私小説from left to right: 日本近代文学

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (390ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104077014

作品紹介・あらすじ

日本を遠く離れて二十年…。異国の地アメリカに暮らす姉妹を結ぶ電話線を、英語混じりの笑いとため息が今日も行き来する。漱石や一葉の描いた日本に恋焦がれる妹。アメリカ人になりきれない姉。ふたつの国ふたつの言語に引き裂かれた彼女たちの「特別な一日」が始まる。

感想・レビュー・書評

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  •  from left to right という日本語の本にはあまり見かけないスタイルと、英語混じりの文章。珍しく目を引くけれど、決して奇を衒ったわけではなく、本作のテーマを書くには必然的に横書きにせざるを得なかったのだと思う。

     10代前半で家族に連れられアメリカに降り立った姉妹。1970年代?のアメリカで日本人少女として生きてきた彼女たち。“colored”という言葉に括られる「有色人種」であることを肌で感じてきた彼女たち。20年経ち、アメリカに溶け込めないまま、両親がバラバラになったいまも、「自分は東洋人だ、日本人だ」と強く思いながらも、アメリカにいた。

     面白かったのが、20年間アメリカの中にいながらもアメリカの外から見ている感じがするところ。
     例えば、JAPという表現。これは、Jewish-American Princessが転じてJapanese-American Princessつまり日本人駐在員のお嬢さんという皮肉的表現らしい。他に、日本でも日本語で書かれた西洋の物語を読んでいたという事実に思いがけず思い当たったり。

     語り手である次女の美苗(つまり著者自身)は、こんな風に語っている。
    『アメリカに来ることによって「日本の私」を失ってしまったわけではなく、アメリカに来てからも「日本の私」は私が日本語を使う限りにおいてはいきいきと生き続けたからである。そして、「日本語の中の私」こそを真の自分の姿だと考え、日本にさえ帰ればその真の自分を回復できるという思いを抱きながら生きていったのは、「英語の中の私」が私にとってとても自分だと思えない何物かであったからである。』
     このような思いを抱きながらも20年間アメリカに滞在し、悩みながらも一筋の「日本語で小説を書く」という決意をする。

     Home is not a place to return to.
     イスラエル出身の女性がこんな言葉を口にしたと回想するシーンがある。根無し草のように故郷を持たない民族も、この世界にはある。イスラエルの人たちは、皆彼女のように考えるのだろうか。
     そして、多分だけれど、日本語という言語と、日本という島国が故郷への思いを強くさせている気がする。日本でずっと育ってきた私には想像もできないけれど、20年もその国にいても帰属意識なんて持てないもんなんかなあ。

  • 附属図書館にて

  • エクソダス、エトランジェ、ここでは無い何処か、漂泊、ボトムス、etc、etc
    色々な単語が頭を過ぎりつつも、12歳のときに渡米し20年間日本に帰ることのなかった著者と姉の漂泊記。
    日本の書物を読むことだけを楽しみに思春期を過ごし、「続明暗」なんていうものを書いてしまうほど、明治大正の日本に異国で親しんだ著者の日本帰国に至るまでの心象風景の痛さ、自分で選び取ったものでなくとも他の選択肢も想像できない苦しさ。
    left to rightで日本語と英語の入り混じったスタイルといい、これを読む人は何人いるんだろう?と思いつつも、水村美苗の本をいくつか読んでから、皆にいつかは読んで欲しい。

  • アメリカで育った日本人姉妹の物語。姉はアメリカ人以上にアメリカ人になろうともがき果たせず、妹はアメリカを拒絶し日本に憧れながらやはりそれもかなわない。日本もアメリカも故郷にはなりえず、日本人にもアメリカ人にもなれない姉妹。
    ほとんど筋のようなものはなくて、作中の時間も朝から夜中までのほんの数時間のこと。この間に姉妹は長距離電話で語り合い、さまざまな過去をとりとめもなく思い出す。日本特有の私小説の形式をとりながら、横書きのうえ時折英語が交じる文章が、姉妹の寄る辺なさをとても表しているように思う。

    そして、これを読むと、今になって著者が「日本語が亡びるとき」を書いたことの意味がはっきりわかる。「私小説」「本格小説」「日本語が滅びるとき」と水村美苗の作品はそれぞれ単独でもものすごい密度と濃度を持っているけれど、「私小説」→「本格小説」→「日本語が滅びるとき」という経過は明らかに一連の流れの中にあって、その流れの中ではそれぞれが密接にかかわり合って不可分何だと思う(デビュー作の「続 明暗 」はまだ読んでない)。「私小説」では、アメリカで育った日本人という境遇に合わせた私小説の形式を試み、「本格小説」では日本を舞台に西洋の本格小説の実現を試みる。そして、日本の文学と西洋の文学の間を行き来しながら表現の限界、さらには思考・知性の限界といったところまで範囲を広げて考えられた先が「日本語が滅びるとき」につながったんだろうと思う。

    個人的には、そうして考えられたものが正しいとはとても思えないし、どちらかと言えば独りよがりのようにも思える。それでも、その一連の過程の中で一人の作家が実感として捉えた孤独感や危機感というものの鋭さは考えさせられるものがある。

  • 私小説だった。敬遠してたけど、『続明暗』読もうかな。『本格小説』もよかったし。

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著者プロフィール

水村美苗(みずむら・みなえ)
東京生まれ。12歳で渡米。イェール大学卒、仏文専攻。同大学院修了後、帰国。のち、プリンストン大学などで日本近代文学を教える。1990年『續明暗』を刊行し芸術選奨新人賞、95年に『私小説from left to right』で野間文芸新人賞、2002年『本格小説』で読売文学賞、08年『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』で小林秀雄賞、12年『母の遺産―新聞小説』で大佛次郎賞を受賞。

「2022年 『日本語で書くということ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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