光の山

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著者 : 玄侑宗久
  • 新潮社 (2013年4月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (169ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104456093

光の山の感想・レビュー・書評

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  • 人は自分の置かれた状況でしか考えることが出来ない、だからそれが悪ければ未来は「まだこぬ」であるし希望は「のぞみまれ」になってしまうのだ。
    そんななか蚊帳の内からどんな言葉が掛けられるのか、少なくとも私の器では心を寄り添わせることしか術を持たない。所謂震災文学の類いに馴染めない理由はたぶんそこにあると思う。
    しかしこの短編集はどうだろう、悟りを開いた和尚の眼は現実をこう見るのか、そして明日への糸口をこう開いていくのかと凡夫を平伏させる凄味がある。
    人を想い寄り添うこと…それはまさにこういうことなのだろう。
    表題作の「光の山」…この異色さは画竜点睛なのか蛇足なのかはわからない。しかしやり場のないクソッタレな気持ちを伝えるだけでも存在の価値はある

  • <閲覧スタッフより>
    福島に暮らし、被災の当事者でもあった著者が震災間もない現地の姿を6編の物語に紡いでいる。ひとつひとつのエピソードに込められたその眼差しと言葉には、フィクションとは言い難いほどの生々しい実直さと透明感が共存しています。

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    所在記号:913.6||ケン
    資料番号:10225388
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  • 3.11を題材にしたこの短編集は、今も続く現在進行形の悲劇を私たちにまざまざと見せつける。
    6つの短編はどれも激しく心を打ち、読み終えた後は焼け付くような余韻が感じられる。
    とくに「小太郎の義憤」の小さな男の子が忘れられない。彼の見せた力強い成長こそ、私たち大人にも必要なのだと気付かされる。
    被災地に降り積もる悲しみや憤りを見逃すまいとする、作者の気概がひしひしと伝わってくる一冊だった。

  • 20140407読了
    福島出身、僧侶。東日本大震災に関する6つの短編。「あなたの影をひきずりながら」「蟋蟀」「小太郎の義憤」「アメンボ」「拝み虫」「光の山」。●小説ではあっても、なまなましい感情が詰まっている。震災を経験していない身としては、あの日のことを風化させないよう、毎年3月11日にこの本を開くと追悼につながるような気がする。忘れないために。

  •  福島県三春町の臨済宗福聚寺の長男として生まれ、2001年に『中陰の花』で芥川賞を受賞した著者が、東日本大震災を描いた短編集。著者は震災時も現在も同寺の住職を務めており、被災者の一人だ。
     著者と同じ僧侶を主人公に、大津波を体験した後で水が恐怖になり、お茶すら飲めなくなった女性に一縷の希望を見る『蟋蟀』、身元不明者の中から夫を探し出すために、3歳の息子とDNAを採取する主人公を描く『小太郎の義憤』、原発の事故で生活を壊された一組の夫婦の一日を追う『アメンボ』など、そこに住んでいる人にしかわからない出来事や感情を「切実な現実の推移の中で綴った」(あとがき)。
     表題作であり、結尾の作品でもある『光の山』は1つだけ傾向の違う作品だ。安易な希望を描くことを忌避する著者が、それでも最後に”光”を見なければならないほど、先の震災が悲惨だったということだろうか。

  • 非被災者が「絆」と騒ぐのが虚しく思えるほど、被災当事者の分断が見事に描かれているのは、福島在住の作家ならではと感じる。「あとがき」にもあるようにジャーナリスティックな作品・文章も結構あり、放射能には楽観的な著者ならではの視点が随所に挿入されている。ここは読み手によって評価がわかれるところだろう。
    玄侑本は初めてだったのだが、ちょっと気になったのは人称の使い方。殆どは神視点で書かれているのだが、一人称っぽく感じる部分が多々あり、少々わかり難く、読み難さも感じた。これがこの人の文体なのだろうか?芥川賞作家にテクニカルな事言うのも恐れ多いのだが。

