冬虫夏草

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著者 : 梨木香歩
  • 新潮社 (2013年10月31日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104299096

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冬虫夏草の感想・レビュー・書評

  • 「家守綺譚」の続編。
    大事に取っておいた本です。
    美しい文章、旅するような心地。本当に大切にしたくなります。

    綿貫征四郎は亡き友・高堂の実家を託され、駆け出しの文筆業にはげみつつ、愛犬のゴローと暮らしていた。
    河童が時折、池にはまっていたり。
    不思議なことも自然に受け入れる綿貫。
    亡き友もまた姿を見せることがある‥

    人望のある犬ゴローが、半年も戻ってこない。
    鈴鹿山中で姿を見かけたと噂を聞き、綿貫はついに探しに出る決意をします。
    花の名前がついた短い章が続き、掌編小説のような趣。
    今よりはだいぶ昔ふうの、明治の文豪が書いたかのような文章で、でもそれよりはわかりやすい。日本語の美しさにうたれます。
    一つずつ、ぱらっと読み返してもよさそうです。

    山中に住む人々の素朴さ、温かさ。
    重なるように茂る草花の何と風情のあること。
    そして、しっくりと溶け込み、存在を疑わせないあやかし達。
    天狗を空に見上げ、親を待つ河童の少年に話しかけ、イワナの夫婦がやっているという宿を探し当てる綿貫。
    このイワナの夫婦の奇妙さは、なんとも面白みがあります。
    主の赤竜が留守にしているとちらほら耳にしつつ、お戻りになったと喜ぶ様子も見ることに。

    犬のゴローはあちこちで助けになっていて、「ゴローさん」と尊敬されているらしい。
    犬離れしているというか既に人間離れしているレベル?
    山中で必要とされているから、もう再会しても戻ってこない別れの場面になるのでは‥とハラハラ。
    それがまっすぐ走ってくる可愛さに、やられましたよ☆

  • 近年、日本には四季が失われていると感じる。特に春と秋。春の穏やかな空気と、秋の優しい日差し…一番感じたい季節が短く、極端に暑いか極端に寒いかの繰り返し。自分が子供の頃はこうではなかった気がするなぁ。そんな四季を思い出させてくれる一冊だ。
    それは食べ物であったり、草木であったり、直接的な気候の表現であったりで、読みながら季節の質感をひしひしと感じさせてくれる。
    相変わらず不思議な生き物なども加わり、変わった体験をしながら飼い犬ゴローを探すという物語になっている。主人公と共にゴローを探しに山々村々を歩く気持ちになり、最後のシーンは妙な達成感を得た。

  • 前作、家守綺譚の世界にまた会えた。
    それだけで幸せを感じてしまうくらい好き。

    ゴローの目撃情報を頼りに旅に出る綿貫さん。
    その旅路で出会う人、人ではないもの、景色、全てに惹きつけられる。
    どんな場所で読み始めても(それが満員電車の中だったとしても)、一瞬で物語の中に引きずり込まれる。
    綿貫さんの見たものが私の目にも見えるような気がした。
    すごく力のあるテキスト。

    これが何の加工も施されてない素の世界なんだ。
    物語の終盤、そんなことを考えていた。
    でもラスト3ページ、そんな考えも全て吹き飛ばされてしまった。
    ただただ愛おしい。
    そんなラスト。

  • 前作の家守奇譚に続き、綿貫征四郎が日常ならざる自然の気、怪異と交わりながらお話が進む。本編では湖水の古民家を離れ、鈴鹿山脈の奥深く、竜ヶ岳の麓までゴローを探しながらの旅、竜神やら、人形のイワナ、はては空を舞う五郎天狗までの登場とあいなる。

    ネットで東海道本線の能登川から鈴鹿山脈の竜ヶ岳周辺を確認しながら、綿貫の旅程を追いかけました。

    随所に描かれる愛知川の描写から、緑の深い山々に囲まれた清流の匂い、ときに山深い道の草いきれが伝わってきそう。梨木さんの風景、自然のいきいきとした描写はすばらしい。

    全編に流れるテーマは”水の道”。琵琶湖周辺の疎水から山奥の清流、大滝まで、この世のものではない”水の道”が繋がっている。古来、我々の生活と不可欠の水。田畑を潤し、山を削りときには暴れ川として村を流す。恵みと荒ぶる姿に人々は竜神の姿を見た。川の流域を治める竜神がいるという想像は素直に理解できる。

