太宰治の辞書

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著者 : 北村薫
  • 新潮社 (2015年3月31日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (215ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104066100

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太宰治の辞書の感想・レビュー・書評

  • 久々の「円紫さんと私」シリーズ。女子大生だった私が編集者、そして夫・息子と暮らす家庭人に。そうだよね、前作から15年以上も!!経っているんだもの、と思いつつ、あらまぁ~~と驚きましたぁ!(#^.^#)

    デビュー当時は“覆面作家”だった北村さん。
    私、北村さんとの出会いがこのシリーズだったもので、主人公の女子大生・「私」がそのまま北村さんに思えて(だって、ご本人に色濃く反映しているに違いない、と思えるような、とてもしっくりくる語り口だったんだもの)、だから、北村薫=女性とばかり思っていたんでした。。。。

    で、久々の新作はこれまでのシリーズの中で一番好き!!
    ((#^.^#)(#^.^#) 偶然なんだろうけど、ここのところ、この作家さんの中で一番好き、シリーズの中で一番!ということが続いていて、なんと嬉しい春でしょうか。)

    取り上げられているのは、

    芥川龍之介「舞踏会」と、
    太宰治「女生徒」。

    小説の形は取っているけど、国文学を愛する北村さんの丁寧で優しい文学談義&論証ですね。

    それぞれ、数多くの文献に当たり、“元”となる話や日記を芥川や太宰がどうわが物としたか。


    「舞踏会」も、楽しく読んだけど、往年の太宰信者(大汗)ーもう過去のことですよ、とここで言い訳するのも太宰ファン共通??-としては、二章「女生徒」と三章「太宰治の辞書」は、なんだろ、熱いお風呂に入って、う゛~~~っと唸らずにはいられないような痛気持ちよさ。
    (「女生徒」は、私、断トツ一位の「人間失格」に次いで愛好していた本だったんです。あはは・・ここでも過去形。)

    「女生徒」は、太宰に送られてきた太宰読者の日記が元だということは知ってはいたけれど、それをどうアレンジして太宰味を出したのか、また、どこをそのまま使ったのか、をゆっくりと語るページがとても愛おしくて・・・。
    また、その他、「津軽」のタケとの再会シーンの裏話(というか真相?)や、あの「生れて、すみません」が実はある詩人の一行詩だった、また、太宰が当時使っていた辞書はなんだったのか、それを知ることがなぜ大事なのか、などなど、ホントに興味深い話ばかり。

    北村さんは元々高校の国語の先生だったから、こんなお話も授業の合間にされていのでしょうか。
    もしそうなら、なんて幸せな生徒たちだったんだろう、と思います。

  • 文中、「小説は書かれることによっては完成しない。読まれることによって完成するのだ」という文言があるけれど、まさに「書かれた小説を読むことで完成させる」のを小説で実践、小説を小説という「はこ」にいれて、読者に完成させるべく、バトンを渡している一冊。

    読むうちに紹介されている本を読んでみたくなるし、「私」と同じように、本を辿って旅をしたくなる。花巻周辺を歩く宮沢賢治の旅しかり、文中名前の出てくる鶴舞図書館や、岩瀬文庫、西尾文庫等、かつて本を訪ねて各地を訪れたことがあるなとなつかしく思い出しました。

    そして大学生のころの記憶も。「私」と同じ大学に通っていた私は、北村先生の描くこの世界にあこがれ、文中で描かれるキャンパスを目で追いながら、「私」の読んでいく本を真似するように読んでいたのでした。「フローベールの鸚鵡」等、円紫さんと私シリーズを読んでいなければ読んでいなかった。読めて幸せでした。

    現実が、本の世界に引っ張られる。そんな力をもったシリーズだったなと、あらためて好きだと思いました。

    『波』2015年4月号でジュンク堂書店の方が言っていた「本が次の本を誘う」も然りで、鞄のなかに久々に太宰をいれている私がいます。

    「大切な友人に十七年ぶりに会えました」という、やはり『波』掲載コメントの、芳林堂書店の方と同じ気持ちです。

  • 魅力的な物語に出会うと、本を閉じたあとも、その世界が続いていて、どこかで登場人物に出会えるような気がすることがあります。
    このシリーズは、まさにそんな幸せな体験ができた作品のひとつです。
    前作「朝霧」が、1998年刊行、私が読んだのは、2002年くらい。それから十数年、同窓会で卒業以来の再会をはたした気分になります。
    登場人物の年齢の重ね方が自然で、本当に懐かしい気分に浸れました。
    主人公「私」や円紫師匠、正ちゃん以外の登場人物とも再会したい。ぜひ、今度はもっと近いうちに。

