ゆうじょこう

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著者 : 村田喜代子
  • 新潮社 (2013年4月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (317ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104041046

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ゆうじょこうの感想・レビュー・書評

  • うーん、読み思わってもすっきりしないし、もやもやが残る。
    結末はどちらかと言うと前向きで未来が開けているような気もするんだけど、実際その後のイチが遊女たちがどうなったんだろうと考えると切なくなってくる。

    いわゆる遊廓の悲恋ものではなかった。惚れた腫れたが全然出て来ない!
    鹿児島の硫黄島から身売りされてきた少女イチの成長物語と言ったところか。
    イチは読み書きも出来ない野猿の様な少女だった。そのイチが、徐々に文字を覚え自分の言葉を綴りはじめる。

    廓の外にも割と簡単に(?)出られるし、女紅場と呼ばれる学校で読み書きを習うこともできる。
    この辺りは時代背景が明治中期と言うこともあり、江戸時代の吉原などと比べると遊女たちの待遇も改善されているのだろう。
    それでもやはり抑圧の時代だったんだなと読むのが辛くなってくる。

    そう、福沢諭吉!
    学問のすすめってこんなこと言ってるの??
    この小説で一番の衝撃だった。
    日本の紙幣の顔として堂々と君臨しているこのお方が実はこんな男尊女卑と言うか、貧民卑下の様な考えの持ち主だったとは・・・。

    廓を抜け出した遊女たち。
    廓に残るのも地獄、出るのも地獄。
    それでもやはり出る地獄を選んだ女性達の強さに賞賛を送りたい。
    それにしても花魁はカッコよかったー。
    東雲花魁も紫花魁も。
    どなたかのレビューにもあったけど、私も東雲花魁=壇蜜で読みました(笑)

  • 深くこころに残るこの小説、☆五つです。

    南の島から遊郭へ売られてきた青井イチ、十五歳。
    見習いからはじまり、お客をとる娼妓になっていくイチ。
    連作短編の形式で話は進みます。

    大きな遊郭街には女紅場(じょこうば)と呼ばれる学校があったのだそうです。
    そこで作文や習字のほか料理や裁縫、活け花などを教えており、イチは熱心に通うようになります。
    お師匠さんの鐵子先生に言葉を少しずつ教わり日記を書くようにいわれ、イチが書いた日記(作文)がたくさん挿し挟まれているのが秀逸。
    イチが書いた作文が回数を重ねるにつれ、どんどん魅力的になってくる。
    拙い文章ながら、書きたくて書いたものは面白い。
    イチの曇りのない目が素晴らしいと思った。
    人が言葉で表す面白さ。考えていることが伝わってくる。
    考えることを通してイチが成長していくのがうれしい。
    素朴な方言もいい味を出し、自分も鐵子先生のように楽しみにするようになりました。

    辛い境遇の遊女たちの話ですが、作者の文章は暗くならずに読めるので救われます。
    明治になっても、貧しい家が娘を売るということがあったという事実はずっしり重い。
    遊女の哀しみが丁寧に書かれていて、村田喜代子さんに大変好感を持ちました。

    女紅場で鐵子先生が生徒たちに太陽が一番偉いという話をする場面がある。
    生徒たちはピンと来ない。
    天子さま。おっ父さん。師匠。弘法大師。と他に偉いものを挙げた生徒たちに語った鐵子先生の言葉がいい。

    「太陽がないと私たちは生きていくことができません」
    「もったいないことですが、天子さまがお隠れになったからといっても、人や獣や木や草が死んでしまうことはない。そして父母がなくても、師がいなくても、私たちは生きていくことだけはできます」
    「あの世でお大師さまがいなくなったら大変かもしれません。しかしこの世では、とりあえず生きていけるのです」
    父母のため。親孝行のためという名目で、ここにいる娘たちは売られてきたが、太陽、お天道のために売られることはないのである。しかし天子さま、父母、神仏のためには、売られたり、命を落とすことがある。
     だが太陽は人間に何も押しつけたりしない。ただ恵みの光を注ぐだけである。
     太陽が一番、ということを知っていれば大丈夫。

    このあと、話は遊女の日常だけに留まらず、ある出来事が起こっていく展開。
    立場、時代を超えて、訴えかけてくるような感動がありました。
    イチの瑞々しい文章もあり読後感が良かったです。

