本格小説 下

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (412ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104077038

作品紹介・あらすじ

夏目漱石の遺作を書き継いだ『続明暗』で鮮烈なデビューを果たし、前代未聞のバイリンガル小説『私小説from left to right』で読書人を瞠目させた著者が、七年の歳月を費やし、待望の第三作を放つ。21世紀に物語を紡ぐことへの果敢な挑戦が、忘れかけていた文学の悦びを呼び招く。

感想・レビュー・書評

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  • 水村美苗さんの小説「本格小説」を読了。上下で900ページ弱あったがとても面白く、久しぶりに寝る時間を削っての読書であっというまに読み切ってしまった。

     二十歳前にが女中として戦前の裕福な家で働き始め、戦後似至りその家の様々な変遷を見守った土屋富美子の語りが物語の柱となっているが、彼女の話を聞いた若き編集者加藤祐介の回想がその柱を支え見事な構造を完成させるという複雑な構成だ。

     富美子が語るのは身分の違いゆえに悲恋となった裕福な家にうまれた女性であるよう子と満州から帰国し着の身着のままでの生活を東京で始めた家庭で暮らしていたその出生にも戦争ゆえに複雑な事情を抱えていた男性太郎の悲恋だが、祐介が語る部分では太郎を支えた富美子と太郎との微妙な男女の関係が暴露され、それがこの物語をシンプルな悲恋の物語だけでは終わらせず色々な人が経験する人の人生の複雑な巡り会いと結びつきとそれ故に抱える人の痛みを表現する物語としている、

     成城に家を持ち、軽井沢での夏の暮らしと送る裕福な家庭の描写および太郎の不遇な境遇から不屈の精神でもって成功したの米国での仕事の様子など本当に存在した人物の伝記の部分もあるのかと思わせるくらいの筆力はすばらしく、戦前から戦後の40年に日本人が経験したおおきな時代の変化、それに翻弄された人たちの様子の描写もこの物語の大きな魅力になっている、

     凄い本だなあと思い、読後に調べてみたら著者はエミリー・ブロンテの「嵐が丘」を日本の戦後を舞台に書き換えた恋愛小説であるとの情報を発見。そんな小説の書き方もあるのかと不思議な驚きを感じたが、構想は嵐が丘から得たとしても自身の米国での生活経験をこの物語の大事な下地として真実味をもった話に仕上げている構成力は、アイデアの元はべつとして賞賛されるべきものだろう。

     そんなドロドロなお話を下品にならず上品にまとめた大人の恋愛小説(お固い人生を送りすぎた人には理解されないお話だろうが)を読むBGMに選んだのがSteve Czaenckiの"When I deam of you". 知るひとがピアニストの名品です。
    https://www.youtube.com/watch?v=BuxqoX_Bajg

  • 面白かった。
    小説だとしたら、登場人物たちの人間臭い魅力を描ききっていると思う。そしてもしも事実ならば、「事実は小説よりも奇なり」だ。
    帯には「超恋愛小説」とあったが、著者は人づてに聞いたに過ぎず、また第三者の目線で語られているのが面白い。当人たちの主観がなく、彼らの間でどんな会話があったのか、どんな思いを抱えていたのかは推測するしかなく、想像をたくましくしてしまう。
    「純粋に」人を好きになるとはどういうことだろう。自分を貫いているつもりでも、「時と場合」がモノを言う。愛情の深さは幸せに比例しない。人の心に深く入っていくことはとてもおそろしいが、それゆえの魅力と引力を持っているのかもしれない。

  • 意外すぎて衝撃がなかった。

  • 人間の不平等、愛情の形、他人への優越、人生の意味、様々なことを見せてくれた作品だった。

  • 本読みの友2人からのご推薦で、図書館の返却期限が迫った本や急ぐ本などを片づけ、準備万端ととのえて、いざ読む。けっこうなボリュームの上下巻(上が460ページ余、下が400ページ余)をついつい夜更かしして読みふけり、起きたらまた読んで、読み終わったら、とてつもなく眠くなって3時間ほど昼寝した。

    17歳から女中としておハイソな家へ仕えた土屋冨美子の「語り」、がこの長大な小説のメインと言っていいが、その冨美子の話を「いま」聞いているのが、軽井沢の別荘に迷いこんだ加藤祐介という若い編集者で、その祐介が、冨美子に聞いた話を作者である水村美苗に語る、という入れ子のようなつくりになっている。

