バット・ビューティフル

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制作 : Geoff Dyer  村上 春樹 
  • 新潮社 (2011年9月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (281ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105063115

バット・ビューティフルの感想・レビュー・書評

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  • エッセイとか翻訳では村上春樹さん、よい仕事をなさる。
    おもしろいスタイルの作品で、
    7 人のジャズ・レジェンド(レスター・ヤング、セロニアス・モンク、
    バド・パウエル、ベン・ウェブスター、チャールズ・ミンガス、
    チェト・ベイカー、アート・ペパー)が登場する。
    さらっと読み流した「序文」にしっかりと書いてある、
    よく知られたエピソードや情報をもとに著者がインプロヴァイズ(即興変奏)した「想像的批評」や近似フィクションと言う表現がよくわからなかったが、
    読んでみるとなるほど、ありありといきいきとしたすばらしい表現法だと思う。
    訳者あとがきにあるように、この本を読みながらここに描かれたミュージシャンたちの演奏する音楽を聴きたくなる。

  • 素晴らしい。ジャズを扱った文学の最高傑作といっていいでしょう(ジャズを扱った文学をそんなに読んでいるわけではないのだけど)。いや、これはジャズを扱った文学というよりも、ジャズそのものだといっていいのです。

    演奏旅行のため車で移動するデューク・エリントンとハーリー・カーネイの姿を合間にはさみながら7人のジャズメンの生き様を描きます。それぞれのジャズメンの有名な逸話を小説ふうにふくらませているのも手法としておもしろいのですが、その文章は、そのジャズマンという人間を描くばかりではなく、それぞれの音楽をも文字で表現してみせるのです。文章を読んでいるだけなのに、それぞれのジャズが聴こえてくるということです。

    いや、本当に、レスター・ヤングの、セロニアス・モンクの、チェット・ベイカーの音楽をこれほど表現しきった文章に出合ったことがありません。それが文学として昇華しきっているところが、またすごいのです、この作品。

    ジャズを知らない人、彼らの音楽を聴いたことがない人には、ちんぷんかんぷんかもしれません。なにしろ、いずれもある種の狂気の中に生きている人たちなのです。あるいは想像を絶する孤独の中に囚われている人たちを描いているのです(でも、ここで描かれているエピソード自体は、それぞれ事実として伝えられているものなのです)。

    なのでだれにでもオススメできる小説だとは思いませんが、これほど濃厚に「ジャズを聴いた」のは、僕は、久しぶりです。

    しかし、村上春樹、よくぞこの小説を米国でみつけてくれたものです。村上でなければ、ここまでジャズが聴こえてくる訳にはならなかったかもしれないのですから。

  • ジャズミュージシャンの伝説が、小説になっている。文章が抜群にうまい。悲惨な生き方、アフリカ系の人への差別。村上春樹訳。彼の音楽関係の本は見逃さないことにしている。

  • これがどういう本かについては、訳した村上春樹さんのあとがきを読めばわかる。
    ペーパーバックの裏表紙に印刷してあったという、キース・ジャレットの推薦文にあるように「『ジャズに関する本』というよりは『ジャズを書いた本』」である。

    解説でも批評でもないし、ディスクガイドでもない。それぞれのミュージシャンの評伝というのとも違う。
    それぞれのミュージシャンたちの人生の一片を、事実に即して取り出し、浮き上がらせているのだが、むしろ味わいは小説のようだ。
    章と章の間に挟まれたストーリーが、そう思わせるのかもしれない。面白い構成。
    読みながら、或いは読んだ後、そのミュージシャンの曲が聴こえるような、そして聴きたい!という気になるのだから、「いい」ジャズの本、と言えるのは間違いない。
    ここには確かに、音楽が流れている。

    それにしても、村上氏の訳したものを読むたび、優れた翻訳というのは、翻訳者が透明人間になっているものじゃなかな、と思う。
    読んでいるうちに、翻訳者は見えなくなって(同一化しているのかも?)、直接著者から話しかけられているような気分になる。

