世界終末戦争

  • 174人登録
  • 4.72評価
    • (19)
    • (5)
    • (1)
    • (0)
    • (0)
  • 18レビュー
制作 : Mario Vargas Llosa  旦 敬介 
  • 新潮社 (2010年12月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (712ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105145071

世界終末戦争の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • ブラジルがポルトガル植民地から独立し、王制から奴隷解放を経て共和制となった19世紀終盤、ヨーロッパの支援を受けた新しい共和国を作ろうという海岸側の都会と、旱魃になれば1年間雨が降らず飢餓と疫病と猛獣と盗賊と鎮圧軍の横暴に蹂躙される奥地との隔たりから起きた実際の事件、「カヌードスの叛乱」を基にした小説。

    ★★★
    旱魃の続くブラジル奥地に神の言葉を説き禁欲的な生活をする男が現れる。彼はコンセリェイロ(カウンセラー、助言者の意味)と呼ばれ、彼の元にはあらゆる人民が集まる。貧しい者は救世主と敬い、富を有するものはそれを捨て、世間からはじかれた不具者たちは拠り所として、そして犯罪者や盗賊たちは天使に触れられたように人生を改め彼に帰依する。
    彼らはカヌードスの土地を占拠し人民は3万にも膨れ上がった。虐殺と強姦の指示者と生き残りが慈しみ合い、憎み合い殺し合った者、差別した者とされた者とが共存しあい、初めての安定の場所を得る。
    神の言葉を信じる彼らは、共和国そのものを「アンチ・キリスト」呼び敵視する。神との約束である結婚を法律で定めることに激怒し、土地を休ませると言って農園を焼き、税金制度に真っ向から逆らう。
    危険を覚えたブラジル政府は軍を出すが反撃される。ただの狂信者と貧者の集まりと思っていた彼らに撃退された政府の間では、背後に外国勢力や、王政復古や、地方貴族などの反乱分子が付いているなどという憶測と政治的計算が飛び交う。
    さらに反政府的思想で勝手に共感する外国人の無政府主義者、巻き込まれた新聞記者、男性社会に流されてきた女、教会からの破門の惧れも超えて協力する神父などの思惑が交差する。

    ブラジル政府は正規軍を出す。
    “これまで誰も助けを差し伸べてくれなかったから、お互いに助け合いながら神を愛して暮らそうとここに集まった人たちを皆殺しにしようとしているのだ”
    “コンセリェイロと出会った時、これで自分は生涯血の匂いをかがずに済むだろうと思ったものだったが、それが今や、それまでに経験したどれよりも酷い戦いに巻き込まれてしまっているのだ。父なる神様はこのために彼の罪を悔い改めさせたんだろうか?人を殺し続け、人が死んでゆくのを見続けるために?そう。そのためだったに違いない”
    コンセリェイロ側は男たち実戦部隊の他にも女たちは政府軍兵士を引き千切り噛みつき殺し、子供たちは蟻や毒を政府軍に投げ入れ、敵が地獄に落ちるように裸にして性器を切り取り死体は木に吊るし、全員が戦いに挑む。
    政府軍は、外国勢力が後盾についた最新の武器を持つ祖国の敵と戦いに来たつもりが、普通の貧しい民衆との原始的な戦いに甚大な被害を出し、集落に大砲を撃ち込み女子供を狙撃し捕虜の首を斬り晒す。
    “人殺しを平気でする女や子供をそれゆえ殺さなければならず、しかもそいつらがイエス様万歳などと言って死んでいく、そんな相手と戦うのがどんな兵士にとっても決して楽しい物ではありえない”

    泥沼化する戦闘が続く中コンセリェイロ側は1年間正規軍を跳ね返し、それでも最後は壊滅された。大地には三万の死体が溢れ、禿鷹や山犬たちが饗宴する。
    しかし民衆たちの間にコンセリェイロへの崇拝は変わらない。コンセリェイロの死体を沈めた海の沖合へは、その後も巡礼者たちが訪れる。
    ★★★