    *覚え書き*
    武家の娘から身を売るしかなく、遊郭で働いていた鐵子先生。
    年季を終えて師匠となる。その鐵子先生が読んでいた福沢諭吉の論評を記しておく。

    時事新報に福沢諭吉が連載していたという「新女大学」
    連載が進むにつれて、諭吉の女子への公平な愛というものは、身分ある家の婦女子だけにそそがれていることがわかった。女子はいかに教育されて書を読み博学多才であっても、気品が高くなければ淑女といえないと諭吉はいう。
     郭の女を賤しい女輩と断定し、芸妓を人外と貶めている諭吉の文章に深い悲しみを覚えた鐵子さん。
     良家の婦人はなぜ<清く>、遊女揚がりの女はなぜ<濁る>者か、なぜ婦人が<高く>、遊女揚がりが<卑し>なのか、鐵子さんは文字を追いながら<天は人の上に人を造らず>と言った人物の内実の姿に怖気を覚えた。
     身は貧しくても頭脳ある者を重んじなさい。と言った後に貧ゆえに他人の軽蔑を受け、媚も売らねばならぬときもあり、その苦悩は<檻内の虎の如し><最も恐るべきは貧にして智ある者なり>という。極めつけは<貧人に教育を与ふるの利害、思はざる可らざるなり> 一定の人は切り捨てた上での「天は人の上に人を造らず」か…。

    ふ... 続きを読む

  • 遊郭特有の惚れた腫れた。恋い焦がれる…折檻とか病死とかつらい描写はなかったけど、空気は軽くなく幸薄く、静かで味の薄いみそ汁をすすっているような読み心地でした。(雰囲気は違うけど、蟹工船思い出しました。)評価は難しいけど、途中から一気に読んでしまったので悩んで星4にしました。難しいテーマをこういう風に仕上げるとは…予想外でした。


    確かにもやもやする。みんなその後どうなったんだろう…。とても気になる。うまくいき過ぎてるような気がして、こんなに簡単にいくものなんだろうか………絶対に違うけどイチの夢落ちとかじゃないよね…、とか思ってしまった。


    読んでいて思ったこと。なぞ。これは一体誰目線でとらえられている物語なのかな…。イチのことはイチと書かれているし、同時期に遊郭に入った同期は呼び捨て。先生や大夫は目上の人はさん付け。………イチじゃなくって小鹿(イチの源氏名)目線なのかな。じゃあ、やっぱり夢なんじゃないか…と、足場がゆらゆらしていて不安になる文章だった。折檻されて生死を彷徨っているんじゃないかとか思ったり。気になることが多かった。(←注・勝手に思っているだけです。)


    月のものは女から女へ移る。不平不満やうっぷんも伝わる、それがストライキへのつながりにもなる。これが福沢曰く「最も恐るべきは貧にして智ある者なり」=266ページ=ということなんだろうか…。途中で鳥肌が立って仕方がなかった。


    あとこれは時代の流れが変わる、それを敏感に感じ取った鐵子さんの物語でもある。鐵子さんが衝撃を受けた福沢諭吉の件はちょっと引いた。(特に牛馬、人外のあたり)


    「国の力をつけるためには、知恵なき貧しい者の言い訳をいちいち聞いているわけにはいかなぬと言うのです」=314ページ=あたりは、今の世の中そのまんま変わっていないような気がするとさえ思いました…。


    複雑な気分になってしまいました。女たちに自分で生きる力(知恵)を身に付けさせようとする、鐵子さんに好印象を持ちました。男性への文は上手に書けないけれども、独特な感性を持つイチの日記は印象深い。イチはきっと戦争の時代も乗り越えて、力強く生きぬいて母になりおばあちゃんになったことを信じて本を閉じました。


    参考文献の三砂ちづる『昔の女性はできていた』(宝島社)は、いつか読みたいと思う。

  • (2013.12.25読了)(2013.12.21購入)
    明治36年ごろの熊本の東雲楼という遊郭を舞台にした物語です。遊女の世界が描かれています。主人公は、鹿児島の南の硫黄島から売られてきた青山イチです。
    見習いから花魁になるまでの話かなと思いながら読み進んだのですが、・・・。
    「八重の桜」で登場した女紅場というのが出てきます。女の人のための教育機関なのですが、この物語では、生徒は、遊女たちです。
    各章のまとめは、青山イチの方言による日記になっていて、これが実にユニークです。
    奴隷というとアメリカの黒人奴隷を思い浮かべますが、日本における人身売買も奴隷と同様のものということですので、日本でも歴史上、近代まで人身売買があったということでしょう。
    若い男性には、ちょっと刺激が強い内容かもしれません。男性にはちょっと想像しようがない話もあるし。

