監獄の誕生 ― 監視と処罰

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  • / ISBN・EAN: 9784105067038

感想・レビュー・書評

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  • ミシェル・フーコー1975年の著作 ―― 『監視することと処罰すること ―― 監獄の誕生』が本書のほぼ正確な原題である。すでにフランス語初版から半世紀近くが経ち、箱入りの壮麗な装丁の本の奥付に鉛筆で刻んだ、自分が学生のときに読み終わった日付<1994.2.11>からもほぼ四半世紀が経つ。少しまとまった時間をとって2020年夏この度改めて二段組みでびっしりと文字が埋められた300頁超の本を読んで感じたことは、実は意外に読みやすい本だったということだ。賛同してくれない人も多いかとも思うが、おそらくはフーコーの位置づけや『監獄の誕生』の主張するところが、フーコーの解説本や関連書籍を通して何度も何度も情報として入ってきていたからだと思う。そしてまた、ここに書かれている問題設定が現代においてもなお現実的な課題としてそこにあるからだということでもある。

    本書は、1757年に公衆の面前で見世物として行われた八つ裂きの死刑執行の印象的な描写から始まる。こうした身体刑が、十八世紀後半から十九世紀初めにかけてかなり迅速に欧米各国で廃止された。身体刑という見世物の消滅と苦痛の消去が行われたのはどういう力学が働いたのか。処罰の対象が身体から精神に変わったのはなぜか。それが、本書のはじめのテーマになる。それは、権力の経済性に関わる問題であった。

    思い返すと実は、1994年に読んだときには「試験」が規律権力において持つ役割について重きをもって読んでいた。それは、当時の自分が、大学入試を含む試験に攻囲されて生きていたからであろうか。試験へのコミットメントをとおして、自らが規律権力の強化に加わっていたことを自覚していた、自覚しようとしていたからだと思う。今また読み返したとき、権力の「経済」にフーコーが多く言及していることに目が行くようになった。経済の問題であるとすれば、その権力構造の変化は進化の過程として自然なことであり、また抗えないことではなかったか。社会進化論的に解釈するところでは、より経済的な方に社会は進むと言える。農業社会への移行も決して人類を幸福にしなかったが、統計的に経済的合意性があり、人口増加につながることとなったため、広がったとされる。それと同じことなのではとも言えるのではないだろうか。また、経済性の問題とすることで価値判断からいったん離れることが可能になる。そして、資本主義社会のなかで規律・訓練の権力はより上手く使うことで個別の競争に利することが戦略的・技術的に可能となるのではないかとも思うようになった。この自身の同じ本における論点の変化は、そのときにおける問題意識において読み方が違ってくるということであり、感慨深いものであった。


    以下、四部からなるこの書物 ―― 第一部 身体刑、第二部 処罰、第三部 規律・権力、第四部 監獄 ―― を順に見ていく。主には本書からの印象的なパートの引用となった。翻訳はある意味で生硬で、到底理解しやすいとは言えないが、それでもなお引用を誘う魅力的なフーコーならではの文章が並んでいる。手を抜いたともいえるが、多くの場合そのまま引用しておくのが、レビューとして、もっとも適切なのではないかと思ったのである。

    ■ 第一部 身体刑

    身体刑は十八世紀から十九世紀において速やかに欧米社会から排除された。

    「両者をへだてる時間は一世紀にみたない。それは懲罰の経済策(エコノミー)のすべてがヨーロッパで、アメリカ合衆国で再配分された時代である。伝統的な裁判にとっては大いなる≪恥さらし≫の時代、無数の改革案の時代。法律と犯罪にかんする新理論、道徳もしくは政治の分野での処罰権の新たな正当化。旧王令の廃止、慣行の消滅。≪近代的な≫法典の立案もしくは起草、〔…〕多くの修正のうちの一つを私はとくに記憶にとどめておきたい、つまり、身体刑の消滅である。今日では、いささか人々はその事態を等閑に付す傾向があるけれども、当時それは、ひどく多くの物議をかもしだしたにちがいない。また、それを分析する余地を与えない≪人間性尊重≫の立場に則って、あまりにも安易に、ひどい鳴り物入りで、その消滅の措置をとったにちがいない」(p.12)

    「しかし、一つの事実がそこには存している。すなわち、身体刑を課せられる身体、切り刻まれる身体、手足を切断され、顔面や肩に象徴として烙印を押され、生きたままで、もしくは死体として晒し者になり、見世物にされる、そうした身体は数十年のうちに消滅したという事実が。刑罰による抑圧の主要な対象(まと)としての身体は消滅したのである」(p.13)

    この変化に沿って裁判の権力もまた形を変えることになる。身体刑を課すということが恥ずべきこととして認知されることになったのだ。かつては身体刑が王の権力に存していたからこそ身体刑に対する責任を負うこともなく、そうであるがゆえに恥ずべきことと感じることもなかったのだが、権力のありかたが変容したのである。

    「したがって、裁判は裁判の行使とむすびつく暴力的な部分についてはもはや公然と責任を負わなくなる。やはり裁判も処刑をおこなうし、また刑罰を課すのだが、そのことは裁判のもつ力の賛美ではもはやないのである、そのことは裁判がやむをえず黙認せざるをえない、だが尊重するわけにもいかぬ、裁判じたいの一つの要素なのである」(p.14)

    「裁判官の課す刑罰の根本が処罰に存するなどと考えないでくれたまえ、というわけであって、その根本の目標は矯正・感化・≪治療≫であり、改善回復技術こそが悪の厳密なつぐないを刑罰じたいのなかに押しとどめて、懲罰をくわえるという嫌な仕事から司法官を解き放ってくれる」(p.15)

    「この書物の目標は以下のとおりだ。近代精神と新しい裁判権との相関的な歴史。処罰権がその根拠を入手し、その正当性と諸規則を受取り、その影響を及ぼし、その途方もない奇怪さに仮面をかぶせている、こうした現今の科学的で司法的な複合体の系譜調べ」(p.27)

    (1)処罰を複合的な社会機能として把握すること
    (2)懲罰にたいして政治上の戦略という展望を取り入れること
    (3)権力の技術論を、刑罰制度の人間化の、ならびに人間認識の原理に位置付ける
    (4)刑事司法という舞台への〔近代〕精神のこうした登場が、しかもそれにともなって行われる、司法の実際面への≪科学的な≫一つの知全体の組込みが、権力関係による身体自身の掌握手段の変化のもたらす結果ではないかを探求すること
    (p.27-28)

    処罰手段が身体刑から監禁刑に変容するにあたっては、人間の客体化および人間諸科学の成立が関係していることがここで示唆される。

    「要するに、処罰手段の変貌を研究するにあたり、身体についての政治的技術論を出発点とするよう試みること、そうすれば、その技術論に、われわれは権力関係にも客体の諸関連にも共通な歴史が読みとれるかもしれないのである。したがって、権力の技術として刑罰の緩和を分析すれば、同時にわれわれは、いかにして、人間・精神・正常もしくは異常な個人が、刑罰による介入の客体として犯罪を裏打ちするにいたったかを理解できるかもしれない。しかもまた、服従〔=主体〕化の種別的な様式が、どのようにして、≪科学的≫地位をもつ言説のための知の客体としての人間を生み出すことができたのかを理解できるかもしれない」(p.28)