  • 図書館で未読の本を見つけたら、必ず借りる作家さんの一人です。でも新刊のチェックまではしていないので、表紙を見て、おや、と思いつつ、この本が「円紫さんと私」シリーズの最新作であることに、途中まで気付かなかったのでした。とほほ。何しろ「朝霧」を読んだのも随分前なのです。
    「私」もすっかり大人になり、結婚して、子供もいるのか。なんとも感慨深く、しみじみと読み耽りました。

    太宰の有名な作品は大体読んだつもりでいたけれど、まだ全然読んでいないことに気付かされ、少し慌てたり。女生徒もきりぎりすも読んでいない…。
    他にも気になる本が次々に登場して、読みたい本リストが一気に増えました。何より、円紫さんと私シリーズを読み直したい!

  • はじめは文学好きのマニアックな話と思ったが読み進むにつれ謎解きの要素が加わり面白くなる.僕も高校の一時期太宰治に傾倒したからロココ料理はもちろん覚えている.大学入試の面接で「太宰治を読んでます」と言ったら「早くやめたほうがいいですよ」と言われた.落ちたと思ったら受かってた.

  • 懐かしいヒロインに再会。40代になっても、初々しい文学少女ぶりはそのままに。嘗ては配偶者を旦那様と呼ぶことに抵抗ないと言っていた人が、夫を連れ合いと呼んでいる。ここにも時の流れ。学生時代の女子仲良し三人組が皆結婚生活が順調とは真相を現代の風潮からすれば奇跡。女性作家なら、誰か一人は未婚か離婚経験者に設定するだろう。あの輝かしいお姉様は今どうしているのか。主人公の夫は『朝霧』に出ていたあの人?太宰は新潮文庫版のを殆ど読破したな。最近明治大正昭和の日本文学を手に取る機会がめっきり減った。久し振りに読んでみようかな。大宰では『晩年』所収の「道化の華」や「女の決闘」とかが好き。

  • 私と円紫師匠の最新刊。
    といいつつ、初めの2編はほとんど文芸評論とも思える。
    3編目でようやく円紫師匠が登場し、前半の伏線を膨らましていく。
    ベテラン編集者となった私の成熟ぶりや円紫師匠の大真打ちぶりが見てとれ、シリーズの読者を楽しませてくれる。

    それにしても、太宰治は食わず嫌いでほとんど読まないのだが、文中に出てくる女生徒のみずみずしさ、自由奔放さは、まるで北村薫のようではないか。

  • 年齢を重ねた「私」は編集者となり、また一児の母ともなっていた。変わらぬ本への愛をはぐくむ日々のなかで、新たな本の謎を追ってゆく物語。
    …まさかのシリーズ新刊というのが本当のところで、読んでいくうちにああこういうトーンだった、という懐かしさが湧き上がってきてじんわりしました。
    本のなかの他愛ない描写をいとおしみ、思索してゆく、おだやかなけれど芯の通った考え方の流れるさまに、読むほうも心地よくたゆたうような気分にさせられます。
    大きな驚きではなく、小さな納得を得られる、腑に落ちる、という感覚の展開なのですが、この雰囲気にまた寄り添うことができた嬉しさでいっぱいになれたという意味で、とても素敵な時間を過ごせたと思えたのでした。

  •  編集者の私。久しぶりに会った正ちゃんに、芥川の『舞踏会』のこと、三島由紀夫が「芥川はロココ的』だと書いていたことを話す。正ちゃんは「ロココっていえば、太宰だな」と太宰の『女生徒』という作品を教えてくれた。『女生徒』には、「ロココといふ言葉を、こないだ辞書でしらべてみたら」とある。円紫さんは、私に疑問を投げかける。《太宰治の辞書》は?
     大学生だった“私”は、40歳ぐらい?(p7 学生の頃・・・・・・あれがもう、二十年以上前のことだ) 一昨年、連れ合いの実家の近所に家を建て、顔立ちが“私”に似ていると言われる息子は中学生…。

  • 標題の太宰治のみならず、芥川龍之介、三島由紀夫、江戸川乱歩、萩原朔太郎、江藤淳などの作品に言及されていて、近代日本文学、特に昭和日本文学好きにはたまらない1冊。中心は、太宰の『女生徒』に出てくる言葉から、太宰が使っていた辞書を探る、という内容。文学研究書を読むような気にさせられる一瞬があるけど、通しで読めばちゃんとエンターテイメントしています。そして、読み終われば『女生徒』を読み返したくなります。