    冨美子の話の主なところは、自分の仕えた三枝家とその三枝家と浅からぬ関係となった男・東太郎のことである。作者の水村美苗は、その東太郎が父の仕事関係の人間であったことから子どもの頃に会っている。作者が知る東太郎はアメリカに渡って、アメリカ人のお抱え運転手から出世して億万長者になった伝説の人物だが、アメリカへ渡る以前の東太郎には全く異なる境遇の過去があった、という部分が冨美子の話でずっとずっと語られる。

    作者の水村美苗が作中に登場することや、かなり長い導入話に「東太郎という名は実名である」とか「私の書こうとしている小説は、まさに「ほんとうにあった話」」といった記述があるために、これは伝記小説なのか?とも思ったのだが、どこまでがフィクションなのか、どこまでが事実なのか、読み終えて判然としない。

    ただ、40年あまりの時間のなかで、作中の関係者がどのような暮らしをしてきたのか、世代のうつりかわり(婆さんの世代、娘の世代、孫娘の世代)と、戦後ぞくぞくと人が都会に出たことや、アメリカという言葉に今から想像もできない魅力があったことなど時代の変化もまじえたその話は、やめられないおもしろさだった。

    水村美苗に、東太郎の話(を語った冨美子の話)をしにきた祐介は私と同い年という設定だった。祐介は26歳のときに冨美子さんの話を聞いている…ということは、この話を聞いてる時点は1995年頃のことやなと思いながら読む。

    東太郎は、アメリカへ渡る前、冨美子にこう語ったという。「自分は宇田川家に出入りするうちにああいう家にすっかり染まってしまい大学を出て医者になろうなどと考えるに至ったが、そんな風に考えること自体が間違っていた。日本で自分のような出生の者がまともな人生を歩もうとしたら、まともな人生をいかに人並みに歩めるかだけが最終目標になってしまうにちがいない、人並みになることが最終目的であるような人生は歩みたくない」(下p.153)と。

    東太郎は満州で生まれ(父は中国人だという)、母が死んだために叔父の東家にひきとられる。東家が引き揚げてきて住まいを頼ったところは、冨美子の仕える宇田川家の家作に住んでいたおじいさんで、太郎が母や兄からひどく虐待を受けていることを憂慮した宇田川家のおばあさまが、「手伝い」という名目で太郎を来させ、孫のよう子と一緒に遊ばせ、将来は学費も出してやると約束をしていた。

    昭和12年うまれという冨美子もまた苦労して育った。養蚕農家は苦しい時代になり、父は出征して戦死、母は父の弟と再婚し、長女だった冨美子は新しい父になじめず、自分の居場所はこの家にはないという気持ちを抱えていた。

    その冨美子が東京へ出て働くきっかけをつくってくれた源次オジは、こう言ったという。
    ▼女はむずかしいね。おまえのお母さんはね、頭も顔も並だからそこそこの人生で満足がいって始末がいい。だがね、どっちかがよくって、どっちかが悪いと不幸だね。頭より顔のほうがいいと、自惚れちまって高望みして失敗する。顔より頭のほうがいいと、高望みはしないけど、頭に見合うだけの人生にもなんないからつまんないやね。おまえは別に顔は悪かあないが、まあ、こう言っちゃなんだけど、むかしっから敏くって、頭のほうが数段上等だからね。こまったもんだね。よほどの家に生まれりゃあどっちがどっちでもいいけど。(上p.355)

    そして源次オジは、「男はね、頭さえよければいいんだ。ついでにオレみたいに顔もいいと、もうこわいもんなしだね」(上p.355)と続けた。冨美子は小中と一番を通すほど成績がよく、高校へ上がらないことを教師から惜しまれた。宇田川家で女中として仕えるようになって、冨美子の本好きに気づいたおばあさまから「読んだらいいじゃないか」と言ってもらい、旦那さまからも家の中にある本は自由に読むようにと言っていただいた。