    登場人物たちはそれぞれが本当に魅力的。
    コンセリェイロ側に集まったのは、ただ神の言葉だけを信じる側近ベアチーニョ、初めて自分を人間として扱ったコンセリェイロを崇拝する畸形ナトゥーバのレオン。広大な土地を捨て帰依した家長ジョアキン・マカンビラとその一族は最期まで威厳と尊厳を持ち、元商人のアントニオ・ヴィラノヴァは天性の情報収集力と人を使う力で荒れたカヌードスを3万人が暮す町に造る。
    そして生き生きと書かれているのは犯罪者や盗賊たち。奥地に甚大な被害をもたらせた盗賊団頭領で顔に傷のあるパジェウ(彼のタダ働きっぷりときたら…(つД`)・゜。)、最も残虐で悪魔と呼ばれた盗賊頭首ジョアン・サタン(コンセリェイロによりジョアン・アバージ-神の使途の意味-と変わる)、自分を可愛がってくれた女主人を惨殺した黒人奴隷のジョアン・グランデ、嬰児殺しのマリア・グアドラード。
    “暴行や殺し、盗み、略奪、復讐、耳を切ったり鼻を切ったり、そういう意味のない蛮行。地獄のような気違い沙汰に満ちた生涯を送った男だ、にもかかわらずその男がここにいる。コンセリェイロが奇跡をなさったんだ。狼を羊に変えて囲いの中に繋ぎ止めたのだ。そして狼を羊に変えたがゆえに、それまで恐怖と憎しみと餓えと犯罪と略奪しか知らなかった連中に人生を変えるように説得しがゆえに、この粗野な土地に精神を吹き込んだがゆえに、やつらは次々と軍隊を送ってあの人たちを根絶やしにしようとしている。こんな不公正を働くとは、いったいブラジルは世界はどうしてしまったんだ?”

    彼らと敵対したり、共鳴できない者たちもそれぞれの正義がはっきりしている。
    カヌードスの土地所有者、カナブラーヴァ男爵は王制時代の秩序と政治的駆け引きを大切にしていたが、時代の変化に自分が取り残されたことを知る。
    鋼の政治家エパミノンダス・コンサルヴァスは目的のためには政敵を貶めることもまたその彼らと手を結ぶことも厭わない。
    共和制のために闘う軍人モレイラ・セザル大佐は「首切屋」の異名を持ち、敵には容赦せず、上流者には憎しみと軽蔑を向け、下位者には君臨するが、貧しい者へは敬意を示す。
    名誉と復讐を重んじる奥地気質のガイド、ルフィーノは自分の名誉を汚した相手に死闘を繰り広げる。
    スコットランド出身の無政府主義者で骨相学者のガリレオ・ガルは、遠い異国で自分の理想を夢見続けるが、原始の力に敗れる。
    ルフィーノの妻ジュレーマは男の力に従うしかなかったが、未知だった平穏を見出す。
    “七つの大罪全てを犯した”堕落者ジョアキン神父は自分の所属する教会や政府と、カヌードスとの正義の間に混乱する。
    そして政府軍、カヌードス軍、政治家たち、それぞれと共にこの戦いを体験した近眼の新聞記者。“カヌードスというのは一つの物語ではなく、沢山の枝分かれする物語が集まった樹木のようなものなんです”“彼らはちゃんと見たはずなのに、それなのに何も見てこなかったわけです。見たかった物だけを見てきた。そこにはなかったものまで見てしまった。(…)しかし、存在しないものを見てきただけじゃありません。それ以上に、あそこに本当に存在したものを誰も見てこなかったんです”

    同じ国でありながらまったく違った価値観と時代に生きている彼らはお互いを理解することは決して出来ない。戦う理由も見ている先も全く違う。
    とにかく分厚く、百科事典か枕かってくらいなのですがぐいぐい引き込まれるのが流石はバルガス・リョサ。
    時系列も交差させた構成で、結果を知ってから内容を後から読む緊迫感や、戦闘場面を語る生き残った者が精神的にその戦闘が行われた過去と生き残って語っている現在を行ったり来たりするような描写はまさに読書の愉しみを味わえる。
    もともと映画のシナリオを書こうとして断念し小説になったものなので、頭の中に情景が浮かんできます。
    あと、何人かのカヌードス側登場人物は生死不明なので、巻末の解説にある「鐘楼を守っていた四人の男が倒され、カヌードスは陥落した」の場面をこの登場人物たちでやってほしかったなと思いました。