    ちなみに太宰の作品で僕の押しは『女生徒』『津軽』『桜桃』。『走れメロス』から読み始めてはいけません。

  • こういう小説を、ゆっくり静かに読むよろこび、というのもあるなと思う。

    うしろに付いている出版案内が、参考文献目録そのものになっているという。。。うまく出来ている。

  • わたしが現代国内ミス中毒となったきっかけには、先生と私シリーズも間違いなく含まれる。
    結構極端に文学研究の手記みたいで、同シリーズ既刊に比べるとミステリ色は薄い。
    でも、文章は端的で柳眉、ストーリーも穏やかながら巧み。まさに文芸、こういう本をたくさん読みたい。
    4

  • 円紫さんと私シリーズ最新作。読むといつも北村先生に授業してもらってるような気分になるが、今回も。主人公は自分とそう年が変わらず母や編集者をしているのもうれしかった。

  • 本や芝居やドラマでは、3年10年なんてアッと言う間にすぎる。このシリーズも久々の刊行で「わたし」は40代(かな)。でも実際の人生だって気がつけばおばあちゃんなのかもしれない。円紫さんも今では鈴本でトリをとれば行列必至の大真打。
    本や太宰治の探求もたのしく、ミステリ、事件は起きないけどミステリ、の感を改めて抱く。

  • もう続編はないとあきらめていた、円紫さんシリーズの新刊が発売されました!
    出版元が東京創元社ではなく、新潮社だったせいか、推理色が薄いのが少し残念でした。そして作中時間が20年近く経過していたのも驚きでした。・・・"私"に夫と中学生の息子がいるとは。(^^;
    作品そのものも面白かったですが、作中で紹介されている太宰や芥川の作品を読んでみたくなりました。

  • うーん…「私」シリーズだと思って期待して読むと騙されたと感じるかもしれない。確かにちょっとだけ円紫さんも登場するけれども。親友の正ちゃんも出てくるし、「私」シリーズには違いない。だけど。これは小説の体裁をとった文学談義ではないか。太宰がお好きな人にはたまらないかもしらんが、こちらは太宰や村上春樹のように熱烈な信奉者が群がる作家さんは苦手なのであまり興味を惹かれなかったのが正直なところ。芥川と三島の部分は楽しめたのだが。まあ、そこらは読む側の好みの問題なのかもしれないが、「私」シリーズと銘打ってあるのが少々卑怯な気がしないでもない。知人にやたら好きな作家の記念館やら自宅跡やら色紙やらを有り難がる人がいるのだが正直よくわからないのと同じで、当方には何処までも無縁な世界のお話に昔好きだった人たちが登場しているのがなんとも心地の悪いものだった。ただ、太宰がロココ、というのは至極納得できる。

  • 家族登場でびっくり。
    円紫さんはお変わりないよう。

    「女生徒」
    「美少女の美術史」展でアニメを見たの思い出した。

  • 「私」が大人になっている…あぁ円紫さんもお元気でなにより…と17年の年月をしみじみと。
    楽しみにしていた日常の何気ない謎解きシリーズ、とは違うけれど二人との再会が本当にうれしくて。
    太宰治の辞書、というタイトルに「?」を抱きつつ読み始めて思わず背筋が伸びてしまいました。
    これはゆっくりと楽しむ物語だ。ざくざくと読み飛ばすようなもんじゃない。
    普段何かを読んでいて、あれ?と思っても先が気になるとその疑問をわきに置いておいてとにかく読み進めてしまうのだけど、本当にその物語を楽しむためには途中下車したり遠回りしたりしながらゆっくりと進んでいかなきゃもったいないよね、と。
    本を楽しむ、ということの豊かさを教えてくれる一冊でした。

  • 〈私〉シリーズ出版されているものは、これにて完読。かなり大人?中年?なり、子供もいて結婚もしている。もう若いころの私に会えないのは少しさみしいが、太宰治の女生徒が好きなので、興味深く読めた。群馬の焼きまんじゅう食べてみたいです。

  • 大学生活が終わり、社会人になった。
    そして社会人になってから月日が流れ、主人公は結婚をし、仕事も子育てもする歳を迎えていた。

    『100年前の新潮文庫 創刊版 完全復刻』から芥川を思い出し、ロココになり、太宰へ繋がる。太宰が執筆した「女生徒」にロココという言葉あり、太宰はどこでロココの意味を調べ解釈したのか?というタイトルの『太宰治の辞書』へ繋がる。
    円紫さんもお元気で、正ちゃんも相変わらず、さばさばとした性格で、懐かしさを感じる。

