族長の秋 他6篇

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (443ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105090128

感想・レビュー・書評

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  • マジックリアリズム・クズ文学の名作。版を変えての再読だけれど、二回目も変わらず大統領はいじらしい。暴虐で卑怯で臆病なのに、あの愛の報われなさがかわいらしく哀しい。

    現実世界と引き比べて読むなら、正しくないエピソードを詰め込んでブラックジョークでくるんだ、中南米における前近代性の物語なのかもしれない。しかしそれはいったん置いておいて、権力と孤独と老いについての詩として心に迫るものがあった。最後の夜の描写は圧巻。

    最近ボスとブリューゲルの画集を見ていたせいか、本書からも平たくて無数の人物であふれる大きな絵が思い浮かんだ。画面奥に彗星と海があり、空にマヌエラ・サンチェスが、海に子供たちを乗せた船が見える。そんな中世的なイメージが、族長だった大統領にぴったりきた。

    他6篇があるし解説が『2666』共訳者の内田兆史さんだし、この新潮社版はよかった。短編はどれも荒唐無稽で好きだけれど、なかでも「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」。可哀想な女の子の話だと聞いていたから楽しめるか心配していたし、実際に可哀想な女の子の話ではあるのだけれど、結末に奇妙な爽快感を感じるほど面白く読んだ。

    • 淳水堂さん
      なつめさんこんにちは!
      なつめさんも版を変えての再読なのですね。「族長の秋」で探したら数種類出ているのですね。

      大統領は残酷無比ではあるけ...
      なつめさんこんにちは!
      なつめさんも版を変えての再読なのですね。「族長の秋」で探したら数種類出ているのですね。

      大統領は残酷無比ではあるけれど、個人的な愛に関しては決して手に入れらないし、まだ若い頃(と言っても百歳くらい?)には国民全員を覚えていたくらいだから、いじらしくも哀しい人物ですよね。

      「エレンディラ」は、「百年の孤独」最初の頃にちょっと出ていて、のアウレリャーノ・ブエンティーア大佐の初体験と初恋のお相手だったような。大佐がプロポーズしていたら(すでにエレンディラは旅立っていた)どうなっていたんでしょうね。
      2020/03/28
    • なつめさん
      淳水堂さんこんばんは。

      ガルシア=マルケスの小説に登場する男性陣は、どんな欠点があってもどこかいじらしいところがあって、だいきらいには...
      淳水堂さんこんばんは。

      ガルシア=マルケスの小説に登場する男性陣は、どんな欠点があってもどこかいじらしいところがあって、だいきらいにはなれないところがありますね。

      エレンディラが『百年の孤独』に出ていたのは気づきませんでした。いつか再読するときが楽しみです。
      2020/03/29
  • 「週末にハゲタカどもが大統領府のバルコニーに押しかけて、窓という窓の金網をくちばしで食いやぶり、内部によどんでいた空気を翼でひっ掻きまわしたおかげである。全都の市民は月曜日の朝、図体のばかでかい死びとと朽ち果てた栄華の腐れた臭いを運ぶ、生暖かい穏やかな風によって、何百年にもわたる惰眠から目が覚めた。」

    カリブ海に面した諸国で出版される本には「独裁者もの」というジャンルがあるそうだ。実在の独裁者の逸話そのものが破天荒なものらしいが、ヨーロッパその他の国ではあり得ないことがほんとうに起こり得るのが、ラテン・アメリカ諸国なのだ。ルポルタージュ作家だったマルケスは、周到な用意をしてこの作品に取りかかっている。

    主人公の独裁者である大統領その人のエピソードには、作家が収集した実在の独裁者たちの信じられないような行跡が集約されているらしい。国営の宝くじでいつも自分たちが利益を得るように、当たり籤の球(それだけが冷やされている)をひいた二千人もの少年たちが要塞の中庭に閉じ込められていたり、一番信頼していた将軍を丸焼きにして食卓の上にのせたり、という如何にもマルケスらしい駄法螺めいた逸話の数々も、ひょっとしたら実際にあったことなのかもしれないという、うすら寒い疑惑がつきまとう。

