映画はやくざなり

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104609017

感想・レビュー・書評

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  • 映画の脚本家である笠原和夫さんの回顧録のようなものでしょうか。前半のやり取りは本当に面白い。時に対立があり、妥協がある。一つの作品を作り上げるのに、それぞれが情熱を持って取り組むからこそ生まれる葛藤が生き生きと綴られています。
    秘伝シナリオ骨法十箇条 が読みたくて本書を手にした記憶がある。一つの創作物をゼロから生み出す秘伝の一端が記されています。読んだだけで身につくとは思わないが、先代の方々の歩んできた手法が読めるのは、ありがたいことだと感じます。

  • ・東映の宣伝部員だったわたしが、「脚本を書いていきたいんです」と打ち明けた時、マキノ光雄専務が、
    「なら、君、勉強しろよ。(三遊亭)円朝全集と『仮名手本忠臣蔵』と新喜劇(曾我廼家五郎劇集)を買って読め」と教えてくれた。

    ・「骨法十箇条」は<通俗>だと蔑んで嗤うものもあるかも知れない。しかし、能楽の祖世阿弥は、「最上最高の芸は下の下に戻ることだ」と説いている。通俗を無視して成り立つ芸など世界のどこにもない。

  • 『仁義なき戦い』等の様々なヤクザ映画の脚本を手掛けた笠原和夫が、自身の脚本家人生と創作論を語る。

    冒頭にある『仁義なき戦い』完成後、作品の出来に不満があって部屋に閉じこもるエピソードからもう面白い。まさに昭和という感じで破茶滅茶なエピソードが盛り沢山。

    前半の脚本人生の部分で、制作会社からの雑な要望でガンガン脚本を作り上げていく描写を読むと、やっぱり昔は数打ちゃ当たるの精神で粗製濫造気味だったのかなと思っていたら、後半の創作論で脚本1本作るためにどれだけ考えて作っているのかを知って頭が下がる。

  • 脚本には次のような行程がある。
    1. コンセプトの検討
    2. テーマの設定
    3. ハンティング(取材と資料蒐集)
    4. キャラクターの創造
    5. ストラクテャー(人物関係表)
    6. コンストラクション(事件の配列)
    7. プロット作り

    1.コンセプトの検討
    コンセプト=戦略と呼んでもいい。
    戦略というのは、一言でいえば映画の有りようを考えることである。映画をとりまく様々な状況、時世時節の流れを踏まえ、その中で、どのように映画を成功に導くのか―――このグランド・プランを設定するのが、脚本の最初の作業である。
    自分自身のテーマのほかに、監督の個性との調和、主演助演の各俳優の見せ方、制作母体のカラー、時流のテンポ、そして興行価値の見通し等々、ストーリーを作る以前の難問は山ほどある。
    簡単な例を挙げれば、大作の構えで大ヒット大入り満員を狙うのか、興行はそこそこの当たりで俳優の売り出しを狙うのか、興行はトントンでも批評家受けしてベストテン入りを狙うのか、はたまた新しい観客層の発掘を狙うか、従来の観客層に訴えるか、といったことだ。
    そうしてヒットする映画とは、このコンセプトが効果を発揮した場合であって、決して目新しいストーリーのせいではない。ストーリーなどというものは、もう何十年も前に、考えられ得るものはすべて出尽くしたと、ハリウッドの誰かが言っている。
    コンセプトが不十分で、映画の基点がしっかりしていないと、脚本でどんなに苦労したところで、人の目を惹く作品にはならない。

    2.テーマの設定
    コンセプトが確定したら、それに沿って、どういうメッセージを観客に伝えたいのか、自分の「観念」を固める。
    言うまでもないが、この「観念」=テーマを直接、人物のセリフやモノローグ、ナレーションで表出するのは邪道で、脚本としては下の下である。テーマは、きちんと構成が組み立てられたドラマの中で、観客に以心伝心されていくべきものだ。そして、なるべく単純明快に観客に伝わるように、「観念」を整理し強靭なものにする必要がある。最も深刻な内容を、最も簡明な形で受け手(観客)に伝達するのが、あらゆる芸術の基本命題である。
    テーマを観客に伝えるためには、多彩な大なり小なりの<事件>やエピソードを考案して、各人物がそれにどう照応するのか、を克明に描き分ける必要がある。