    この処罰制度が「経済性」に関わるという視点ははじめに読んだ当時は見落としていた論点であった。

    「現代社会では処罰制度は身体についての一種の≪経済学≫のなかに位置づけをしなおさなければならない」(p.29)

    「ところが同じく直接に身体は政治の領域のなかに投げこまれているのであって、権力関係は身体に無媒介な影響力を加えており、身体を攻囲し、それに烙印を押し、それを訓練し、責めさいなみ、それに労役を強制し、儀式を押し付け、それから表徴を要求するのである」(p.30)

    「権力」についての考え方をその昔この本で変えさせられた。君主権力から、民主的に選ばれた指導者に権力が移管されたわけではなく、行使される権力は、技術論的には、個々人の内面で形を変えて自らを束縛し監視する権力になりかわったのだ。

    「権力は所有されるよりむしろ行使されるのであり、支配階級が獲得もしくは保持する≪特権≫ではなく支配階級が占める戦略的立場の総体的な効果である」(p.31)

    精神は実在する、権力の作用によって生み出される、というテーゼはよく考えると空恐ろしい。それは監獄だけではなく、罰せられる人々、つまり学校や工場にも作用しているのである。

    「処罰権力のこの≪微視的物理学≫の歴史は一つの系譜調べ、いやむしろ近代≪精神≫のひとつの系譜調べのための一断片になるにちがいない。われわれは、ある観念形態の活性化された残りかすをこの近代精神のうちに見ることになるよりむしろ、そこに、身体にたいする権力の一種の技術論の現代的な相関を認めることになるだろう。精神は一つの幻影、あるいは観念形態の一つの結果である、などと言ってはなるまい。反対にこう言わねばならないだろう、精神は実在する、それは一つの実在性をもっていると。しかも精神は、身体のまわりで、その表面で、その内部で、権力の作用によって生み出されるのであり、その権力こそは、罰せられる人々に――より一般的には、監視され訓練され矯正される人々に、狂人・幼児・小学生・被植民者に、ある生産装置にしばりつけられて生存中ずっと監督される人々に行使されるのだと」(p.33)

    ■ 第二部 処罰

    十九世紀になり、「人間」が生まれ、そのために身体刑はもっとも忌避すべきものに急速にその位置づけを変えることになった。

    「どんなに兇悪な殺人者の場合にも、処罰を行うにあたって少なくとも一つの事柄だけは尊重されなければならない。すなわち、彼の≪人間性(humanite)≫である。いずれ十九世紀になれば、犯罪者のなかに発見されるこの≪人間≫こそが、刑罰による関与の標的、その関与が矯正し変化させると主張するところの対象、一連の奇妙な――≪行刑≫と≪犯罪論≫にかんする――学問と実務の領域となるだろう」(p.78)

    「刑罰制度を、すべての違法行為を排除するための、ではまったくなく、違法行為を差異に留意しつつ管理するための装置として把握しなければならない」(p.92)

    処罰はここにおいて、経済と技術の問題となった。

    「要するに、処罰する権力の新しい経済策および新しい技術論を組み立てること。おそらく以上が、十八世紀における刑罰改革の本質的な存在理由であるにちがいない」(p.92)

    次の宣言は、十八世紀から十九世紀に処罰の位置づけに関して起きた変化を表すのに適切である。

    「処罰権は、君主による報復から社会の擁護へ位置を移されたわけである」(p.93)

    「≪人間性≫とは、この〔刑罰の〕経済策に、またそれによる綿密な計算結果につけられた敬称である。「刑罰については、その最低限は人間性が規定し、政治が評定する」というわけである」(p.94)

    十八世紀から十九世紀の時期に「人間」が生まれ、刑罰の対象が身体から精神に移行したのである。身体は国王のものでなくなり、自らのものになったがゆえに自ら社会的に有用なものになりたがったのであろうか。

    「過去の制度では、受刑者の身体は国王のものになっていて、その身体に君主は烙印を押し、権力のさまざまな効果を及ぼしていた。今後その身体は、むしろ社会的なものとなろう、有用さをめざした集団的な占有の対象となっていくだろう」(p.114)

    確かにさまざまな種類の犯罪に対して、一律に懲役刑と課して拘束期間の変数によってのみその量刑を確定するというのは考えると自然なものではないように思われる。

    「今日のように拘禁が死刑と軽度の刑罰との、処罰の全中間領域をおおいつくすことできるという観念は、当時の改革者たちには即座に考えつきえない観念であった」(p.119)

    とにかく身体刑は全然別種の取り扱われ方をされる必要が出てきた。

    「かつて処刑台では受刑者の身体が、儀式ばった調子で明示される君主権力のさらしものにされていたし、処罰の舞台のうえでは懲罰の表象が社会の構成員全体に常時示されるおそれがあったが、そうした事態にかわって現れたのが、国家の管理装置の総体そのものに組みこまれる、閉鎖的で複合的で階層化された大いなる構造である。全然別種の物質性であり、権力の全然別種の物理学であり、人間の身体を攻囲する全然別種の方法である」(p.120)

    この移行を、フーコーは「奇術」と表現しているが、確かにこの移行があまりにも急速にかつスムーズに行われ、かつその以前の記憶が失われているのは不思議である。

    「十八世紀に人々が夢想していた、しかも裁判の対象となりうる一般人の精神に根本的に作用を及ぼすはずの例の処罰中心の舞台にとってかわって現れたのが、監獄という大いなる画一的な装置であり、その巨大な機構の網の目がフランス全土とヨーロッパにひろがろうとしているのである。だが奇術のようなこの作業に二十年もの時間経過を推定するのは、あまりにも多過ぎるにちがいない。その奇術はほとんど一瞬のうちに行われたといいうるのである」(p.120)

    「君主権においてまでも人々から摘発される違法性にこんなにも明白に結びついた監禁が、しかもこんなに短期間に、いかにして、法律上の懲罰の最も一般的な形式の一つとなりえたのだろうか」(p.123)

    処罰権力の目標が「矯正」に変わった、ということである。

    「処罰権力にかかわりあいをもつ事態とは、処罰権力の制度化であり、もっと正確にいうならば、処罰権力(それが十八世紀末に自らに与えた戦略上の目標、つまり民衆の違法行為の絶滅をふくめての)は、全般的な社会関係のかげに≪処罰の都市≫のなかに自らを隠すことによってか、あるいは強制権を中心とする制度のなかに、≪矯正施設≫という閉ざされた場所のなかに投入されることによってか、そのどちらかに依るほうが自らの位置がよりよく確保されるだろうか、という選択である」(p.132)

    「したがって問題はこう設定される。いかにして三番目が最終的には圧倒的なものになるにいたったか。強制権・身体・独房・秘密を中心とする、処罰権力の見本が、どのようにして表象・情景・表徴・公開・集団を中心とする見本にとって替わったか。どんな理由によって、身体中心の制度上の支えである監獄とが、懲罰の表徴とそれを流布させていた、口伝えの効果をねらう〔処罰〕の祭式という社会的な作用にとって替わったのか」(p.133)

