コレラの時代の愛

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (528ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105090142

作品紹介・あらすじ

夫を不慮の事故で亡くしたばかりの女は72歳。彼女への思いを胸に、独身を守ってきたという男は76歳。ついにその夜、男は女に愛を告げた。困惑と不安、記憶と期待がさまざまに交錯する二人を乗せた蒸気船が、コロンビアの大河をただよい始めた時…。内戦が疫病のように猖獗した時代を背景に、悠然とくり広げられる、愛の真実の物語。1985年発表。

感想・レビュー・書評

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  • 「ビター・アーモンドを思わせる匂いがすると、ああ、この恋も報われなかったのだなとつい思ってしまうが、こればかりはどうしようもなかった。薄暗い家の中に踏み込んだとたんに、フベナル・ウルビーノ博士はその匂いを感じ取った」
    老いが来る前に自殺したジェレミア・ド・サン・タムールの検視に駆けつけたフベナル・ウルビーノ博士は、その翌日庭のマンゴーの木に逃げた鸚鵡を捕らえようとして転落死する。博士の妻フェルミーナ・ダーサは夫の通夜の席に記憶から消し去った男、フロレンティーノ・アリーサに気付く。フロレンティーノ・アリーサはフェルミーナに告げる。「私はこの時が来るのを待っていた。もう一度永遠の貞節と変わることのない愛を誓いたいと思っている」それはフロレンティーノ・アリーサが、フェルミーノ・ダーサに拒絶されてから51年9ヶ月と4日後のことだった。
    ===

    おそらくここまでが序章だが惹き込まれ方はまさしく大作家の面目躍如。
    舞台は19世紀のコレラ時代。女を51年間待ち続けたという寓話的主題がガルシア・マルケス饒舌な語り口で現実世界に溶け込む。
    物語では二人の人生が振返られるが、主体がいつの間にか入れ替わっている手法で、それが現実なのに夢の中を漂っているかのような雰囲気を生んでいる。
    そして愛が主題ではあるけれど、恋愛ばかりが存在しているわけではない。
    フロレンティーノ・アリーサはフェルミーナの影を心に抱きながらも何十人もの女性と関係を持ち、フェルミーナ・ダーサとフベナル・ウルビーノ博士との関係はけっして恋愛とはいえないが人生に必要な相手としての愛情関係を築いていた。
    「しょっちゅう喧嘩をし、色々な問題に悩まされ、本当に愛しているかどうかも分からないまま何年もの間幸せに暮らすことができるというのは、いったいどういうことなのかしら」

    本物の小説家が書いた小説世界にどっぷり浸れる作品。

  • 誰しも少なからず経験があって嫌悪したくなるほどの現実的な生々しさと、ありえない幻想的奇天烈さが、喧嘩することなく馴染んで同居して、見事に昇華されている、その不思議と「心地よい異常さ」が、いかにもガルシア・マルケスだな、と思った作品。

    読むとゲンナリするのはわかっている癖に、その吸引力にどっぷり浸らずにはいられない、中毒性と言い換えてもいいかもしれません。

    80歳を過ぎた老名士の葬儀の席で、70歳を越えるその妻に、80歳に手が届かんとする男が、半世紀に渡ったその愛を告げることから始まる、それぞれに歩んだ半世紀余りを描いた物語。

    19世紀のある日の、10代の少年少女の実体の伴わない幻想まみれの数年に及んだ恋。(少なくとも同性読者にとっては、)主人公女性のいかにも「少女らしい」成長の途上、彼にとっては残酷ともいえるあっけなさで、彼女が一瞬のうちに彼らの関係を反故にしてしまいます。

    やがて町一番の若い名士と結婚して玉の輿に乗った彼女を忘れられないかつての少年は、「来たる日」に彼女を手に入れんと一人身勝手に永遠の愛を誓って彼女を偶像的に思い続けながら、仕事をして地位を得つつ、同志とも心の友ともいえそうな1人の女性をはじめとして雑多だけど印象的な無数の女たちと(彼曰く)「一線を引いた」遍歴を重ね、時々すれ違う偶像の彼女や自身の老いを噛み締めながら、半世紀を過ごします。

