- Amazon.co.jp ・本 (406ページ)
- / ISBN・EAN: 9784104299058
作品紹介・あらすじ
始まりは「ぬかどこ」だった。先祖伝来のぬか床が、呻くのだ。変容し、増殖する命の連鎖。連綿と息づく想い。呪縛を解いて生き抜く力を探る書下ろし長篇。
感想・レビュー・書評
-
その昔、駆け落ち同然に故郷の島をでた主人公・上淵久美の祖父母が、ただ一つ持って出た家宝のぬか床。亡くなった叔母から引き取ったぬか床から湧いてくる卵。卵からかえる人間のような生き物。また、悲劇の予言者であるギリシア神話に登場するイリオスの王女・カッサンドラが出てきて、SFファンタジー小説のような感覚が残る小説である。
「f植物園の巣穴」に通じるこの小説。「そんなことはあるわけがない」と思いつつ、でもぬか床に住む微生物のなせる不思議かもしれないという、感覚になる。
主人公・久美の日常はきわめてリアルで、彼女の淡々とした物言いを聞いていると、「そんなこともあるかもしれない」と思えてくる。妊娠した友人が子供を産むために変化していく自分の身体を見て「自分が動物だってことを実感する」と語っていたが、本書は自分が一個の生命体だってことを実感させてくれる本と言ったらいいだろうか。ストーリーが思いもよらない方向に紡がれていくので、梨木さんは実際にぬか床をかき混ぜながら物語を発させていったのかも…
はじまりは、「ぬかどこ」だった。先祖伝来のぬか床が、うめくのだ-「ぬかどこ」に由来する奇妙な出来事に導かれ、久美は故郷の島、森の沼地へと進み入る。そこで何が起きたのか。濃厚な緑の気息。厚い苔に覆われ寄生植物が繁茂する生命みなぎる森。久美が感じた命の秘密とは。光のように生まれ来る、すべての命に仕込まれた可能性への夢。連綿と続く命の繋がりを伝える長編小説。
久美の先祖が住んでいた島の秘密は、「安世文書」で明らかになる。その昔、島全体は5つに分かれていた。その1つの鏡原一族は、男女の交合を要せず子孫が増やす。沼から子孫が誕生するのである。しかしながら、時代と共に失われる自然。そして、鏡原一族が時代の変化に抗うためにとった施策がぬか床であったのである。
また、「かつて風に靡く白銀の草原があったシマのはなし」という本作とは全く異なる話が3章挿入されている。
この「かつて風に靡く」は、この島(シマ)の鏡原に伝わる言い伝えなのだろうか。細胞分裂による生命の誕生、突然変異による自我の芽生えと、鏡原の神秘を匂わす物語でありながら、全く本作とはつながりがない。なぜこの章をあえて3つも挿入しているのかと考えると、鏡原の神秘の源としての言い伝えであるかと考えられた。
そして、この「かつて風に靡く」が、入ることで、より生命の進化や生と死をテーマにしているように思えた。
途中から話が重くなり、読み進めていくうちに、人間自体がそもそも不思議に思えてくる作品であった。 -
なんとも不思議だけどのめり込む作品ですね。亡くなった母は三姉妹の長女だったがいちばん下の妹つまり叔母が突然死んで叔母のマンションに暮らすことになった上淵久美が主人公。ついでに引き継いだ糠床が実はとんでもない糠床で不可思議な現象が次々に起きることから久美は自分のルーツと秘められた家系を知ることとなる故郷の島へ旅することとなる。
この旅で初めて衝撃の事実が明らかになるのだけど、実に深くて重いさまざまな警鐘を投げ掛けている作品なのです♪
色々なメタフアー暗喩を想起させる読みごたえのある作品でした。 -
ホラー風味のファンタジーだと思ったが、読み進むにつれて、宇宙的というか、生命の起源的なお話になった。
フリオと光彦のあたりは理解しやすいが、間に挟まれる「シマの話」は、自分勝手に理解しても良いのだろうか…
まだ生殖ではなく分裂で種族を増やしていた何かの記憶?