  • うーん面白かった! 読んでいないときにまで先が気になってしまう小説は久しぶり。子供時代は本が厚ければ厚いほどうれしかったものだけれど、その頃の気持ちを思い出せる700ページ二段組みだった。長いし登場人物は多いけれど、シンプルで直球なので、途中でわからなくなったりせず「夢中で読む」体験ができた。大満足。

    多くの人が入れ替わり立ち替わり登場する中で、多彩な主要人物たちの運命を交差させる技がうまい。ゲリラ戦から非モテの恋まで、もう全部のせだった。それをいちいち真に受けて「はああ...!」となるので、読み終わるまでの最後の三日間はとても疲れた。でもこういう本は真に受けて翻弄されるのが醍醐味なんじゃないかと思う。

    個人的には第四回討伐における白兵戦とパジェウの告白、ジョアン・アバージの鬼神っぷりあたりにたいへんぐっときた。

  • 1人の聖人がブラジルを放浪する中で徐々に信者を獲得し、巡礼団は奥地に宗教的なコミューンを組成する。対して、近代的軍隊を備えたブラジル共和国政府は、軍隊を派遣し鎮圧に向かうが、何故か何度も打ち破れ、悲惨な戦いが両者の間で繰り広げられ最後にはー。

    極めて奇想天外でドラマティックな物語であるが、これが歴史的史実ということに驚かされる。ノーベル文学賞作家、マリオ・バルガス=リョサの代表作であり、歴史的史実を題材として、ブラジルという国家が近代化する中で生じた宗教と国家の軋轢が豊穣な語り口で描かれる。

    ハードカバー700ページ、さらに二段組みという大作であり、叙述は様々な登場人物の視点が複雑に入り混じり、時系列もバラバラであることから、最初は取っつきにくい印象を受ける。しかしながら、徐々に物語の骨子がつかめてくると、登場人物が語るそれぞれの物語が重層的に響き合い、極めて骨太な世界が立ち現れてきて、読み手を飽きさせないあたり、天才的な叙述の才能を感じる。

  • ものすごい長編でしたが、無事ハマって読み終えることが出来ました。
    前半はなんかいろいろだるい感じなのですが、その前半で出てきた登場人物たちが、後半になると頻出してきて、活躍していくので、後半に進めば進むほどハマり込んでいきます。
    あとがきによれば、実際にあった事件を下敷きにしている小説のようです。
    登場人物の大半が実在の人物らしいです。
    後半は主に戦争部分なのですが、モレイラ・セザルの部隊の戦闘と、最終戦の戦争部分が非常に面白い。
    気に食わないとすれば、近眼の記者の行動や思想、発言にイライラするぐらいでしょうか。
    ジョアン・アバージやパジェウ、ジョアン・グランジなどの元カンガセイロ(盗賊)がかなりかっこいいです。
    特に一部の人間を逃がすために突撃したパジェウは良いです。
    ガリレオ・ガルは当初カッコ良かったのですが、レイプした後からはなんだかかっこ悪くなっていきましたね…。
    あとがきにもありましたが、本文の時間軸や場面転換がすごく唐突です。
    政治の話かと思ったら、カスードスに集まったジャングンソの過去話に飛んだりと、最初はかなり戸惑いました。
    慣れてくると、スラスラ読めてきます。
    非常に面白いのですが、非常に長いです。
    自分は比較的読むの早い方だと思うのですが、各章の1項分読むのに、概ね1時間かかるので、毎日1項読んで3週間ほど読むのにかかりました。
    ですが、それでも読む価値のある一冊です。