    このシリーズは終わってほしくないと願うほどに、温かく時の流れもゆるやかで、ばたばたした日常を休ませてくれる。

  • 相変わらず知的好奇心をくすぐられ、ワクワクさせられる、とともに、自分の勉強不足「日本の文学すらまともに読んでないや」という、愕然とするような事実に情けなくさせられながらも、ワクワク感や楽しみの方が上回るのです。
    歳月を経た私もまったく違和感がなく、すんなりと受け入れることができました。いつまでたっても、若い時の思いや感覚と変わることがない、そんなところは、自分自身も歳を重ねている分、分かることなのだと思います。十代、二十代、三十代の若い皆さんはもうしばらくお待ちください。嫌でもわかります。
    北村薫ファンのみならず、文学が好き、本が好き、という方はぜひ読んで欲しい作品。今まで「円紫さんと私」シリーズを読んでいない方はぜひ過去の作品も読んでみて下さい。
    愛おしい作品たちです。

  • 北村薫先生は無類の本好きだということが分かった。
    出版社の方が主人公。あるきっかけで、太宰治に関することを調べ始める。一言を目にして耳にして、あれとあれを調べよう。調べるためにはここに資料がある。と、スラスラ流れが出来る。
    点と点の知識が繋がっていく様が美しかった。
    太宰治の作品を読んでからの方が楽しめる。

  • 普段単行本はほとんど買わない自分が、これはと出版されてから間をおかず購入して、約2年ぶりに再読。焼きまんじゅうの話と、教師の話を思い出したから。GWでよかった。やっぱり本は一気に読むのがいい。花についての記述が多いことに気付いた。表紙にも花だ。長い時間を経て再び書かれ、相変わらず美しいこのシリーズと重ね合わせてしまう。

  • 目次
    ・花火
    ・女生徒
    ・太宰治の辞書

    目次はそれぞれ短編のようになっているけれど、通して読めばひとつの作品。
    読書をすることで次々と繋がっていく謎と解答(例)。

    世の中にある謎は「質問1」「質問2」などのように紙に書いてあるわけではないけれど、何か引っかかったものにすっきりとした解釈が現れた時、そこに自分は謎を見ていたのだと気づく。
    そしてひとつの解答が次の謎をよび、その解答がまた…。
    謎について考える時間も、読書の醍醐味と言えるだろう。
    そして正解は一つとは限らないのだから、どれだけ考えてもゴールはない。

    芥川龍之介も三島由紀夫もそして太宰治も、ほんのさわりくらいしか読んだことがないので、「私」が次々と連想をめぐらす文学上のあれこれなどは全然わからない。
    けれど、太宰治って面白い作家だなあと思った。
    自虐的でありながら、そんな自分を笑っている感じ。
    それを鼻持ちならないと感じたのが三島由紀夫なんだろうけれど、自分を大きく見せる人より小さく見せたがる人に好感情を持ってしまう性癖が私にはあるので。

    (円紫さんと私)シリーズなのに、円紫さんが出てくるのはほんの少し。
    それでもその存在感の確かさが、やっぱり嬉しい。
    寄席に行ってみたいと毎度思う。
    そして今回は、太宰治を何か読んでみようと思った。
    水を飲むように本を読みたいと、そうも思った。

  • お久しぶりのシリーズ。
    「私」も円紫さんも同じだけの年齢を重ねている。

    円紫さんの出世より
    「私」の結婚・出産のほうが興味深いよ。

    太宰治を太宰治の作品をより深く理解しようとするのは
    大変興味深かった。
    私は決してしないことである。

    「私」が大人になって円紫さんと対等なのは
    ちょっと感慨深いけれど、
    同じような人が二人はいらないよなぁと思ってしまう。

    円紫さんのシリーズなら「私」に代わる若い「私」が必要?

    いずれにしても、もう少し、

    以前のような日常のミステリー感が欲しかった。

    ちょっと論文読んでるみたいだったもんでねぇ

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時を重ねて変わらぬ本への想い……《私》は作家の創作の謎を探り行く――。芥川の「舞踏会」の花火、太宰の「女生徒」の〝ロココ料理〞、朔太郎の詩のおだまきの花……その世界に胸震わす喜び。自分を賭けて読み解いていく醍醐味。作家は何を伝えているのか――。編集者として時を重ねた《私》は、太宰の創作の謎に出会う。《円紫さん》の言葉に導かれ、本を巡る旅は、作家の秘密の探索に――。《私》シリーズ、最新作!

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