赤猫異聞

著者 :
  • 新潮社
3.79
  • (49)
  • (87)
  • (65)
  • (12)
  • (2)
本棚登録 : 526
感想 : 88
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (281ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104394043

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 明治元年の年の瀬、徳川幕藩体制が崩壊し、明治新政府への移行がまだ落ち着かない混乱の江戸が舞台。
    大火事が起こると牢獄の囚人たちを解放する「赤猫」という慣習により縄を放たれた三人の大物囚人を巡る物語。

    明治に入った数年後、司法省の役人が当時の関係者に事情聴取をするという設定で、各登場人物による独白文といった形式で小説は進んでいくのですが、各々のキャラクタに合わせた生き生きとした口上が見事の一言で、著者の筆力には感心させられます。
    江戸から明治へ、社会が大きく変わる時代感や、牢屋同心という下級役人の悲哀など、考証的な部分でも興味深いところが多く。

    が、物語自体は大して面白いものではないので、口上が見事な分、やや冗長さを感じてしまったのも事実。
    個人的に、人情モノはあまり好みでないというのもありますが。

  • 人に定められた道を全うすることが「正義」その儀を問う浅田作品、今回は江戸伝馬町の牢屋敷囚人が迫り来る大火のため解き放ちの命を受ける。九死に一生を得た三人の囚人と牢の管理同心二人の生き方を、義という視点から考察する。許された限られた時間の中で自分の信ずる義を大罪を犯してでも遂行試みる三人、一方白砂の裁きを厳格に執行っする同心二人。不徳の義が徳の不義を嘲笑う、そんな流れに嫌気がさしたのか、天は同心に力を与えたのか?お白砂に不正、裁判に冤罪は付き物なのか!義に生きた「壬生義士伝」を思い出される。

  • 江戸から明治への混乱のさなか、大火事による牢屋敷からの囚人の解き放ち。浅田次郎お得意の時代を描く時代小説。

    無宿重松、辻斬り七之丞、白魚お仙。3人の曰くつき罪人たちの解き放ち後の物語を数年後の本人たちの語りで紹介していくストーリー。しかしながら、キーマンはまさかの丸山小兵衛なんですよねえ。と、ネタバレですが。

    罪人たち3人にとっては、生きて世の役に立ちなさいという天の情けか、様々な運命の中、真っ当に生きてきたことへの天の情けか、自分の手をこれ以上汚さずに本懐を果たすことができたという、浅田次郎らしい人情あり奇跡ありの物語でした。
    小兵衛は、なぜ、このような行動に出たのか。役人としての正義を貫くということなのでしょうが、解釈が難しいところもありました。
    そういった部分がスッと頭に入ってきていないことからしても、時代小説を読むには、まだまだ修行が必要だなと思う今日この頃ですね。

  • 「赤猫」とは放火や放火犯の言い換えとされますが、本書では、江戸における火事の場で放たれる牢人たちを指しています。
    死罪や遠島に処される者たちが火災によって一旦放たれ、鎮火後戻ってくれば罪一等減じられるというのが当時の慣習のようです。
    しかし明治元年の火災においては、幕府の権威が失墜し、また新政府も実質的な行政機構は整備されておらず、徳川幕府のやり方をなぞっていたことからすれば、関係者それぞれの思想や立場は様々であったことは想像できます。

    微妙な判断が要求される上に即決しなければならない場合、より精度が高くバランスよい判断を下すには、日ごろから想定してシミュレーションしておかなければならないと思います。

    そういう意味では、丸山小兵衛の判断と行動力は咄嗟のものではなく(思考の経緯はわかりませんが)、丸山が寺子屋で学んだ「法は民の父母なり」の言葉を反芻してきた上でのものだったということでしょう。