    彼女は彼女で、「10代の彼」を亡霊として心のどこかに置き忘れ、その彼を捨てた後にふとしたきっかけから結婚を選んだ男の妻、子供達の母、名士の奥様として、移ろう時とぶつかる現実の中で、大なり小なりの夫婦喧嘩を繰り返しながらも、夫婦互いにある種依存しあいながら愛し合い、生活を築き、半世紀を過ごします。

    それぞれの人生が再び交わるまでの51年9ヶ月と4日の過程は、彼らの体温や体臭がそのうち立ち上ってくるのではと錯覚してしまいそうなぐらい生々しくて不思議な生活感に満ちています。
    しかし、主人公2人のこころうち…特に、心の一番の場所に常に彼女を据えることに囚われた男の内面が、とにかく浮世離れしていて異常なのです。そのくせ、それがさも当然のように静かな口調で描かれていて、なんだかよくわからないけどひどく惹きつけられてぐいぐい読み進めてしまいます。

    狂気の沙汰ともいえる半世紀にわたる幻想を現実のものにしてしまうバイタリティとその非現実なラストには、もはや、嫌悪感というよりも、諸手を挙げて降伏するしかない、静かだけど凄まじい作品でした。

    最後に。この小説の書き出しの見事さには感服します。
    「ビター・アーモンドを思わせる匂いがすると、ああ、この恋も報われなかったのだなとつい思ってしまうが、こればかりはどうしようもなかった。」
    物語はこの蠱惑的な書き出しを、よくぞここまで、と思うほど、とことん裏切る方向に進むのです。そんなとこも、マルケスの魔力な気がします。

  • だれも空を飛ばないし4年間雨が降り続いたりもしない(訳者の木村さんはあとがきで本書はリアリズムの手法で書かれていると述べている)。けれどガルシア=マルケスの与太話力は間違いなく全編にわたって発揮されており、最初から最後まで楽しく、ときどき笑いながら読んだ。

    みんな自分のことばっかり考えてて、ときにひどく残酷だったり目に入れるべきことを見なかったりなのに、それはそれとして生きるのはよい、楽しい、という肯定感。相手不在の恋であっても、それが生き甲斐になるなら大事にしたらいいんでしょうね。それに最後の解決策、無限! 繰り返し! 神話的! やっぱりガルシア=マルケスだなあ楽しいなあとと思いながら読み終えました。

  • 2006年刊行の本。原作は1985年発表。
    映画化されたというので読んでみました。
    ガルシア=マルケスはコロンビア生まれ、田舎町で育つ。
    ジャーナリストを経て、1967年に貧乏暮らしの中で書き上げた39歳で「百年の孤独」を発表しデビュー、世界的ベストセラーに。
    凄い作家ですが、気合いを入れないと読めないので…
    コピーの印象では、ろくに話したこともない美女を51年待ち続けた男性のあり得ないような恋の話ととらえていましたが、読んでみるとあり得ないというほどでもありません。
    彼女フェルミーナ・ダーサは少女時代にフロレンティーノ・アリーサからの熱烈な手紙を何年も受け取り、自分も恋しているつもりでいた。
    ところが、親に引き裂かれ、遠方の親戚のいる地方へ山越えして1年半旅行し、成長してから戻って間近に出会い、蒼白で陰気な彼にショックを受け、いきなり振ってしまう。
    ストーカー気質のフロレンティーノが案外やり手で、ユニークな人生を送りつつ、愛に飢えた風貌を逆手にとって?やたらと女関係を積む方が珍しいかも。
    フェルミーナが結婚したのは親も認める家柄の良い医師フベナル・ウルビーノ。
    コレラが不治の病ではない時代、流行が広まらないように手を尽くし、催し物なども企画して町の大立て者となった人物でした。
    結婚生活はリアルで、ガルシア=マルケスの作品の中では読みやすい方だと思います。
    18世紀に一番栄えた港町。独立は果たしたが内戦が続き上流階級は没落、コロニアル風の邸宅の並ぶ界隈もさびれていく…マンゴーの木やコンゴウインコ。アナコンダまで飼うフェルミーナ。ねっとりした南米の風物も魅力的です。

  • 参考文献

    時々なぜこの本を読んでいるのか忘れそうになりましたが、
    そうです『街とその不確かな壁』第二部P575 閉店したコーヒーショップで彼女が読んでいたのがこれだったんだ。

    引用された部分はラストの20ページあたり、この小説の中によく見られる、物語とはあまり関係ないような不思議で些細なエピソードからだった。
    そのあとの、私と彼女のマジック・リアリズムやガルシア=マルケスの小説について語り合うところを読み返してみる。

    引用します。

    _彼女なら子易さんと会っても、彼が既に死んでしまった人であることを、そのまますんなり受け入れてくれたかもしれない。_

    現実と非現実は春樹さんの世界にも混在しているのかしら?