    ■ 第三部 規律・訓練

    規律・訓練(=ディスプリーヌ)が主題になる。これにより、社会において経済的な従順な身体がさまざまに構成されることとなったのである。

    「人体は権力装置のなかに含みこまれ、その装置は人体を検査し分解し再構成するわけである。一つの≪権力の力学≫でもある≪政治解剖学≫が誕生しつつあるのであって、その≪解剖学≫は、単に他の人々にこちらの欲する事柄をさせるためばかりでなく、こちらの望みどおりに、技術にのっとって、しかもこちらが定める速度および効用性にもとづいて、他の人々を行動させるためには、いかにしてこちらは彼らの身体を掌握できるか、そうした方法を定義するのである。こうして規律・訓練(ディシプリーヌ)は、服従させられ訓練される身体を、≪従順な≫身体を造り出す」(p.143)

    監獄はその極端な一形態であり、放浪者や貧民の閉じ込め、私立学校、兵営、工場が規律・訓練の場所となるのである。disciplineに対して、規律・訓練という訳語が選択されているが、馴致という表現・意味も含まれるのではないと考えている。

    「規律・訓練をめざす空間は、よしんばその空間によって配分される仕切り部屋がまったく理念的なものになっていくにせよ、あいかわらず本質的には修道院独房の性質をおびるのである」(p.148)

    「規律・訓練〔の施設〕では、基本的要素は相互に置き換えが可能である、なぜならば、それぞれの要素は、ある系列のなかでそれが占める位置によって、またそれが他の要素特別される隔たりによって規定されるからである。したがって規律・訓練〔の施設〕では、基本単位は所属分野〔支配の単位〕でも場所〔所在の単位〕でもなくて序列である」(p.150)

    表(=タブロー)や知という表現は本書に先立つ『言葉と物』の議論につながるものである。

    「規律・訓練の主要な操作の第一は、したがって、雑然とした、無益な、もしくは危険な多数の人間を、秩序づけられた多様性へ変える≪生ける絵図(タブロー)≫を構成することである。≪表(タブロー)≫の構成は、十八世紀の学問的、政治的、経済的な技術論の大問題の一つであった」(p.153)

    「十八世紀には表(タブロー)は、権力(プーヴォワール)の技術の一つであると同時に、知(サヴォワール)の手段の一つである」(p.153)

    もちろんこの知見は『狂気の歴史』や『臨床医学の誕生』とも連関している。

    「身体は新しい権力機構の標的となると同時に知の新しい形式の対象になる」(p.159)

    「権力は時間にたいして直接明確な姿をあらわし、時間の管理を確実におこない、時間の活用に責任をもつ」(p.163)

    時間による管理が、規律・訓練の場ではつねに用いられた。監獄の日課でも事細かに指定されたし、それは軍隊でも学校でも工場でも同じであった。

    「社会の進歩発達(プログレ)と個人の段階的形成(ジュネーズ)という、十八世紀のこの二大≪発見≫こそは多分、権力の新たな諸技術と相関的であろうし、より正確に言えば、時間の管理と活用における、線分単位の分割や系列化や総合ならびに総体化などの新たな方法と相関的であるにちがいない」(p.164)

    規律・訓練こそが権力の技術であることがはっきりと明言される。規律・訓練が近代的自己を創造したのである。

    「規律・訓練こそが個々人を≪造り出す≫のであり、それは個々人を権力行使の客体並びに道具として手に入れる、そうした権力の特定の技術である。それは自らの極端さをもとにして自らの超権力(スユルピュイサンス)を当てにできる勝ち誇った権力ではない。計画的な、だが限りない経済策をもとに機能する、つつましやかで疑い深い権力である」(p.175)

    「規律・訓練的な権力の成功はおそらくは、次の単純な道具を用いた点に存しているに相違ない。つまり階層秩序的な視線、規格化をおこなう制裁、しかも自らに特定な方式での両者の組合わせたる試験」(p.175)

    そして、これらの可視化が重要なのである。これはこの後の一望監視装置にもつながる。

    「規律・訓練の行使は、視線の作用によって強制を加える仕組を前提としている。見ることを可能にする技術によって、それらが適用される当の人々がはっきり可視的になる装置を前提とするのである」(p.175)

    規律・訓練の場として、学校や病院が事例に挙げられる。それはピラミッド型組織に見えて、実情は自らを監視して取り締まるような権力の場なのである。

    「しかもその権力はピラミッド型の組織によって、≪頭(かしら)≫を配置されるのは事実だが、実はその装置全体が、≪権力≫を生み出して、この永続的で連続した領域のなかに個々人を分配している。その結果として、規律・訓練的な権力は一面では完全に公然(アンディスクレ)たるものでありうる。その理由はこの権力はいたる所にあり、しかもつねに見張っているからであり、原則上はいかなる影の地帯をも放置しておかないからであり、取締る役目の者をもたえず取締るからである。他方、同時に完全に≪秘密を守って(ディスクレ)≫いる、なぜならばその権力は、いつも、また大幅にひそかに機能するからである」(p.181)

    規格(ノルム)を旨とする権力が、近代の権力構造の肝になっているのである。

    「さまざまな規律・訓練をとおして出現してくるのが<規格(ノルム)>を旨とする権力である。それは近代社会の新たな掟であろうか。いやむしろ、こう言うべきである、十八世紀以来をの権力は、<法>の権力や<言葉(パロール)>と<条文(テクスト)>の権力や<伝統>の権力などの、他の権力のもとにやってきて付け加わり、それらに新しい限界設定を強制したと。<規格的なもの(ノルマール)>は、標準化(スタンダール)された教育の創設と師範(ノルマール)学校の設立にともなって教育の場に強制権(コエルシション)の原則として確立されるのである」(p.187)

    試験が権力の強化に役立ったことは間違いない。多くの人がよく実感できるところであろう。

    「監視をおこなう階層秩序の諸技術と規格化をおこなう制裁の諸技術とを結び合わせるのが、試験である。それは規格化の視線であり、資格付与と分類と処罰とを可能にする監視である。ある可視性をとおして個々人が差異をつけられ、また制裁を加えられるのだが、試験はそうした可視性を個々人にたいして設定するのである。それゆえ、規律・訓練のすべての装置のなかでは試験が高度に儀式化されるわけである」(p.188)

    「知の或る型の形成を権力の或る行使形式に結びつける、一つの機構全体が試験のなかには含まれる」(p.190)

    「試験は、権力の行使にあたって可視性という経済策を転倒する。〔…〕ところが、規律・訓練的な権力のほうは、自分を不可視にすることで、自らを行使するのであって、しかも反対に、自分が服従させる当の相手の者には、可視性の義務の原則を強制する...規律・権力における個人を服従強制(臣民化、主体化でもある)の状態に保つのは、実は、たえず見られているという事態である」(p.190)

    「今や、際限のない試験ならびに強制的な客体化の時代に入っているわけである」(p.191)

    「試験はまた個人性を記録文書の分野の対象にする」(p.192)

    すっかり以前読んだ印象はなかったが、ペスト対策が監視による規律・訓練の様式をうまく表現しているのである。次に挙げるように、ペストの事例をもってきているのはある意味で慧眼である。ここに、新型コロナやそこから派生する監視社会の分析にもつながる可能性をみるべきなのである。