連綿と続く命や時間の流れの中では、必ず、突然変異はおこり、変化がはじまる。
変わらないものなどない。
しかし、その根底に流れつづけるのは、終わりたくない、命を存続させていきたいという本能。
何かが終わったのだろうが、終わることによって新しい物が生まれた。
たとえば、湿って腐りかけた重い衣を脱ぎ捨てて新しく生まれ変わったような、すがすがしいラストだった。 -
すごい。圧倒された。
著者の洞察力の深さと視野の広さが存分に発揮された、ここ何年かで読んだ本の中でも5本の指に入る傑作だ。ストーリーの面白さも然ることながら、結局は著者の人間力なのだと思う。繰り返しになるが、洞察力の深さと視野の広さ。ものを書く人にとってはこれが大きな資質と云えるのではないだろうか(もちろん文章力という大前提があるが)。本書を読み終えた時にぼくは、梨木香歩という人物について、或いは梨木香歩という人物が影響を受け吸収してきたものについてもっと知りたくなった。
-
再読。
圧巻の一言に尽きる。
ファンタジックな暗喩の連続、ダイナミックさと繊細さが支え合うフラクタルな多重構造、シンプルがゆえに言語化に困難な生命の神秘性というテーマ、ファンタジーとSFと純文学の垣根を超えた融合。
小説でしか表せないことがぎゅうぎゅうに詰まっている。
元々好きな作家だったけれど、初見時はこんな作品を書くひとだったのかと脱帽した。
実際にメインとなる舞台はぬか床とそのへんによくいる成人女性の日常生活圏内だ。それと、とある沼地。まあ、地味である。この話、本当に壮大なのだが、生活感漂う舞台装置のおかげで徹頭徹尾地味さが漂う。そして、それゆえに紡がれていく壮大さに意味が出てくる。
ジェンダー要素が強い作品なのかと多分一度は予想するだろう。意識せざるを得ないエピソードが頻出する。けれどそれすら飛び越えて、梨木さん持ち前の「肉体と意識」への秀逸なバランス感覚でもっていつの間にやら適正なサイズへと縮小した自意識を持たされた読者は、知らないけれど懐かしい、そんな場所に着地する。
傑作。 -
亡き母、そして叔母から伝えられた先祖伝来の家宝のぬか床を相続する羽目になった久美の日常に不思議な現象が起こるようになる。その正体と原因の解明のため、久美は叔母が生前交流のあった風野を訪ねていく…。ぬか床にまつわるほのぼのしんみり系ファンタジーと見せかけて入口は入りやすく、だけどだんだん踏み込んだら抜け出せない複雑で深い森のような沼のような科学と哲学とか宗教とか民俗学とかいろいろ混ざった世界に引きずり込まれて後戻りできなくなる。人間とか個の存在理由とか命の根本とか宇宙の起源から地球の生命の歴史とか、考えてみるとキリがなくわけわからなくなりそうな世界を果敢に根気強く物語の中にみごとに織り込んだという感じがする。久美や風野さんて梨木香歩さんの細胞が分裂して物語の中に登場してるのかも。(?)フリオと光彦のその後のことも知りたかった。「かつて風に靡く白銀の草原があったシマの話」のところはこの物語と平行したもう一つの物語なのだろう。平行して2つの物語が進行して交わっていくあたり村上春樹さんの「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を思い出した。
ラストシーンはひたすら幻想的で荘厳で美しくて、そしてエロかったです。(こんなエロの表現があるのか…!) -
死んだ叔母からマンション一室と一緒に相続した“家宝”のぬか床は、毎朝毎晩必ずかき回さねばならない。でないと呻くのだ。厄介払いにその世話を任される羽目になった久美は、ある日ぬか床に卵が出現していることに気づく。卵は日に日に増え、一つがヒビ入ると、部屋に半透明の男の子が現れた──。
何故人は有性生殖を行うのか、単性生殖(生物)にも、我々より優れた調和があるし、人がそれを行っても良いのではないか? そんな寓話も交えつつ我々が繁殖する意味、生物の根元的哲学にまで践み入った物語。梨木香歩ってすげー。 -
「ぬか床」から始まるルーツの話。叔母が亡くなり、先祖代々受け継がれているぬか床が自分の元にやってきた。そこから不思議なことが次々におこる。
だんだん現実から遠のいていくところに驚いた。 -
生命の神秘。
ホモ・サピエンスという種がいつか終焉を迎える時、彼らのように「平和に滅びて」いけるのだろうか。
「自己決定」は幻で、自分が既に何かに乗っ取られている可能性。自分、ということの境界。
寄生された状態であることを認め、全てが緩やかにひとつであるという考えを、わたしはあまり抵抗なく受け入れることができる。 -
主人公が亡くなったおばから、家宝の「ぬか床」をもらうところから話は進む。途中から2つの話になり、つながる。非常に面白い。菌と進化と生命と。話が広くて驚く。
猫がメモると、誰も解読不可能な暗号に。モチロン本猫にも読めません、、、
猫がメモると、誰も解読不可能な暗号に。モチロン本猫にも読めません、、、
猫をオダテりゃ木に登る?ノート買ってこよう!
猫をオダテりゃ木に登る?ノート買ってこよう!