  • レスター・ヤング、セロニアス・モンク、バド・パウエル、ベン・ウェブスター、チャールズ・ミンガス、チェト・ベイカー、アート・ペッパーというジャズの七人の巨人達のひりひりするような生き様の一端を評伝や自伝など様々な資料をリサーチした後に、ある程度事実に基づきながらも想像を加えながら描き出した短編小説とそれらをつなげるデューク・エリントンとハリー・カーネイの演奏旅行途中でのエリントンの曲の発想の様子を描いた掌編、加えて最後に結構な長さの現代のジャズの批評があるという、訳者(村上春樹氏)によると想像的批評スタイルだという本を読了。ジャズ喫茶を経営していたくらいだから村上春樹氏はジャズに造詣が深い訳で、この本も自分でニューヨークで書店で見つけ自分で翻訳してモンキービジネスという雑誌に寄稿したのがこの本の出版に繋がったらしい。かなりマイナーな本なので早晩絶版になると思われるのでまあめっけもんの読書でした。ジャズメンたちの孤独さが伝わってくる文章と評論の組み合わせの妙を楽しむBGMとして選んだのがArt Pepperの"Living Legend"

  • 20151017

  • セロニアス・モンクをはじめとするジャズの巨匠7名を取り上げた評伝とフィクションがミックスしたような不思議な短編集。ジャズに詳しい村上春樹が、NYの書店でそれとなく手にして購入した後、暫くは積読状態だったというが、柴田元幸さん主催のMonkeyに一編ずつ翻訳して掲載。
    実は、モンク以外は名前は知っているけれど、どういう人物でどのような演奏をしていた人たちかを全く知らなかったので、まずネットで略歴をチェックし、それからYoutubeで音源にあたりながら読んだら、どれもとてもよかった。
    特にチェット・ベイカーの哀愁を帯びたトランペットと、消え入りそうな細い歌声を聴きながら「その20年はただ単に、彼の死の長い一瞬だったかもしれない」を読むと、ひとつひとつの表現がヴィヴィッドに胸をつく。
    本書は原作者がimaginative criticismと読んでいる手法で書かれており、村上春樹による意訳「自由評伝」とは言い得て妙だが、まるで、目の前に往年のジャズプレイヤーがいるような錯覚さえ呼び起こす語り口に、すっかり引き込まれた。

  • 村上春樹の小説は読まないが、彼の訳になる小説やエッセイ類には結構お世話になっている。特にチャンドラーの翻訳と、ジャズ関係の文章は必ずといっていいほど目を通す。一昔前、植草甚一氏が果たしていた役割。ニュー・ヨークの本屋やレコード店をめぐっては見つけてきた本その他の話題を日本の読者に紹介するという目利きの仕事を、今受け持ってくれているのが村上春樹ではないのだろうか。村上氏が見つけてくるジャズ関連の書物は、もしかして彼がいなかったら、邦訳すらされなかったかもしれないものが少なくない。これもその一つ。ジャズ・ファンなら何をおいても読んでみたくなる一冊。

    著者によれば「想像的批評」というジャンルになるそうだが、平たく言えばジャズ・ミュージシャン七人のポルトレ(評伝)である。どこが「想像的」なのかといえば、著者は伝記的事実を尊重しつつも、方法としては、ミュージシャンの写真を前にして想像をめぐらせ、頭の中に浮かび上がってきた映像を文章化してゆくという。その結果、セロニアス・モンクとバド・パウエルが麻薬不法所持で警官に逮捕される有名な場面が、車から投げ捨てられ、水溜りに浮かぶヘロインの袋にいたるまで、著者自身その場で目撃していたようなタッチで描かれることになる。

    レスター・ヤング、セロニアス・モンク、バド・パウエル、ベン・ウェブスター、チャールズ・ミンガス、チェト・ベイカー、アート・ペパー、いずれ劣らぬ名手七人の肖像写真を収めるギャラリーの壁にあたるのが、ワンナイト・ギグの演奏会場に向けて車を走らせるデューク・エリントンが車中で曲の構想を練る場面のエピソードだ。ジャズの代名詞ともいえるデュークと長年の相棒ハリーの気どらない会話が、いずれも個性の強い、どちらかといえば破滅型のミュージシャンたちが繰り広げる人生の一幕の色彩を浮き上がらせる役割を果たしている。

    ノンフィクションとフィクションが垣根を越えて行きかうような描写は、まるで短篇小説を読んでいるようだ。これのどこが「批評」なのかと疑問を覚えた読者は「あとがき」を読んで納得するにちがいない。ジャズ・ミュージシャンは、常に先行するミュージシャンの音をなぞるように演奏する。たとえば、マイルズはディジーのように吹こうとした。ところが、ディジーのトレードマークである高音部の跳躍を持続させることができなかった。それがあのマイルズの「孤独な背筋が寒くなるほど美しいサウンド」をもたらしたのだ。演奏自体が批評行為である、というのが著者の見解である。