  • やっと読めました!2ヶ月かかった!
    とはいえ読みにくいわけでも難しいわけでもなく、寝る前にちょっとずつ読む本にしてたら時間がかかってしまった。

    学生時代に一応やったブラジル史(必修だったかも)の中でもカヌードスの反乱は名前は有名でもいまひとつピンと来てなかった事件でした。近代に対する前近代の決死の抵抗なのか、ただの狂信者の集団なのかよくわかんなかったし、教室でもあえて簡単にまとめることはしなかったと思います。

    この小説では多くの登場人物がそれぞれの立場でカヌードスを見て、参加して(巻き込まれて)、語っていて、わかりやすくて立体的なカヌードス像を表すことに成功しているわけですが、全て楽しんで読んで分かったつもりになった上で「やっぱりよくわかんない」に戻って来てしまう。これこそがもしかしてバルガス=リョサの狙いなのではという気がしてなりません。

    自らの中にある他者(この小説ではブラジルという国の中にあるセルタンゥ、コンセリェイロ率いるカヌードス)と向き合えば向き合うほど、正義と罪の、狂信と救いの、幸せと不幸の、健康と不具の、正気と狂気の境界がどんどん曖昧になっていく。
    しかし私たちはこの自らの中にある他者と本当に向き合うこと無しには決して未来に歩み出すことができない。結局孤立したカヌードスは全滅し、カヌードスを理解できなかった共和国もほとんど敗北に等しい被害を出して終わるこの悲劇を歴史の糧とできるのかどうか。

    内なる他者と向かい合い続けて来た多民族国家ブラジルにはできて、見て見ぬフリをし続けてる日本にはできないのかな、という気がしてますが
    やっぱりよくわかんない。

  • とても面白い。
    史実をベースとし、ブラジル共和国の圧政に苦しむ民衆が立ち上がり、軍隊と立ち向かっていく。反乱を起こす民衆の先頭にいるのはキリスト教信者である
    コンセリエイロ。
    共和国軍は反乱軍を制圧できず、何度も敗退し大量の犠牲者を出す。

    本当の勝者は誰なのか。正義とは何なのか、幸福とは、家族とは・・・文学を楽しみながらも生きていくうえで本当に大切なものってなんなのか、様々な示唆を与えられる大著。

  • おそろしく長いが、話はシンプル。終末論を説く聖者のまわりに様々な人物が集まって、ひとつの宗教都市をつくりあげる。その共同体が近代国家ブラジルの権力(軍)と戦う。その様子が、双方の視点からほぼ時系列にそって語られる。戦いの様相がリアルなのは、これが実話であり、それに関する詳細なドキュメンタリにもとづいて描いているから。そしてそこに、おそらく作者が創作した多くの魅力的な人物を登場させ、動かしている。だから長くてシンプルな話なのに退屈しない。近代の権力が合理的な思想や膨大な物量でどんなに迫っても圧倒できない、そんな何かが人の中にあることを、この物語に身を浸すことで感じた。

  • ずっと絶版だった小説が、作者のノーベル文学賞受賞によって再刊された。これまで読みたくても手が出なかった読者には何よりの吉報だろう。それほど、この小説は面白い。ブラジルの奥地に忽然と現れた「聖人」によって、共和国の支配の及ばぬ独立国家が誕生する。それを倒すために次々と繰り出される共和国軍と「聖人」に従う者たちの凄絶な戦いを描く。二段組み700ページというヴォリュームだが、一度読みはじめたら途中で投げ出すことは難しい。二十世紀小説というよりもデュマかセルバンテスでも読んでいるような気分である。

    19世紀後半のブラジル、バイア州の奥地サルタンゥを青い長衣を纏った長身の行者が放浪している。コンセリェイロ(教えを説く人)と呼ばれる男は、干魃による飢餓に苦しむ村人にキリスト教の教えを説いて回っているのだ。誰からも見捨てられ、この世の地獄を生きている民衆に、貧しい者こそが救われるという教えは干天の慈雨のように浸込んでゆく。付き従う人の数は次第に増え、やがて一団は周囲を丘に囲まれたカヌードスという土地に腰を据える。私有財産を放棄した貧しい者たちが共同生活を送る「地上の楽園」の噂を聞きつけた人々が近隣の村々から続々と集まってくる。

