「目隠しされた小鷺」が一番好きです。

  • 『「老いた動物を見学するのに、動物園はうってつけです」と、飼育係の青年は言った。「野生では、老いると同時に死んでしまいますからね」』-『チーター準備中』

    死というものは、本当はもっと日常に溢れているものなのに、気付かない振りをして生きている。まるで、こちら側とあちら側をきっちりと区分けする境界線のようなものがあると思い定め、死がその二つの世界を繋ぐ唯一の点のように思いながら、平気な振りをしている。そしてそのとば口が一方通行の入り口で、入ったら二度と出られないと思っている。確かにそれはほとんどの場合その通りだけれど、同時にその入り口が重い扉のようなもので閉ざされていると無防備にも思ってしまってもいることは少し恐ろしい。実際にはそんな安全弁のような扉なんてなく、入り口はいつでも開いているものだということ、そしてそんな入り口はいくらでもあるということを、小川洋子の小説は意識させてくれるように思う。

    それは二通りの意味で読むものに迫ってくるように思う。一つは、死はありふれたものである、という意味で。そしてもう一つは、あちら側とこちら側の境は曖昧だという意味で。そうやってあちら側とこちら側との距離の近さを意識させておきながら、その入り口が一方通行であるかどうかについて小川洋子は何も言わない。しかし、一方通行であることは静かに了解されるべきこととして読むものの内側で整理されていなけれはならない前提となっている。異界と現実の境を登場人物に幾らでも何の抵抗もなく越えさせはするのに、その一点については頑なに自由度を与えない。小川洋子の小説にある独特の静謐さと湿ったような冷たさは、そんな死に対する諦念とあちら側への憧憬にも似た感傷に由来するものであるように思う。

    口を閉ざし言葉少なに生きている登場人物。ただ黙っているだけだというのに、死がひたひたと迫ってくるように感じられるのは何故なのか。あるいは、そうしてさえいれば、死という時間軸の一点を通過することなくあちら側の世界を覗くことができるのだと登場人物が考えているように思えてしまうのは。こちら側の世界で他者との接点を少なくすることが、必ずしもあちら側の世界をより引き寄せることを意味する訳ではない筈なのに、そういう風に取り決められている方程式のように思えてしまう。小川洋子はその入り口を越えることなく、入り口近くで見えるであろう景色を巧みに描く。そして思いの慣性を誘う。

    エピローグは、こちら側の世界では語られることがない。あちら側の世界へ向かって常に進んでゆくものとして描かれる。しかしそこには一方通行の入り口があり、その先へは進んで行くことが叶わない。ただ越えられない一線の手前で立ち尽くすしかない。その場所であちら側を見つめるしかない。すうっと引き込まれそうになる感覚を覚えながら、身体はこちら側に留まり続ける。そこで断ち切られると分かっていても小川洋子の語る静かな物語に引き込まれてしまう。それが、幾ばくか生という対価を支払っている行為であるように感じながらも。

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この世界が素晴らしいのは動物たちがいるから――震えるような感動を呼び起こす連作小説。たてがみはたっぷりとして瑞々しく、温かい――ディープインパクトの凱旋門賞への旅に帯同することになる一頭の馬、森の彼方此方に不思議な気配を残すビーバー、村のシンボルの兎、美しいティアーズラインを持つチーター、万華鏡のように発色する蝸牛……。人の孤独を包み込むかのような気高い動物たちの美しさ、優しさを、新鮮な物語に描く小説集。

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