名誉と恍惚

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (765ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104717033

作品紹介・あらすじ

ふるさとなんかどこにもないが、生きてやる。おれの名誉と恍惚はそこにある。日中戦争のさなか、上海の工部局に勤める日本人警官・芹沢は、陸軍参謀本部の嘉山と青幇の頭目・蕭炎彬との面会を仲介したことから、警察を追われることとなり、苦難に満ちた潜伏生活を余儀なくされる……。祖国に捨てられ、自らの名前を捨てた男に生き延びる術は残されているのか。千三百枚にも及ぶ著者渾身の傑作長編。

感想・レビュー・書評

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  • 「名誉と恍惚」(松浦寿輝)を読んだ。
上海の共同租界行政府である工部局の警察官芹沢の半世紀に及ぶ人生の軌跡と辿り着いた場所での充溢した魂の咆哮。
760頁の傑作長編。
これはまさにハードボイルドだわ。
    
『深い、強い、痛切な喪失感。取り返しのつかない何かを失い、その悲嘆を耐え、耐えることに疲労しきっている……。疲労の果てに悲嘆が徐々に諦念へと収まりかけ、しかしまだ収まりきれずにいる……。』(本文より)
上海の裏世界の支配者の第三夫人美雨(メイユ)を1ページにわたって描写するその文章に震える。
    
読んでいる間私はずっと、チャンドラーがこの世に生み出したフィリップ・マーロウという男のことを頭の隅で思っていた。(彼の物語とはなんの共通項も無いのだが)

  • 第二次上海事変を背景にした長編サスペンス。
    純文学作家の長編小説単行本なんてもう売れないので、買う人はいくらでも買うだろうという強気の値付け。でもこのくらいの値段なら地図を付けて欲しいと思いました。上海は行ったことがなく全く土地勘がないので、google mapをみながら読了。

    https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1W9yS6AZJj4pU6XCjAnMlCEr8nNYiSxCO&ll=31.279931371304436%2C121.43616432897943&z=11

  • 権力の中枢にいる者が民間の一事業主に便宜を図る引き換えに何かをさせようと思えば、誰か連絡を取る者が必要となる。下っ端の公務員なら、いざとなれば切り捨てることができるので好都合だ。しかも、真の意図は隠し、国のためを思ってやることだと言い含めて疑念をそらす。ことが露見すれば、上に立つ者は白を切り、実際に動いた者が、蜥蜴の尻尾のようにあっさりと切り捨てられ、名誉どころかその命さえ奪われかねない。

    こう書くとまるで今の日本の現実のようだが、これは小説の中の話。時代は事変から戦争へと拡大し続けている日中戦争のさなか。外灘(バンド)に西洋風建築が競い合うように建ち、多くの国から人々が流れ込む国際都市、魔都と呼ばれる上海の共同租界を舞台に、一人の日朝混血の工部局警官が国家的謀略の渦に巻き込まれ、その人生を大きく変えられてゆく姿を描いた千三百枚の大長編。これだけ力の入った小説を読むのは久しぶりだ。

    芹沢一郎は朝鮮人の父と日本人の母の間に生まれた。十七歳という娘の年齢を慮って、祖父は自分の末子として届を出した。早くに実の両親を亡くした一郎は父親代わりの叔父の世話になり、外国語学校を出た後、警官の道を選ぶ。係累も後ろ盾もない一郎にとって警察機構は、身を守る鎧となるはずだった。四年前東京警視庁から派遣されて上海工部局警察部に赴任し、主に翻訳や検閲、情報収集という机仕事をしている。

    そんな芹沢に軍から呼び出しがかかる。相手は陸軍参謀本部第二部第十一班の嘉山少佐。通称「謀略課」と呼ばれる第十一班はの少佐が何の用かと思えば、青幇(チンパン)の頭目蕭炎彬(ショー・イーピン)に紹介の労を取れという。一介の警官にギャングの首領との仲介がつとまる訳もないと断ると、芹沢と旧知の間柄である憑篤生(フォン・ドスァン)が蕭の伯父であることを告げ、警察には隠している日朝混血という芹沢の出自をちらつかせ隠微に脅しをかけてくる。

    憑は芹沢に蕭と嘉田の会談をまとめる代わりに警察の内部情報を漏らす覚悟はあるのかと聞く。会談は無事行われるが、芹沢の同席を望む蕭とそれを拒む嘉田との間に緊張が走る。結局、芹沢が蕭の代りに第三婦人美雨(メィウ)のお供をすることで決着する。女優だった美雨は阿片のやりすぎと子どもができないことから蕭との仲も冷め切っている。凄艶な美女と三十前の精悍な警官の出会いである。この夜から芹沢の転落が始まる。

