- Amazon.co.jp ・本 (173ページ)
- / ISBN・EAN: 9784104562015
作品紹介・あらすじ
ゆっくりでなければ得られない「効能」が、読書にはある。本を読むことの本来の「快」を取りもどす、反速読法・反多読術。
感想・レビュー・書評
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遅読を改善するためのハウツー本ではない。
タイトル通り、遅読をすすめる本。
少しでも速く大量に読むことを良しとする人は、いつも時間が足りない。
時間は、ただ流れて消えるものだからだ。
しかしゆっくり読むことで時間は果てしなく湧きおこり、広がっていく。
これだ!という一行に出会ったときの豊かな喜び。
著者のいくつもの読書体験とともに、遅読の良さを語る豊潤な一冊だ。
「吾輩は猫である」を読むこと三度目。
ようやく気づいた一行で心震える思いをしたと言う。
何故一度目でも二度目でも気が付かなかったのか。
答えは分かっている。速く読んだからだ。
速読・多読を誇るひとは、そういう人生を選択したということ。
月に何百冊読むとか、一頁何秒とか。
情報を摂取しては何らかの形で職業(あるいは非職業)にいかし、次々に排泄する。
そういう人生上の選択をした人にのみ有効な読書術と言える。
別に誇れることでもない。
「理科系の読書術」でも、鎌田さんが同じことを述べていた。
速読は決して誤った読み方ではないが、やむにやまれず行う必要悪のようなもの。そこを分かったうえで活用すべしと。
わが意を得たりで、それが今回の選書に繋がっている。
山村修さんは「狐」というペンネームで書いていた書評集を読んで以来のファンだ。
この方の語る言葉なら聞きたいと、そう思った。
印南さんに反論するわけではない。そんな言及もしていない。
生き方の選択としての遅読という言葉が、私にはたまらなく嬉しい。
吉田健一さんのこんな名言が載っている。
「本棚には本が並び、食事の時間になると皿や茶わんが食卓に置かれる」。
読書もあるが、食事もある。疎かに出来ない些事であふれているのが暮らしというものだ。
暮らしの黄金パターンを崩してまで本を読んで、それでどうしようと言うのか。
生活人の読書は、一日の中でせいぜい三十分か多くても一時間だろう。
読書の時間について考えるということは、読書を含む暮らしのすべての時間について考えることになる。短い時間でも、意志を絞りこんで読む。
それだからこそ、読書の喜びもあるという。
「かもめ来よ 天金の書を ひらくたび」
北村薫さんの「詩歌の待ち伏せ」に載せられた俳句がある。
何か格別な書を開いたときに訪れる幸福感をうたったもので、「かもめ」とは真ん中あたりで開いた本を目の高さに持ちあげたときに見える切り口のこと。
私もやってみた。まさに白い「かもめ」が見えた。
一頁ずつ繰っていくと、次々にかもめがあらわれ翼を広げて飛んできた。
三橋敏雄さんという人の句で、(たぶん)十五歳頃の作品であろうと言う。
解釈したのは須永朝彦さんという作家さん。
それを北村薫さんがとりあげ、山村さんがこの本で書いている。
そして私も同じことをしてみる。
ようやく手にした本を開く、少年の弾む心が伝わってくるようだ。
こんなところから本を読む喜びを得られる時もあるのだ。
泉下のひととなった山村さんへの感謝をこめて、本書はいつもより更にゆっくり読んだ。 -
nejidonさんのレビューでとても読みたくなった一冊です。やっと手に入れて、やっと読めました。
著者の山村修さんは書評家、狐のペンネームを持つ方のようです。多読流行りのなか、遅読あるいは寡読について話されている本。
本の読み方は人それぞれで、同じ人でも、知識や情報を得ようとして読むとき、信仰を以て読むもの、著者の信条や覚悟や感性を感じたくて読むとき、ストーリーにのめり込みたくて読むとき、などなど色々とあると思います。様々な人が速読・知読という分け方に限らず、どのように本を読むのかがたくさん紹介されています。
個人の感想ですが、前半は速読との良さの違いを説得しようという個人的な感情が強く出ていますが、第二章 幸福な読書 からはそれがすっと消えて断然面白くなりました。
特に最後のほうの倉田卓次さんの読書の部分では、『教室で先生に指されてやる解釈』という言葉にはドキッとしました。自分の読み方はそれを超えているだろうか。。。と自問します。
そこに続くところに、『読書だけ充実してて、暮らしの全般は気力もうせて衰え気味である、という事はありえない。読書は暮らしの様々な起伏とともにあるものだ。』という言葉は沁みました。
そしてあとがき、本を書くのにかかる時間と、読者が読むのにかかる時間、つまり生産するための時間とそれを享受するのに要する時間について触れられていました。
長年の研究をその分野の素人にわかりやすく紹介した新書的内容の本や、緻密な調査の上にストーリーが作られている小説はやはり面白いし、そういう書き手の裏の努力も意識しながら本を選ぶようにしたいなとも思った一冊でした。-
2020/09/22