    【目次】
    なみの上
    へがふっと おもいだす
    いやいが ないておりもした
    じのそこがほげもした
    しろい ちば すいもした
    あたいたっちゃ 一つこと ないもした
    あたいは たちいおに なりもした
    あかの たんじょっの ゆえごっに
    にんがい
    ぶにせの しょっきち
    しょうぎに おやは いりませぬ
    しょっがつみてな日
    なみの上で しにまする
    初出・参考文献

    ●女紅場(16頁)
    イチたちの通う学校の名前は『女紅場』といった。
    娼妓の学校である。(中略)
    明治三十四年、廓で働く女性たちの教養の場として楼主組合の出資で創立した。(中略)
    修身、読書、習字、作文、活け花、裁縫の六教科を習う。
    ●世間の女房(32頁)
    「世間の女房というものは、四六時中、亭主の相手をしなければならない。自分の気の向いたときに女房を押し倒して、そのくせ金も払うてくれぬ。子をぼろぼろと生ませられて、働いて、牛馬と同じじゃ。」
    ●百人一首(64頁)
    例えば世の中に普通なる彼の百人一首の如き、夢中に読んで夢中に聞けばこそ年少女子の為に無害なれども、若しも一々これを解釈して詳らかに今日の通俗文に翻訳したらば、淫猥不潔、聞くに堪えざること俗間の都々一に等しきものある可し。
    ●性交(90頁)
    そもそも性交というものは苦痛と快感の振幅の間に、男女の心の営みが息づいていると鐵子さんは思うのだった。その心の営み、豊かな感情の世界が織り込まれることがなかったら、女にとって性交は苦痛のほかない。
    ●娼妓の人権(206頁)
    明治三十三年、娼妓は本人の意志で自由廃業ができることが認められたのである。背景には救世軍や日本キリスト教会、女性の人権運動などがあった。
    ●一番(231頁)
    天然の理、科学の世界の一番と、権力の世界の一番と、人倫の世界の一番と、仏の世界の一番を、一緒にして較べることはできまい。
    (太陽、天子、父、師、弘法大師、等)
    ●将軍(232頁)
    鐵子さんの若いときは、天子さまでなく将軍さまが一番だった。その将軍さまは家来を見捨てて天子さまに降伏した。そして見捨てられた大勢の家来たちは自ら戦って死んでいったのだ。
    ●金額の漢字(250頁)
    一、二、三という字はお金の額を記すとき、後で他人が書き直したり出来ぬように、わざと難しい漢字を用いるのです。
    (壱、弐、参、ついでに十も、拾)

    ☆関連図書(既読)
    「人が見たら蛙に化れ」村田喜代子著・堀越千秋絵、朝日新聞・朝刊、2001.06.10
    (2013年12月26日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    幼くして熊本の廓に売られてきたイチ。廓の学校『女紅場』に通いながら、一人前の娼妓となっていくイチが眼の当たりにする女たちの悲哀。赤ん坊を産んだ紫太夫。廓から逃亡したナズナ。しかし明治の改革は廓にも及び... 続きを読む

  • 明治時代、硫黄島から熊本の妓楼に売られてきた青井イチ。
    訛りがひどく、強情で、鉄砲玉のような少女が過ごす日々を描いている。
    女郎としての苦しみ、娼妓を「牛馬のようなもの」と言い捨てる世の中、といったものがあっけらかんとしたイチの生活を通して描かれていて、それがあまりにも現代の世からは遠く、江戸時代の廓の話を読むよりもずっと遠い国の物語を読んでいるような気持ちになった。
    イチをはじめとする「学のない」女たちがそれでも生きようとする姿はまっとうで力強い。何も与えられることなく育ち、女であるというだけで奪われ、頭を空にして何も考えず生きていくことを強いられ、それでも貪欲に自分の身になるものを得て生きていく。
    今の私たちが当たり前に手にしているものが「まったくない」ばかりか、「そんなものがあることすら知らない」ひどく狭められた世界からあがくようにして生きていく。
    東雲さんが最後に楼主に向けて放つ言葉が凛として美しいと思った。