    何故か芹沢の情報漏洩や秘事が上司の知るところとなる。秘事とは何か。骨董商憑篤生にはハンス・ベルメールに先駆けて関節を自在に動かせる人形を完成させたアーティストとしての顔があった。ただ、ベルメールと違い、性器まで精緻に作り上げた黒髪裸体の美少女は、上肢と下肢を入れ替えたり、二人の少女が胴体を共有したり、と奇形ともとれる造形がなされていた。芹沢はそれを撮影した写真を秘匿していた。さらにもう一つ悪いことに、白系ロシア人の少年アナトリーと唇を合わせている写真まで盗撮されていた。

    変態と罵られ、朝鮮人との「雑種」を警察内部に置いておくことなどできない、懲戒免職になりたくなければ今すぐ辞表を書けと迫られる。昨日まで法の番人として、いっぱしの正義漢ぶっていた男のみじめな転落である。始末したはずの写真を盗み出すことができたのはアナトリー以外にいないことに気づいた芹沢は少年を追う。そして、その背後にいた意外な人物の存在に驚き、自分をハメた理由を問い詰めた挙句殺してしまう。ここまでが第一部。

    激昂のあまり相手の頭を地面に打ち付け、ぐにゃりとした手触りで殺してしまったことに気づく、その描写がぞくぞくするほど。下手なミステリなど及びもつかない迫真性だ。鉄条網に顔面を押し付けて引きずる場面にしてもそうで、身体性を徹底してリアルに追求している。それは官能的な場面でも通用する。アナトリーとの肉体的な触れ合いが、どれほどの恍惚感をもたらすものだったかを指や爪、といった先端部分でのふれあいによって想起させる技術はさすがだ。

    第二部は殺人犯としての正体が暴露されるのを恐れながら、苦力として働く芹沢の逃亡生活を描く。第一部が紅灯揺らめく魅惑の街上海の表の顔だとすれば、第二部は南京虫や虱の湧く小屋をねぐらに肉体労働で日銭を稼ぐ者らが蠢く上海の裏の顔だ。このキアロスクーロが効いている。ただ、不思議なことに何も考えず単純な肉体労働に励む毎日の方が芹沢にとっては楽なようなのだ。表題にある「恍惚」感に襲われるのもこの場所だ。金を掏られた上、病んだ芹沢は、夢か幻視か、鷗が舞う光景を見る。世界が粒だって見えた、この全能感は一度きりだったが、芹沢の無為な生き方をゆすぶった。

    徴兵忌避者と殺人犯を一緒にはできないが、官憲に追われる孤独な逃亡者の心理を克明に追うところで、丸谷才一の『笹まくら』を思い出した。人目をはばかる逃亡生活の中でも、人は人らしく生きたいという願いを持ち、向日性に憧れる。警察官であった頃の芹沢の日々は、年端もいかない少年との快楽に耽りながら、日々の仕事に何の疑問も抱かない鈍感な男のように見える。芹沢に主人公としての魅力が宿るのは、苦力に身を落としてからだ。

    二進も三進も行かなくなったところを憑によって救出された芹沢は、憑が経営する映画館で住み込みの映写技師として働き始める。美雨との再会があり、洪(オン)という友人もできる。憑ファミリーの一員となり、中国人沈(スン)として生きてゆく覚悟もでき、香港行きが決まったその日、前々から探らせていた嘉田の居所が判明する。何故自分がこんな目に遭わねばならなかったのか。あの会合は本当に国家のためのものだったのか、芹沢にとって、それは自分の「名誉」に係わることだった。美雨を先に港に行かせ、芹沢は独り嘉田のいるホテルに向かう。

    大団円の嘉田との長いダイアローグ。ドストエフスキーの『悪霊』や埴谷雄高の『死霊』を思い出した。国家論であり、戦争論でもある。国家の意思を体現した嘉田が語る確信犯的な議論は、今世情を騒がす国家主義者たちの表には出せない、裏に隠し持った思惑とも合致するだろう。国家、国家といいながら、嘉田が本当に大事にしているのは、自己の欲望の成就だ。馬鹿な大衆も無能な軍人たちも端から見下している。手配中の芹沢が、危険な場に我が身をさらしてまでも問わねばならなかったのは、他でもない自分の行動の倫理的な正当性である。すべてを失ってしまっても、誇りをなくしては男は生きていけない。

