- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784104106028
感想・レビュー・書評
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【抜粋】
(p18)表現というのは結局、他者が理解できる形、他者と共有できるような形でないと成立しないものです。だからどうしても、抽象化というか、共同化というか、そういう過程が必要になる。すると、個的な体験、痛みや喜びは抜け落ちていかざるを得ない。そこには絶対的な限界があり、どうにもならない欠損感がある。でも、そういう限界と引き換えに、まったく別の国、別の世界の人が一緒に同じように理解できる何かへの通路ができる。
(p91)電子音楽に興味を持っていたのは、「西洋音楽は袋小路に入ってしまった」ということのほかに、「人民のための音楽」というようなことも考えていたからなんです。つまり、特別な音楽教育を受けた人でなくても音楽的な喜びが得られるような、一種のゲーム理論的な作曲はできないものかと思っていた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
坂本龍一さんは社会の中で何かに所属するということが想像できず、いいかげんな学生の身分のままでいたかったから大学院に進んだけど、全く授業には出なかったらしい。YMOに入る前はフリーターで日雇い音楽の仕事で自暴自棄に忙しくしていて、自分を未決定な宙吊り状態にしておいたのは何かの予感があってのことだったのだろうと語っていた。未決定でありたいと直感的に思うなら、そういうことだと未決定であることを肯定することも大事だと思った。受け身で人生ここまできたと言う。自分から始めたものはあまりないと。ラッキーな人間だと。その要望に十分に応えることのできる力を蓄えた少年時代があってからこそ求められた人生なのだと思う。今、自分が求められないなら、力をつける。
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ポップスやロックのみならず、クラシックや現代音楽まで幅広くその才能で活躍する音楽家=坂本龍一が赤裸々にその半生を語った自伝。
興味深い発言として以下の和声と響き、クラシックとポップスに関する二つの記述。
ロックは構造としては(自分が学んでいた)現代音楽に比べて稚拙かもしれないが、音響的にはそれ以上に興味深かった。
ドビュッシー、特にその和声に自分は生まれ変わりだと思うほど心酔したが、ビートルズの音楽に同じ響きがあるのに驚き、細野晴臣らと出会い、彼らが理論ではなく耳だけでその和声にたどり着いた事に興奮したという。
坂本自身が述べているように出来ることとやりたいことのズレがあり、そこが彼の音楽を面白くしているのではないだろうか。
だから、制作や表現に制限の無いソロ・アルバムよりも、グループの一員としての活動や、映画音楽、コラボレーションなどの方がその才能がいっそう輝く(少なくとも評者にはそう聴こえる)のではなかろうか。 -
音楽とは何かということを改めて考えてみたくなる一冊。
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坂本教授の自叙伝。
幼少の時の環境から学生運動、YMO、映画音楽、そして最近の出来事。
教授が育った時代背景がその視点から語られているおり、改めてその頃の曲を聴くとその複雑さの理由が分かるような気がする。
近代日本社会学という観点で読んでも色々得られる部分があると思います。 -
坂本龍一氏の自伝的エッセイ。
机の上での勉強よりも、優れた感覚をもとに音楽をやっている人って多いと思うけど、坂本氏は子供の頃からピアノや作曲を学び、芸大の大学院まで出ている。音楽の基礎を理解していることにセンスもプラスされ、より良い音楽を作り出せたのだろうな。
面白かったです。 -
坂本龍一さんのファンならば必読の本です。ラストエンペラーの撮影や音楽制作のくだりでは、初めて披露される話がとても面白く、声を出して笑いそうになりました。半生を振り返る自伝的エッセイ。
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坂本龍一さんに惹かれるところがあってハイタイムのクソ忙しい時期に衝動買いした1冊。素直におもしろかった。時代背景を連想しながら読めたし、坂本龍一さんの音楽への考え方がよくわかった。それからYMOを聴き返すとまた味わい深い音に!