    長い間竜神が不在である愛知川、そこでは自然のバランスが崩れかけているのか、ゴローが鈴鹿の山奥を飛び回り、最後に登場する高堂が語る、水の流れを変え、村々を飲み込もうとしている巨大な企て”河桁”とは何だろう。まだ続編がありそうな・・・

  • 『家守綺譚』の続編です。
    前作は、文士のはしくれである綿貫くんが、家守として暮らす家の庭や近所で起きる不思議な出来事を綴ったものでした。
    ですが、本作は綿貫くんが愛犬・ゴロー探しの旅の中で遭遇した不思議を綴ったもの。
    旅先においても、綿貫くんの周りにはこの世ならぬモノや物の怪の類が集まってしまうようです…。

    前作で大活躍だったゴローが行方不明…ということで、綿貫くんと一緒に「ゴローは無事か?」とやきもきしながら読んでいました。
    やきもきしつつも、舞台となる鈴鹿の山々の自然に抱かれ、植物に視線を向け、人や人でないモノたちとの交流に心を動かし…と、気付けばまるで自分が綿貫くんになったかのように、のめりこんでいたのでした。

    決して派手なストーリーではないのですが、ぽとん、と胸に落ちてきて、ひたひたと余韻を残していくところがとても好きです。
    いつまでも読んでいたくて、なんだか読み終えるのが悔しくなってしまいました。
    ぜひ、これからも続いていってほしい物語です。

  • ゴロー探しの旅。綿貫がずんずん歩きます。

    相変わらずどんな人、もの、ことに対しても真摯というか、なんでも受け容れてしまう綿貫はすごいなぁ。
    南川のキャラ、綿貫とのやりとりがおもしろかったです。

    「キキョウ」と「マツムシソウ」の章がとてもよかったです。
    最後のゴローとの再会はなんだかんだ泣けてしまいました。

    大事が起こっているのか、これから起こるのか、高堂が心配になりました。続きが気になります。

    山童がかわいい。
    「人は与えられた条件の中で、自分の生を実現していくしかない。」
    それでいてかっこいいときた(笑)

    美しい文章に心が落ち着きます。

  • 『家守綺譚』の続編。半年余り行方不明になっている愛犬ゴローを探しに、綿貫は鈴鹿山中に分け入っていく。

    現実と虚構のちょうど狭間にいるような摩訶不思議な世界観にも関わらず、このシリーズは不思議とすっと受け入れてしまう。自然に、人に、人ならざるものにさえ、生命の鼓動を感じられる作品。気付けば綿貫の後ろについて、木々のざわめきや葉から滴る露、土をきゅっと踏みしめる音を聞きながら、一緒に旅しているような感覚に。

    梨木さんの扱う柔らかな日本語を前にすると、背筋がぴんと伸びる。
    後引く余韻は続編を期待しても良いのかな。

  • 根が単純すぎるせいか、
    私はよく本に化かされる。

    最近では
    物語が出たり消えたりする
    本の存在を疑いもせずまるっと信じ、
    身近な人達に驚愕の<真実>を吹聴しまくった。

    ホントウなのだ!と信じ、
    語るのだからまぎれもなく<真実>であろう。


    (後々、おや?とおかしい事に気付きはしたが、
     それは後の祭り。)

    そういう意味ではこの本にも化かされた。
    絵空ではない、
    実在する(これまでは偶々出会わなかった)者達が
    ひょこひょこと、いなくなった犬を探す主人公と読者の前に次々現れる。

    思わず、
    (あー、そういえば前に花巻のカッパ沼で、
    カッパに出会えなかったのは偶々、忙しかっただけなのかぁ。
    カッパもいろいろ仕事が多いんだな…。)
    などと、カッパの事情を察していた。

    何が、本当の事なのか?は、
    いつかわかる日が来るのかも知れないが、
    永遠に
    そっとしておいて欲しいと思った物語。

    犬のゴローは
    語りだしかねぐらいに利口そうだが、
    今まで何していたのかの記述を是非、出版してみたらどうか?