    「なるほど癩病は排除の祭式をもたらし、その祭式は<大いなる閉じ込め>のモデルおよび言わばその一般形式を或る程度まで提供したのは事実だが、ペストのほうは規律・訓練の図式をもたらした。ペストが招きよせた事態とは、人々を一方と他方に区分する二元論的で集団的な分割であるよりむしろ、多種多様な分離であり、個人化をおこなう配分であり、監視および取締りの深くゆきとどいた組織化であり、権力の強化と細分化である」(p.200)

    「癩病は烙印を押され、ペストは分析されるのだ。癩患者の追放およびペストの留め置きは、同一の政治的夢想がこめられているわけではない。前者は清浄純粋な共同体への夢想であり、後者は規律・訓練が加わる社会への夢想である」(p.201)

    そして、いよいよ一望監視装置(=パノプティコン)が言及される。規律・訓練の権力における象徴的な道具である。

    「その点から生じるのが<一望監視装置(パノプティコン)>の主要な効果である。つまり、権力の自動的な作用を確保する可視性への永続的な自覚状態を、閉じ込められる者にうえつけること」(p.203)

    パノプティコンは、ある意味で純粋に技術論の話であるが、権力の経済や自らを自らの監視の対象にするという監視社会の成立において単なる技術論以上の意味をもつのである。ここで、明白に権力の没個人化が目指されることが明確になった。

    「要するに、閉じ込められる者が自らがその維持者たる或る権力的状況のなかに組み込まれるように、そういう措置をとろう、というのである。そうであるためには、囚人が監視者にたえず見張られるだけで充分すぎるか、それだけではまったく不充分か、なのだ。まったく不充分というのは、囚人が自分は監視されていると知っているのが肝心だからであり、他方、充分すぎると言ったのは、囚人が現実には監視される必要がないからである。そのためにベンサムが立てた原理は、その権力は可視的でしかも確証されえないものでなければならない、というのであった」(p.203)

    「これは重要な装置だ、なぜならそれは権力を自動的なものにし、権力を没個人化するからである。その権力の本源は、或る人格のなかには存せず、身体・表面・光・視線などの慎重な配置のなかに、そして個々人が掌握される関係をその内的機構が生み出すそうした仕掛けのなかに存している」(p.204)

    そこでは、個々人が自らの服従強制の本源になる、というのが、ここでの恐ろしく重要な指摘だ。

    「権力の効果と強制力はいわばもう一方の側へ――権力の適用面の側へと移ってしまう。つまり可能性の領域を押しつけられ、その事態を承知する者は、みずから権力による強制に責任をもち、自発的にその強制を自分自身へ働かせる。しかもそこでは自分が同時に二役を演じる権力的関係を自分に組込んで、自分がみずからの服従強制の本源になる」(p.204)

    「要するに権力の行使が権力が攻囲する諸機能に対して、〔別種の権力による〕きびしい強制や重荷の場合のように外部から付加されるようにするのではなく、権力がそれら諸機能のなかにごく巧妙に現れるので、権力が自身の拘束力を増すことで諸機能の効果を増大する、そうした措置をとるわけである」(p.208)

    一望監視(=パノプティコン)の論理は容易に一般化できる。そして、その事実が重要なのである。

    「一望監視の図式は、消えさりもせず自分のどんな性質をも失わずに、社会全体のなかへ広がる性質をおびていて、そこでは一つの一般化される機能になる傾向をもつ」(p.209)

    「ところが反対に、<一望監視施設>は〔さまざまな力の〕増幅の役目を持っている。その施設が権力を計画配備し、それを一段と経済的なもの、一段と有効なものにしたいと望む場合でも、それは権力じたいのためでも、ある威された社会の無媒介的な救いのためでもない。重要な点は、社会の諸力を一段と強くすること――生産を増大し、経済を発展し、教育をひろげ、公衆道徳の水準を高める、つまり増加と多種多様とを持ち込むことである」(p.209)

    「一方の企図から他方の企図への、前者の例外中心の規律・訓練の図式から後者の監視の一般化の図式への動きは、歴史上の変化を基礎にするのである。つまり十七世紀と十八世紀における規律・訓練装置の漸進的な拡張であり、全社会体に及ぶその装置の多様化であり、概括して名づけうるとすれば規律・訓練的な社会の形成である」(p.210)

    フーコーはこれが技術論であることを強調する。規律権力は技術論ではあるが、容易に広がるがゆえに技術論を越えて社会的意義をもつをもつのではないか。

    「≪規律・訓練≫は、或る施設とも或る装置とも同一視されえない。それは或る型の権力であり、その権力を行使するために道具・技術・方式・適用水準・標的をともなう或る様式である。規律・訓練は、権力の≪物理学≫ないしは≪解剖学≫であり、一つの技術論なのだ」(p.216)

    一望監視装置が一般化できるということは、すでに(ベンサムその人ではなく)ユーリウスという人が指摘しているという。

    「ベンサムの数年後に、ユーリウスはこの〔規律・訓練的な〕社会の、いわば出生証明書をしたためた。一望監視の原理について述べつつ、彼はそこには建築学上の巧妙さ以上のものが、つまり「人間精神の歴史」における一大事件が存在すると言ったのである。〔…〕古代は見世物(スペクタル)の文明であった。「多数の人間をして少数の対象を観察可能にさせる」というこの課題に応じるのが、寺院・劇場・円形競技場の建築であった。〔…〕ところが近代が提起するのは、あべこべの問題、つまり「少数者に、さらには唯一の者に、大多数の者の姿を即座に見させる」である」(p.216)

    「ベンサムが一つの技術的計画として記述しておいた事柄をユーリウスのほうは一つの歴史的過程の完成として読み取っていたわけである。現代社会は見世物の社会ではなく監視の社会である」(p.217)

    「われわれの居場所は、円形劇場の階段座席でも舞台の上でもなく、一望監視の仕掛のなかであり、しかもわれわれがその歯車の一つであるがゆえに、われわれ自身が導くその仕掛の権力効果によって、われわれは攻囲されたままである」(p.217)

    ここで、多様性の秩序化、というものにフーコーは肯定的な価値を与えうるのであろうか。

    「ひとまとめにして言いうるとすれば、規律・訓練は人間の多様性の秩序化を確保するための技術である」(p.218)

    次の「経費のかかからぬように」というのは権力の進化の動力を説明するものであり、いかにして権力がこのような形におし上げてきたのかを示しているように思える。つまり、権力の歴史においても、あの冷徹な進化の論理が働いているとも言えるのである。

    「しかし規律・訓練に固有なものとは、規律・訓練が次の三つの規準に応ずる権力上の戦術を、人間の多様性にたいして明確にうち出す傾向がある点である。つまり権力の行使をできるだけ経費のかからぬようにすること〔…〕つぎに、この社会的権力の効果が最大限の強烈さをともなって達し、失敗もなく隙間もつくらずに可能なかぎり遠くまで広がるように、措置すること、第三には、権力の≪経済政策による≫増大と、権力がそこで行使される装置(教育の、軍隊の、産業の、医療の、どんな装置であれ)の成果とを結びつけること、要約すれば、この権力体系のすべての構成要素の従順さ、ならびに効用を増加させることである」(p.218)