  • 請求記号:913.6/Gen
    資料ID:50071681
    配架場所:図書館1階東館 め・く~る

  • あまりにも色濃く迫ってくるので、小説だと気付かなかった。

    被災地の方々の声に耳を傾けた玄侑さんがそのお話を元に書かれたものだと思い込んでいた。

    忘れない。
    能動的に寄り添う。
    子どもにもその事を説く。

  • 新聞で見かけてから読んでみたいと思っていた一冊。
    一気読み。


    書評で見た
    『被災地以外の地域において、さまざまな思いが風化しようとしている、いまだからこそ。』
    の言葉。

    複雑な想い、です。

  • 『四雁川流景』以来三年ぶりに読む玄侑宗久さんの小説。
    2011(平成23)年3月11日の東日本大震災後を題材にした短篇集

    「あなたの影をひきずりながら」
    両親、祖母、弟は唸りを上げながら押し寄せた津波に飲み込まれ命を落とした。残ったお爺とお姉。お爺は生き残ったことを悔やむ。
    お姉の東電に勤めて2年めの彼氏も、つかの間の休息に丼飯を掻き込み睡眠を取り、ひきとめる家族を振り切って職場へと引き返す。
    お姉は肺炎であっけなく逝く。それでもお爺は生きねばならぬ。
    バックに森進一の『港町ブルース』

    「蟋蟀」
    題名の漢字が読めなかった。読み進めるうちにこおろぎだとわかった。
    寺に生まれた43歳の道彦は父とともに寺の雑用をしていた。長い長い揺れのあと予想外の大きさの津波が寺に向かって押し寄せてくる。父と12歳の飼い犬ボンを抱え庫裏の2階へと駆け上がる。2階の部屋だけが切り離され波とともに運ばれる。壊れた窓から何を思ったか止める間もなくボンが濁流の中へ飛び込み波にのまれ姿を消す。愕然と崩れ落ちる父。瓦礫とともに不自然な形で投げ出されている知人の遺体が二人の視界に入る。道彦の母は朝海岸通りへ買いものに行ったきり連絡が取れない。
    今、道彦はプレハブの本堂で家族を失った25歳の柏木亜弥と祖母が入院し一人っきりのみいちゃん5歳とともに生活する。父は施設でお世話になっている。あれ以来、一切口を利かなくなった。始終ベットの横でくるくる回りながらお経を読む、四方八方の亡くなられた人々に向けて。

    「小太郎の義憤」
    震災後、真紀は夫の洋平の遺体をDNA鑑定で探すために一人息子の小太郎をつれ警察署へと赴く。検査を指導する阿部刑事は震災で娘と小太郎と同じくらいの孫を亡くしている。悲しみを抱え訪れた真紀たちだが、その自分たちの姿を見てまた後悔と哀惜の情で身を切られる人がいると知り愕然とする。
    検査を終え警察署を出る。母子は手をつなぎ前へ歩きだす。

    「アメンボ」
    震災後もそこに住み続ける親子。
    被災地を離れない夫を残し二人で遠くへ移った母と子。
    お盆に一時帰京した母子を交え二家族の有り様を書いたもの
    誰が悪いわけでもない 
    人それぞれの考えや感じ方、何を信じるかの相違で歯車がかみ合わないだけ

    「拝み虫」
    胆管がんで余命半年と医師に宣告された光司は地域の除染活動に参加した。通常の作業服にマスクとゴム手袋を装着し、濡れたウエスで屋根を拭い雨どいを払う。そんな日々の中、光司が住む仮設住宅の入り口付近にカマキリを見かけるようになった。カマキリが拝み虫の別名を持つと光司に教えてくれたのは津波で死んだ妻聖子だった。光司はそのカマキリに生前の聖子の姿を重ねた。

    「光の山」
    震災の30年後の未来の話。
    なんでも「大丈夫 大丈夫」という爺さん。頼まれて剪定した他所の家の枝葉を毎回自宅の5000坪の敷地の一角に積み上げて行った。それを聞いた人々が除染後に出た汚染された土や木材を運び込ませてくれと爺さんに頼む。当然爺さんは「大丈夫 大丈夫」と答え受け入れる。それが次第に山となり小さな山脈となった。それから25年後、秋風邪をこじらせ95歳で爺さんがあっけなく息を引き取った。爺さんの息子は、爺さんの望み通りその山の上で爺さんの遺体を火葬した。山はオーラのような光を発し燃える。

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光の山の作品紹介

震災後二年、福島に住む僧侶作家が描く、魂の叫びと遍歴。震災を深く静かに物語る、短篇集。「ホーシャノー、持ってきていいって、本当かね」汚染土や葉を積み上げた仮置場はやがて、瑠璃色の光を放つ山になった(光の山)。三歳の小太郎は、DNA鑑定を受けに警察署に来ていた。身元不明の遺体の中に父はいるのだろうか(小太郎の義憤)。過酷な運命を必死に生きる人々のリアルな姿と心情を結晶させた六つの短篇。

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