その姿の消し方

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著者 : 堀江敏幸
  • 新潮社 (2016年1月29日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (174ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104471058

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その姿の消し方の感想・レビュー・書評

  •  あなたが一番好きな作家は誰ですか。
     そう問われて堀江敏幸の名を挙げて、「知らないなぁ」という予想通りの反応を何度聞かされただろう。芥川賞の選考委員であり自身が芥川賞作家でもあるというのに、この人ほど華やかさや押し出しの強さとは正反対の極にある書き手を私は知らない。
     謎めいた十行の詩。主人公の〈私〉はパリの古物市で、使用済みの絵葉書に記された文字にふと目を留める。そこから物語は転がり始める。この始まり方は、一昨年ノーベル文学賞を贈られたパトリック・モディアノの作品とよく似ている。『1941年。パリの尋ね人』の主人公も同様に、何気に目にした数十年前の尋ね人広告をきっかけに、その何行かの文字の陰に隠された真実を突きとめたいと、もがきながら追い求めてゆく。  
     物語の仕掛けは似通っているが、二つの作品の結末は決定的に違っている。モディアノ作品の行き着く先がホロコーストという世紀の悲劇と作家自身の出自とが数奇に重なり合う頗る劇的な結末であるのに、『その姿の消し方』では、〈私〉が探し求めて辿り着くのは歴史の片隅で世に知られぬまま消えていった詩人の影と、遺された幾つかの謎だけなのだ。
     数年前のことだが、私はこの書き手とリアルに言葉を交わしたことが一度だけある。
     「堀江さんは、須賀敦子さんの『ユルスナールの靴』の単行本を読んでいて、文芸誌に初出のときの原文が何ヵ所か書き直されていることに気がついたと、須賀さんの追悼特集で書かれていますが、それって新旧の文を見比べて検証されたってことでしょうか」
     不躾な私の質問に、返ってきたのはとても穏やかな声だった。
     「いいえ。見比べたんじゃありません。原文をはっきり覚えていたんです。元の文も素晴らしかったですから。単行本を読んでいて、あ、ここは直されている、前より更に良くなってると直ぐその場で気づいたんです」
     やさしい口調だった。だが、眼鏡の奥でこちらを見据えていたのは、一文字の相違も見逃さない眼だ。一転して、今度は遠くを見遣りなが、「もう十年になるんですねえ。須賀さんが亡くなられてから」と、最後のところは消え入りそうに小さく呟いた。続く何秒かの沈黙を、私も一緒に噛みしめた。
     回想風エッセイの名手として名高かった須賀さんの文体は、事実であることが建前のエッセイという体裁を採りながら、巧みに〈創り〉を織り込んで主題を際立たせる、いうなれば「ホントの様な嘘」の物語であった。
     この最新長編で堀江さんは、敬愛するエッセイストの精髄は受け継ぎながら、それとは真反対の立ち位置から「嘘の様なホント」を書いている。虚構に形を借りながら、〈私〉は間違いなく書き手自身であり、謎めいた詩行のひと文字一文字に込められた真実を追わずにいられなかった〈私〉のこだわりは、彼自身の想いであるのに違いない。
     読む。とはいったいどういう行いだろう。目に映るひと文字、ひと言、綴られた文の真意を、ああだろう、こうかもしれないと手探りしながら辿る。だが読めば読むほど、真意と信じていたものが読み手の勝手な思い込みに過ぎないことを何度も何度も思い知らされる。真意の真はいつも一瞬の幻でしかない。でも、判らないからこそ惹かれてしまう。掴めないからこそ追いかけ続けてしまう。もしあなたが、そういういう読む者の業を背負ってしまった読書人であったなら、これはもう繰り返し読むべき必読の一冊だろう。
     執拗なまでに丹念に綴られた〈読む〉営為を追体験した果てに、あなたがようやく辿り着くのは、全然劇的じゃない、結末とはいえない結末である。だがそうであればこそ、無名のまま消えていったなにものかの有り様が、切なく、愛おしく、胸に滲みてくる。
     そういうなにものかを描かせて、今、堀江敏幸の右に出る書き手はいない。

  • 久し振りの長篇小説と思って楽しみに読みはじめたが、十三章のそれぞれには表題が付されていて、それぞれが独立した短篇としても読めるようなつくりである。いかにもこの作者の書きそうな独特の気配がしている。給費留学生として渡仏していたおりに見聞きしたことをエッセイ風に書いた小説が評判を呼び、一気に人気小説家となった堀江敏幸だが、フランスを舞台にしたエッセイ風の小説をしばらく書いた後は、エッセイや書評にと手を広げ、日本を舞台にした小説も何篇か書いている。