    そんな冨美子は、若い頃から結婚に夢をもったことがなく、できれば結婚などしたくない、「つまらない結婚をするよりかつかつでもいいから東京で一人で食べて行けたら」(下p.93)と思うようになっていた。その後、いちどは結婚した冨美子だが、夫の女関係が分かってほどなく離婚。「離婚してようやく世間への義理が済んだように思いました。自分が傷ついた痛みよりも、これでようやく自由にやっていけるという解放感があるだけでした」(下p.105)と語っている。

    物語には軽井沢(ここで三枝家と重光家の別荘が隣り合っているのが一つの縁)がたびたび出てくるうえに、本にはところどころに話の舞台となる場所の写真が挟まれる。 私は軽井沢へは2度行ったことがあり、とはいえ物語はそれよりもずっと前のことで、読みながら、そうかこんな風に軽井沢は変わっていったのかとも思った。

    冨美子の里が信州の佐久であることから、そのあたりもよく出てくるため、読んでいて『リアル・シンデレラ』や、あるいは同じ水村美苗の『母の遺産―新聞小説』を思い出したりもした。

    冨美子が幼い頃の記憶を語るなかで、「まずそこには浅間があります。井戸端からも、田んぼからも、学校に通う道からも、学校の庭からも、どこからでも浅間が見えました。…(略)…そして浅間とともに千曲川があります。どこからでも浅間が見えたように、どこにいても千曲川の瀬音が聞こえてきました」(上p.332)という原風景。そんなところは、いつも大山を見て育ったという大学で同期だった友の話をほうふつとした。

    私は軽井沢から浅間を見たことがあるけれど、冨美子によれば「軽井沢から望む浅間山は佐久平から望む浅間山と同じではありません」(上p.434)という姿なのだそうだ。

    (上5/21了、下5/22了)

  • 上巻・下巻と一気読みした後,しばらく時間をおいて,下巻のみ再読。

    結末まで知っているので,フミ子さんの太郎に対する言動など,ああ,なるほどと思いながら読みました。
    フミ子さんは太郎に対し特別な感情を抱いていたのだろうと思います。

    最初読み終わったときはそれなりに面白かったと満足でしたが,まず,一級と言っていいほど魅力的な男性2人から愛されるよう子に全くといっていいほど私は魅力を感じなかったですし,よう子の死のきっかけになる行動もわがままお嬢様そのもので同情できず,そもそも現代を舞台にしてその死因で亡くなるというのはちょっとなあ,と再読では以上の部分が目について,釈然としないものと感じました。
    あと,それほど熱烈に愛していたよう子が若くして亡くなったのはフミ子さんにも一端の責任があるように思ったのですが,太郎がそのことについて何にも言わなかったのもちょっと腑に落ちませんでした(もちろん,その後,フミ子さんは献身的によう子を看病していたわけですが…)

    構成もユニークですし,一読の価値はありますが,私にとっては手元に置いて何度も読みたい本ではありませんでした。

  • 東太郎が狂おしいほど愛したよう子は、雅之と結婚した。しかし、数十年後、東太郎が億万長者となり再びよう子と再開したのを堺に、一人の女を愛する3人の奇妙な関係が始まった。

    一概には誰が悪いとは言えず、
    少なくとも自分にはその状況を耐えることは出来ないと思う。軽く読み流せば、ただの恋愛小説だが、各登場人物の心情を慮ると底の見えない泥沼に嵌っていく。

  • 東太郎と優雅な三枝・宇田川・重光の各家一族。美貌の三枝3姉妹とその子供たち、そして隣家の名門重光家。そこに描かれた軽井沢の別荘生活はかつての上流階級の生活。そして世代を経るに従い、普通の人たちになっているというのは事実かも知れません。東太郎と運命の糸で繋がる宇田川よう子、そして重光雅之。そして宇田川家の女中だった語り手の土屋富美子、そしてよう子の母たち三枝3姉妹などがいずれも魅力的なタイプです。一気に読みました。

  • 軽井沢周辺の白黒写真の挿入ともに、女中冨美子視点で、時代は戦後から20世紀の末近くまで語られるが、上巻前置きで小説家美苗に語る祐介と冨美子出会いのその後に戻る。三姉妹の娘よう子と、幼馴染ながら身分の違いで添うことが出来ずアメリカで成功する東太郎・よう子の夫雅之の恋愛小説に女中・冨美子の一生がリンクされ、上下巻合わせて1150頁2日間本格小説の広大な世界に浸ることが出来た。

