遅読のすすめ

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著者 : 山村修
  • 新潮社 (2002年10月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (173ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104562015

遅読のすすめの感想・レビュー・書評

  • 「ちどくのすすめ」
    “おそどく”ではなくって『ちどく』と読むんですね…。
    知りませんでした。ごめんなさいm(_ _)m

    目からうろこが落ちまくりの本でした。
    文庫買おうかなーと思うくらい、ためになる一冊でした。

    反【速読法】・反【多読術】本。
    もう本に向かって謝りっぱなし&言い訳しまくりでしたがとにかく面白い!

    福田和也氏や立花隆の大量速読読書術(論)を切りまくり!!特に立花さんをめった斬り。すさまじい。ここまで切ってもいいのかというくらい、立花大量速読術を面白おかしく批判している。

    つまり立花氏のような1ページを数秒で読むような、超高速情報処理人間では、その作品が伝えたいであろう細かい描写やふとした風景など見逃してしまい、読書本来の醍醐味が味わえないと警鐘を鳴らしている。

    批判だけではなく過去の作家や評論家の読書術を紹介して、いかにゆっくりと幸福な読書のひとときを堪能するか。その作品の細かい部分の情景を楽しむか。


    その説明を色々な引用を例にとり丹念に説明しているので、紹介されている本を全部読みたくなるし、著者山村さんの遅読論に対する愛情が深いのです。

    付箋貼りまくりになってしまって、紹介するのも大変なのですが、一部紹介しますと…

    本を速読してしまうことは、私には、本のもたらすあらゆる幸福の放棄であると思える。ただ一つ、速読を実践する人たちにしか味わえない幸福があるのだろうとは推理できる。それは、量とスピードのもたらす快楽である。今日は三十冊読んだ、五十冊読んだ、百冊読んだと、手帳に書きつける快楽である。=65ページ=

    ↑もう…雷に打たれてしまいました。この一文。


    だけど速読を丸きり否定しているわけではなく(立花氏の事はたぶんお好みではないのか斬りまくってるけど。)多読とかにも触れられていて、とても興味深い読書術だらけで感動しました。


    「読みかたは生きかたである。」“132ページ”

    ↑これはもう名言だと思いました。


    読書の他に食事のことも書かれていて、“読書の仕方”と“食事の取り方”。
    “本の好み”と“食べ物の好み”って物は違うけど、根本は連動している物なのだろうかと思いました。
    (うまく言い表せません…)


    私は速読してしまう本と遅読する本をはっきり分けています。速読すると後から「あれ…あの本なんだったっけ…」と困ることも多々あって、やはり読むんじゃなくって、ただ目で文章を通過させているだけの行為なのかな?と思う。

    遅読してしっかりシンクロしないと読まない本もあって私の中では“吉田篤弘さん” “石田千さん”
    あと昔の文豪とか古典とかは速読すると、ちっとも面白くない。
    一語一語。一文一文噛みしめて読むとやはり楽しい。幸福になる。
    この幸福な時間、幸福感が読書の醍醐味なんだって。
    (あまり早く速読するとこの醍醐味が味わえない)

    私は数冊並行して速読と遅読を使い分けていますが、これでいいんだなと思いました。
    あと繰り返し同じ本を読むということも大切なんだと教えてもらいました。

    本当に目からうろこが落ちるいい本です♪本棚で見かけましたら、ぜひぜひ。おススメです!!