  • 2014.9.3 pm16:53 読了。ここで終わるの!続きが気になって仕方ない。村々が浸かることに、ダム建設を連想した。純日本といった風情の物語。どんな生き物も特別視せず、平等な視点で描いているから、現代では奇異なモノとされることに対して、違和感がないのかもしれない。どれだけ周りが変わっても、日本に住む人々の根っこの部分は変わらない。このような物語が求められる限り。ともかく続編気になります。もっと草花の名前も知りたい。

  • なんて素敵な装幀だろう。ほれぼれと見とれてしまう。遅ればせながら(まったく遅い)「家守綺譚」を読んで、すぐに続けて本作を読む。「家守」を未読だったがゆえのシアワセ?いややっぱり「ああ、やっと出た!」などと言いつつ、いそいそと本屋さんに買いに走りたかったような…。どっちにしても読めて幸せなんだけど。

    出だしは「家守」と同じ、征四郎の住まい近辺のお話。そうそう、この世界にいつまでも遊んでいたいもの、などと思っていたら、おや、お話は意外な場所へとその舞台を移して行くではないか。

    いやまったくこれは思いもかけなかった。征四郎が分け入っていくのが鈴鹿の山々だとは。大体関西近辺で、山や土地の霊的な力を語ると言ったら、まず浮かぶのは吉野や熊野のあたりだ。鈴鹿は、自分自身ほとんど縁のない所のせいもあると思うが、説話や伝承のたぐい、舞台となった物語などが思い浮かばない。

    ところがこれが、征四郎の、いや梨木さんの語りに運ばれて、自分も一緒に山々をめぐっていくうち、なんだかよく知っているところを歩いているような気がしてくるのだ。時たまあらわれる小さな集落。数軒の家が寄り添うように建っているその有様は、この時代の征四郎の目にもこの世のものではないように見える。ほんの少し言葉を交わした小さな女の子とその父親が、名残惜しげに見送ってくれたというくだりが心に残って離れない。うまく言えないが、こういう世界を私たちは永遠に失ってしまったのだと思って泣けてくる。

    ゴローがもっと出てきたら良かったなあというのがただ一つの不満。その活躍が暗示されるだけなんだもの。犬が苦手な私も、ゴローはほんとかわいいと思う。

  • 冬虫夏草。

    読了後、タイトルを鑑みる。
    やはりしみじみと意味深い。

    これは、単に主人公たちの会話に出てくる話題、ひとつの珍奇な生命の在り方を間に合わせの切り貼りタイトルにもってきた、という意味あいなのではない。

    帯のコピーには本文のこの部分が抜き書きされている。「自然の猛威に抗いはせぬが心の背筋はすっくと延ばし、冬なら冬を、夏なら夏を生きぬこうとするする真摯な姿だった。人びとも、人間(ひと)にあらざる者たちも…」

    この世と異界の境目の緩やかな世界の中、ゆるやかに流れる主人公の日常を描く前半部、そして非日常要素を色濃くしてゆく旅の道行の後半部。この作品は、その道中のさまざまのエピソードを章ごとにオムニバスのように綴ってゆく。一見、ただとりとめもなく語る日記のように。

    が、「冬虫夏草」このタイトルの持つ象徴性に気付いた時、それが全篇をくっきりとひとつの力強い主題にまとめ上げているものであることに気付くのだ。



    自然の中で生命の連鎖「食うこと」に関する概念への洞察に、深く透徹した構造を見抜く眼差しを感ずる作品だ。


      ***  ***  ***


    冬虫夏草とは、一種の寄生キノコである。コウモリガの幼虫に産み付けられた胞子が冬の間その内臓を食い破りながら菌糸を増殖させ、幼虫が蛹になったときに丁度体表を浮き破って子実体、つまり目に見えるキノコの形として背中から伸びてくる。…なんとも不気味な寄生のスタイルを持つ菌類だ。冬には虫の姿であったものが、夏にはキノコとなっているかのように見えるのでこの名がある。