    米英の傀儡政権としてたまたま大統領になった娼婦の息子が、権力者でいるために周囲の簒奪者を次々と屠り、その挙げ句が水占いによって百年以上も権力者の位置に縛りつけられるという、悲喜劇めいた物語である。象の足跡を思わせる巨大な足と、同じくヘルニアのため肥大化した睾丸の持ち主という主人公の姿は戯画化されてはいるが、神話的な聖痕を思わせる。

    物語の主題は「孤独」。王にも似た権力を持ちながら、その育ち故に外国から来る賓客たちと同席させられない母親を別の屋敷に住まわせ、自分が時折そこを訪れるという暮らしぶり。叛乱を恐れるあまり自分の軍隊の火薬に砂を、銃には空砲をつめ、寝るときは、自分で三重の錠前に三重の鍵をかけるという徹底した用心ぶり。愛した女はそのあまりの乱脈な生活を疎まれ、訓練された六十匹の犬に我が子と同時に喰い殺されるという有り様。

    最も悲惨なのは、彼の周りには真実というものがないということだ。彼が権力の座にいることで、甘い汁を吸える部下たちは、彼の命令を待たずに勝手にものごとを進めていく。その結果、彼の周りには塀が建てられ、醜悪な現実や不都合な真実は見えないようになっている。老いた大統領は、通学途中の女子高生に声をかけて淫らな行為をくり返すのを愉しみにしていたが、それさえも親たちの苦情で部下が動き、娼婦に変装させていたことが分かる。

    まるで螺旋階段を一階上るたびに階下の光景をのぞき見るように、何度も何度も同じ光景がくり返し想起される。階級章のない麻の軍服を着て、片方だけ金の拍車のついた長靴を履き、右腕を枕代わりに俯せになった死体。物語は荒れさびれた大統領府の情景から始まり、大統領の最期の場面で終わる。その死体を廻って一人の男の波乱に満ちた生涯が描かれるのだが、腐敗、乱脈を極めるその一生が、極めて倍率の高いレンズによって拡大されたものであって、その拡大鏡をはずしてみたとき、どこにもいる愚かなそれ故にひときわ悲しい人間の姿が見える。

    会話も地の文も改行なし。われわれという無名者の語りによって始められた語りは、いつの間にか、次々と主人公やその母にとってかわられ、視点人物を特定することは難しい。ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』のように登場人物が替わるたびに話者が交代する「意識の流れ」の手法ともちがって、変幻自在の文体は、『百年の孤独』のそれとはまたひと味も二味もちがう。しかし、読み終わって本を置くまで、そんなことは気にならなかった。事あるごとに具体的な数字を挙げて実在感を増そうとする工夫や、五感を総動員して具体的なイメージを織り上げる饒舌なスタイルは健在である。

    他に『百年の孤独』の文体から自由になるための文体練習のように書かれた六篇の短篇を含む。童話めいた、この数編の方を好む読者も多いだろう。評者もかつてはそうだった。しかし、マルケスの長編の魅力に一度はまると、その読後の多幸感は短篇の比ではない。是非『族長の秋』の圧倒的な迫力に触れていただきたいと思う。

  • 『ガルシア・マルケスと植物』というタイトルで論文が書けそうなくらい、植物に溢れた小説。登場人物の命もまた、植物と同じくらい軽んじられているけれども、もはや生と死の境目もなんやら曖昧になっていて、植物が枯れて土にかえるというくらいな重さしかない。が、かえってヒトの生き死にもまたこんなもんじゃないのか、と思わせられる。
    あらゆる生命が公平に扱われている小説。

  • 記録

  • 族長の秋は再チャレンジだ!