    「かつて権力の経済を支配していた≪先取=暴力(ヴィオランス)≫という古い原則にかわって、規律・訓練は≪穏かさ(ドウスール)=生産=利益≫の原則を採り入れる」(p.219)

    そして、規律・訓練の定義がこんな形でひそやかに行われる。

    「一言でいえば、規律・訓練とは、さまざまな多様性の有用な偉大さを増大可能にする、また反面、その多様性をまさしく有用にするため、それを支配しなければならない権力にともなう障害を減少可能にする、そうした技術上の小さい発展の総体である」(p.220)

    合わせて、資本主義の発展と規律・訓練との関係性についても明に語られるのである。

    「実際、この二つの過程、人々の蓄積および資本の蓄積は分離しえないのであって、人々を保有すると同時に活用する性能のある生産装置の増加がもしも起こらなければ、人々の蓄積の問題の解決は不可能だったろうし、逆に、人々の累積的な多様性を役立たせる諸技術こそが、資本の蓄積の動きを速めるのである」(p.221)

    「あえて言うならば、規律・権力は、身体の力が最低の費用で、≪政治の≫力としては縮小され、役立つ力としては最大にされる場合の、統一的な技術方式である」(p.221)

    なるほど、規律・訓練はまた反=法律でもある。そうありながら規格でもあるのだ。

    「だがむしろ、規律・訓練は一種の反=法律だと考える必要があるのである。その明確な役割は、のり越えがたい不均斉の導入、相互関係の排除である。その第一の理由は、規律・訓練は個々人のあいだに≪私的な≫絆をつくりあげ、その絆たるや、契約の義務とは全く異なる一つの拘束関係だからである。〔…〕次の理由としては、法律体系が普遍的規範(ノルム)にもとづいて法的主体を規定するのに対して、規律・訓練は〔人々の〕特色をしめし、分類をおこない、特定化する。ある尺度にそって配分し、ある規格(ノルム)のまわりに分割し、個々人を相互にくらべて階層秩序化し、極端になると、その資格をうばいとり、相手を無効にする」(p.222)

    また、規律・訓練が道徳的性格を帯びることにも言及する。それは一種の「資本主義の精神」(マックス・ウェーバー)の性格を帯びつつあると言えるのはないだろうか。

    「さらにそこから生じるのが、規律・訓練は物理的=政治的な諸技術の一つの束であるにもかかわらず、それをあらゆる道徳の、控え目だが具体的な形式として考えてもらおうと固執する、そうした実態である」(p.223)

    監獄は工場・学校・兵営・病院に似ている。逆もそうである。それは同じ技術論に依拠しているということでもあるし、規律・訓練=矯正施設でもある。そして、なぜなら処罰ではなく矯正こそが権力が身体をその目標として求めるものであるからである。

    「他方、人間を≪観察状態≫におくことは、規律・訓練の方法と検査の手続きがひろく及ぶ裁判を当然にも長引かせるのである。独房中心の監獄、拍子をつけるように明確に区分されたそこの時間経過、そこでの強制労働、監視と評点記入のそこでの審級段階、裁判官の機能を代理として果たし多様化する、そこの規格化状態の専門家たち、そうした監獄が刑罰制度の近代的な手段となったとしても、何にも不思議ではない。監獄が工場や学校や兵営や病院に似かよい、こうしたすべてが監獄に似かよっても何にも不思議ではないのである」(p.227)

    ■ 第四部 監獄

    監獄は新しくなかった。法制度以前よりも存在していたが、十八世紀から十九世紀に起きたことは、それを組み入れただけなのである。

    「処罰の仰々しい装置の本質的部分たる監獄は、刑事司法の歴史のなかでの一つの重大な契機、つまり≪人類≫へのその接近をたしかに明示する。のみならず、新しい階級権力(ブルジョアジーの)が発展させつつあった例の規律・訓練的な機構の歴史のなかでの一つの重大な契機、つまりそれら機構が司法制度をいわば植民地的に支配する契機をも明示するのである」(p.231)

    「監獄の誕生」がここに宣せられる。

    「≪平等≫を自称する裁判、自らを≪自立的≫たらしめたいと望みつつも、規律・訓練による服従強制のさまざまな不均斉によって攻囲される司法装置、それが「文明化社会の刑罰」たる監獄の誕生における状況全体である」

    本書の最初の方で問いとして立てられた監禁刑がなぜ多種多様な犯罪の刑罰として採用可能であるかの理由が次のように説明される。そこには「自由」の価値高騰、もしくはそれ以上のものが影響している。自由こそが普遍的価値であり、それがゆえに自由の制限の時間が無媒介に刑罰を測る単位として採用可能なのである。と言われてもよく考えれば不思議ではあるのだけれど。

    「われわれが手放すわけにはいかない監獄のこうした≪自明の理≫は、第一に≪自由の剥奪≫という単純な形式に基礎をおく。自由こそが同じやり方で万人に属する善(幸福、財産でもある)、しかも各人が「普遍的で恒常的な」感情で結びつけられる善である、そうした社会で、どうして監獄がこの上ない刑罰とならないだろうか。それゆえ自由の喪失は、万人に同じ価値をもつわけで、罰金よりもすぐれる「平等主義的な」懲罰である。監獄のいわば法律面の明晰さ。しかも監獄を以ってすれば、時間〔=刑罰〕という変数にもとづく刑罰の正確な数量化が可能になる。監獄には、その経済上の≪自明の理≫を産業社会で組立てる或る形式=報酬が存在するわけである」(p.232)

    しかしながら重要なのは、自由の剥奪だけではなく、監獄は矯正の役割も当初からもっていたという指摘である。

    「つまり監獄は、まずは自由の剥奪、のちにそれに付け加えるに技術的な矯正機能といった性質のものではなかったのであり、すでに出発地点から監獄は、矯正という補足的役割を委託された≪法律上の拘禁(デタンション)≫であった。もしくは自由の剥奪が法律制度のなかで機能させうる、個々人の変容の企てであった。要約すれば、すでに十九世紀初頭から刑法上の投獄(アンプリズヌマン)は自由の剥奪と同時に技術による個々人の変容をも担当していたのである」(p.233)

    「監獄は、他の規律・訓練の機関のなかに見出しうるすべての方式に最も激しい強烈さをおびさせる」(p.235)

    そのために囚人は可視化され、監視され、評価される。

    「囚人は永続的に見張られうる者でなければならず、かつまた、囚人にかんして採取できるすべての評点は帳簿に記載されなければならないのである。<一望監視施設(パノプティコン)>という主題――監視と同時に観察、安全と同時に知、個人化と同時に全体化、孤立化と同時に透明化――は監獄にその実現の特権的な場を見出したわけである」(p.246)

    司法・裁判と監獄・行刑の関係は別でありながら相互に関連し、依存して組織化される。
    重要なことは、監獄は、十八世紀よりもはるか以前から存在した。「非行性」というカテゴリーをつくり上げることで監獄を、裁判制度を客観性の領域に構築することが可能になったという。この辺りは若干難しい。