    3.ハンティング(取材と資料蒐集)
    コンセプトが固まり、テーマの方向も見えたら、次は脚本の具体化に向けて、可能な限りのデータを揃える。モデルとする土地や人物の調査に旅をすることをシナリオ・ハンティングと呼ぶが、その他、入手あるいは閲覧可能な文献もあつめて、裏付けの資料を獲得しなければならない。
    このあたり、料理人がネタを仕込みに市場を駆け回って探す努力と何ら変りがない。仕込みのネタが悪かったり、新鮮なものでなければ、良い料理が出せず、店の評判が落ちるだけだ。取材・資料蒐集が成功するかどうかで、作品の運命は決せられるのである。
    東映なんかは、「金がモッタイナイ」とシナリオ・ハンティングをさせない会社であった。たぶん、ゴネて無理やり取材旅行の金を出させたのはわたしが最初であろう。
    その土地の空気を吸うだけで書くものが違ってくるのだから仕方ない。古い神社に寄って、石垣の裏に彫られた寄進者の名前を見るだけで、その土地の特徴ある名前がわかる。そんな細部を知ることで、ふと何かが見えてくることもあるのだから。また、方言でセリフを書く必要がある時は、その土地の古本屋で、代表的な方言を抜き出すのに使いやすい地方出版物を入手しておくのも後で大いに役立つだろう。
    録音に頼るにせよ、メモを取るにせよ、必ず自室に戻ったらノートに整理し直さねばならない。そうすることで、取材の際には聞き流していた意外に重要なポイントが見つかったり、また取材相手の発言が前後で食い違っていることがわかったりして、そこから <行間を埋める創造> の端緒が掴(つか)めるのだ。
    実際に自分の手で書き直した記録は頭の中にしっかりと組み込まれて、いつでも発想の素として活用できるようになる。また資料を表にまとめておくと、書いてる時に疑問が出てきたり、行き詰まった時にそれを見ると、新たな発想が出てきたり、転換ができるものなのだ。
    歴史的な素材を扱う場合などは、当時あったことを同時並行で書くことが多く、その際、年譜があれば、この事項をはずして、別のものを使おうということも可能になる。
    創作というものは本来、そういうものであって、決して夢みたいな話を原稿に移すことではないのだ。
    データを頭にしっかりたたき込んでおいて、そのデータを駆使しながら話を積み上げていくのが本当の創作だと、わたしは思う。わたしは映画会社から 「期限を守らない資料偏執狂のライター」 と目されてきたが、緻密かつ克明に、粘り強く蒐集され整理された資料は、作家の最大の財産なのだ。
    ただ、これは声を大にして忠告しておくが、取材・資料蒐集は大いにするべきだけれども、要諦はその集めた資料の取捨選択である。資料を読み込んでいくと、必ず資料のすき間が見えてくる。資料のすき間をこちらの創造(想像)力で埋めていきつつ、捨てる材料は思い切りよく、捨てなければならない。

    4.キャラクターの創造

    5.ストラクチャー(人物関係表)

    この2つは幾分重なっている。おおざっぱに言えば、キャラクター間のアヤをつけるのがストラクチャーである。
    1から3までの段取りを着実に踏んでくれば、もう作者の頭の中では、おおよそのストーリーが見えているものだ。しかし、ここですぐストーリーの曲折に腐心すると、人物がストーリーの都合のいいように作られてしまい、引っ掛かりのないノッペラボーなドラマに堕してしまう。
    これを避けるためにキャラクターをしっかり立てなければならない。そこでまず、主人公や2,3のメインの人物の履歴書を作る。出身地や家柄、生家の家族事情、学歴、職歴、性格、趣味、特技・・・。併せて、その人物が経てきた時代の事件、世相、流行、ついでに流行歌やヒット商品など、いかなる興信所も顔負けの、できるだけ緻密かつ詳細な履歴書を作成する。この履歴書があれば、脚本執筆の途中で迷いや停滞が生じたとしても、人物の進むべき道はおのずから明らかになっていく。
    しかし、人間は多面体の存在であり、ガチガチに固めた履歴書にのみ捉(とら)われるのも考えものだ。人間は、ジキル博士とハイド氏のような全く違う顔を見せる場合もあるし、予想外の行動に走る時もある。こうしたことはドラマに新しい緊張を生んで、弾みがついてくるので、そうしたフレキシブルな把握の仕方が必要である。だが、幅のある人物の把握も、最初に履歴書がしっかり作られていてこそ可能になる。
    出来上がったキャラクター群を踏まえて、ストラクチャー作りに移っていく。
    ドラマは葛藤であり、葛藤とは誰かと誰かの諍(いさか)いである。この諍いがどこから始まり、どう変化し、どのような形で終わるのか、そしてこのメインの人物たちの諍いに、脇の人物たちはどう関わり、どんな影響を与えたのか。またサブ・ストーリーはどう関連しながら進行するのか―――こうしたことを配慮しつつ、各キャラクター間の関係を掌握していくのがストラクチャー作りである。
    ストラクチャー(構築、の意)が弱いと、ドラマを引っ張っていくべきサスペンス(吊り上げていく、の意)が効かず、ダラダラした印象になる。ストラクチャーはなるべく複雑で多彩に組まれた方がドラマを面白くするが、当然のことながら、構築された人物関係は終局においてメインの葛藤の結末にきちんと収斂(しゅうれん)されていかねばならない。「出しっぱなし」ではいけない。