  • 『エレンディラ』がおさめられている本書『族長の秋』は、新潮社から順次発刊されている『ガルシア・マルケス全小説』シリーズのうちの一冊で、
    「大きな翼のある、ひどく年取った男」
    「奇跡の行商人、善人のブラカマン 」
    「幽霊船の最後の航海」
    「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語 」
    「この世でいちばん美しい水死人」
    「愛の彼方の変わることなき死」
    「族長の秋」
    の計7編で構成されている。

    既出の他の出版社や文庫本の中に編入されて既読のものもあったが、
    読んでいなかった「大きな翼のある、ひどく年取った男」
    「奇跡の行商人、善人のブラカマン 」には感心した。
    ガブリエル・ガルシア=マルケスの発想には驚くが、完璧な短篇と完璧な長編を自在に書き上げる能力の高さには舌を巻く。

    「大きな翼のある、ひどく年取った男」・・雨が3日降り続いている海辺の町にある家の中庭に年老いた男が倒れていた。
    その男を見た隣家の女はその男は天使だと断言する。
    天使というのは、天使のようなという言葉の意味するような可愛い無垢なもののはずなのに、この一家の中庭のぬかるみでもがいているのは屑屋のような風体の小汚いじいさんなのだ。
    「天使のような」という既存観念をびっくりするような形でひっくり返すガルシア=マルケスの魔術ははじまったばかり。
    それから天使は、鶏小屋で飼われ、見世物にされ、水痘に罹患し、古代ノルウェー語を時々うめき、茄子入りのパン粥を食べ、次第により年老いていきつつ、或る日、飛び立ってしまう。
    家の者や街の人々は、背中に翼をもつこの人物を「天使」と認識しているものの鶏小屋で見世物にし、石を投げ全く天使の扱いをしない。
    天使とはいみじくも神の使いである。涜神をも恐れずというよりもあまりに天使的でないこの男は、人々にとって一過性の熱狂を起こすコマに過ぎないのである。

    「奇跡の行商人、善人のブラカマン 」・・自家製の毒消し薬を売る行商人が自分の薬がどれほどよく効くかを証明するため、猛毒の蛇を自らに噛み付かせた。
    すると、行商人は毒にやられて時間がたつごとに死は免れないような状態に陥る。その描写のリアルさと卑俗さといったら恐ろしくなるほどで、そしてまたこの行商人が奇蹟のように甦るさまは、忙しなく驚愕の事柄をポンポン繰り出すガルシア=マルケスならではの展開で、彼の世界をすでに知ってる読者にとってはワクワク感を感じるのだ。

    「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語 」は、祖母が孫娘に売春をさせ、

    「この世でいちばん美しい水死人」は、海に流れ着いた男性の死体がとてもきれいで似合う名前をあてがったり、勝手な想像で楽しんだり、

    「族長の秋」は、破天荒な人生を送る大統領を複数人の語り手が語る。

    どの作品も珠玉の作品である。 

  • 『族長の秋』は文句なく傑作。やはりこの人は長編作家だな、という気がする。
    ひどく読みにくいので、読み返すことは多分ないだろうけれど、それでも読む価値は十分にあると思う。
    他には『無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語』が素晴らしかった。

    図書館にて。

  • 他6篇の中の「この世でいちばん美しい水死人」がとても好きです。

  • 権力を引き継いで既に百年経た一国の大統領の孤独な老人の話。
    時間の流れへの逆行と順行を繰り返しながら展開する話で、「百年の孤独」のような直線的な時間軸で語られていないため複雑な構成だが数々のブラックなユーモアの挿話が読み進める手助けになる。こういう日を跨がないと読めない話は読後の喪失感というか終わってしまった感じが重くいい体験だ。薄い本を乱読するのも快楽があっていいがやはり定期的に重厚な本を読まなければと思う。

  • マジック・リアリズムにひきずりこまれて酩酊する。
    これは凄い!!!!!

ガブリエルガルシア=マルケスの作品

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