    「刑罰制度への監獄〔組織〕の移植が激しい拒絶反応を引き起こさなかったのは、おそらく多くの理由によるにちがいない。その理由の一つは、非行性というものをつくりあげつつ監獄が犯罪司法に或る客体の場を、若干の≪科学≫(心理学や精神医学など)によって確証される統一的なそうした場を提供したからであり、こうして監獄のおかげで犯罪司法は≪真実≫の一般的地平のうえで機能をはたすことが可能になったからである。
    監獄、すなわち司法装置のなかの最も暗い領域は、素顔のままではもはや自らを行使する気力をもたぬ処罰権力が一つの客観性の領域をひそかに組立てて、そこでは懲罰が治療として白日のもとに機能をはたすことができ、判決が知の言説のなかに組入れられうる、このような場なのである。司法は監獄が自らの思考の所産では全くなかったにもかかわらず、きわめて容易に監獄をいわば自分の子供のように迎いいれた点は納得がいくのである。監獄にとってはこの認知はたしかに司法のおかげであったのだ」(p.253)

    「仕組としての監獄(プリズン)がこんなにも長い間、こんなにも不動の状態で存続してきたのは、しかも刑罰としての拘禁の原理がけっして真剣に問題視されてこなかったのは、おそらくこの監禁制度が深い箇所に根づいていて、明確な機能をはたしていたからにちがいない」(p.270)

    監獄は矯正という観点や再犯の防止という観点では失敗していた。収監された囚人はそこで犯罪者のネットワークに加わるのである。

    「だが多分、この問題を裏返しにして、いったい監獄の失敗はどんな役に立っているのかと問う必要があるにちがいない。監獄批判の立場から終始告発される各種の現象、たとえば非行の温存、再犯の誘発、一時的法律違反者の常習的非行者への転化、非行をはぐくむ閉鎖的な環境の設定などは、どんな役に立っているのか、と」(p.270)

    ここで監獄の役割が違法行為の抑圧にあるのではなく、違法行為の差異化にあるのだとした。違法行為、非行者の可視化である。

    「だとすれば次のように想定する必要があろう、監獄は、しかも一般的には多分、懲罰というものは法律違反(アンフラクション)を除去する目的ではなく、むしろそれらを区別し配分し活用する役目を与えられていると。しかも法律に違反するおそれのある者を従順にすることをそれほど目標にするわけではなく、服従強制の一般的な戦術のなかに法律への違反を計画的に配置しようと企てているのだと、〔…〕要約すれば刑罰制度はただ単純に違法行為を≪抑圧する≫わけではなく、それらを≪差異化し≫、それでもって一般的な≪経済策≫を確保しようとするといえるだろう」(p.270)

    まったく長くなったが、引用しておく。非行者を生み出すことに監獄は成功したのである。

    「以上のような事態ではあるが、監獄は一見≪失敗しつつ≫も自分の目標を逸らしていない。それどころか、違法行為(イレガリズム)の諸形式のなかに或る特別な形式を出現させて、それを別扱いにし、それに充分な光をあて、相対的には閉ざされながらも侵入可能な一つの場としてそれを組立てることを可能にする、その限りにおいて、監獄は自分の目標に到達するのである。目立った、注目される、或る水準に還元不可能な、しかも秘密裡に有益な――頑固で同時に従順な一つの違法行為を規定することに監獄は寄与するのである。しかも象徴的に他の違法行為のすべての形式を要約するように見える或る形式、だが人々が黙許したいと望むか黙許しなければならないそれらの形式を暗闇のなかに放置することを可能にさせる或る形式を、監獄は描き出し、別途に扱い、強調する。その形式こそが、いわゆる非行(デランカンス)なのである。それを違法行為のなかで最も強烈で、だが最も無経験な形式、つまりそれが現わす危険さのゆえに刑罰装置が監獄でもって縮小していく必要がある形式であると考えてはならない。むしろその形式は、違法行為を区別し配分し規制することを可能にする刑罰制度(しかも拘禁中心の刑罰制度)の一つの結果である。〔…〕要約すれば、適法行為と違法な実践とのあいだには法律上の対立があるが、違法行為と非行性とのあいだには戦略上の対立が存するのである。
    監獄は犯罪の減少に失敗しているという確認のかわりに、多分つぎの仮説をもちこむべきだろう。違法行為のなかの種別的な型、政治的もしくは経済的に危険がいっそう少ない――極端な場合には活用可能な――形式たる非行性(デランタンス)を生みだすことに監獄は成功した、つまり表面的には周辺部に置かれているが中心部で規制される媒体たる非行者(デランカンス)を生みだし、病理学的に扱われる主体として非行者を生みだすことに成功した、という仮説を。監獄の成功、それは法および各種の違法行為をめぐる戦いのなかで≪非行性≫を種別的に扱うことに存する。いかに監禁制度が法律違反者のかわりに≪非行者≫を生みだしたか、しかも或る成立可能な認識の地平を法律の実務面で捕捉したのか、の点についてはすでに見てきたとおりである。ところで、非行性=客体を組立てるこの過程は、さまざまな違法行為を分解して、そこから非行性を切離す政治的操作と合体している。この二つの機構のつなぎ目が監獄にほかならない。監獄のおかげで双方の機構は、永続的に相互に補強しあい、犯罪の背後に非行性を客体化し、さまざまな違法行為の動きのなかで非行性を強固不変なものにできる。監獄の成功は大きいので、一世紀半にわたるその≪失敗≫ののちも、あいかわらず監獄は存在し、同じ成果をあげていて、人々は監獄の廃止にはひどいためらいを覚えるのである」(p.274)

    「かつて身体刑の華々しい施行に人々が求めていた見せしめの効果は、今や処罰の苛酷さのなかによりも、非行性じたいの可視的で目につく実在のなかに探し求められているかのような趣がいくらかある。つまり非行性は、他の民衆的なさまざまな違法行為との差異を強調しつつ、それらを支配するのである」(p.276)

    フーコーは、1840年のメトレー施設をもって監獄形式の完成を伝える日時とした。それは「監禁的なるもの」と名指される。

    「監獄が刑事司法のなかで処罰方式を行刑技術へ変容させてきた点は、すでに見てきたが、監禁群島のほうは刑罰制度のこうした技術を社会体のすべてに伝えている」(p.299)

    「十九世紀になると、規律・訓練を旨とする差異化ならびに区分の働きをとおして種々の厳格な通路が〔社会体のなかに〕設けられたわけであり、それが〔監禁網の〕同一の機構によって制度の中心部に従順さをつくりあげもし非行性を生みだしもする。規律・訓練を旨とする連続的で拘束的な一種の≪人間養成≫が存在したわけで、それはいくらかは教育活動に、いくらかは職業上の手続に属する」(p.300)

    「監禁があまねく存在する骨組になっているこの一望監視的(パノプティック)な社会にあっては、非行〔=前科〕者は無法者(アウトロー)ではなく、すでにことの発端からしても、法の内部に、法の中心そのものに、あるいは少なくとも、規律・訓練から法律へ、逸脱から法律違反(アンフラクション)へ人々を無自覚に導く例の機構のまんなかに位置している。監獄が非行性を罰するのは事実ではあるが、本質的には非行性は、今度は監獄によって究極的にくりかえされる監禁のなかで、監禁によって作り出される。監獄とは一歩一歩たどられたこの階層秩序の自然な帰結にほかならないし、それらの最高段階にすぎない。非行〔=前科〕者は制度上のひとつの所産である」(p.301)