  • 速読などすれば見逃してしまう、書物の一節がもたらす幸福感というものがある。それは〈文章を読む〉ということが、〈生きる〉ということの一部であるという意味でもあって、決して読者にとって得な情報云々を得るという損得勘定の問題ではない。速読派は同時に多読派ということにもなろうが、ともすると彼らは自己目標の達成といった清々しさこそ味わうが、読書という時間の幸福を味わい損ねるのではないか、と著者はいう。

    繰りかえすが肝要なのは、〈本を読む〉という行為が〈生きる〉という動詞のほんの一部にすぎないというごくごく当たり前の事実に尽きる。〈食べること〉〈眠ること〉と同系列の〈読むこと〉があり、それが〈生きる〉ということでもあるという疑いようのない事実だ。端的にいってそれは〈食う〉〈喰らう〉こと、つまりはやはり〈食べる〉こと。では人は何を食べるのか。

    動物であるから、動物とともに、動物と同じく、食べること、眠りを食うこと。それと同時に人間こそが味わう幸福とは、〈時間を感じる〉ということだ。人間だから〈とき〉の何たるかを感じ、味わい、考えてみる。〈とき〉を人間が食うのは、時間が惜しいからだけではないはずである。そこには確かな生=時間が存在する。

    書評家「狐」として名の知れた山村修が富裕な好事家、読書家であることは、むしろ、本書や『気晴らしの発見』『禁煙の愉しみ』から確認できるように思う。

    清々しい日常逍遙学派である。こういう上質なエッセイを読んで味わえば、しばらく時間を忘れて、時間のなかを生きていける。

    (多読派についての考察がもう少し割かれてあっても面白かったかも知れない)

  • ゆっくり読んでます。
    うすうす感じていました。漱石や内田百閒を早く読む、というのは、どう考えても妙な話。
    子供についていった市立図書館で何となく手に取り、借りてきました。

  • ●:引用

    ●ブドウを食べながら、ふと気づくと、なにも思わず、一粒ずつ口に運んでいるだけのことがある。味蕾の感覚がはたらいていない。おなじように、本を読んでいて、目は活字の上をすべっているばかりのことがある。本から見えてくるはずの風景が見えてこない。聞こえるはずのひびきが聞こえてこない。読み方はたいせつだ。書き手が力をつくして、時間をかけて、そこに埋めこんだ風景やひびきをとりだしてみるのは、ちょうど熟して皮がぴんと張りつめたブドウの一粒を、じっくり味蕾に感じさせてみるようなものだ。忙しい暮らしのなかで、ゆっくりと本を読むのはあんがいむずかしい。しかし、ブドウのみずみずしい味わいは、食べ方一つにかかっている。おなじように、読み方一つで本そのものがかわる。快楽的にかわる。この本ではとくにそのことを書きたかった。
    →遅くよんだからといって、本当に作者が”そこに埋めこんだ風景やひびきをとりだ”せるかは疑問だが、こういう読み方(読書論)もあるということ。

  • やっぱりゆっくり読むって大事なことなんやなぁって
    安心した。
    でも
    教材研究のために、たくさん本を読むことがある。
    そんな時は読んでいるのではなく、調べているということで納得した。
    速度した本は、自分の読書冊数にカウントしなければいいのだ。
    あぁ、すっきりした。
    小説や大切な本、読みたい本はゆっくり味わって読んでいこう。

  • 〈図書館本〉速読で読んだ。読書も食事と一緒で速読では本によりもたらす幸福を放棄することでもあり、ゆっくり本を読むことで贅沢にじっくりと味わう楽しみもある。でも飛ばし読みして必要なとこだけ参考にするという本もある。本を見極めての速読と遅読の使い分けでしょうか。う~~ん…やっぱり自分の好きなように読みたいように読むのが一番なのかな。

  • 自己の読書スタイルを見直すために読んだ。さらりと読み飛ばすと味わいきれない書き手の意図を再確認。書き手がかけた時間と読み手が割く時間の差についても考えさせられた。
    残念なのは手元におきたい本なのに、絶版で手に入らないこと。図書館で借りてゆっくり読んだが、もう少し時間が欲しい。

  • 自分自身、読むのが遅いので、著者の考えには共感できました。世の中、情報が氾濫していますが、書物は落ち着いてゆっくりと読みたいものですよね。

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遅読のすすめの作品紹介

ゆっくりでなければ得られない「効能」が、読書にはある。本を読むことの本来の「快」を取りもどす、反速読法・反多読術。

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