    作家であるからには、小説らしい小説を書くのも悪くはないのだが、この人の持ち味は、よくいえば趣味のよい調度や小物を適宜配した書割の中で、どちらかといえば不活発な人物が、地方の郊外都市なんぞをうろつきまわるうち、印象的な事物に出会い、心のなかに浮かび上がってきたよしなしごとを書きつけた、といった手合いのものがいちばんそれらしい。これといった筋のある、構成のかっちりした物語めいた小説は、他の作家でも間に合う。何も堀江敏幸の手を煩わせることはないのだ。

    そんなわけで、愛読者の一人としてはフランスの地方都市を主な舞台にとった今回の作品は、その手法といい、作品世界といい、手ごろな長さといい、長らく待ち焦がれていたものといえる。かつて給費留学生当時、古物商の店で手に入れた、シュルレアリスム詩のような文章が書かれた絵葉書をモチーフに、連想と類推を駆使して、1930年代フランスに暮らした一会計検査官の肖像を描こうという試みである。差出人は、アンドレ・ルーシェ。名宛人は、北仏の工業都市に住むナタリー・ドゥパルドンという女性。

    半世紀以上も昔のことだ。美しい書き文字で矩形に収まるように十行きっちりにまとめられた詩篇は、抽象度の高いものだが、アンドレ・ルーシェは有名無名に関わらず、詩人ではなかった。気になった「私」は、古絵葉書を商う店を訪ねては、同じ絵葉書がないか、手がかりを捜し求めるようになる。その探索の経緯が十三の章に描かれる。何年もの時間が経ち、探索行の途中で出会った人々はやがて、懐かしい人となり、便りを通じてその後の様子を知らせあうこととなる。

    異国での、人と人との出会いは、この国のそれとはちがって、単刀直入でもあり、それだけに心に残る肌触りを感じるものでもある。クスクスのような料理や、バン・ショーのような飲み物。醗酵臭の強いチーズ。隣の部屋から聞こえてくる祈りのための音楽、といった五感に迫る対象を手際よく配し、フランス人ばかりでなく、アルジェリア人、コンゴー人ら、何かと陰影のある人物像をそつなく描き出す、その手際は相変わらず達者なものだ。しかし、なんといっても中心となるのは、シュルレアリスム風の詩のような文言である。

    引き揚げられた木箱の夢
    想は千尋の底海の底蒼と
    闇の交わる蔀。二五〇年
    前のきみがきみの瞳に似
    せて吹いた色硝子の瞳を
    一杯に詰めて。箱は箱で
    なく臓器として群青色の
    血をめぐらせながら。波
    打つ格子の裏で影を生ま
    ない緑の光を捕らえる口

    この謎めいた文言を、「私」は読み解いてゆく。何年もたってフランスから送られてきた包みにかけられていた十字の麻紐を見て、一行目の「木箱」というのが、レジスタンス運動に関わっていたルーシェが通信用に使っていた古井戸の中にあった木箱を指すのでは、と思いつく。万事がこの調子だ。確かな手がかりというものはない。故人の知人の昔話を聞きながら、火事を映した静止画のフィルム映像を見ながら、連想の枝を伸ばし伸ばしして、詩を読解してゆく。勿論それは単なる解釈でしかない。しかし、読むという行為は、そういうものである。読者もまた、このテクストを通じて同じような行為をしているわけだ。

    ミステリめいた謎を提示しておきながら、謎は最後まで... 続きを読む

  • ああ、読書は永久にたのしい

  • 詩だ。詩が必要だ。

    この小説の主人公も、これを読む私と同じく、詩に導かれる。

    堀江敏幸の到達点といえる傑作。

  • 新潮をメインに、2009〜2015年間、13のエピソード。フランスの個物商で偶然手にした古い絵葉書、変哲もない建物の写真、十行詩。また別の絵葉書を入手し、詩人の関係者と関わるようになり、時をかけてすこしづつ見えてくる姿。

    時間をかけたフランス人たちとのつながり。すっきり謎が解けるというより、人生それもありかな的な。

  • アンドレ・ルーシェの「詩」のルーツを追う終わりのない旅に帯同したような読後感。
    堀江作品は、主題はありながらも、さしたるストーリーはなく、その映像の美しさがいつまでも記憶に残るような、短館上映の映画に似ている。
    ぼんやりとした概念を仔細な言葉でかみ砕く文章表現。そのいくつかを備忘録代わりにここに。
    73ページ
    読むという行為は、これはと思った言葉の周囲に領海や領空のような文字を置いて、だれのものでもない空間を自分のものにするための線引きなのかもしれない。
    103ページ
    こちらが迂回に迂回を重ねて説明した内容を先方が理解し、それに相当するフランス語を教えてくれるという、翻訳でも通訳でもない個人授業の趣を呈するにいたった、
    118ページ
    という一行が、文脈を剥ぎ取られた生の状態で胸に突き刺さる。
    119ページ
    古い記憶が現在の記憶になるとしても、むかしと呼ばれる相対的な世界を目の前に引き寄せてくれるのは、まぎれもない現在なのだから。