    監禁群島、とフーコーは言う。

    「一言でいうと、いわば監禁群島が社会体の深部に確保するのは、区別の微妙な違法行為をもとにした非行性の形成、非行性による違法行為の重ね合わせ、種別化される犯罪行為の位置づけである」(p.301)

    「監獄は他の場所で始められた仕事を、しかも社会全体が多数の規律・訓練上の機構をとおして成員のそれぞれに続ける仕事を、投獄される人々に継続して行うのである」(p.302)

    監禁連続体という言葉で指し示すのは、具体的には、学校であり、病院であり、工場であり、兵営である。

    「つまり、人々が処罰権力を受諾するようにするために、いやごく単純には、処罰されるにあたりそうされるのを大目に見るようにするために、何がなされたのかと。〔…〕大いなる監禁連続体は現に、規律・訓練の権力を法律の権力と通いあわせ、最小限の強制から大規模な刑法上の拘禁にまで中断なしに広がっているが、この監禁連続体こそが処罰権のこうした無限な譲渡の、技術的で現実的な、無媒介に物質的な裏付けに多分なったのであろう」(p.303)

    ここでは権力の経済策、が重要な決め手である。

    「彼らが≪治療本位の≫裁定をくだしたり≪社会復帰をめざす≫投獄を決定したりするのは彼らが行使する権力の経済策によるのであって、彼らの周到さやヒューマニズムに発する経済策にもとづくものではない」(p.304)

    そこかしこに裁定者がいるのである。また、そこでは「試験」がある種の役割を果たす。

    「各所に存在する規律・訓練の装置に支えられ、監禁のあらゆる仕掛に拠っているこの規格化の権力は、現代社会の主要な諸機構の一つになっている。規格への合致(ノルマリテ)の裁定者〔=裁判官〕が現代社会ではいたる所に存在するのだ。われわれが住む社会は教授=裁定者の、医師=裁定者の、教育家=裁定者の、≪社会事業家≫=裁定者の社会であって、みんなの者が規格的なるもの(ノルマルティフ)という普遍性を君臨させ、しかも各人は自分の持ち場に応じて身体・身振り・行動・行為・適性・成績をこの規格的なるものに従属させる。形態が緊密であれ散漫であれ監禁網は、〔社会への〕組込み・配分・監視・監察を旨とするその組織の点で、規格化推進の権力の、近代社会における大いなる支えとなってきたのである」(p.304)

    そして、次のように人間諸科学と規格化の権力の様式との関係が解説される。

    「われわれは≪糾問中心の≫司法の時代ののち≪試験中心の≫司法の時代に入ったが、さらにもっと一般的には、試験の方法はかくも広範に社会全体をおおいつくし部分的には人間諸科学を生みだすことができたのだが、その大いなる道具の一つは各種の監禁機構の緊密な交錯ならびに多様性であった。監獄から人間諸科学が生じたという必要はない。しかしながら人間諸科学が形成されて、人々が認識する大変動の諸結果のすべてを認識の学(エピステーメ)のなかに生じさせることができた理由は、それら諸科学をもたらしたのが権力上の種別的で新しい様式だからである。つまり身体の或る種の政治学、人間の蓄積を従順で有用なものにする或る種の方法だからである。この蓄積は権力上の諸関連のなかへの知の明確な諸関係の係り合いを要請していたし、服従強制と客体化を交錯させるための或る技術をよび求めていたし、個人化の新しい諸方式を必要としていたのである。人間諸科学を歴史的にみて存在可能としていたこの権力=知の骨組の一つを、監禁網が構成する。認識されうる人間(精神であれ個性であれ意識であれ行為であれ、この場合それらの区別は重要ではない)とは、こうした分析中心の攻囲の、またこうした支配=観察の、成果=客体なのである」(p.304)

    次が本書の最後の文になる。「戦いのとどろきを聞く」とはいったいどういうことなのだろうか。

    「この〔監禁都市の〕中心部の、しかも中心部に集められた人々こそは複合的な権力諸関係の結果および道具であり、多様な≪監禁≫装置によって強制服従せしめられた身体ならびに力であり、こうした戦略のそれじたい構成要素たる言語表現にとっての客体なのであって、こうした人々のなかに戦いのとどろきを聞かなければならない(12)」(p.307)

    が、最後の文には注が付され、次のようにこの本は「中断」する、と書かれる。

    原注(12) 「ここでこの書物を中断する。近代〔=現代〕社会における規格化の権力ならびに知の形成にかんする各種の研究にとって、この書物は歴史的背景として役立つはずである。」(p.308)

    この後に書かれる『性の歴史』は、この中断の再開と位置付けられるのだろうか。この文章が書かれてから半世紀が経つ今、中断された仕事を引き継ぐものが数多くいるべきなのである。

  • 大学新入生に薦める101冊の本 新版 (岩波書店/2009) で気になった本。

    1757年のパリで一人の男が処刑された。本書はその様子を克明に描くことから始まる。残酷極まるこの身体刑は群衆の前で、公開で行われた。公開処刑のスペクタクル性は、ただ大勢をいうしかない、匿名の人々を集める力を持っていた。見せしめの効果によって、群衆は法と、法の背後に控える君主の権力を思い知る。秩序の維持は死を人に与えることによってはかられたのだ。
     この「死の権力」に代わる、新しい統治モデルとしてフーコーが提出したのが、パノプティコンだ。ベンサム(1748-1831)Michel Foucault(1926-84)は初期の『狂気の歴史』で狂気と非理性の排除・監禁を語った。『監獄の誕生』では、この排除・監禁という発想がどのようにして規律・訓練的な権力の行使に置き換わったのかを分析している。本書には「排除空間へ、規律・訓練的な基盤づくりに特有な権力技術が適用されたのが19世紀の特色である」という言葉も見える。本書によって提示された「微視的権力」のアイデアが、のちに出された「性の歴史」の第一巻『知への意志」でより精緻に展開されて、「生権力」すなわち人を生かす権力の作用を解明するのに役立てられている。

  • 罪と罰。その罰は本当にその罪にふさわしいのか・・・?

