伊丹十三の映画

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制作 : 「考える人」編集部 
  • 新潮社 (2007年5月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (271ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104749027

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伊丹十三の映画の感想・レビュー・書評

  • 膨大な関係者の証言によって、伊丹十三の人となりやこだわりが浮かび上がる。企まずしてポリフォニックな構造になっている。

  • 伊丹十三は、名前がまだ一三だった頃からの憧れの人である。当時、愛読していたのは新潮社から出ていた大江健三郎全集だったが、日々を生きていくための指南書は伊丹の『ヨーロッパ退屈日記』だった。巻頭に置かれた、何でもできるくせに、それらはみな人から教わったことばかりで、自分自身は空っぽの容器でしかないという自己規定に、自分とは何かということを考えはじめていた高校生はいっぺんにいかれてしまった。

    何をさせても決まっていて、『北京の五十五 日』で、ハリウッドの映画人に混じって日本の軍人を演じていたが、外国映画に出て来る日本人の中ではいちばんノーブルであった。ピーター・オトゥールと共演した映画『ロード・ジ ム』の出演料でロータス・ヨーロッパを買うなんていう芸当は、当時日本で人気のあったちんぴら役者には逆立ちしたって できなかったろう。

    伊丹十三が、映画監督の伊丹万作の息子で、その妹を妻にした松山時代の学友大江とは義理の兄弟にあたることを知ったのは、ずいぶん後のことにな る。エッセイストや雑誌編集者としてその才能を披瀝しながら、映画界では癖のあるバイプレイヤーという存在でお茶を濁していた感のある伊丹がメガホンを とった『お葬式』にはまいった。小津にしろドライヤーにしろ、先行する名監督の映画を下敷きにしながら、初監督作品で、すでに自分のスタイルというものを表現しうる才能はただただ眩しいかぎりだった。

    『マルサの女2』あたりから、マンネリ化を感じて映画館に足を運ばなくなった。観客が喜ぶ映画を撮ることを自らに課していたようだったが、『お葬 式』や『タンポポ』のような、他の監督には撮れそうもない映画をこそ見つづけていたかった。『静かな生活』をのぞけば、伊丹の初期の映画三作しか出演しなかった山崎努が、それ以降の作品に出なかった理由として、伊丹の完全主義者的な演出と 偶然を喜ぶ自分の演技のちがいを挙げているが、それだけではなかったのではないか。

    山崎も言っているが、伊丹がほんとうに撮りたいと思っている素材は他にもあったように思われるのに、ヤクザや警察ばかりが出て来る映画を撮り続けたのは、 日本映画の観客がそういう素材を好んでいたからではないのか。芸術映画に色目を使わず、エンターテインメントに徹する姿勢は潔いが、伊丹自体の本質とは齟 齬があったように思う。

    監督としての伊丹は現場では大声を出すこともなく、現場はいつも和やかな雰囲気であったという。しかし、それだけスタッフや俳優に気を遣う監督が撮影中は役者やスタッフと一緒に食事を摂らなかったと、何人もが話している。ロケ弁の不味さ もあったろうが、普段使いに古伊万里の蕎麦猪口で酒を嗜む伊丹には、毎日プラスティックの容器に入った弁当を食べることは我慢できなかったのではないか。ひとりだけ別の物を食べることも自分に許せず、食事を抜くしかなかったのでは。

    庶民でない人間が庶民の 要求に応えるために無理をし続けたあげくが、あの死だったと思うとやりきれない。岸田秀が、フロイト派の精神分析学者らしく、伊丹映画を父との関係で分析しているのが興味深 かった。その死に暴力団が何らかの関係がなかったかという指摘をしているのも岸田ひとりだった。自殺現場にゴム草履で出かけていくなどということは、スタ イリストの伊丹にあるはずがない。私は今でも謀殺説を捨てきれないでいる。

    一緒に撮影現場で過ごした人のインタビューで構成されているこの本からは、監督伊丹十三がいかに日本映画界では稀有の存在であったかということがひしひし と伝わってくる。それと、これほどまで周囲の人々に愛されていたのか、ということも。表紙の愛猫を抱いた伊丹のモノクロの写真がいい。

  • 俳優やスタッフたちのインタビューを通して、伊丹監督がどのようにして映画を作ったのかが浮かび上がってくる。こんなところにまで目を配っていたのかと感心する。かなり読み応えのある本です。