  • 装丁にひとめぼれ。いわゆるジャケ買い。
    この人の単行本の装丁は、どれもきれいでこだわりを持って作られているので好きだ。
    内容は、ある不思議な「詩」の断片をめぐるとても長い時間軸の話。
    行間に深みがあり、ゆったりした大きな川の流れのような文章だと思う。

  • Twitter文学賞、国内作で本書が3位「吸血鬼」が1位とは渋くて良い。方や本屋対象は直木賞と同じという保守的な結果だ(笑)
    「フランス語で書かれた(という設定の)詩を元のリズムをまねて訳した」などをすらっと提示するなど、独特の言語センスで、日本語遣いとして優れているとは思うが、主人公以外も似たような凝ったセンテンスで手紙を書いたりするので違和感は残る。「祖父の几帳面さは必ず彼女(孫)に遺伝しているはずだ」そんなわけないだろう、とか。細かい突っ込みだが。

  • ある男が遺した謎めいた詩をめぐる13の断片。

    「小説を書くこと」についてを書き著す小説は幾つも読んだことがあるけれど、「読むこと」についてをこんな深く書き記している小説は読んだことがなかったように思う。たった10行の詩からこんなに味わい深い物語を立ち上げてくれるなんて、さぞや作家冥利に尽きるであろう。アンドレ・ルーシェという詩人はやはり実在しない(と思われる)のだけれど、かつて本当に居たとしたら、きっと草葉の蔭で泣いていることだろう。

    個人的には堀江敏幸さんは各種文学賞の選考委員としての印象の方が強くて、その選評の文体が特徴的だなと思っていた。
    一時期、いわゆる5大文芸誌の新人賞の半分の選考委員を兼任されていることがあって驚いたのだけれど、それだけ「読む」ということに強い拘りと定評がある方なのだろうと感じた。
    こんなふうに小説を「読む」ことができたら、きっといろいろなことが違って見えてくるに違いない。

  • 詩という断片的で抽象的なことばの連なりを
    しかも外国語の、形式詩を読み解き、
    詩人のひととなり、時代を探るという試みの
    記録

  • オススメしていただいた本です。とても静かに進んでいくお話で、まるで翻訳小説を読んでいるみたいに感じました。古い葉書に書かれたアンドレ・Lの詩も、寂しくて良いです。ふわふわとしたまま流されて、不思議な読後感でした。この世界が好きです。

  • 内容がなかなか頭に入ってこないけど頭に入れたい本。図書館で借りてとにかく最後まで借りて返したけどもいっかい読むと決めている。ヨーロッパの香り漂う大人の絵本といった感じ。

  • 穏やかな、いい読書時間だった。
    留学時代に古物市で手に入れた1枚の絵はがきから始まる物語。
    その絵はがきには廃屋と朽ち果てた四輪馬車の写真と、抽象的で謎めいた十行の詩が綴られていた。
    同じ差出人、名宛人の絵はがきを一枚、また一枚と探しだし、詩人のような差出人アンドレ・Lを追い求めるうちに出会った人々との交流と、長い時間と、旅のお話。

    読後は表現の豊かさ、言葉の豊富さ、作り出される雰囲気に圧倒されて溜息しか出なくなる。
    美しさと静謐と複雑と重厚と懐かしさを丁寧に混ぜたような印象(うまく表現できない)。
    でも、くどくなくとても読み易い。好い。

  • さらさらと読み進めるのではなくて、何度も立ち止まって読み返し、噛みしめながら読んだ。決して、すっと自分の中に入ってくる言葉ばかりではないけれど、ゆっくりとしみわたっていくような感覚だった。最後まで読んだら、なぜか涙が流れた。ご都合主義の物語には決してありえない、不思議な気持ち。

  • p.75
    幸福をつかみ取るための、なりふりかまわぬ自主的な嘔吐なら我が国にもありますよ。そう応えると相手は大きく頷いて、当たり前だ、それが男だとこちらの肩を叩いたものだ。その時、私は悟ったのである。息でもクスクスでも、吐くのは自分を苦しめるためではなく、幸せを手にするためだと考えればいい。ルーシェが思念を言葉にして吐き出したのなら、吐いたという行為を肯定すればいいのである。吐いてしまった息も、吐いてしまった言葉も、二度と元に戻すことはできないのだから。
    2017.1.2読了