    これは論理的に言って、単純に幼虫はキノコの菌床とされている、と考えるのがまあ順当であろう。

    だがこの作品の中で主人公はこの生態を「異類婚、糸状菌の悲劇的な恋愛」などというディレッタント風のロマンス小説の発想のネタの話題として取り上げたりしている。

    一見ふざけたディレッタント趣味、単に一種のユーモアの趣向であるかのような挿話である。

    だが、生死を超えたところ、自己というアイデンティティの枠組みの概念をひっくりかえすものとしての恋愛というスタイルの発想。ここには、自己と他者の関係性の在り方の相剋と孤立に「生命体としてひとつのものとなる」という発想をしかけるパラダイム変換が実は既に仕込まれている。

    「ひとつになる」手段としての「恋愛」と「生死」と「食」の概念の構造的な関連へのまなざしである。

    「食べてしまいたいほど可愛い」という食と愛の関連は一般的ですらある。ひとつになりたい、ひたすら純粋な相手への思いの強さによるこの「食うー食われる」関係への関連への倒錯にはしかし、己のエゴ、自我、アイデンティティを乗り越える唯一の道筋がメタファとして示しだされているのではないだろうか。

    或いは、「食べてしまいたいほど可愛い。」と「食われてしまってもいいほど愛している。」というエゴの反転が、反対なのではなく、ひとつの現象の表裏に過ぎないという感覚を可能とする場。

    それは、主体と対象の枠組みの区別を自ら望んで無化する、自己への固定化したアイデンティティの枠組みを捨てる、二項対立としての恋愛から共に世界全体の一としての愛にいたる止揚の場、特殊な意味のフィールドなのである。

    狭い己の枠に固執する利己、業、罪業を乗り越え超越した視線を得る術への示唆。

    すなわち、巨きな世界、生態系(食うー食われる)の構造の中の己の位置づけを認識することを、個体の側からの視点、官能、感情の本能から解釈する恋愛をメディアとした構造に重ね、変換させる発想である。構造を同じくしてフェイズ(相)を変えるという理論の発想だ。


    たとえば、日常の中、花鳥風月、四季の移ろい、自然の風物へ... 続きを読む

  • 活字を追いながら、文字が作り出した言葉の意味するところを一つひとつ考えていると、いつのまにかこの物語の世界に引きずりこまれている。すべてがひとしく存在する世界。人間だから、動物だからと制約があったり、逆に優遇されることもない。在ることが、おきていることがあたりまえとなる世界。

    おもしろおかしい不思議な話ばかりのようでいて、なかに人生を考えさせるエピソードが突然あらわれ、忘れられない話となる。

    物語に引きずり込まれているときには色が見えるのだか、字面だけ追っていると色が見えてこない。

    露草
    水墨画の世界に鮮やかな青が
    とびこんできた。あたまのな
    かに突然色がうかび、驚く。

    キキョウ、マツムシソウ
    ふたたび青にやられる。今度
    は、年老いた彼女の涙とかさ
    なった。つめたい青ではない。
    あたたかく心のなかにずっと
    ある青。

    この物語の舞台の中心は鈴鹿の山。主人公の辿った道を歩きたくなる。

  • 「蝦蟇というものはおよそこの世に生きとし生けるものの中で最も悟り切っているものである」

    ふと気がつくと犬のゴローの姿がなかった。
    鈴鹿の山で似たような犬に出会ったという友人の言葉にフラリと家を出た。
    綿貫が出逢う人々や出来事が淡々と語られる。
    「山は山として放っておいてやればいいではないか。いちいち踏破したくなるのは無駄な征服欲というものである。」なんてブツブツ言いながら。
    各章を彩る野花の情景が一緒に旅している気持ちになった。

    「昨日の雨はこの青を連れてきたのかと合点する。」

    「変化はまことに漸くの如く、小さきものから始まるのだ」

    「それはだれにもわからない。その一生の充実は、長さだけでは測れない。」

    「あまりに明るい夜は、実は苦手である。諸々の息遣いが遠のいていく気がする。」

    「人は与えられた条件のなかで、自分の生を実現していくしかない。」

    ゴロー!無事でよかった!
    家へ、帰るぞ。

  • 「家守綺譚」の続編。

    今回もゆったりとした時の流れが何とも心地良いです。
    不思議な出来事や妖怪の類も自然と受け入れてしまう主人公が魅力。

    隅々まで明るく照らされ、全てが科学的に証明できる現代。
    人間の暮らしと光の当たらない部分とが共存していた、
    ほんの100年前が少しだけ羨ましく思えてしまいます。
    日本語って綺麗だなぁ、自然って美しいなぁ、と思える作品。