  • 明治30年代。
    少女たちは貧しい農村や漁村から売られてくる。
    何も知らないままつれてこられた遊郭では
    『女紅場』という教場で
    少女たちは教育を受けます。

    話し方を知り、文字を知り、
    自分の気持ちを日記に書く主人公。
    そのきらきら輝く感性に驚きます。
    素朴な疑問持つことも、季節を感じる心も、
    「学び」があってこそ獲得できる。
    人を人たらしめる人間らしい何か。

    自然の営みや社会を知る喜びや
    一度ならずも二度、三度と親の犠牲となる
    少女たちの成長を心から応援しながら
    何故こんなに読後感がいいのか。。。

    舞台が遊郭なのに、
    妙ないやらしさや陰湿さがなく
    悲しみを押し殺し
    前向きに捉える少女たちの心に
    勇気付けらたのかな、と思います。

    「ゆうじょこう」は、
    学校の『校』でもあり
    遊女の技を作る『工』でもあり、
    『考』でもあるし、また、
    『香』だったりするのかもしれません。

    明治33年、実際にあった
    「東雲楼」でのストライキを題材に、
    当時の上流文人の考え(福沢諭吉)が
    織り込まれているのですが
    『天は人の上に人を作らず…』と
    語った福沢の本音はその後に続く言葉に
    あると知り愕然。

    ちょっと横道にそれるけど、
    ユニセフなどの
    途上国へ教育を普及させる仕事も
    とても大切なんだと思いを致しました。

    そんな感じで、
    この小説の魅力は
    単なる廓ものでおさまらないところに
    あるのだと思います。

  •  本当に素敵で素晴らしい

    風俗文学作品でした。

    読み終えた今でも

    登場人物の哀らしい娘達が

    その後も達者で暮らしているのかなと、

    小説物語であることを忘れて

    思い募い続けています。

  • 村田喜代子さんが描く
    弱き立場の人は
    いつも哀しく
    そして
    ときには頼もしい

    実在した熊本の「東雲楼」を舞台に
    その時代に生きる人々を鮮やかに描き出す筆力に
    相変わらず ほれぼれしてしまう

    主人公の
    青山イチ の 
    健気さ
    可愛らしさ
    突き抜ける明るさ

    とても 心地よい

  •  「読むのがつらい」と思った。
     本書は、明治30年代の熊本の遊郭の遊女を扱っている。遊女として売られてくるのは、貧しい庶民の15歳前後の娘たちである。
     売春が正式に禁止されたのは昭和31年(1956年)のことだし、当時は公娼制度があったことは知ってはいたが、本書の描く貧民の娘たちの姿はあまりにも哀しく、せつなく、そして可哀想である。
     一時は息苦しい思いを持ち、読書を断念したが、本書は小説・フィクションであると思うことでなんとか読み通した。
     一般に歴史に残るのは、教育を受けることができたその時代の特権階級や身分上昇ができたごく一部の例外の人々であり、教育どころか食べることも満足にできない庶民は、記録に残らない。
     極貧の庶民の親から遊郭に売られた少女達ほど、哀れなものはない。 
     本書の描く少女達の姿は、小説であるだけに現実よりはまだましに描かれているのではないのか。
     あまりにも悲惨で救いようがないのは、この現在であれば中学生ぐらいの少女達に人生の「選択肢」がまったくないことである。
     廓で身体を売ることを拒否することはできないし、親が受け取った前渡し金を考えると、脱走すらできない。たとえ脱出が可能であったとしても、外の社会に生きる術も場所もない。
     慰安婦問題で「かつて公娼制度があった」と主張するやからは現在でも多いし、「当時は慰安婦制度は必要だった」と発言した政治家もいたが「このような想像力が欠落した人間は本書を読めばよい」と思った。
     本書は、「遊女」などというものは「かつてであろうが現在であろうが、あってはならないし、決して許されるものではない」ということがよくわかる本であると高く評価したい。

  • 明治の36~7年の頃、九州は長崎にある東雲楼という遊郭を舞台にした話。青井イチという15歳の娘が硫黄島から親の借金の「かた」に東雲楼に。女紅場という教養を身につける場所で文字や手紙など勉強しながら遊郭の仕事を。そして、やがて、ストライキを覚え、花魁や天神などとともに遊郭を「逃亡」し自由の身になるまでの物語。村田喜代子 著「ゆうじょこう」2013.4発行。