  • 底のない沼にたえず足をとられそうになりながらも、次に繰り出される言葉がまるで飛び石のように足場を救ってくれる。静謐ながらもスリリングな言語体験だった。
    (ただ、個人的な好みとしては、それぞれの短編の終わり方に無理やりなオチをつけているみたいで、むむむっと思った)

  • 人は詩や小説から自分が読みたいものを読み取る、ということを読みながら私は感じたのだけど、とても静謐な文章で、物語の更に奥の筆者の視点も感じさせつつ、物語を読み取ろうとする以前の、作品の表層でただ言葉をなぞる心地好さも備えた、三層構造のような稀有な作品だった。
    他の作品も読んでみたい。

  • 堀江敏幸「その姿の消し方」 http://www.shinchosha.co.jp/sp/book/447105/ 読んだ、しみじみ良かった。。読書すばらしい。古い葉書を発端にある男の実像を探す。さほど積極的ではないけど執着はある。やがて身内に辿り着き状況を知ったときの、現在生きている人への「私」の心境が感動的(つづく

    いつまでも掴みどころ無い、全容は知り得ないかもしれない過去への執着から、現在へ。最後の一文が力強い。こんなに決意に満ちた、逞しささえ感じる文を読むのは堀江敏幸では初めてかも。待つのは終末のはずなのに、何故か明るい雰囲気で本は終わる。そこもいい。読後の充足感が半端ない(つづく

    フランス地方都市と市井の人々、男の身内や関係者、会話と文通。ラスト除き、全体がふわふわと浮世離れして感じるのは、媒介が詩だからかな。本文中で「私」に、好き勝手書いたものが小説に分類される不思議な体験、と言わせていて微笑ましい。装丁がまた超絶素敵だ。当然、新潮社装幀室(おわり

  • 堀江敏幸「その姿の消し方」 http://www.shinchosha.co.jp/sp/book/447105/ 読んだ、しみじみ良かった。。読書すばらしい。古い葉書を発端にある男の実像を探す。さほど積極的ではないけど執着はある。やがて身内に辿り着き状況を知ったときの、現在生きている人への「私」の心境が感動的(つづく

    いつまでも掴みどころ無い、全容は知り得ないかもしれない過去への執着から、現在へ。最後の一文が力強い。こんなに決意に満ちた、逞しささえ感じる文を読むのは堀江敏幸では初めてかも。待つのは終末のはずなのに、何故か明るい雰囲気で本は終わる。そこもいい。読後の充足感が半端ない(つづく

    フランス地方都市と市井の人々、男の身内や関係者、会話と文通。ラスト除き、全体がふわふわと浮世離れして感じるのは、媒介が詩だからかな。本文中で「私」に、好き勝手書いたものが小説に分類される不思議な体験、と言わせていて微笑ましい。装丁がまた超絶素敵だ。当然、新潮社装幀室(おわり

  • フランスの古い絵葉書に書かれた10行詩から、作者をおって、過去や想い出を様々な人達から聴いて詩の意味を連想する。エッセイ風の創作が、気になって一気読み。長編ではないけど、作者らしい一冊。

  • 1枚の絵はがきの謎からたくさんの人との交流を描いている。
    翻訳者の方のせいか翻訳本を読んでいるように感じた。
    この話にはまだまだ続きがありそう。
    そんな気がした。

  • 久しぶりの堀江節、堪能しました。文芸誌は読まないので、エッセイとか以外はほんとうに久しぶりです。いつも思うのですが、書下ろしではなくて、ひとつの主題を巡って、5年も6年も書き継ぐことができるってすごいです。作者はいろんなことをやりたいでしょうが、このスタイルが一等安心して断続的に喚起されるイメージの広がり身を委ねることができます。

  • 『言葉は、だれかがだれかから借りた空の器のようなもので、荷を積み荷を降ろして再び空になったとき、はじめてひとつの契約が終わる。ほんとうの言葉は、いったん空になった船を見つけて、もう一度借りたときに生まれるのだ』ー『テッキブラシを持つ人』