    6.コンストラクション(事件の配列)

    ストラクチャーが横の人間関係とすれば、今度は縦の流れを組み立てていく。要するにコンストラクションは、思いついた大小の事件を、1から5までのデータを参考に、順を追って並べていく作業だ。
    この並べ方は、俗にいう「山あり、谷あり」のリズムを心がければいい。もう少し細かく言えば、ドラマを構成上、「起・承・転・結」の四区分に分けて組み、それぞれの区分の中でヤマ場やクライシス(危機)等のリズムを刻んでいく。このリズムは「序・破・急」になっていなくてはならず、絶えず変化と上昇に留意する。そして何より重要なのは、次第に「結」、つまりラストに向かってテンションが高揚するように運ぶことである。
    また、どういう芝居を見せるかを留意しなくてはならない。主役が歌を唄うでも、この役者に得意の啖呵(たんか)を切らせるでも、そこから逆算して話を膨らませるのがいい。
    4,5,6の各項目、すなわちキャラクターを立て、ストラクチャーを作り、コンストラクションを組み立てるに際しては、いろんな型や手はずを頭に入れておくのが最大の武器となる。
    東映の宣伝部員だったわたしが、「脚本を書いていきたいんです」と打ち明けた時、マキノ光雄専務が、
    「なら、君、勉強しろよ。三遊亭円朝全集と、『仮名手本忠臣蔵』と新喜劇(曾我廼家五郎劇集)を買って読め」
    と教えてくれたのは、このことを指す。
    後年、映画を書き始めてからのことだが、戦前の「キネマ旬報」を一揃い買い込んで、当時の映画の粗筋を書き写し、分類・分析したこともある。

    7.プロット作り

    コンストラクションを基に、ついにプロット作りに入る。
    プロットはストーリーのロジックを読み手に正確に伝えるためのもので、余計な情緒的修飾は不要で、何がどうして、何がこうなっただけを書けばいいのだから、通常、ペラ(200字詰め原稿用紙)十枚に収める。
    この枚数に収まらない場合は、作者がストーリーを把握していないか、あるいはストーリーに冗漫な部分があるということで、逆に十枚に達しない場合は、ドラマの組み方が浅い、話が足りないということがわかる。
    この作業は、ドラマ全体を把握するために不可欠なものだ。つい書き手が見失いそうになる、「コンセプトは何か?テーマは何だったか?ストーリーの種類は何か?ヤマ場の盛り上げの手段はどうか?」といったことを大掴みに再確認できる。思わぬ落とし穴を見つけることもあるだろう。
    そして書き上げたプロットはなるべく多くの人に読んでもらおう。そして、彼らの意見を大事にすることだ。自分の書いたドラマに対して客観的な視点を持つことは、当の作品の手直しだけでなく、次回作を書く際にも役立つ、明晰な判断力に繋がるのだから。