    それにしてもすごい小説でした。

    主人公のフロレンティーノ・アリーサの、実に51年9ヶ月と4日待ち続けた女性フェルミーナ・ダーサとの物語。そんなのありえない!幻想でしょう?そんなに待てるか!? って思いますよね。

    …待てるのよ、だってその間彼が純潔を保ってたのは彼女への愛と精神だけで、身体はすっかり数々の女たちに慰められてるからなっ。

    なんだけど、なんなのこのマジックリアリズムとやらな筆致に、こんな男の勝手さと弱さも受け入れてしまう自分がいました。
    愛人たちの生き方や性格、出会いのエピソードなどがあまりにもおもしろく、ついつい読まされてしまった。とくに、二人のことを多分誰よりも早く勘づいていた、フェルミーナの息子の妻がとってもいいの、パンチのある一言が忘れられない。

    フェルミーナ・ダーサのちっとも甘くない、気の強いキャラクターにも助けられ、80歳を前にした、二人の愛の行方はあまりにも美しかった!
    たとえ、見事に禿げ上がり浣腸と入れ歯が欠かせない男でも、お婆さんの匂いのする彼女でも、今の私には美しく読めました。

    それにしてもタイトルにあるコレラについては、直接的でない描き方をしていて、それもまた変わってる。
    それから真面目な顔したユーモアが溢れてます。
    フェルミーナの夫に対する愚痴ってそんなに多くないんだけど、
    料理が面倒な彼女、
    食べたいものを聞くと何でもいいというわりに、ときどき的を得た文句を言う。
    ある日カモミールティーを出した時に
    「何だこれは、窓の味がするぞ」
    と突き返す。
    彼女も女中たちもそれを聞いてびっくりするが、一体どういうことだろうと飲んでみると、なるほど窓の味がするとわかって納得した…
    という訳の分からないエピソードなどが時おりみられます。

    でもですね、わたしが面白くてのめり込み始めたのは300ページあたりからでしたけどね。

    また少し時を置いて、
    『街とその不確かな壁』
    読み返したいな。

  • ひとは愚かだと言うかもしれない。でも愛してくれるひとよりも愛したひとに愛されたいのだ!2つの大きな愛とたくさんの小さな愛。51年9ヶ月と4日間の片思いはマコンドの100年よりもずっとずっと長かった。若かったあの頃、ほんの少し勇気があれば…。終りよければすべてよし。最高のラヴロマンス。鬱蒼と茂るバナナの木にたわわに実ったマンゴーの木々、むせかえるようなオレンジ、クチナシ、ジャスミンの花の香り、クァバの味。ヒースの茂みや大理石や石畳で出来た街や紙と木で出来た街では紡ぎだせない物語。作者の眼差しが暖かい。

    打算で始まった夫婦愛が日照りや嵐に合い、座礁しかかっても無事に航海を終えるところも見所だ。フロレンティーノ・アリーサと肩を組んでいる身としては辛かったけど。〈記憶は悪い思い出を消し去って、いい思い出だけをより美しく飾りたてるものであり、その詐術のおかげで人は過去に耐えることができるのだ〉


    〈つかの間の恋を楽しむ相手と腕を組んで散歩しながら、焼き栗のどこか懐かしい薫りをかぎ、物憂いアコーディオンの調べに耳を傾け、オープン・テラスで飽きることなくいつまでもキスをしているカップルのいる、黄金色の午後ほど純粋な喜びをもたらしてくれるものはほかにないと考えていた。〉では華やかなパリが思い浮かび、〈船の手すりから、コロニアル風の地区のある白い岬や屋根の上でじっと動かずにいるクロコンドル、バルコニーに干してある貧しい人たちの洗濯物を目にしたとたんに、〉でカリブ海に一瞬で引き戻される。これもマジックか。