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2020/09/22
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速読などすれば見逃してしまう、書物の一節がもたらす幸福感というものがある。それは〈文章を読む〉ということが、〈生きる〉ということの一部であるという意味でもあって、決して読者にとって得な情報云々を得るという損得勘定の問題ではない。速読派は同時に多読派ということにもなろうが、ともすると彼らは自己目標の達成といった清々しさこそ味わうが、読書という時間の幸福を味わい損ねるのではないか、と著者はいう。
繰りかえすが肝要なのは、〈本を読む〉という行為が〈生きる〉という動詞のほんの一部にすぎないというごくごく当たり前の事実に尽きる。〈食べること〉〈眠ること〉と同系列の〈読むこと〉があり、それが〈生きる〉ということでもあるという疑いようのない事実だ。端的にいってそれは〈食う〉〈喰らう〉こと、つまりはやはり〈食べる〉こと。では人は何を食べるのか。
動物であるから、動物とともに、動物と同じく、食べること、眠りを食うこと。それと同時に人間こそが味わう幸福とは、〈時間を感じる〉ということだ。人間だから〈とき〉の何たるかを感じ、味わい、考えてみる。〈とき〉を人間が食うのは、時間が惜しいからだけではないはずである。そこには確かな生=時間が存在する。
書評家「狐」として名の知れた山村修が富裕な好事家、読書家であることは、むしろ、本書や『気晴らしの発見』『禁煙の愉しみ』から確認できるように思う。
清々しい日常逍遙学派である。こういう上質なエッセイを読んで味わえば、しばらく時間を忘れて、時間のなかを生きていける。
(多読派についての考察がもう少し割かれてあっても面白かったかも知れない) -
私は、ノートに書き留めたくなるような言葉を探しながら読んでいるので、読むスピードは比較的遅いのではないかと思います。しかしその一方で「月に〇〇冊読んだ」と数え上げ、その数で自分の読書生活の充実度を測ろうとしている所があります。
記憶力が悪く、読んだ内容をどんどん忘れていくので、速く読むとますます内容が頭に残らず、逆に時間を無駄にしているのではないかと思っているのに、つい冊数を気にしてしまいます。
純粋に「量より質」を追い求められるようになりたいと思いました。 -
速読なんて読書じゃねえ!ってすげー速読を叩いてる本
目次
<blockquote>1章 ゆっくり読む
2章 幸福な読書
3章 暮しの時間
4章 大食いと多読
5章 読書の周期
6章 本を手にして
</blockquote>
というか、速読と多読を叩きたいだけでしょ。アンタ……。
関連リンクに「わたしが知らないスゴ本は〜」の書評を入れてるけど、まさにこれが答えだと思うよ。
俺は今ちょっと速読気味ではあるけど、だからといって遅読、要は精読が悪いとも思わない。
そんな、読み方なんてどっちでもアリだと思うんだけどなあ……。
ま、速読に対して遅読、そういう概念自体気になったのもあって読んでみたんですけど、オレ的意見っぽいのがひっかかってしょうがないんですよね。
<blockquote>立ち話気、福田式の速読は、みずから情報をどんどん摂取し、どんどん排泄していく「情報人間」になろうという人生上の選択をした人にとってのみ有効な読書術である。</blockquote>
とこうやってぶちまけ、そういう人は沢山読んだことをアピールできる評論家・書評家ぐらいしかないと言っている……おーい、それは視野が狭いぞアンタ。
さらに……
<blockquote>必要があって本を読むとき、私はそれを読書とは思っていないのだ。それは「読む」というのではなくて、「調べる」というのではないか。あるいは「参照する」というのではないか。
</blockquote>
といってるけど、結局は本を読むんでしょうが……いやまあ、気持ちわかんなくも無いけど、それじゃ実用書のような必要があって読む本は何なんだろう……?
しかもこの著者、超ツンデレである。
<blockquote>まちがっていたら申し訳ないが、ひと月に最低百冊読むと福田和也がいうとき、その百冊には、仕事のために本の一部分を調べたり、参照したりするものまで、すべてカウントされていると思う。<b>そんなものまで読書のうちに数えるか、ふつう</b>。</blockquote>
いやいやいや……言い過ぎだろアンタ。
<blockquote>本を速読してしまうことは、私には、本のもたらすあらゆる幸福の放棄であると思える。ただ一つ、<u>速読を実践する人たちにしか味わえない幸福があるのだろうとは推測できる</u>。</blockquote>
ほ?あれ、意外とわかって……
<blockquote>それは量とスピードのもたらす快楽である。今月は三十冊読んだ、五十冊読んだ、百冊読んだと、手帳に書きつける快楽である。</blockquote>
ない! ちょっとー、それは言いすぎ……。そんな数のための読書してないって。
……とまあ、こんな調子。どこまでこの著者はツンを極めればいいのだろう?