    ラストは「ゴロー!」と叫びたくなります(笑)

  • 「家守綺譚」の続編。相変わらず表現が綺麗で惹かれます。
    前半数話は家守綺譚のような短編。和尚に化けたタヌキの説法、聞いてみたい。
    後半は征四郎が半年近く行方知れずな賢い愛犬 ゴローを探すため、そしてイワナの夫婦が営む宿に泊まるため、鈴鹿へと旅に出るお話。
    旅先での人々との出会いや、方言の濃いやりとりはもちろん、河童・竜・幽霊・イワナなど人ではない者たちとの自然なやりとりも良かった。
    夢と現の間を揺らいでいるような感覚で読んでいましたが、最後のゴローの可愛さにすべてを持っていかれました。

  • 冬虫夏草、冬は虫の姿で過ごし、夏になると草となる生物。

    亡き友人高堂の家に住む小説家の綿貫が、愛犬ゴローを探すまでの道のり。


    相部屋の竜の男。亡き友人高堂の川に関する話。
    とても犬とは思えないほど賢いゴロー。
    お産の途中で亡くなった菊さん。
    学者の南川がその土地にやけに詳しい理由。

    イワナ夫婦が営む宿、川や山で過ごす河童。
    自然が人々よりも大半を占めるその土地で、彼らは自らの生きる形を変えて共存していく。

    「人は与えられた条件のなかで、自分の生を実現していくしかない」
    河童少年の牛蔵の言葉がとても悟り境地に達する。

    それを聞いた綿貫が、君は宗教書か哲学書を読む習慣があるのかと聞き、牛蔵が独自に達した境地ってさらっと言ってのけるシーンが面白かった。

    やたらと真面目に登場人物たちはやりとりしているんだけど、なぜかぷぷぷと笑える。

    だがしかし文体が少々難しくて挫折しそうになったけど
    f植物園の巣穴のときも挫折しそうになりながらも読み続けて結末でドカンとやられたっていう経験があったから、
    必死こいて読み終えることが出来たよ。

    こちらも最後まで読まないと物語の面白さを味わえない)^o^(

  • 「家守綺譚」に続く綿貫征四郎シリーズ。
    犬のゴローが、気がつけば二か月以上も戻っておらず、心配になって来た。
    担当の山内から「イワナの夫婦が営む宿」があると聞いて興味を持った頃、友の南川から鈴鹿辺りでゴローらしき犬を見かけたと聞いたのをきっかけに、征四郎は旅に出た。
    家の管理はいいのか、と突っ込みたくなるところだが、隣のおかみさんあたりがいいようにしてくれるのだろう。

    行く先々で、「イワナの宿」と「犬のゴローの消息」をたずね、情報を頼りに山へ分け入り、流れをたどる。
    気がつけば水に関係した話が多く、それはつまり竜に繋がるのかもしれない。
    「滝」も、サンズイに竜の字だ。
    素朴な人々、のどかな村村…しかし、あちこちに人ならぬ物の気配は満ちていて、どうやら境はあいまいなようだ。
    怪異にも慣れてしまったらしき征四郎は、幽霊に向かって涙ながらにお悔やみを申し上げたり、「斯くの如き幻影の一つや二つ、出てきて当然…」などと考えたりしてしまう。
    「あ、ちょっと…取り込まれかけてる?」と、読みながら焦る。
    全くこの人は!(笑)

    そういう彼だからこそ、河童の少年なども力を貸してくれるのかもしれない。
    旅の途中でも、人に姿を変えた人ならぬ物にも多く出会った。
    征四郎自身は、気付いたり気付かなかったり。
    いのちは季節や場所によって、生きる形を変えて存在するものだ、という河童少年の人生観。
    それは、夏と冬では在り方を変える冬虫夏草に象徴されるのかもしれない。

    今回、高堂はあまり姿を見せない。ゴローと同様の一大事のために忙しいのだろうか。
    代わって、菌類の研究をしている南川とたびたび関わる。
    征四郎の「見聞を広める(結果として)」旅のおかげで、民俗学的なこともさまざまに描かれ、興味深かった。
    遠野物語のような雰囲気が漂う作品になった。