    無断で人の土地に住み着き、政府の法に従わぬ一団を放っておけなくなった当局は少人数の警備隊をカヌードス制圧に送りこむ。しかし、最初の部隊は物の見事に敗退。続いて送り出した部隊も破れたことで、ついに共和国陸軍の英雄モレイラ・セザル大佐が精鋭部隊を率いてカヌードス鎮圧に乗り出すことになる。実は、カヌードスには、有名なパジェウを始め盗賊の首領達までがコンセリェイロに帰依して集まってきていた。彼らのゲリラ戦法は近代兵器を擁する共和国陸軍を翻弄する。しかし、いくら追い払っても次々と大量の兵を繰り出してくる政府軍の前にカヌードスは追い詰められる。死ねば天国に行けると信じている民衆は女、子どもまで投入して徹底抗戦する。カヌードスの運命や如何。

    カヌードスに社会主義の理想郷を見た自称革命家のガリレオ・ガル。カヌードスの領主で王党派政治家の領袖カナブラーヴァ男爵。共和国派のブルジョア政治家エパミノンダス・ゴンサルヴェス。いかにもリョサの小説らしく、政治的立場や主義主張、階層の異なる数多の人物が登場し、その来歴を語り、自分の思いをてんでに披瀝する。子殺しの贖罪の果てについに聖女となった「全人類の母」マリア・クアドラード。生まれついての奇形児ながらあらゆる文字を読み書くことができる男ナトゥーバのレオン。己の中に居座る悪魔のために悪逆非道を繰り返してきたジョアン・サタン。無関係に見えていた人物同士が、コンセリェイロを核として結びつき、互いに絡まり合い、複雑な人間模様を描き出すにつれ、物語はダイナミックに動き出し、一気に終末に向かって突き進む。カヌードスの運命と幾組もの男女の愛憎が交錯し、徹底的な暴力と破壊の果て、立ちこめる硝煙の切れ間にのぞく青空にも似た結末が用意されている。

    物語の舞台となるブラジル北東部バイア州は、サボテンや茨しか育たない乾燥地帯で、19世紀後半には二度にわたる大干魃に苦しめられ、大量の死者を出している。そこに住むのはインディオ、旧大陸からの移住者、その混血、と出自も皮膚の色も様々だが、近代ヨーロッパの洗礼を受けた華麗な建築が建ち並ぶ海岸部とは裏腹に、中世ヨーロッパや原住民由来の文化が今も色濃く残る、いわば新生ブラジル共和国の「内なる他者」のような存在であった。

    海岸部から遠く離れたバイアは、荘園領主である貴族層の力が強く、新勢力の共和国派と覇を競っていた。そこに持ち上がったのがカナブラーヴァ男爵の領地カヌードスで起きた反乱である。これをイギリスに支援された王党派の陰謀に見せかけようとするのが共和派の領袖エパミノンダス。もともと敵対関係にあったカナブラーヴァ男爵との間にバイア州の権益をめぐる権力争いが勃発する。

    主題の一つは本来は交わるはずのない世界の衝突である。男爵やエパミノンダスにとって、カヌードスの反乱は、いつに変わらぬ権力争いの口実に過ぎない。事態をどう収め、どちらが権力を把持するかが問題なのだ。モレイラ・セザルのような軍人から見ればカヌードスは狂信者の反乱であり制圧の対象でしかない。一方、カヌードスに集まる人々にとって、政府の行う戸籍調べや法律婚は奴隷制の復活や神による結婚を否定するものと映る。彼らから見れば共和国政府やその陸軍は戦争相手などではなく滅ぼされるべき悪魔なのだ。コルネットの合図で整然と軍を進める近代的軍隊と、蕃刀片手に忍び寄って性器や睾丸を切り落とす盗賊あがりの兵では殺し合いはあっても戦争にはならない。三者三様、同じ場にいながら、全く異なった世界を生きているのだ。