    骨法その一。「コロガリ」
    転がり、である。英語で言えばサスペンス。これからなにが始まるかと客の胸をワクワクさせ、引っ張り出された糸が縺(もつ)れたりほぐれたり絡んだりして、最初は初めの糸にキチッと収斂されて大空高く凧が舞い上がる、という展開の妙をいう。
    「コロガリ」の一番大事な点はトッパナの糸の引き出し方にある。つまり、なんの話か、ということを端的に示唆しなければならない。不自然な展開や御都合主義による話の運び、あるいは脇の筋に深入りした場合は「コロガリが悪い」と評される。
    また、立て板に水のように本筋だけが先へ先へと進んでしまうのは「コロガリ過ぎる」とクサされることになる。「コロガリ」は、観客との間で適当に駆け引きをしながら、意表を突くカードを次々に見せていくのを最良とする。
    さらに大事なのは「出」のテンポである。すなわちドラマのファースト・シーンをどのように印象強く提示するかは、その後の「コロガリ」を観客に納得させるための重要なファクターとなる。
    また、「役」の「出」ということも一考しなくてはいけない。そのドラマに初めて登場する主役、および何人かの主要人物は、それぞれの最初のシーンの芝居が引き立つように書かねばならないのである。高名な某俳優など、「出」が冴えないと、その時点で脚本を読むのをやめる、つまり出演を断るそうである。

    骨法その二。「カセ」
    主人公に背負わされた運命、宿命といったものである。「コロガリ」が主人公のアクティブな面を強調するものであるのに比べて、「カセ」はマイナスに作用するファクターとなる。
    分かりやすい例でいえば、泉鏡花の『義血侠血』のヒロイン滝の白糸が苦学生村越欣弥に寄せる恋慕である。その恋慕ゆえに白糸は罪を犯し、それを裁くのは学業を終えて検事となった欣弥その人であった。この白糸の身分違いの恋(欣弥は当時の特権階級たる士族の出)が「カセ」であり、そこから生ずる波乱が「アヤ」である。
    適切な「カセ」が設定され、「アヤ」が効果的に効いたドラマは、文句なしに面白い。ドラマの楽しさは畢竟(ひっきょう)、「アヤ」にあるのだが、「アヤ」を生むのは適切な「カセ」であることを忘れてはいけない。ただし、技術的に一番難しいのは、この「カセ」である。「カセ」が凡庸だと、「アヤ」もちゃちなパターン・ドラマに終わってしまう。ビリー・ワイルダーの「サンセット大通り」は、この「カセ」が巧みに効いて、主人公を追い詰めていった。

    骨法その三。「オタカラ」
    往年の名活劇「丹下左膳」の中で、敵味方の間を往ったり来たりする「こけ猿の壺」を指す。歌舞伎においても、御家重代の宝剣の行方をめぐって劇が進行する、なんて例は多々ある。主人公にとって、なにものにも代え難く守るべき物(または、獲得すべき物)であり、主人公に対抗する側はそうさせじとする、葛藤の具体的な核のことである。
    サッカーのボールを思えばいい。これが絶えず取ったり奪われたりすることで、多彩に錯綜するドラマの核心が簡潔明快に観客に理解される。とりわけアクション・ドラマの場合には「オタカラ」は必須である。

    骨法その四。「カタキ」
    敵役のことである。前条の「オタカラ」を奪おうとする側の者である。メロドラマにおける「恋(色)敵」などもこれに当たる。
    ただし、一目見てすぐ<悪>だとわかるような「カタキ」は、時代劇ならともかく、現代劇では浮いてしまうだろう。内面的なこと、トラウマや劣等感、ファザー・コンプレックスなど、内部から主人公の心を侵害するものでも「カタキ」になりえる。

    骨法その五。「サンボウ」
    主君尾田春長(織田信長)からさんざん屈辱を受けた武智光秀(明智光秀)が、主命によって高松城水攻めの真柴久吉(羽柴秀吉)の援軍として出陣する際、首途の杯を前にして、不意に三方を逆さに打ち返し、「敵は本能寺(信長の宿舎)にあり!」と叫ぶ場面(『絵本太功記』)に由来する。「正念場」ともいう。ドラマを人体に見立てた場合、その目をまさに画(か)きこむところである。
    進退ギリギリの瀬戸際に立った主人公がその性根をみせて、運命(宿命)に立ち向かう決意を示す地点であり、これがないと、そこから先のドラマは視界ゼロの飛行になって、どこに着くやら観客には見当がつかなくなってしまう。複雑多彩に膨れたドラマの中心部でこの「サンボウ」の芝居をつけることで、ドラマがどちらを目指しているのかを観客に気づかせることができる。