    クスノキ/オオアマナ/露草/サナギタケ/サギゴケ/梔子(くちなし)/ヤマユリ/茶の木/柿/ショウジョウバカマ/彼岸花/節黒仙翁(ふしぐろせんのう)/紫草(ムラサキ)/椿/河原撫子/蒟蒻(こんにゃく)/サカキ/リュウノウギク/キキョウ/マツムシソウ/アケビ/茄子/アケボノソウ/杉/タブノキ/ヒヨドリジョウゴ/樒(しきみ)/寒菊/ムラサキシキブ/ツタウルシ/枇杷/セリ/百日草/スカンポ/カツラ/ハチワカエデ/ハマゴウ/オミナエシ/茅

  • 前作の家守綺譚を読んでいないのでわからないところもあったが、本当に数百年前の日本はこんなだったのではと思えた。
    少ししか出てこないゴローの人望と存在感が頼もしい。

  • それは
    ついこのあいだ、ほんの百年すこしまえの物語。
    『家守綺譚』の続きの物語。

    綿貫は心打たれる。
    自然の移ろいや、水の清らかさ、そこに住む人びとの素朴さや、柔らかな方言。
    いにしえの時代から続くおこないの数々、自然とともに生きぬく知恵に。

    人間にあらざらむ者を、当たり前に認め心を通わす。
    法話までやってのける和尚に化けたタヌキ。
    比良おろしに乗って阿賀神社へ帰ってきた天狗の太郎坊。
    長い間留守にしている、愛知川の赤竜。
    宿を営むイワナの夫婦。
    その夫婦を手伝いながら、父母を待ち続ける河童。
    絶大な信頼と親愛を築いた忙しい愛犬ゴロー。

    偉大な自然に抱かれ、なにものかに生かされている。
    何ものにも捕らわれない時の流れ。

    無いものねだりだろうか。
    ほんの百年すこし前の時代が羨ましく思えてしまうのだ。

  • わくわくとした気持ちからしみじみとした気持ちになる。
    異界があちこちに作り出されて、そこに惹かれていくように旅は続く。また読み返したくなるような大きな物語の、片隅の、だからといって、決して小さくない物語。

  • いかん、いかん。山野を跋渉する綿貫さんが、だんだん『蟲師』のギンコに重なって見えて、会話も独白も中野裕斗さんの声になって頭の中に響いてきます。でも、この錯覚が結構気に入ってます。
    “人望”がある犬を私も飼ってみたいけど、探して歩くのは大変ですね。
    蒟蒻屋の松子さんの「キキョウ」と「マツムシソウ」のお話が清々しくて好きです。
    イワナの宿改め河童の宿かぁ、場所さえわかれば1泊お頼みしたいです。

  • 「家守綺譚」の続編
    人そしてそれ以外のもの、自然
    それぞれの描写がすばらしい
    鈴鹿の山奥を一歩一歩たどっていく
    冬と夏、周囲の条件によってふさわしい生を実現していく
    こんなにも豊かな自然と生き方が、かつてはあったのだなあ
    ラストは涙ぐんだ
    《 犬たずね イワナに河童 山深く 》

  • 大大大好きな『家守綺譚』の続編。
    高堂の登場シーンが少なく、少し寂しかったけれど、いいです!この世界観。

  • 梨木さんの本を手に取ると多くの場合、KiKi はまずその装丁の美しさに思わず見入ってしまいます。  品があって楚々としていて美しい。  西洋的なゴージャス観とは対極にある凛とした佇まいのようなものに圧倒されます。  そして、本である以上「読んでナンボ」のものではあることは百も承知なんだけど、「こんな装丁の本を手にしているだけでこの本の中に描かれている精神性のようなものに感化されるんじゃないか?」というような気分にさせる趣とでも呼びたいもの、そんなものをビシビシと感じるんですよね~。  今回の「冬虫夏草」もまさにそんな1冊で、実は読み始める前にひたすら装丁を眺めつづけて数時間という時を過ごしてしまいました。