  • 漢字は「遊女考」らしい。

    遊郭に売られてきた硫黄島の娘・イチの物語。
    ものすごく華やかで艶やかな世界の、ものすごく厳しい現実を不思議なバランス感覚で生き生きと力強く描いた素敵な風俗小説。
    男と女のめくるめく情愛とか、遊女の悲恋とか、そういうありがち(?)なテーマではなくて、女郎たちが立ち上がり、自分の意思で一歩を踏み出す物語。

    遊女達はその仕事の“賤しさ”から嫌悪の目で見られがちだけど、みなやむにやまれぬ家庭の事情で売られてきた農村や漁村の無垢な乙女たち。ちょっと間違えれば悲壮感たっぷりなお話になってしまいかねないのに、じんわり温かくて前向きな物語なのだ。イチの天真爛漫で天衣無縫なふるまい、花魁・東雲太夫の艶やかで天女のような魅力、イチを支える鐡子さんの優しさが織りなす空気感がとても心地よくて、さらさらと読んでたらあっという間に終わってしまった。

    前途は険しく、それでも彼女たちは歩いていく。

    東雲さんが美しくて、すっかり魅了されてしまった。

    福沢諭吉は偉そうに「天は人の上に人を作らず~」とか言っておいて、割と偏見に満ちた説を展開していたとか本当なのかしら。それがこのストーリーと同じくらい衝撃的だった。

    テーマがテーマなので誰にでもオススメすることはできないけど、とても素敵な作品。

    --

    たたみの 上では しにませぬ
    あたいは なみの上で しにまする

    硫黄島から熊本の廓に売られてきた海女の娘イチ。廓の学校『女紅場』に通いながら、一人前の娼妓となっていくイチが眼の当たりにする女たちの悲哀。赤ん坊を産んだ紫花魁。廓から逃亡したナズナ。しかし明治の改革は廓にも及び、ついに娼妓たちがストライキを引き起こす。苦界に生きる女のさまざまな生を描く連作短編集。

  • 遊郭に売られてきたイチのお話。
    借金に借金を重ねさせられ、親にも逆らえず雁字搦めに…と、希望も何もない悲惨な舞台なはずなのに、話は淡々と進む。悲壮感もあっさり。出てくる女たちの顔を上げて進む逞しさが眩しい。まさに、矜恃とはこのことか。
    ラストの少し希望をもたせる様に少しは救われたが、それよりも合間合間に挟まれるイチの日記にホッとさせられる。

  • 時は明治。
    熊本にある遊郭に売られてきたイチは15歳。
    花魁の東雲太夫や女紅場の鐡子から教えを受けて少しずつ世の中のことが分かってくるイチ。
    日々感じたことを素直に日記にしたため、鐡子に提出するのだが、お国訛りまるだしのひらがなの文章はとても読みにくい。
    でも話が進むにつれ、鐡子と同じくイチの日記が微笑ましく、楽しみになってくるから不思議。
    決して楽しいことばかりではない遊郭暮らし。
    辛いこともあるのに暗くならないのはイチの素直さと方言のユーモラスなリズム感のおかげか。

    実際に熊本の遊郭で起きた事件をもとに書かれたお話らしい。
    考えさせられることもたくさんあるけど、前向きな気持ちになれます。
    女性にお勧めです。

  • 先日大型書店の男性店員が女子フェアなるものを企画してお勧め本の薄さにweb上でボコボコにされてたおりにそれについての冷静なコラムでこの本がお薦めとなっていたため読むことにした(前置き長いw)

    たしかに女子目線で女子におすすめの本。
    明治30年代の遊郭を描く。
    いままで読んだ江戸から明治初期の遊郭とは少しちがった印象をうける。それは時代もあるが女性の書き手が描いているからというのが大きいように思う。
    かわいそう哀れという要素を省いたというか男性の上から目線がないからというか。
    東雲さんも紫さんもイチもどうか幸せになってほしいと願い読み終えた。

    福沢諭吉が貧困層や遊技を下に見ていたというのは興味深い。昔も今も浅い男って・・・(最初の書店員の話につながる)