    このハードボイルド小説的な対決の決着をつけるのが玉突きというのがシャレている。ナインボールで先に三勝した方が勝ち。芹沢が勝てば無事にホテルを出ていける。実力は嘉田の方が少し上だが、芹沢は、玉のつき方から嘉田の慎重な性格は臆病さの裏返しであることを見抜いていく。このあたりの心理戦の描き方が面白い。ここにきて、急に芹沢がヒーローらしさを発揮する。凡庸な男が苦難の経験を通じて成長を遂げる。ビルドゥングスロマンはこうでなくてはいけない。

    スケールの大きい小説で、上海という蠱惑的な都市を効果的に配し、漢語に英語風の読みのルビ振りをする表記とも相まって、視覚効果は抜群だ。さらには日中戦争が軍部の意図を越えて暴走し始め、抑制が効かなくなった日本軍の南京での虐殺事件にも目を配るなど、歴史的な配慮も行き届いている。何も知らなかった青年が煮え湯を飲まされ、落ちるところまで落ちる。自分を見失い無為な日々を過ごすが、最後に覚醒し、自身の人生を掴み取る賭けに出る、という山あり谷ありのドラマを、終始主人公に寄り添った視点で語る。一人の男の目を通して、勝ち目のない戦争に突っ走っていった時代の狂乱の世相を描いた傑作。この時代だからこそ読みたい。半端ではない厚さだが、一気読みは保証する。

  • 2019.8 長くて硬骨な小説でした。

  • 松浦寿輝「名誉と恍惚」(新潮社)は、2016年、話題をさらった作品だが、読み終えて考え込んでしまった。小説を映画化する話はよくある。では、その逆は、映画のように小説を書くということに込められた意味は何だろう、というのがこの長い長い小説を読みながら浮かんできた問いだった。

    始まりは1937年、事変直後の上海共同租界。小雨の外白渡橋(ガーデン・ブリッジ)を紺色の背広を着た一人の男が渡っていく。彼がポケットから取り出した折り畳みナイフの刃がきらりと光る。検問所で誰何された男は「工部局警察部芹沢一郎であります。」と日本語で答える。

    男はビルの入り口で待っていた軍人に促され、「百老匯大廈(ブロードウェイ・マンション)」の19階まで昇降機で登る。そこで待っていたのは陸軍参謀本部謀略科嘉山少佐。

    「百老匯大廈(ブロードウェイ・マンション)」は三年前に竣工した、当時、東洋一の高層ビル。その最上階の高級レストラン。眼下には豪華絢爛な魔都上海の夜景、と思いきや。

    《ついひと月前までなら、この場所から眺める上海の夜景は壮麗のひとことだったに違いない。立ち並ぶ外灘(バンド)のビルには数多の窓が明るく輝き、南京路を中心とする繁華街のナイトクラブやキャバレーのネオンサインの煌めきが、さぞかし目に華やかに映じたことだろう。このレストランには多種多様な国籍の着飾った男女が集まってきて、その夜景を楽しみながら凝った料理に舌鼓を打っていたことだろう。今、芹沢が窓から見下ろす夜の上海の町は暗かった。― 略 ― ひと月前までの上海なら、こんな雨降りの夜でも街の照明が雲に照り映え、それが微光となって大気中に揺曳し、それが窓から射し入ってこのテーブル席をもっと明るく照らしてくれていたはずだ。》

    本来なら上海のきらびやかな夜景を一望するはずの、展望レストランには客らしい客もいない。戦争が始まっているのだ。上海を統治する国際組織工部局警察に所属する日本人警察官を待っていたのは、帝国陸軍参謀少佐。

    この日からの主人公芹沢一郎の二年間が小説のメインストーリーとして描かれている。700ページに渡る描写は、あたかもカメラを駆使して描く映像のような印象を読者に与えずにはいない。奇想天外な小道具、波乱万丈の筋運びに至っては映画そのものだ。何しろ、主人公に映画館の撮影技師という役回りまで演じさせるのだから、作家の映画に対する、ある種フェティッシュな感覚がこの小説にはあふれている。

    エピローグ、最終章で芹沢は、78歳という老齢の男として50年ぶりに外白渡橋(ガーデン・ブリッジ)の上に立つ。あのころ、いつもポケットに入っていた折り畳みナイフが何時失われたのか、記憶のかけらを探るように、いぶかしみながら佇んでいる。

    通りかかった、楽しげな旅行者である日本人女子学生に頼まれて、娘たちのスナップ写真を撮る。最新式の日本製のカメラを手にして、思わず口にした久しぶりの日本語を耳ざとく聞きつけられて、「なあーんだ日本の方なんですね。」と声をかけられた芹沢は、一転、険しい顔をして答える。