  • 一文めから鳥肌。ガルシアマルケスの書き出しは天才的。一瞬で
    かれの物語のうちに引きずり込まれる。
    世界を見渡せば、天才ってけっこういるもんなんだな。

  • 占いがきっかけで読んだ本は初めてかもしれない。石井ゆかりさんが魚座について書いた本の中で、「コレラの時代の愛」が引用されていたのだ。その名前を見かけてから手に取るまでに数年経ってしまったが、時間をかけたのは正しかった。これはきっと、歳を重ねるごとに理解度の深まる物語だからだ。

    フロレンティーノという男がフェルミーナという女に恋をする。環境に阻まれながら若い2人が長い間文通で育んだ愛は、ある時実際に2人が目を合わせた瞬間、幻となって崩れてしまう。フェルミーナは裕福な身分で人柄もいい医師と結婚し、別人のように生きていく。間違いなく幸せで豊かではあるものの、愛があるのか分からない結婚生活を送る。フロレンティーノは最初の失恋から立ち直れないまま、フェルミーナに恋焦がれてあちこちをさまよう。これは秒速5センチメートルやグレート・ギャツビーのような「重すぎる片思い」系の物語でもあるが、純愛というには野性的すぎるかもしれない。

    恋に恋するフロレンティーノは彼女一筋ではない。失恋前は頑なに純潔を守っていたものの、ある時に行きずりの女と寝て以来、欲に溺れていく。フェルミーナを忘れるためなのか、それとも単なる肉欲なのか、分からないままに経験を重ねていく。

    彼の前に現れた女たちは色々な思い出を残す。不思議な、と一言で片付けるにはあまりに奇抜なエピソードが断片的に差し込まれ、一つ一つに物語のような余韻がある。精神病院から脱走し、山刀で人を斬った後に平然と祭りで踊っていた女。おしゃぶりがないと絶頂に達しない女。単なる情景描写としてこういうディテールが入ってくるので、真顔でジョークを言われているような気分になる。この物語全体が、年齢不詳の老人から聞くホラ混じりの昔話のようにも思える。どこか魔術的な雰囲気があり、それが怪しい魅力となっている。

    フロレンティーノは同時に何人もの女性を愛することは可能だという信念を築き、肉体関係だけの相手が多々いながらも、フェルミーナに対する恋心を信仰のように守り続ける。女たちとの出会いを重ねる中で、彼は人間として色々なことを学んでいく。倫理や常識のない世界で彼は魂の遍歴を続け、50年以上もフェルミーナへの恋を諦めない。何ともスケールの大きい話だ。

    ジャングルの熱気、湿気、汚臭、汗、熟れ過ぎたトロピカル・フルーツの匂いなどがごちゃまぜに漂ってきそうな、濃密な空気感がある物語だった。猥雑かと思いきや、幻想的な情景描写もあり、そのギャップも魅力的だ。生命力に溢れた小説だった。

  • 貴方達がいかに目を逸らそうとも男の本質とは程度の差こそあれ正にこの様なもので、人生とは愛とは永遠の愚行なのだ。
    しかしそれは温かく満たされるものでもあり得る筈だ。

    本書のテーマは男女の間の川に架ける橋はデリカシーであり、違いを尊重する気持ちなのだというのは見えづらいのかも知れないが、それに貫かれているからこそ変態ストーカーでも勝手な男の性の武勇伝でもなく、描かれるのは2つの孤独な魂なのだ。
    そしてそれは男女が愛し合うにはお互いに本来これだけの訓練が必要なのだ、ということを拡大して見せる。
    人生への肯定性に溢れた本書を私は深く愛す。人生最高の一冊かも知れない。

    アメリカ・ビクーニャの存在が、個の幸福の本質的な身勝手さと悲劇性、という視点を添える(なんと、この人は藤壺の身代わりの紫の上ではないか!紫の上の最後がどのようなものであったかを思い出せば、、)。

  • ガルシア=マルケスはこの作品が一番すき。どこがどういいかというのは壮大な物語すぎてなかなか上手く言えないし書けない。かつて愛した少女は老女となり、しかし伴侶が亡くなったあとに「時がきた」と現れる男。マルケスの描く人物は執着の権化でもある。

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