  • 当然ながら、黒沢清の文章は収録されていません。「スウィートホーム」裁判についての判決は全文東京地方裁判所のホームページにアップされていて読むことができます。事実関係の記述も詳しいので、一読をお勧めします。

  • 12月20日は伊丹十三の命日。

    生きていれば76歳。何か書こうと思って、何気なくDVDを手に取って『お葬式』を見始めたら、止まらなくなってしまっています。

    お弔いに彼の映画をすべて見るというのも悪くないかもしれませんが、そうすると肝心の何か書くことがおろそかになってしまいます。

    ということで、今回は以前に書いたもので勘弁していただこうと思います。

    ★【以下は2007年6月17日付の文章です】★

    本名:池内岳彦(義弘)1933年5月15日生まれ1997年12月20日没。自殺とされているけれども、暴力団か右翼団体による殺人かも知れないとも噂されている。享年64歳。あれからもう10年が過ぎたのですね。

    思い起こせば、はるか彼方・ずいぶん・長い・お付き合いになりますね。

    きっかけは、古い映画好きの中学生の私が、お父様の伊丹万作の著作と映画に浸りだした時からでした。

    ある時、あなたが彼の子息であることを、父から聞いて初めて知りました。

    そして、あなたが私の前に始めて現れたのはエッセイストとしてでした。

    『ヨーロッパ退屈日記』『女たちよ!』『自分たちよ!』『日本世間噺大系』『小説より奇なり』などなど、どの本もわくわくして読んだものです。

    今まで誰も書いたことがない視点から、深く幅広い知性に裏打ちされた諧謔的な文章に、イチコロ=いたいけな少女は、今までの弱小なる教養を打ち砕かれて、もう、たじたじに魅了されたものでした。

    今から考えると、笑っちゃいます。十四歳の少女の部屋に、あなたのポスターが張ってあって、伊丹十三命なんてアール・デコ調に書かれていたりしていましたからね。

    そして、それから、俳優としては、一味も二味も違う名バイプレイヤーとして、様々な作品で、時には主役を食ってしまうほどの存在感を示す人でした。

    大島渚の「日本春歌考」(1967)や森田芳光の「家族ゲーム」(1983)は鮮烈に記憶しています。

    そして・そして、例の、80年代に父が隠し撮りした渋谷PARCO劇場での寺山修司の「中国の不思議な役人」での演技は、それまで伊藤雄之助・勝新太郎を怪優として愛好してきましたが、堂々の三人目に登録、その狂気な演技に驚喜しました。

    それから、いよいよ監督として登場された時は、その感激のあまり我が家で祝賀パーティーを開いたほどでした。といっても、親しい映画好き仲間を集めて「お葬式」をみんなで見て、伊丹万作との関連性を類推し今後の方向性とかを好き勝手に予想したり、それより何より、伊丹十三がいかにして映画監督になる必然性があったのかなどということを、その著作から強引に導き出したりして祝ったものです。

    「お葬式」「タンポポ」「マルサの女」「マルサの女2」「あげまん」「ミンボーの女」「大病人」「静かな生活」「スーパーの女」「マルタイの女」

    ・・・この、たった10作だけを残して、あなたは私の前から、いなくなってしまったのですね。

    その溢れる才能から考えると、日本映画の、否、世界映画の損失は、とてつもなく計り知れないものがあると思います。

    いずれ作られる伊丹十三全集は、世界で初めて、デザインの実作者とエッセイストと俳優と監督とを併せ持つ、総合芸術家としての彼の全貌を明らかにしてくれるでしょう。
    ・・・・・               ・・・・・

  • 私は「マルサの女」二作、「あげまん」「ミンボーの女」「スーパーの女」の5本だけ見ています。一番好きなのは「マルサの女」でした。キャストとスタッフのコメントがとにかく読ませます。

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伊丹十三の映画の作品紹介

映画監督デビューは1984年、51歳のときだった。デザイナー、俳優、エッセイスト…様々な分野で超一流の仕事を残してきた才能を惜しみなく注ぎ込み完成したのが10本の映画だった。それらは、観客動員を誇るエンターテインメントであり、同時に卓越した日本人論でもあった。1997年に世を去って10年。伊丹映画を支えた役者やスタッフが熱い思いで初めて明かす、映画監督伊丹十三の真実。

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