    「I am not Japanese.」

    あれから五十年、生きのびた彼がなぜ、ここで、こう答えるのか、小説を読んでいただくほかはないが、ここでもまた、エンドロールへ転換する直前の映画のように登場人物のその後、物語の結末が語られている。錯綜した出来事を経験し、こうした生きのびてきた主人公を支えていたのは、こういう内面だったのですよと映画監督が見せてくれる解説のような、最後の数ページがある。

    映画の結構に倣って小説全体のキーワードは、もちろん「名誉」と「恍惚」だったということが、わざわざ念押しされているようなエピローグを読み終えながら、映画的に書かれている方法に対して、そして、決して映像を見るようには読み進められない冗長さに対して、「ほんとうにそれが書きたかったことなのだろうか?」という訝しさが残ったのだが、それを差し引いても面白さは一級品だった。

    長いですが、いかがでしょうか?(S)

  • すごい熱量をページ数からも内容からも感じた。カッコいい。
    あぁ、そっちへ行ってはダメだよ、と思うけど行かずにはいられないのでしょうね。最後のビリヤードのシーン、震えたわ。

  • これははまった。1930年代の上海を舞台にして繰り広げられる、ある警察官の男の物語。その予断を許さない展開が、読み進まずにはいられない境地へいざなわれ、急き立てられるかのように、話を追っていった。

    壮大な大河ドラマ、といった趣き。随所に性的に濃密な描写もあるが、この物語を現実感をもって成り立たせているための、重要な要素といえよう。また、「腥い」という語句が文中に何度も登場する。「なまぐさい」と読むと初めて知ったわけだが、そうこの小説は相当に腥い。何というか、生ぬるい空気感とともに、実際にかいだら顔をしかめそうな、そんな腥さが実際に漂ってくる、こんな小説は初めてだ。

    図書館で借りて読み始めたが、700ページ越えのハードカバーで手にとりづらく、しかし途中まで読んでやめられなくなったので、電子書籍で購入。お値段張ったが(4,320円なり)、その価値は十分あり。読み応えのある、時間を忘れさせてくれる一冊だった。

  • 日中戦争時、上海で工部局に属する警官芹沢。陸軍参謀の嘉山に青幇の蕭と面会したいと頼まれるが、そこから芹沢の運命は動き出す…760ページの超大作。戦争について、人種について、軍について、テーマがいくつかある。日本人と朝鮮人の子供であることの芹沢の苦悩、日本に捨てられたことの苦悩、埠頭での恍惚のシーン、よく描かれている。長いが飽きさせず(いや、しかし長かったけれど)、充分本の中の世界に、芹沢が生きてきた世界に浸れました。

  • 戸籍には記載されない出自として日本の母と朝鮮の父を持ち、日中戦争初期の上海で日本の支那駐屯地と一線を画す上海共同租界の警察官という職業を持つ主人公が、日本が戦争という形で外の世界と軋轢を起こしながら不可逆な道を進んで行く時代に、そのアイデンティティにより不可避な運命に巻き込まれて行く濃厚な日々の物語。いや不可避と言うより、衝動的にプロアクティブに運命に飛び込んで行く物語なのかもしれません。その行動のドライバーが「名誉と恍惚」、書名になっているキーワードです。徹底的に主人公のボーダー性は重ねられていて、性愛についても男女それぞれに向けられているし、芹沢という日本人の名前から沈という中国人の名前に変わって行くプロセスが本書の縦糸になっているし、馮という老人のつくる人形への愛情もオタク的ボーダーレス感を感じました。そんなキャラ設定された主人公がどんどん日本から離れて行きながら、でも日本人を意識し続けて行動し続けていきます。童謡「ふるさと」でイメージされる日本が日本だけではない、外地でも日本人であり続けるというテーマは右傾化という内向き志向が拡がっているように見える昨今において作者からのメッセージとして受け取りました。それにしても芹沢一郎の一人称で大きな運命に瞬間瞬間立ち向かっていく進行なので大著なのにハラハラドキドキしながらアッと言う間に読めます。映画見ているみたい。凄い筆力。

  • 好き。
    大傑作。


    芹沢一郎。


    心理描写が丁寧で、
    「彼の気持はあたしの気持」
    っつーくらい入り込んでくる。

    丁寧に読めたと思う。


    うちの家族全員が、読書しているあたしに向かって、
    「それ辞書?」
    と聞いてきたのも良い思い出。

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著者プロフィール

1954年生れ。詩人、作家、評論家。
1988年に詩集『冬の本』で高見順賞、95年に評論『エッフェル塔試論』で吉田秀和賞、2000年に小説『花腐し』で芥川賞、05年に小説『半島』で読売文学賞を受賞するなど、縦横の活躍を続けている。
2012年3月まで、東京大学大学院総合文化研究科教授を務めた。

「2013年 『波打ち際に生きる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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