    もう一つの主題は、性による人間の解放である。男爵はヴィクトリア朝のモラルに縛られ、自分の欲望を押し殺しながら政治家として生きてきた。ガリレオ・ガルは、革命の大義のために禁欲を守ってきた。夫以外の男に犯されたジュレーマは、嫌でもその男に付いていくしかなかった。夫を裏切った女に他にとるべき道はなかったからだ。それが、カヌードスの反乱をきっかけにして変化する。男爵は農園を焼かれたショックで正気を失った妻とその下女と三人で同衾する。ガルは、道案内に雇った男の留守にその妻のジュレーマを犯す。ジュレーマは、カヌードス崩壊の最中、近眼の記者の愛撫を受け、性の喜びをはじめて知る。マチスモという男性原理の社会にあって抑圧されていた欲望が、それまで盤石に見えた世界の崩壊をきっかけにして解き放たれる。死(タナトゥス)の氾濫する中に生まれた性愛(エロス)の饗宴である。

    あえて主人公と言えるような人物はない。すべての登場人物がそれぞれの物語の主人公なのだ。しいてあげるとすれば、累々たる死者の中で最後まで生きのびる近眼の記者と、彼を母のように庇護するジュレーマだろうか。男たちの中で唯一人、近眼の記者は戦うということをせず、ひたすら逃げ続ける。一方、男性原理を体現する男たちに翻弄されながら、逆に男性原理を否定し、女に庇護を求めるような男を愛するようになるジュレーマ。不条理としか言いようのない戦いの中にあって、その世界から疎外されてしまっている二人の愛と性の成り行きが、その意外さゆえに悲惨な最後に一抹の明るさを添えてくれる。

    途方もない話のようであるが、この小説は実話に基づいている。エウクリダス・ダ・クニャのノンフィクション『サルタンゥ』がそれで、コンセリェイロその人はもちろん、その参謀格の商人であるアントニオ・ヴィラノヴァ、カンガセイロのジョアン・アバージ、パジェウ等々、皆実在の人物である。もちろん、その中で引き起こされる人間同士の愛憎劇は作家の想像力の賜物である。同じラテン・アメリカの作家でノーベル賞作家であるガルシア=マルケスと比較されることが多いが、リョサの本分は「マジック」のつかないリアリズムにある。見てきたようなカヌードスの反乱を存分に愉しまれたい。

  • 2011年2月8日読み始め 2011年2月20日読了。
    二段組みで700p近いという大ボリュームの小説ですが、リョサはやっぱり好みだなあ、長いこと読んでも飽きませんでした。
    19世紀に実際に起きた、日本でいえば島原の乱みたいな事件をベースに、多数の登場人物の奇怪な物語が時系列も前後しつつ語られます。
    死、暴力、性といった人間の根源的なテーマが、キョーレツなブラジルの光によって陰影濃いドラマに昇華していて、まあ読む方もかなりパワーいりますが、こんな小説は絶対日本で生まれないし、時にはこんな小説もいいんじゃないかなーって思いました。
    リョサは個人的に好きなので、他にも積んであるのですが、ちょっと続けて読むにはきついかも…。

  • オリンピックは関係なく面白そうだったので読んでみた。最初のうちは桃太郎みたいに聖者様に家来が集まってくる話だが後半鬼退治されることに。共和制vs帝政の対立が幕末の倒幕派vs幕府側の対立に思える。ブラジルも日本のように近代化の苦しみを味わっていたのか。(日本が近代国家なのかどうかはさておいて)。さほど難解な表現もなく事実が淡々と述べられているので長い割には読みやすい。最後のあたりが9.11的な気がした。

全18件中 1 - 10件を表示

マリオバルガス=リョサの作品

世界終末戦争に関連する談話室の質問

世界終末戦争に関連するまとめ

世界終末戦争の作品紹介

19世紀末、大旱魃に苦しむブラジル北部の辺境を遍歴する説教者と、彼を聖者と仰ぐ者たち。やがて遍歴の終着地に世界の終りを迎えるための安住の楽園を築いた彼らに、叛逆者の烙印を押した中央政府が陸続と送り込む軍隊。かくて徹底的に繰返された過酷で不寛容な死闘の果てに、人々が見たものは…。'81年発表、円熟の巨篇。

ツイートする