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坂本龍一の自伝。
どんなものを読んだり聴いたりして育ってきて、どんな文化や芸術を吸収して現在の坂本龍一に至ったかがよくわかる。
この本を参考にして、坂本龍一の後追いをするのも良いのかなと思ったりする。
やはり、前衛的な音楽が好きな人にとってはドビュッシーは避けて通れぬ道なきがする。タイトルの「音楽は自由にする」も、源流はドビュッシーの音楽に対する姿勢にあるような気がする。
坂本龍一氏が平和運動をしているのは好きでやっているのかと思っていたのだが、意外とそうでもなく消極的理由であるらしい。
地震によって原発事故が起こって、反原発の世論がでてきて、それが分からなくは無い一方、エネルギー資源はどうするのか考えているのだろうか?自分勝手ではないか?と、反対派に疑問を感じている中で、坂本龍一氏の反戦運動はただ、自分が巻き込まれたくないからなんじゃないか、ただそれを音楽で表現してるだけで、道なかで駄々こねているのと変わらないのじゃないか?と考えたりもする一方、でもその音楽表現によって人が集まり、多くの人が反戦を掲げるようになるのは素晴らしい事なのかなと思ったりもした。
以下、興味深かった話メモ
・9.11は芸術だと言っている人がいた。
・北極の自然を目の当たりにして人間の矮小さを感じ、それをout of noiseとして音楽化した。人間が自然を破壊したから、自然が仕返しをしてきたというよりも、たんなる大いなる自然法則の結果によるものなのでは?と言っているように感じてそう受け取った。興味深い。
・音楽を通して、哲学思想を自然に吸収していったと書いてあって、なるほどなあと思ったり。
・祖父に有栖川宮記念公園に連れていってもらい、本屋で偉人伝などの本を買ってくれた話。(p.23)
・「高校生のころには、ジョン・ケージやナム・ジュン・パイクのような人とか、フルクサスやネオ・ダダみたいな運動に、どっぷりはまりました。その後、フリー・ジャズをやったりもしました。」(p.35)
・ジョルジュ・バタイユの「マダム・エドワルダ」や「眼球譚」(p.43)
・ヘーゲルの「精神現象学」、大島渚の「日本の夜と霧」(p.51)
・ジャン=リュック・ゴダールの映画作品。「気狂いピエロ」「中国女」「ウィークエンド」「東風」「プラウダ」(p.68)
・現代音楽との出会い。ラヴェル、ストラヴィンスキー、シェーンベルク、バルトーク、メシアン、ブーレーズ、シュトックハウゼン、ベリオ。日本の作曲家。三善晃、矢代秋雄、湯浅譲二、武満徹。(p.71)
・「そういう音楽以外の運動や概念の要点を、ぼくは音楽的な知識や感覚を通じて理解することができた。」(p.158)
・ラストエンペラー。「西洋風のオーケストラの音楽に中国的な要素をふんだんに盛り込んで、20〜30代のファシズムの台頭を感じさせるような、たとえばドイツ表現主義的な要素が入っているような音楽、だいたいそういうスタイルを頭の中に描きました。」(p.176)
・9.11についてシュトックハウゼンが「あれはアートの最大の作品」と言った。自作の連作オペラ「リヒト(光)」に関連して、米国同時多発テロは「(光の王子で反逆者のルシファールによる)最大の芸術作品」と発言したとして世界中から非難された。(p.217)
・ジャック・デリダのドキュメンタリー映画「デリダ」の仕事をしたこと。著書に「エクリチュールと差異」など。(p.223)
・グリーンランドで考えたこと。「エコな音楽というのはどんなものか」と訊かれて。"もしあるとしたら「人間は死んだ」ではないけれど、ある種人間的なものを否定するようなものではないかと思うんです。" 「人間は死んだ」はミシェル・フーコーの言葉。(p.244)
・「圧倒的な量の水と氷の塊。それが作る風景、寒さ。その印象があまりに強力で、出てこないんです、言葉が。」(p.245)