  • それぞれの人が置かれた「立場」や「境遇」に思いを馳せる。時代背景や価値観が激変する中で、翻弄されもがく人々の「人間の根っこ」を感じた。人としての生き様を教えてもらった気がする。
    生々しいながらも読みやすいのは流石。村田喜代子さんの作品は心に染みて心に残る。
    廓が舞台ということで、ジェンダーを脇に置いて読み始めても、気づけばジェンダーなくして読めなくなっている。
    ヒロインの花魁成長物語かと思いきや、あっさりそれも裏切られ、思わせぶりな文章で「この旦那こそ」と思っては、またそれも翻される。
    鐡子がおそらく作者の自己投影像なのだろう。福沢諭吉に対する考え方然り。東雲、紫などの花魁の生き様も、一筋縄に読ませてくれない。
    読みやすいのに、あとあと引き摺る作品。

  • 本作の舞台である遊郭。漠然としたイメージしかなかったのだが、史実に基づいた遊郭の文化が細かに書かれていてとても興味深い!割とリアルに描いてあるけどエロくもなくグロくもなく、こういう風俗文化があったのか!という知的好奇心が満たされる感じ。
    月経コントロールのところなどはなるほど、やってみようという気分になった。ただ、避妊についての記述がなかったのが気になった。そのへんは察しろって?

    この作品のよいところは、大げさな悲壮感や感傷的な表現があまりないことだ。親の借金を払うために、まさに身をけずって働く娘たち。そこに明るい未来はない。
    ストーリーの要となるイチの日記やセリフには、感情や想いがその国訛りを通して詩のように伝わってくるのだが、ネガティブな印象はない。遊郭言葉は粋な感じだけど本当の感情を出さない。場面もサクサクと転換するので、全体的に淡々とした感じで、日常が過ぎていく。

    しかし、朴訥だが生命力にあふれるイチを中心に、東雲さんや紫さんの、鐡子さんの、それぞれの女たちの想いが、新しい時代のうねりにのって後押しされ、ラストに向けてストライキの人数が増えていく展開は秘かに胸熱である。

    また、女性解放運動だとか人権だとか、押しつけがましくないところもよい。
    高校生の教科書にのせるとか、課題図書にしたい一冊だ。

    新聞の書評だったか広告だったかでみて気になっていたところちょうど図書館で見つけて中をぱらりと見ると、改行が多く字も大きく読みやすいの借りてみたけど、予想以上に良書だった。

  • 県内図書館員おすすめの本「女性たちの強さと逞しさ、清々しさに共感」というラベルに惹かれ、この本を選びました。家が貧しくて、遊郭に売られてきた青井イチ。そのイチが花魁になるまでの話かと思いきや、そうではなく、えっ…という感じの終わり方でした。

  • 少女の目を通して見る、遊女の世界。

    貧しいゆえに遊廓に売られ、遊女として男達に体を買われる日々においても、なお失われない主人公・イチの純真さ。
    小猿のようにお転婆で、学ぶ事に貪欲な彼女の、何ものにも惑わされる事のないそのまっすぐな芯の強さが眩しい。
    「後宮小説」の主人公・銀河を思い出す。

    女紅場という名の廓の学校に誰よりも熱心に通い、机にかじりつくようにして一心に日記を書くイチ。その姿が本当に目に浮かぶようだなぁ。
    彼女とそこで習字を教えるお師匠さんとの日記を通しての交流がまた、切なくも微笑ましい。

    開けっ広げで生々しい遊女の内情には、正直げんなりさせられるものがあるけど。
    飾らない素朴なイチの言動に救われるかな。
    彼女の話すお国訛りも愛嬌があって良い。話し方を指導されても、いつまで経っても訛りがぬけないっていうところも彼女らしい。

  • かなり厳しく過酷な世界を、天真爛漫なイチ、一級の花魁東雲さん、女教師の鐵子さん、主に3人の視点から描く。
    頻繁に挟みこまれるイチの日記が、もう面白くて面白くって。
    突き放した優しい文体も素晴らしい。
    とにかく面白かった、読書の醍醐味はこれだよなー。

  • 遊女の世界を描いた作品は文学だけでなく、映画も漫画もあり、もちろん研究書も多いから、題材に目新しさはないのだが、時代を明治にして、33年の娼妓取締規則のころをラストに持ってくるところが上手い。
    江戸時代の遊郭を舞台に、娼妓たちと客の人間模様を描いた作品が多い中で、新鮮。
    そして、なにより主人公のキャラクターと書いた文章が魅力的。
    九州の言葉になじみがない人には外国語のように聞こえそうだが、わかる人が声に出して読めば、詩のように美しい。そして野口シカの手紙みたいな味がある。この文章でこの小説の素晴らしさが決定した感あり。