  • 上巻同様の厚さも、一気に読み終えてしまった。
    メインの登場人物が一人ひとりきっちり動いていて
    飽きなかった。
    太郎ちゃんと冨美子ねえさんの関係が意外にどろどろと
    していたのと、この物語を書いた作者が。前半のかなりの
    部分を割いていた割にあとがきでさっくり終わっていたのが
    ちょっと違和感を感じた。

  • 物語は日本とアメリカを舞台に、徐々に現代に近づきます。その分、重厚さは薄れるのだけど、何しろ話がおもしろいから、もう一気に読んでしまいます。この壮大な恋愛大河小説は、映画でいうと「天井桟敷の人々」みたい。昼ドラと同じようなネタなのに、深く深く心に響くものがある。というか、昼ドラが上辺だけをまねているのだろうけれど。

    ただただ物語がおもしろい。それにどっぷりつかれる重く美しい小説です。

  • 88点。大体の感想は上巻で述べたとおり。実験的試みの作品はおしなべて詰まらないがそんなことなかった。ラストまで一気に読まされ余韻の残る読後感もいい。いかにも日本近代文学な筆致は「ことば」がもつ美しさを再確認させてくれさえする。
    『本格小説』という一つの圧倒的世界を構築したこの物語は物語が好きな感性がある人ならば間違いなく☆5つな名作。
    小説家でありながら大学で教鞭を執る作者は文学者としての立場からこのようなコンセプチュアルな小説を執筆するのかな。小説体論文的な趣。

  • 本格小説のタイトルに恥無い作品です。NHKの朝の連続ドラマにどうだろう?

  • 軽井沢などを舞台とした作品です。

  • 上下巻。
    フミ子お姉さん、太郎ちゃん、ヨウコちゃん、三枝三姉妹。

    2ちゃん奥様スレで興味を持ったのがきっかけ。

    水村美苗さんは初めて。

    冨美子さんが語るという形式がいい。
    ダイレクトにあたしの心に響く。

    これ以上書くとネタバレしちゃいそうだから、やめる。

    読んでよかった。

  • 【配架場所】 図書館1F 913.6/MIZ

  • 満足ー。久しぶりにはまりこんで読んだ本です。上下巻でも長すぎてしんどいなんてことは全然なかったです。大正の終わりくらいから昭和にかけてのお金持ち(大金持ちではない)とその女中さん、貧乏どころではない貧困生活とそのなかでさらに起こる差別など、「面白い」ということばかりではないのですが、構成、設定、進め方、どれをとってもぐいぐいと引き込まれます。主役は太郎なのかフミさんなのか三姉妹なのか、登場人物たちが生きた時代すべてなのか。でもほんの数十年前までは、使う者と使われる者がはっきりと分かれていた世界が本当にあったのだ、といまさらながらに思い知らされた。金持ちと貧乏人というのとも違う、上と下。いつのまにか消えたのか、まだ今も厳然と残っているのか。消えたように見えてまだまだ続いているのような気がする。いや昔とは形を変えて「今の」上と下があるのか。とにかく、面白かった。いい読書時間でした。

  • 最後に語り部の女性の部分が記載されていたので、納得でした。

    最後に、「日本人は薄っぺらくなった」というような閉めくくりだと、結局「昔はよかった」シンドロームにおちいるので残念です。

  • (10/7読了)

  • 実は、終盤に書かれている一つの推察が僕は気に入らないのだけど、それを含めても、ありあまるほどの賛辞をおくりたい。なかなか厚い本なのだが、その量から感じられるというよりも、作品の出来が素晴らしいことから、読み終えたときには充実感に満ちていることだと思う。見事な小説。希に見る傑作。

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著者プロフィール

水村美苗(みずむら・みなえ)
東京生まれ。12歳で渡米。イェール大学卒、仏文専攻。同大学院修了後、帰国。のち、プリンストン大学などで日本近代文学を教える。1990年『續明暗』を刊行し芸術選奨新人賞、95年に『私小説from left to right』で野間文芸新人賞、2002年『本格小説』で読売文学賞、08年『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』で小林秀雄賞、12年『母の遺産―新聞小説』で大佛次郎賞を受賞。

「2022年 『日本語で書くということ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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