    そしてようやく読み始めたのはお布団の中。  何とはなしにこの物語の読書に適しているのは明るい昼間ではないような気がしたんですよね。  特に今はすべての生命が長い冬の眠りから覚め、ほとばしる生命を謳歌しまくっている春です。  我がLothlórien_山小舎には「蛍光灯」はないうえに、KiKi のお布団脇の読書灯は和紙のシェードがかかった白熱電球(もどきのLED電球)の灯りのみなので、そのどこか頼りなげな光の中こそこんな物語を読むにはピッタリくると思うのです。

    さて、「家守綺譚」では家からほとんど出なかった主人公の綿貫征四郎でしたが、本作では愛犬ゴローがいなくなったことをきっかけに、書斎を離れて旅に出ます。  KiKi 自身には物語の舞台近辺の土地勘が皆無なので、どこをどう歩いているのかとか、それがどの程度の行程なのかとか、どんな景色の所なのか等々に関しては全くと言っていいほど分からないのがちょっと残念・・・・・。  ただでさえよく分かっていないところにもってきて、征四郎さんがちゃんと目的があるようでいてどこか風来坊的な動き方をしてくれちゃうので、地図でそれなりに行程を追っているつもりでも時に迷子になること暫し・・・・。  ま、逆に言えばこの「行き当たりばったり感」こそが、人という存在の小ささの1つの証左でもあるわけだし、行き当たりばったりだからこそ出会えるものがあるとも感じられるわけですが・・・・・・。

    さて、梨木さんの作品を読むと常に呼び起こされるが「失われつつある日本的なものに対する郷愁」とでも呼びたい感覚です。  そして「人ならぬ者」が登場する物語を読むと必ずと言っていいほど思い出すのがかつて読んで感銘を受けた内山節さんの「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」という本のことです。  

    今作でも「人ならぬ者」とも「人」とも分け隔てなく接し、その存在をスンナリと受け入れることができる綿貫さんの立ち位置やそんな彼が出会う人々の姿に、現代的な生活を送る私たちが失ってしまったある種の「知」みたいなもの(別の名前で言うなら「迷信」)を感じ、恐らくこの「知」の本質は日本人ならばかつては当たり前のように持っていた1つの精神世界だったのだろうなと感じました。

    件の本によれば私たち日本人が狐にだまされなくなった理由には以下のような要因が考えられるのだそうです。 

    1. 高度成長期(経済成長)に人間が「経済的動物」に変貌し、「経済的価値があらゆるものに優先する価値になった」ことにより、かつては日本人が持っていた「非経済的なもの(≒自然の生命・神)に包まれて自分たちは生命を維持しているという感覚を失った。

    2. 科学的に説明できないものはすべて誤りという風潮が広がり、科学的にとらえることを進歩的態度とみなす精神がひろがり、結果として、科学では捉えることのできない世界を掴むことのできない人間が増えた。

    3. 1960年代から情報・コミュニケーションのツールが電話やTV、漫画雑誌を含むいわゆる「マスコミ」経... 続きを読む

  •  若くして亡くなった親友高堂の父に頼まれ、庭付きの実家の家守をすることになった売れない作家綿貫征四郎。行方知れずになって久しい愛犬ゴローの消息、イワナの夫婦がやっているという宿屋が気になり、ついに鈴鹿の山に足を踏み入れた綿貫が目にしたものは……。

     『家守綺譚』の続編です。うっとりするような装丁、見返しの遊び心に逸る気持ちを抑えられませんでした。
     風の匂いとか、草木のざわめき、流れてゆく雲、川の水のきらめき、冷たさ…なんというのだろう、物語の世界に引き込まれるだけでなく、居ながらにしてまるでそこにいるかのように感じてしまう。とっても大切にとっていた甘露をゆっくり味わうような幸せな読書。

     得体のしれない長虫屋が、またもやパワーアップしていた。いやはや、なんとも……。そしてゴロー、なんていいヤツ。

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冬虫夏草の作品紹介

ここは天に近い場所なのだ――。『家守綺譚』以後を描く、心の冒険の物語。亡き友の生家の守を託されている駆け出し文士、綿貫征四郎。行方知れずになって半年余りが経つ愛犬ゴローの目撃情報に基づき、家も原稿もほっぽり出して鈴鹿山中に分け入った綿貫を瞠目させたもの。それは、自然の猛威には抗わぬが背筋を伸ばし、冬には冬を、夏には夏を生きる姿だった。人びとも、人にあらざる者たちも……。

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