    それにしても、ジャズ・ミュージシャンという人種は、なぜこんなにも破滅的な人生を送らなければならないのだろう。描かれる人々は、どれも麻薬中毒やアルコール中毒患者、さらには精神を病んで精神病院に入院した経歴を持つ。早死にした者も多い。著者が選んだミュージシャンに偏りがあるとは思えない。「あとがき」で著者も書いているように、これがジャズ・ミュージシャンなのだ。一晩のギグのために、全精力を傾けての演奏。それも、インプロヴィゼーション(即興演奏)がその中心となるだけに、気を抜けるところがない。クスリやアルコールに頼りたくなる気持ちも分かるというもの。

    表題『バット・ビューティフル』は、スタン・ゲッツとビル・エヴァンスの名演奏で知られる曲だが、あるサックス奏者のどうしようもない生活、その生き方の破滅的な様相を前にして、なおかつその演奏を耳にした女が漏らすひとことでもある。村上春樹氏も訳しながら、彼らの演奏を聴いていたというが、この七人にデューク・エリントンを含めた七人+αの演奏を聴きながらページに目を落とすとき、知らず知らずのうちにあなたも口にしているだろう。彼らの人生はなんと凄惨なんだろう。「けれど、その音楽はなんと美しいことか…」と。

  • 実在のジャズミュージシャン8人を描いた、フィクションのような、評伝のような、ポートレイトのような物語集。巻頭にはこうある。
    「彼らのありのままの姿ではなく、私の目に映ったままの彼らを……」
    不思議な読み心地の本で、まるで内側からその人物を眺めいるようでもあり、またその人物を目の前にして語り掛けているようでもあり、あるいはその人物そのものとして世界を眺めているようでもある。自在でありながらどこかしゃちほこばっているようでもあり、ゆらゆらと不安定なようでいてかっちりしているようでもあり。
    理知的な夢、エレベーターに乗る時の無意識の冷静さ、みたいなものが、全体的な筆致から受ける印象。

    それにしても、この頃のジャズ・ミュージシャンとはなんとまぁ不器用で激しく、しかも繊細な人間なのだろうと思った。
    私はジャズは好きだがほんのちょくちょく聴く程度でしかなく、ジャズの系統立った歴史や流れも全然知らない。この中で取り上げられているジャズメンも、きちんと聞いたことがあるのはチェト・ベイカーくらいだ。
    それでも、ジャズメンという生き物がどれほど「普通ではない」かくらいは聞いたことがある。それがなぜなのかも、なんとなくだけれど、雰囲気として伝わってくるものがあった。

    彼らの人生そのものが、アド・リブのようだ。その瞬間瞬間が本番で、一回こっきり。そのどれもが絶えず即興で、表現豊かで、しかも創造的でなくてはならないと来た……これは確かに「普通」ではとても無理だ。
    それでも、その一つ一つのプレイが、彼らを生かすのだろうと思う。ジャズとしか言えない「それ」は、他のどんなものも彼らをそれほど濃く、鮮やかに、そして永遠に生かさない。だからこそ彼らは濃縮された瞬間瞬間を生き、そして早く燃え尽きてしまうのだろう。

    「――だからな、ジャズのいいところっていえば、自分だけのサウンドを持てば、ほかの芸術分野であればとてもやっていけなかったような連中が、なんとかやっていけるというところだな。ほかの分野であればアタマから矯正されなくちゃならんようなことでも――つまりさ、作家になってたら、連中はとてもやっていけなかったはずだ。単語もつづれないし、句読点も打てないようなもんだからな。絵描きだってむりだ。まっすぐな線ひとつ引けやしない。しかしジャズなら、正しいつづりもまっすぐな線も必要ないんだな。だから、他人とはちがう物語(ストーリー)やら考えやらをアタマに詰め込んだ連中が、そういうなにやかやをジャズという形で表現できたんだ。ジャズというものがなかったら、そんなことはまずかなわなかった。ほかのことをもしやろうとしても、銀行員にも配管工にもなれないような連中(キャッツ)がジャズの世界では天才と呼ばれる。まったくのゼロみたいなやつがね。ジャズはね、絵画や本には見ることができないものを見ることができる。ほかのものには引きだせないようなことを、人間から引きだすことができるんだ。」
    (セロニアス・モンクの章からの引用)