    堀江敏幸を初めて読んだのは「河岸忘日抄」という現(うつつ)とも虚(うつろ)ともつかない、それまで出会ったことのない文章の綴られた本を通してだった。言葉が幾つもの意味を同時に響かせる。文章は一つのことを追うようでいて、棹刺す川底の軟らかさで行く先をしかと見定められない船のように、漂う。読むことの手掛かりは何とも頼りのない外国語の音、そして聞いたことのないような漢字の連なりの意味するところ。しかし、自分が何を読んでるのかも解らないその文章には、千々に乱れた思考の果てで何処にも辿り着かないようでいていつの間にか見晴らしのよい場所に自分が立っているのに気付かされる不思議な高揚感があった。

    以来、エッセイや小説を問わず気が向くままに堀江敏幸を手にとって来たが、あの定めのないモラトリアムに浸ったような文章には中々出会えなかったような気がする。日本語の美しさの目立つ文章には、言葉に仕掛けられた恣意が少しばかりバラの棘のようで疎ましく感じることもあった。日本語はどこまでも滑らかに綴られる。だのにひらがなと漢字の間にある角張った小さな段差に足を取られる。するりと飲み込んでしまいたいのに喉の奥でいつまでも落ち切らず留まってしまうものが残る。そんな繰り返しだった気がする。

    「その姿の消し方」を読み始めて直ぐに思い出したのは「回送電車」を読んだ時の印象と似ているということ。これは随筆なのか小説なのか、にわかに結論を出してはならない、とはやる気持ちを抑える必要があった。個人の家を写したと思われる絵はがきに四角く書き付けられた詩のような文章の書き手を辿るミステリー仕立ての話のようにも見える。けれど、似ていてもほんの少し詳細が異なるモチーフを作家が膨らませただけなのかも知れない。作家はと言えば自身の不注意さや記憶の曖昧さを嘆きながら、ベーカー街の探偵のさながらに小さな違いを見逃さず、背景に潜む大きな物語を紡ぎ出す。それは堀江敏幸の得意とするところだから。しかし、ここにあるのはどうやら「河岸忘日抄」に綴られた記憶と響き合う記憶を巡る物語が下敷きにあるようだ。それが見えてくると過剰に身構えて固くなっていた身体が徐々にほぐれ、言葉の流れに身を任せて漂うことが出来るようになる。この感触を待っていたのだ、と自覚する。

    とは言え「本の音」などというタイトルで言葉遊びをする作家のことである。フランス語で記された副題をうっかり読み込み過ぎない方がいいのかも知れない。

  • 図書館で借りた。表紙がきちんとラミネートされていて、帯は外されていた。帯がない本を手にとってみると、その本にかつて帯がついていたと想像できないことがあるが、この本もそうだった。淡いミントグリーンとオフホワイトのツートーンの地に、青とグレーの静かな明朝体で書かれたタイトル。丁寧に、古書のようなうすい紙魚まで印刷されている、傷が目立つために版元があまり好まないようなざらついたテクスチュアのカバーは、それだけで完結した美しさがあった。

    読み終えて、見返しが表紙に貼り付けられていないことに気がついた。そうか、これはカバーがかけられた本ではなくて、カバーだと思っていたものが表紙なのだ。

    見返しがくっついていない裏表紙のポケットに、何か折りたたまれた紙がはさまっている…

    これが帯だった。この本にも帯がついていたのだ。本屋で新品を買っていたらまず目にしたであろう帯は、図書館で借りたばっかりに最後に目にすることになったのだった。

    本にラミネートをした人が、この帯を捨てずに丁寧に折りたたんで裏表紙のすきまにそっと挟み込んだのは、読者に見せたかったからなのだろうか。

    書くことより読むことの神秘を
    幻の「詩人」をめぐる待望の長編

    帯を先に読んでしまったら、この本の感想はきっと変わっていただろう。読書後にこの帯を読んだことで、いかに静かな心で本を読んでいたのかがわかった。なにもしらない状態で、「私」といっしょに詩人をさがす旅をすることができた。

    この体験は、読書に対する私の姿勢をちょっとだけ変えることになるだろう。

    ====

    世界観から抜けきれず、脳みその半分がまだ本の中で詩人を捜しているおかげで、全く自分らしくないながったるい文章で感想を書くに至りました。

    あとで読み返すの恥ずかしいだろうな。。

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その姿の消し方の作品紹介

古い絵はがきに綴られた十行の詩。細くながく結ばれてゆく幻の「詩人」との縁を描く待望の長篇。留学生時代、古物市で見つけた一九三八年の消印のある古い絵はがき。廃屋としか見えない建物と朽ち果てた四輪馬車の写真の裏には、流麗な筆記体による一篇の詩が記されていた。やがて、一枚また一枚と、この会計検査官にして「詩人」であった人物の絵はがきが手元に舞い込んでくる――。二十数年にわたる縁を描く待望の長篇。

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