ひとりよがりのものさし

著者 :
  • 新潮社
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (122ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104644018

感想・レビュー・書評

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  • 骨董好きには有名な、かつて目白にあった「古道具坂田」の店主が、自身のコレクションあるいは商品を、素敵な写真と共にユーモアのある文章で紹介している一冊だ。

    この人のものの見方、ただの古道具に『美』や『楽しさ』を見出す目、「ものさし」は本当に独特かつ魅力的で、現代の骨董の世界ではそのDNAを明らかに受け継いでいたり、意識しているんだろうな、という人を見かける。

    それぐらい影響力のあった人なのに、文章は偉そうなところはまるでなく、読みやすくわかりやすく、坂田氏自身の生活ぶりも何か親しみを感じるようで(書かれていることがどこまで本当かはわからないけれど、やたらに庶民的で愛らしい)、素敵だな、と思う。

    古道具坂田はすでに閉店しており、氏も亡くなっている。
    一度行ってみたかったなあ、と当時、その存在をまったく知らなかった自分が悔やまれる。

    千葉県の茂原に系譜となる小さな美術館があるようだけれど、なんでまたこんな行きにくいところに、というくらい、行きにくい。
    でもいつか行ってみたい。

  • 日本の骨董の人。
    美意識は感じる。
    閉館前にas it isに行ってみたい。

  • ふむ

  • コンビニで全ページコピーして持ち歩いていたこともある、思い出の一冊です。掃除していて、また読み返しました。

  • へうげものの系譜は続く オンリージャパンのティーセレモニーの礎を構築すると共に我が列島に根付く特有の美的思考を発見し抽出した利休 彼から始まるへうげものの系譜 明治の近代化による西洋至上主義思考を民藝の抽出によって乗り越えた柳宗悦 現代へと続く骨董の美的基準を確かな言葉で見出した小林秀雄 青山二郎 白洲のお正 そして平成 坂田和実 おびただしく書き込まれた目盛りを今一度洗濯したし へうげものの純粋思考を抽出せんことを 

    きっと上記の誰も他人に自分の美的価値観のものさしを押し付けたりしていないんだけど 秀雄二郎お正が言うのだからこれが良いものだと無条件に骨董界における美的価値観のものさしを形成してしまった いいものはいいと共感できることは素晴らしいし幸せなこと ただ仮に自分個人が持つものさしの存在に気づかず 他人のものさしだけを鵜呑みにし その目盛りに踊らされているだけであれば それはかつてのへうげものたちの発見と主張を無視することと同じなのではなかろうや


    へうげものの思考 それを極めて純粋なままで 感じ取るしかないその力動そのものを見事に抽出してきたのが坂田和実の偉業である

  • ものの見方を変えてくれる、そんな本。

  • 美術という分野がある。あると勝手に思っている。フランス語ができなくては入って行けない気がする。絵を嗜まないものには門が閉ざされているような雰囲気がある。だから滅多に美術館に行くこともない。それでも、何年かに一度位そういう機会がある。そんな時にあれこれ考えながら見て歩くのは、実は、楽しい。楽しいけれど、本当はほとんど絵を観ていなかったりする。絵を前にして何かが頭の中に浮かんでくるのが楽しいのだ。それをなんとか言葉にしようとするのが好きなのだ。浮かび始めたら最後、注意の先は自分の脳味噌に移ってしまっているので、絵を観ている訳ではない。だから美術館には連れがある方が楽しい。もっとも、ひっそりとした美術館の中であれこれ話すのは迷惑ではあるだろうけれど。

    著者の坂田さんは古道具屋の主人らしい。古道具といっても美術館に納めるような芸術作品以外は新しいものでも何でも扱うようだ。その商品の中から一点ずつ、毎月「芸術新潮」に文章とともに紹介されたものをまとめ直したのがこの「ひとりよがりのものさし」である。うーん、と唸ってしまうようなものがあるかと思えば、自分にはさっぱりどこがいいのか解らないものもある。しかし、紹介している坂田さんは、一様に、嬉しそうだ。自分は芸術品を扱ってるのではないぞ、という少し天邪鬼な気質も見えてくる。それを端的に「工芸品」だと言い切る。そしてその工芸品に対するこだわりが伝わって来て、自分のような素人にも楽しめる。そもそも、この本の装丁がすばらしい。色といい、布の感触といい。中身を観ずとも「これだ」という気にさせられる。工芸品だ。

    もちろん、中身もすばらしい。但し、芸術作品としての価値、小道具としての一つひとつの作品の価値を言っている訳では決してない。その佇まいが素晴らしいのだ。筒口直弘という人がほとんどの作品を撮っている。その写真が素晴らしい。彼がその作品をその場所においたのかは不明だが、見事に空間を切り取っている。背景となるもの、写されるべき対照としての作品。その空間にあってこそ、その作品の良さが感じられるだろうという構図を写したその写真に魅入られる。写真からは不思議とものの大きさを感じない。感じないのに、どこかわけの解らない場所にあるという感じがしない。そこに、ある。ただ、ある。その切り取られ方が、よい。

    写真を観ている内に、何度となく出てくる土壁の背景に目が行く。漆喰塗りの壁がひんやりとした涼感をイメージさせるのに対して、土壁は手のひらの温度と同じ暖かさをイメージさせる。ぽろぽろと崩れそうでいて、そんなことは気にするな、というおおらかさもある。そしてその色。まさに土の乾いた色だ。その前に、ぽつんと作品がある。大きなものも、小さなものも、土壁は等しく作品を浮かび上がらせる。でしゃばることなく。いいなあ、と思う。いいなあ、と思っていたら、どうやらこれは坂田さんが開設した美術館の壁らしいと、匂ってくる。その美術館を建築したのが、中村好文だ。

    中村さんのことは購読している新潮社の雑誌を通して初めて知ったのだが、ああ、なる程、と納得する。中村さんと坂田さんが長い付き合いだと聞いて、尚の事その感を強くする。でしゃばらない、建築が主役ではない、住む人が主役なのだ、という中村さんの建築主張は、地味といえば地味なのだが、いぶし銀の光を放っている。そして、そこに建物が「ある」、その佇まいが美しい、と思う。その価値観と坂田さんの持つ「工芸品」に対する思いは共鳴するものだろうな、と傍から見ていてもうなずける。

    連載の半ば25回目に、その美術館の紙模型が登場する。古いのか、新しいのか、判断の着かない家がそこにある。そして、最終回50回目に、実物の美術館が登場する。模型とは雰囲気が違う存在感がある。存在感はあるのだが、佇まいの奇妙な一致がある。場所は千葉県長生郡、とある。行ってみようかな、とぼんやりと思った。

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