  • ジャズと文学は相性が悪い。僕はジャズが好きだし、文学も愛している。だが、ジャズに関する文学となると話は別で、形式に関係なく殆ど受け付けない。その多くは、文字通り読むに耐えない。それなりに骨を折って探しても、本当にロクなものがない。

    僕は村上春樹を好まない。言い訳になるかもしれないが、決して読まず嫌いというわけではない。過去の代表的な作品は漏れなく読んできたし、『1Q84』も、文庫落ちを待ってではあるが、全て揃えた。その上で、やはり好まない。端的に言えば、彼の世界把握を僕は理解出来ない。文学的感性が狭量なのだと言われればそうなのかもしれないが、デカダンス派の幻想小説や、ビートニク周辺の作品群にも『テクストの快楽』を感じてしまう程度のキャパシティは持ち合わせているつもりだ。

    ジャズのテクストと村上春樹。この取り合わせは、僕個人の感覚としては最悪に近い組み合わせである。たとえ村上春樹がいくらジャズに造詣が深くとも、いや、そうであるがこそ余計に鼻に付いて仕方がない。では、何故。何故僕がこの本を手に取り、あまつさえ購入したのか。それはひとえに、書店の棚に平積みされていた本書の装丁に起因する。

    その表紙を見た時、視野の中心でマイルスが鳴り響いた。ジャコ・パトリシアスの気怠く歪んだベース音が、ビル・エヴァンスの悲痛なピアノが、アート・ブレイキーの豪快なドラムロールが、次々に到来した。LP盤のジャケットと同じように、そのアウトテリアは紛れもなくジャズだった。そして『But Beautiful』というタイトルを見て、僕の決意は固まった。

    『But Beautifuil』…作曲のジミー・ヴァン・ヒューゼンと作詞ジョニー・バークは数々のミュージカルや映画の音楽で活躍した名コンビだった。この曲は元々ビング・クロスビーとボブ・ホープの喜劇映画「南米珍道中」の為に作られたもので、オリジナルを歌ったのは演者のビング・クロスビーだ。

    音源をジャケットで選んだ時、そこに過度な内容を期待するのは野暮というものだ。そんな場合、ジャケットの視覚的デザインこそが内容であって、音源はもはや副次的な要素でしかない。そんなことは僕も分かっている。本書の装丁には定価分以上の価値がある。内容になど最初から期待していなかった。理由は上で述べた通りだ。

    読みながら、悔しくて仕方なかった。レトリックを多少なりともご存知の人間には、お察しの通りだ。ズルい。文句無しに面白い。本書が扱う演奏者毎のエピソードはそれぞれ有名なものだが、多分に文藝的な演出が施されており、見事に小説として成立している。短編集であるが、案内役である2人の旅人が各話を貫きながら絶妙な存在感を示すことで、全体の統一感を強調する。終始歯切れ良く、リズム良く、テンポ良く、出来の良いアドリブを聴いているような心地で活字を追った。英語のグルーヴを色濃く残した村上の翻訳は、文体に忠実でいてしかも読みにくい箇所が無い。本当に悔しいが、実に見事の一言である。

    この作品はまさに、活字によるジャズである。しかもそれが成功した稀有な、というより殆ど唯一の、幸運な本である。これ以上本書の内容を語る舌を、僕は持たない。ただ、一応書評の体裁を整える為に、タイトルにもなった素晴らしいラブソングにその肝心を語って貰おう。簡単だ。たった一ヶ所、歌詞の "Love" を "Jazz" に変えるだけでいい。

    Jazz is funny or it’s sad
    Or it’s quiet or it’s mad
    It’s a good thing or it’s bad
    But beautiful
    But beautiful

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バット・ビューティフルの作品紹介

レスターは上官の罵声を浴び、モンクは警棒を振り下ろされ、ミンガスは破壊することをやめない。酒、ドラッグ、哀しみの歴史に傷つき、自ら迷路をさまようミュージシャンたち。しかし彼らの人生には、それでも美しいジャズの響きがあった-伝説的プレイヤーの姿を、想像力と自由な文体で即興変奏する、ジャズを描いた8つの物語。サマセット・モーム賞受賞作。

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