    *冒頭から蛇足ですみません。ちょっと説明というか、言い訳です。『悪魔のささやき「オレオレ、オレ」』を読んでいて、ふと思ったのです。
    オレオレ詐欺第1号グループと言われる犯罪集団にいた著者。この著者にとっては刑務所暮らしが大変堪えたことから、懲役刑は処罰として働き、また家族もよくサポートしてくれる様子なので、再犯も防止される方向に働いていると思われます。が。
    拘束ってそもそも、なぜ、罪に対する罰になっているのでしょう? これって本当に妥当なのかな? 例えば「盗みをしたから閉じ込めとけ」(「悪い子は押し入れ(or土蔵)に入れるぞ!」・・・?)とかって、発想として自然なのかな? その罪に対して、その罰は過不足なく適当なものなんだろうか・・・? なんてことをつらつら考えていたら、とある記事でこの本に目が留まり、「ふむ、この本か・・・?」と思ったのです。
    もう少し軽めの本にすべきだったのかもしれませんが、アマゾンでミシェル・フーコーの本の中では「わかりやすい」との評だったのでちょっと挑戦。

    という前提で、閑話休題。

    『監獄の誕生』、副題「監視と処罰」。
    本書の主眼は主に、フランスの18世紀以降の、比較的狭い地域および比較的短いタイムスパンに置かれている。この範囲での、「監獄」というものの成り立ちに関して、膨大な文献を読み解き、深く重厚な考察を行ったものである。

    18世紀半ばは「みせしめ」とも言える、過酷な刑罰が主流だった。見世物の性格もあるような、四つ裂き等の公開処罰である。冒頭はその詳細な記述であり、その苛烈さに眉をひそめずにいられない。

    わずか3/4世紀後、こうした「みせしめ」刑は陰を潜め、監獄への監禁刑に変わってきている。この間に、残虐な犯罪が少なくなり、罪と刑の乖離が問題になってきたのが一因という。

    監獄における監視は、集団の統率という意味では、学校の寄宿舎や軍隊などとも通じるところがある。
    功利主義者ベンサム(マイケル・サンデルの著述でも出てきた)が考案したという、一望監視施設(少ない監視者が多くの非拘束者を監視できる設計の施設)は、注目を集め、大きな関心の的となり、議論の対象になったという。
    こうした施設はつまり、権力者による非支配者の統率を意味することになる。

    処罰という点では、監獄に入った場合、(特にかつては)一度監獄に入った者が一般的な社会生活に戻ることが困難であった。ここから、非行性(犯罪行為)を特殊なものとすること=みせしめとの共通点を見ることが可能である。平たくいえば「あいつは犯罪者」というレッテルを貼る意味があると言えようか。

    ただ、禁固・拘束に関しては、最適ではないという意見も古くからあり、犯罪者を拘束するコストは社会全体が負わなかればならないという問題もきちんと解決はされていないようである。

    社会が個人を裁くということ。そしてある罪にある罰を与えると決めること。
    もう少し、気長に考えていこうと思う。


    *頑張って読んではみたが、すみません、我ながらちょっと背伸びをしすぎました。どなたかもう少しふさわしい方の書評が読みたい・・・。

    *シニフィアン・シニフィエとか、「音」でだけは覚えていて、ふんふん、学生時代にちびっと囓った(多分、フーコーじゃないと思うけど)のだな(^^;)と我ながら思ったり。

    *同じくフーコーの『狂気の歴史』もタイトルだけ見るとおもしろそう、と思うけれど、この本がフーコーの中では読みやすいといわれているのだとすると、ちょっと手を出しにくいなぁ・・・(^^;)

    *図書館本だったのですが、別の人の予約が入っていて延長不能。返却期限を気にしながら読むには向かない本だった。ちょっと反省。
    この主題、個人的にはまだまだ宿題です。考えてナニが変わるというものでもないのでしょうが。
    素人的には、現状、罪に対して妥当な罰が与えられているとはいいにくいだけに、量刑をどうするというときに、別個に定めた「きまり」や「前例」を参考にするしかなくなってしまうんじゃないかという気もします。
    そういう意味では「目には目を」の方が「わかりやす」くはあるよな・・・。
    次は日本の事例&もう少し軽いものを読んでみたいかなぁ。
    お江戸の牢獄あたりでとっつきやすそうなものを探してみるかな・・・?

  • wired・近代と社会・1位

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    【要約】


    【ノート】
    (wired)
    「監獄」の歴史を通じて、近代における規律、管理の問題と、それによって人間がどのように変わっていくのかを精緻に論じ、近代の病理を浮き彫りにする。

    ※全体で10位

    ◆ユーザーからのコメント
    実名でのソーシャルメディア社会を読み解く上でフーコーの洞察は極めて重要/私と社会の座標軸。フーコーと言えばこれ。全部読んでないけどさ/「近代」といったらやはり。現在につながる近代、という意味で投票しました/やはり「いま」を考えるには、これを読んでおくべきかと/パノプティコーン!!!(必殺技風に)/パノプティコン。監視される者の心理を利用するなんて寒気がする/パノプティコンという音の響きは一生忘れないだろうな/フーコーの思索のなかで、いちばん好きな書/まずはOZファンとしてはこれに興味がわくわv/監視社会論の先鞭/視線を内面化し規律訓練させる近代社会のロジックを説く。主体とは何かへの従属である

  • 第2部の途中まで読んで中断していただのが、せっかく途中まで読んだのだからと、自分で今年の「夏休み課題図書」に指定して、少しずつ読み進めてきたが、夏休みも終わり9月に入ってようやく読了。
    第3部からがおもしろい。
    自分も教育に携わる仕事をしているが、権力は学校の隅々にまで、そして日々そこで仕事をしている自分自身にまで深く浸透している。システムの内部にこれだけ深く食い込んでいると、なかなかそれには抗うことは難しいであろうが、そのことに自覚的であることで、少しは権力的なふるまいから逃れる小道を発見できるかもしれない。

  • 記録として残酷な執行について、淡々と書いているところが面白い。たんに「監獄の誕生」の背景を知るというだけでなく、過去の刑務の実際を知る本しても面白い。

  • 2006/11/27読了

  • FM2a

  • パノムティコン。一つの監視塔から全体見える円形の監獄。

  • 高校へ入学したばかりのころ、英語の先生が「フーコー」を読みなさい。と盛んに勧めていた。当時はまさにポストモダン全盛期で、浅田彰の「構造と力」が話題になっていたが、読んでも何のことかさっぱりわからず、途方に暮れたことを覚えている。数年前に同書を再読したが、やはり全く理解できなかった。特にその方面の勉強をした訳ではないから当たり前だが。
    勧められて以来40年近く経過して初めて手にしたフーコーであるが、最も読みやすいといういわれているだけに完読することはできた。内容は、主に処罰論であり、監獄はそのシンボルというところだろうか。かつては犯罪者に対する刑罰が身体刑があたりまえであったが、王権の衰退とともに死刑を除き身体刑が廃止され、代わりに拘束のうえ労働へと変化した。これを、更生を視野に入れた倫理的要請とみる論に対して、フーコーは新たな権力の現れとみている。多くの事例に裏打ちされた論文であるからなるほどと感じるのだが、本書においては拘束される人々は、客体化された階層としてのみ登場するので、更に理解を深めるためには、他の著書を読む以外なさそうだ。

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著者プロフィール

ミシェル・フーコー(Michel Foucault):1926年フランス・ポワティエ生まれ。高等師範学校で哲学を専攻、ヨーロッパ各国の病院・研究所で精神医学を研究する。1969年よりコレージュ・ド・フランス教授。1984年没。主著に『精神疾患とパーソナリティ』『狂気の歴史』『臨床医学の誕生』『言葉と物』『知の考古学』『監視と処罰』『性の歴史』がある。

「2023年 『ミシェル・フーコー講義集成 2 刑罰の理論と制度』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ミシェル・フーコーの作品

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