  • 硫黄島から熊本の遊郭 東雲楼に
    売られてきた青井イチ
    遊郭で暮らす数年間の話

    時代はちょうど遊郭が廃止される明治時代
    少女が売られてくるという社会背景や
    花魁という特別な存在

    一報で、
    ストライキを起こす芸妓たちや
    自ら子どもを産む選択をする花魁

    華やかな遊郭の世界に
    女性の生き方の移り変わりを感じる

  • やっぱ、村田さんはいいわぁ。
    南の島から売られてきたイチの女郎屋での物語。

    イチの書く骨太の日記がいいねえ。

    ☆5つでもよかったのですが、さらに迫力を求めてしまったので☆4つに。

    福沢諭吉があんないけすかない奴だったとは。

  • 遊女のお話。

    この話は、明治の中期のお話になっている。

    明治政府になったとはいえ、貧富の差は激しく、女性の人格についても江戸時代から、さほど進歩していない頃の話。
    貧しさゆえに、硫黄島を離れ、熊本の遊郭へ売られた、青山イチ。

    イチは、強い。

    花魁の東雲がかっこいい。

    女紅場の教師役の鐵子さんが程よい距離で、イチを見つめている感じがいい。

    イチのつたない日記がいい。
    イチの綴る日々に、明治の力を感じる作品。

    新しい時代の予見を感ずるように描かれていて、村田喜代子さんの筆の明るさがいい。

  • 作者対談。
    新潮社HP
    http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/404104.html

    廓に入って1年。
    島から父親が会いに来るからと、わずかな小遣い銭から家族への土産を買う主人公・イチ。
    しかし、父親は、更なる借金の申し込みに訪れるのであり、物陰から娘の姿を見るものの、言葉を交わすこともなく帰って行く。
    自分の知らぬ間に借金が増えているイチ。
    この出来事が、イチの成長をいっそう促す。

  • 薩摩硫黄島の漁師の娘が熊本の遊郭に売られてからの生活。

    居住地が舞台の話なので読んでみた。三角港に着いてから、どういう経路で二本木の遊郭まで歩いたのか想像した。たぶん松橋まで出て、薩摩街道を北上したのだと思う。二本木は現在の熊本駅の南東にあるが、城下町までずいぶん距離があるように書かれていて意外だった。目と鼻の先と思っていたのだが。現在二本木には遊郭の跡さえなく、風俗街は城下町に移っている。

    連作短編で、必ず一話にひとつ以上あるイチの手紙が趣深い。よく聞く言葉が並んでいたので親しみやすかった。

    牛太郎を使って性技の練習をさせられたりするところが、事実なのだろうがエロい。

    東雲楼のストライキは歴史的事実だが、最後の東雲さんと楼主の対話が、「それでもお前様は、人を売り買いしなさんした」では、少し現代の読者を意識しすぎていると思う。

    今我々が、労働の対価を得ていることは、赤裸々でない人の売り買いではないのか。

    そのほかにも、いろいろと考えさせられるところはあった。遊郭で飯と屋根だけはあるのと、食うや食わずの農民や漁師とどちらが幸せか。

    家族と離れ離れにされるよりは貧しい生活の方がいいと言っても、貧乏は愛を憎しみに変えるのではないのか。

    自分で選んだものが、与えられたり余儀なくされたものより幸せをもたらすと言えるのか。人生にどれだけ選択肢があろうとなかろうと、振り返れば一本の道しかない。選べることと選べないことに何の差があるのか。

    ずっと持っておきたい本だった。

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ゆうじょこうの作品紹介

たたみの 上では しにませぬ あたいは なみの上で しにまする 硫黄島から熊本の廓に売られてきた海女の娘イチ。廓の学校『女紅場』に通いながら、一人前の娼妓となっていくイチが眼の当たりにする女たちの悲哀。赤ん坊を産んだ紫花魁。廓から逃亡したナズナ。しかし明治の改革は廓にも及び、ついに娼妓たちがストライキを引き起こす。苦界に生きる女のさまざまな生を描く連作短編集。

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