    骨法その六。「ヤブレ」
    破、乱調である。どんなスーパーマンでも、一度は失敗やら危機やら落ち目に出くわさないと、観客からみて存在感が希薄になるものだ。失意の主人公がボロボロになって酒に溺れたり暴れたりする芝居は、役者にとってもやり甲斐のある見せ場となる(主演スターの持ち味によっては、綺麗事で済ませる場合もあるが)。

    骨法その七。「オリン」
    ヴァイオリンのことである。むかし「母もの映画」というヒット路線の映画が多産されていた頃、母と子の別れの場面にはヴァイオリンを掻き鳴らして観客の涙を誘ったものだった。それで、感動的な場面のことを「オリンをコスる」と呼ぶようになった。「オリン」の設定は、「ヤブレ」のあと、次の「ヤマ」の一歩前あたりが適当であろうか。

    骨法その八。「ヤマ」
    俗にヤマ場、見せ場という。クライマックスである。ここでは本筋、脇筋を含めたあらゆるドラマ要素が集結し、人物たちは最大限に感情を激発させ、衝突し、格闘し、一代修羅場を呈することになる。
    いわば「ヤマ」は観客が抑制してきた興奮の発酵を、ここぞとばかりに空に向けて一気に解き放つもので、何より作者自身がまず感動し、我を忘れるようなボルテージの高い場面にしなくてはならない。

    骨法その九。「オチ」
    締めくくり、ラスト・シーンである。
    オチには、観客の予測と期待通りに終わる場合と、観客の予測に反しながらも、期待は満たして終息する場合の二種類がある。ミステリーのラストはたいていが後者で、メロドラマは前者の場合が多いだろう。予測できて期待はずれ、予測できなくて期待も満たされない、そんなオチが厳禁であることは言うまでもない。
    ラスト・シーンは、そのドラマが装うさまざまな衣裳の中で、もっとも華やかで美しく、高貴な香りを湛えた百万ドルの衣裳でなくてはならない。作者は、ここでは思い切り楽しみつつ、細心で丁寧な気遣いを持って書き上げなくてはいけない。

    骨法その十。「オダイモク」
    つまり、お題目。テーマである。
    書き始める前に定めたテーマ(前述の「2」にあたる)と、こうして実際にドラマを書き進めてきた処で湧き上がってくるテーマとの間に、差異が生ずる場合がある。そんな時は、当初のテーマは観念的なものとして捨てた方が得策だろう。ドラマを書くことを通して掴んだテーマの方が血が通っているものだ。

  • めっちゃくちゃにおもしろかった。
    『実録・共産党』観たかったなあ。

  • 『仁義なき戦い』などで知られる稀代の名脚本家・笠原和夫の遺著にあたる本。

    2003年に出た本だが、いまだに一度も文庫化されていないのは不思議。笠原の『破滅の美学』などは文庫化されているのに。

    笠原がシナリオのために取材したヤクザたちの実像を綴った『破滅の美学』(幻冬舎アウトロー文庫。ほかにちくま文庫版もあり)はバツグンに面白い本で、私も愛読してきたが、本書は初読。

    内容は、脚本家としての歩みを語った「わが『やくざ映画』人生」と、笠原流シナリオ術の肝を綴った「秘伝 シナリオ骨法十箇条」が中心。ほかに、未映画化シナリオ「沖縄進撃作戦」が収録されている。

    そのうち、「わが『やくざ映画』人生」と「秘伝 シナリオ骨法十箇条」は、いずれも極上の出来だ。

    笠原の生涯をもっと詳細に辿った本はほかにあるが、本書の「わが『やくざ映画』人生」は脚本家としての歩みに的を絞り、面白いエピソードを厳選した「エッセンス版」という印象。

    「秘伝 シナリオ骨法十箇条」は、北野武の映画『あの夏、いちばん静かな海』を観た笠原が、あまりにも自分の脚本作法から外れていたことに反発して書いた批判記事をふくらませたもの。

    なので、古いといえば古い昭和流の作劇法が綴られているのだが、いま読んでも十分に価値がある。
    シナリオライター志望者はもちろんのこと、物書き全般にとって示唆に富む内容だ。