    きっちり結末を描くのは、さすが浅田次郎だと思いました。

  • 「赤猫」とは、この本で言うと放火犯の俗称、総じて火事の事らしい。
    そして、火の手が迫った際の囚人どもの「解き放ち」をそう呼ぶ。

    明治元年の暮れに起きた大火事。
    400人の囚人を牢屋に抱えた伝馬町牢屋敷にもその火の手が迫っていた。
    その時、牢名主の繁松は今正に振り上げられた刀に首を斬り落とされようとしていたが、すんでの所で命を取りとめる。
    やがて、囚人たちは一時、善慶寺に集められた後「解き放ち」となる。

    その際、問題になったのが三人の囚人の存在。
    命を取りとめた、牢名主の繁松。
    町方の弱みを握っているお仙という女。
    夜な夜な官兵を斬って回った七之丞という旗本の若様。
    遺恨を残さぬため、三人を斬る事となったその場面で、一人だけ異を唱える者がいた。
    どのような理屈にも人命はまさる、というその男の言葉に皆刀を納め、そして三人は「解き放ち」となった。

    解き放たれた三人はその後どうなったのか。
    そして、三人が牢に入る事になった経緯、その生き様などが本人によってその後語られることとなる。
    そして、最後に語る人物の言葉により、見えてきた真実とは-。

    大火事という非常事に紛れて見失われようとしていた真実。
    何とも男気を感じる話でした。

    正に火の手が迫るという非常時であっても、マニュアル優先の役人の融通のきかなさ。
    それよりも大事な事があるだろう、と道理を訴える姿。
    現代にも通じるところのある話だと思いました。

  • 鎮火後、三人共に戻れば無罪、一人でも逃げれば全員死罪。「江戸最後の大火」は天佑か、それとも――。火事と解き放ちは江戸の華! 江戸から明治へ、混乱の世を襲った大火事。火の手が迫る小伝馬町牢屋敷から、曰くつきの三人の囚人が解放された。千載一遇の自由を得て、命がけの意趣返しに向かった先で目にしたものは――。数奇な運命に翻弄されつつも、時代の濁流に抗う人間たち。激変の時をいかに生きるかを問う、傑作長編時代小説!

  • 天切り松と役者が似てたなあ。うーん。期待値が高かった分、ちょっと低評価…。

  • 時代ものはあんまり読まないけど、
    浅田さんの壬生義士伝が好きだったので読む。
    あとタイトルに惹かれて読む。

    ものごとが大きく動くときにどういう風に生きられるのかってとても難しいんだなぁと思う。
    貫き通すのもそうだし、考えを変えてみるのもそうだし。
    私なんかは身動きが取れなくなってしまいそうだ、と思いつつ読みました。

  • 明治元年年末の大火での小伝馬町牢人解放ちの中での人情時代小説。

    物語としては、さすがに普通に面白いですが、浅田さんということで期待が高すぎたかも知れません。
    まず、登場人物、事件(大火も含めて)がすべて虚構ということが、不可思議です。
    これまでの浅田時代小説は、登場人物或いは事件、どちらかは実在のものを利用していたと思います。
    本作のテーマ上、明治元年という時代背景のもとに、完全虚構な物語を構築する必要性がよく理解できませんでした。
    というのも、主題やストーリーや構成は「壬生義士伝」の焼き直しと思えたからです。

  • 幕末から明治維新にかけて価値観が大きく変わっていく中で、武士とはどうあるべきか、人間とはどうあるべきかについて、作者によって浮き彫りにされる展開と読めました。 浮き彫りにするために異聞=複数視点からの物語という形式なのかなと思いました。 同じ作者の壬生義士伝を思い浮かべてしまう内容です。

著者プロフィール

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄に乗って』で「吉川英治文学新人賞」、97年『鉄道員』で「直木賞」を受賞。2000年『壬生義士伝』で「柴田錬三郎賞」、06年『お腹召しませ』で「中央公論文芸賞」「司馬遼太郎賞」、08年『中原の虹』で「吉川英治文学賞」、10年『終わらざる夏』で「毎日出版文化賞」を受賞する。16年『帰郷』で「大佛次郎賞」、19年「菊池寛賞」を受賞。15年「紫綬褒章」を受章する。その他、「蒼穹の昴」シリーズと人気作を発表する。

浅田次郎の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×