- Amazon.co.jp ・本 (219ページ)
- / ISBN・EAN: 9784104669042
作品紹介・あらすじ
文学がなんであったとしても、化け物だったとしても、おまえは超然とするほかないではないか。「妻の超然」「下戸の超然」「作家の超然」を収録した異色の三部作。
感想・レビュー・書評
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「妻の超然」(絲山秋子)を読んだ。 絲山秋子さん読むの久しぶり。
「妻の超然」 「下戸の超然」 「作家の超然」 の三篇収録。
「妻の超然」の『怜悧』さは痛快で、『善良』さは仄かな温もりをもたらしてくれる。 この作品はとても好きだな。
「下戸の超然」は、下戸も上戸も関係ない普遍的な『綻び』と『軋轢』に思えるのだが。
「作家の超然」における『厭世』と『諦観』に慄く。
印象深い一文を引く。
『きっと大昔は、人間の一人一人が神社だったのだ。言葉は少ししかいらなかった。簡素で清潔な暮らしをしていれば、ふと神が立ち寄ることもあったのだろう。』(本文より)
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「ああこれは絲山さんだ」というところをあちらこちらに見出しながらも、従来の作品に比べてどこか深さが増したような印象を受ける。そのため、読んでいても飽きることがない。「下戸の超然」の主人公は、私が好きな「アーリオ オーリオ」の主人公のような雰囲気を感じさせて、とても気になった。
絲山さんの小説を読んで感じとるのは世の中から疎外されている感覚。しかし、疎外されていても、いろいろ諦めている感じではない。その真剣さを私は好んでいるのだろうか。
「作家の超然」は絲山さんが考えていることがかなり直接的に出ているような気がして、非常に切実なものを感じた。二人称で語るスタイルについては、絲山さんはどういう風にとらえているのだろう。気分よく語るための仕掛けのような気がするんだがどうなんだろう。小説もいろんなものでできているしなあ。
4/26に出版されるという新作を心待ちにする。 -
三者三様の「超然」が描かれている。超然イコール無関心にははっとしたなあ。イコールというか、たぶん≒なんでしょうけど。上から見下してんじゃねーよといわれても、こっちとしては見下しているつもりなどまったくなくて、でもこの「つもり」というのが厄介なんだろうと思う。
「下戸の超然」の彼女側の善意がほんとに、めんどくさいなあと思えてしまった。なんだろう、主人公側も彼女のことを少し見下してるようなところがあったけど、彼女側も少しそういうのがあると思った。ボランティアって、すごくめんどうなところがあると思う。善意の受け取り方にもよるんだろうけど。
絲山さんの書く話は読者に対しての突き放し方がすごく好みだなあ。
(219P) -
3本の短編を集めたもの。
妻の超然
妻たるもの、夫の浮気や日常のトラブルにも超然としていなければならない。
だが超然しつづけるのは、一人では難しい。
下戸の超然
下戸ゆえに酒がのめない。だからなんだ?という超然。
飛行機に乗るのもある理由からできない。だからなんだ?
彼女のしたいことは彼女のものであって、僕は関わるつもりはないし、あまり聞きたくない。
という超然。
作家の超然
一人仕事で生活するなら、病気ぐらい超然と立ち向かわなければならない。
1番面白かったのは、下戸の超然。
「アーリオオーリオ」の主人公に似たテイスト。自分はこの生活で満足している。踏み入らないでくれ。
考えてみれば、誰にでも彼のような考え方に近い側面って持ってると思う。
面白がって見てたけど、きをつけないとな、とおもった。 -
妻、下戸、作家
不倫する夫、アルコールに酩酊する彼女、自分の世界に閉じこもる兄、彼らを前にできることといえば、ただただ超然とすることで、3篇とも主人公がどこか醒めていて、何事にも執心できない孤高や悲しみを表すのに「超然」という言葉がしっくりきていました
「妻の超然」はおかしみのある文章でよかった、でも、どれも好きです -
夫の浮気に気づいているが自分は平気だと思っている妻、下戸で自己中心的な九州出身の男、自分の意思でしなくてもよかった手術をする偏屈な女作家の中編小説集。私はどれも特に面白いとは思わず、特に「作家の超然」は何が言いたいのか、誰の目線から書かれているのか、よくわからない。
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「妻の超然」、「下戸の超然」はおもしろく読めた。「作家の超然」は作者自身を題材に書いている様であるが、達観しすぎているように見えてついていけなかった。作者の見ている景色と、表したいことは理解できる、のだけれども。
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“楽しかったのだろうか。楽しそうにしていただけだろうか。思い出せない。本当に楽しかったことなんてすぐに忘れてしまう。バカだったなと思うことは一生忘れない。”(p.26)
“ひねくれていると言われたこともある。閉じてると言われたこともある。狭いとも言われた。ケチだとも言われた。確かに僕は豪快な男ではない。いい加減なことが嫌いなだけだ。”(P.150)