  • 「仁義なき戦い」の脚本家笠原和夫の「映画はやくざなり」

    飾らず赤裸々に語る自伝にクスっとなり、ホロリとさせられる

    巻末の未映画化シナリオ「沖縄進撃作品」は、刺激的で感化させられた。沖縄に生まれた者として、見つめ直すべきウチナーンチュ像がそこにはあった

  • シナリオ骨法十カ条が読みたくて借りる
    まずコンセプト検討、テーマ設定
    取材と資料収集、キャラクターの創造
    人物関係表、事件の配列、プロットづくり

    サスペンス、突端の糸の引き出し&コロガリ。役者の「出」
    カセ=運命・宿命、波乱を生み出す
    オタカラ
    敵役
    サンボウ、正念場。明智光秀由来
    ヤブレ、挫折
    オリン=ヴァイオリン、泣かせどころ
    ヤマ=クライマックス
    オチ=ラストシーン
    お題目。志がなくてはいけない

    沖縄ヤクザの脚本付き
    これは映画で見たい、と思わせる内容。

    仁義なき戦い、試写で見たときは駄作と思った。
    シリーズ3&4は引き延ばし
    東映の社風は「当たればエエ」
    泣く子と深作欣二には勝てない?
    現場が揉めれば揉めるほどヒットする?
    博徒七人、時間が無くキャラの判別がつけやすいように、
    全員「×××」にしてしまう。
    テレビ放送絶対無理

  • ヤクザ、任侠というジャンルのパイオニアが自分のシナリオ術を開示した本である。戦争を知っている世代の凄みがある。

  • 【脚本の行程】
    ①コンセプトの検討(戦略。どのように映画を成功にに導くか。勝ち筋。)
    ②テーマの設定(コンセプトに沿ってどういうメッセージを伝えるか)
    ③ハンティング(取材と取材収集。料理人がネタを仕込みに市場うに出るよなもの。現場に出る。)
    ④キャラクターの創造
    ⑤ストラクチャー(人物関係表。空間的横の広がり。)
    ⑥コンストラクション(事件の配列。時間的縦の広がり。序・破・急。)
    ⑦プロット作り(ストーリー)


    【シナリオ骨法十カ条】
    骨法その1:コロガリ
    ・サスペンス。一番大事なのは出だし。何の話しかを端的に示唆しなければならない。「あの夏…」では障害についての話がなかなか出てこない。

    骨法その2:カセ
    ・主人公に背負わされた宿命・運命。

    骨法その3:オタカラ
    ・サッカーのボールのよう。耐えず取ったり奪われたりする。「あの夏…」のサーフボード。

    骨法その4:カタキ
    ・オタカラを奪う者。

    骨法その5:サンボウ
    ・正念場のこと。明智光秀が「敵は本能寺にあり!」と叫ぶ場面。

    骨法その6:ヤブレ
    ・破、乱調。主人公がボロボロになる場面。

    骨法その7:オリン
    ・バイオリン。感動的な場面のこと。

    骨法その8:ヤマ
    ・クライマックス。

    骨法その9:オチ
    ・締めくくり。ラストシーン。期待通りに終わる場合とそうでない場合がある。メロドラマは前者、ミステリーは後者が多い。

    骨法その10:オダイモク
    ・テーマ。当初のテーマと書き上げた後のそれでズレが生じる場合は当初のテーマを観念的なものとして捨てた方が賢明。


    ストーリーの古典、もしくは基本という印象。基本を抑えてどのように展開するかが重要。

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著者プロフィール

昭和2年(1927)東京生まれ。新潟県長岡中学を卒業後、海軍特別幹部練習生となり、大竹海兵団に入団。復員後、様々な職につき、昭和29年東映株式会社宣伝部に常勤嘱託として採用される。昭和33年、脚本家デビュー。美空ひばりの主演作や時代劇、『日本侠客伝』シリーズ、『博奕打ち 総長賭博』をはじめとする東映任侠映画、『日本暗殺秘録』、『仁義なき戦い』四部作、『二百三高地』『大日本帝国』、『226』等を執筆。平成14年死去。

「2018年 『笠原和夫傑作選 日本暗殺秘録――昭和史~戦争映画篇』 で使われていた紹介文から引用しています。」

笠原和夫の作品

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