本を読むスピードなんて人それぞれなのになぁ……。
まぁ、それでも速読に拒否感を持ってる人には、しっくりくる内容なのかもしれないなぁ。
どっちもどっちで、「過ぎたるは及ばざるが如し」……なんですけどね。
まあ、著者の個人的感想がやや多いので、評価は低め。 -
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やっぱりゆっくり読むって大事なことなんやなぁって
安心した。
でも
教材研究のために、たくさん本を読むことがある。
そんな時は読んでいるのではなく、調べているということで納得した。
速度した本は、自分の読書冊数にカウントしなければいいのだ。
あぁ、すっきりした。
小説や大切な本、読みたい本はゆっくり味わって読んでいこう。
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〈図書館本〉速読で読んだ。読書も食事と一緒で速読では本によりもたらす幸福を放棄することでもあり、ゆっくり本を読むことで贅沢にじっくりと味わう楽しみもある。でも飛ばし読みして必要なとこだけ参考にするという本もある。本を見極めての速読と遅読の使い分けでしょうか。う~~ん…やっぱり自分の好きなように読みたいように読むのが一番なのかな。
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●:引用
●ブドウを食べながら、ふと気づくと、なにも思わず、一粒ずつ口に運んでいるだけのことがある。味蕾の感覚がはたらいていない。おなじように、本を読んでいて、目は活字の上をすべっているばかりのことがある。本から見えてくるはずの風景が見えてこない。聞こえるはずのひびきが聞こえてこない。読み方はたいせつだ。書き手が力をつくして、時間をかけて、そこに埋めこんだ風景やひびきをとりだしてみるのは、ちょうど熟して皮がぴんと張りつめたブドウの一粒を、じっくり味蕾に感じさせてみるようなものだ。忙しい暮らしのなかで、ゆっくりと本を読むのはあんがいむずかしい。しかし、ブドウのみずみずしい味わいは、食べ方一つにかかっている。おなじように、読み方一つで本そのものがかわる。快楽的にかわる。この本ではとくにそのことを書きたかった。
→遅くよんだからといって、本当に作者が”そこに埋めこんだ風景やひびきをとりだ”せるかは疑問だが、こういう読み方(読書論)もあるということ。 -
自己の読書スタイルを見直すために読んだ。さらりと読み飛ばすと味わいきれない書き手の意図を再確認。書き手がかけた時間と読み手が割く時間の差についても考えさせられた。
残念なのは手元におきたい本なのに、絶版で手に入らないこと。図書館で借りてゆっくり読んだが、もう少し時間が欲しい。 -
烏兎の庭 第三部 書評 5.26.07
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto03/bunsho/fox.html -
自分自身、読むのが遅いので、著者の考えには共感できました。世の中、情報が氾濫していますが、書物は落ち着いてゆっくりと読みたいものですよね。
わぁぁ!この句に感想をいただけてとても嬉しいです!
少年がどれほど新しい本に心を寄せているか、目に見える...
わぁぁ!この句に感想をいただけてとても嬉しいです!
少年がどれほど新しい本に心を寄せているか、目に見えるようですよね。
私はこの句で涙がにじんでしまいました。こういう気持ち、忘れたくないです。
しずくさんは読むのが速い方なんですか?
私は遅い方です。しかも、同じ本を何度も読みます。
速く読もうという気持ちもないのですけれどね。
本棚に「風をつかまえた少年」を見つけてすっかり嬉しくなりました。
あれは良い本ですね。もう一度読みたい気持ちになりましたよ(*^-^*)
私が、『遅読のすすめ』を手にしたのは、刊行時にタイトルに惹かれながらも読むことなく18年位経ってしま...
私が、『遅読のすすめ』を手にしたのは、刊行時にタイトルに惹かれながらも読むことなく18年位経ってしまいまして、すっかり忘れていました。
が、実は、貴殿のレビューを読み、改めて読んでみようかと思って手にしました。図書館の書庫に収められており、職員の方に出してもらうという手間をおかけしましたが、それでも読んでみたかったというところでしょうか。
そういった意味で、貴殿のレビューは、私にとっては大きな機縁になりました。今後とも、楽しみにしています。
私のレビューが、本書との再会のチャンスになったのですね!
それ...
私のレビューが、本書との再会のチャンスになったのですね!
それは良いお話をうかがいました。
きっかけを作るひとになれたのは望外の喜びです。
これもまたブクログのおかげ、そして山村さんの本の力でしょうか。
こちらこそ、また良い本に出会いましたら教えていただきたいです。
ありがとうございました。