オラクル・ナイト

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (247ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105217143

作品紹介・あらすじ

重病から生還した34歳の作家シドニーはリハビリのためにブルックリンを歩き始める。不思議な文房具店を見つけ、そこで買ったブルーのノートに新しい物語を書きだすと…。美しく謎めいた妻グレース、ダシール・ハメットのエピソード、ガーゴイルのように動き出す物語の渦。ニューヨークの闇の中で輝くものを描き出す、感動の長編。

感想・レビュー・書評

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  • 初めの50ページほどは、どう読んでいいかわからず、何回も読み始めては挫折してを繰り返した。
    読み方を心得てからは織り込まれたストーリーの中を彷徨うような読書体験だった。

  • 何度目かの通読。入れ子構造の重層物語、丁寧なのに粘着質でない描写、柴田元幸さんの名訳。何度読んでも味がある。
    言葉は、物語は、私たちの現実世界を写す鏡どころか、現実を変容させるきっかけ、力となりうるのか。テーマだなー

  •  病み上がりの小説家、主人公・シドは、ある日ポルトガル製の青いノートに出会い、躁病的に物語を、溢れ出す言葉を書き付ける。姿が見えなくなったり、電話のベルが聞こえなくなるほどに。しかし、物語内の主人公を密室に閉じ込めた状態でピタリとペンが止まってしまい、妻の妊娠、M.R.チャンとの不思議な邂逅、空き巣、親友ジョン・トラウズの死など、シド自身の人生の歯車が狂い出す。

    『言葉は現実なんだ。人間に属するものすべてが現実であって、私たちは時に物事が起きる前からそれがわかっていたりする。必ずしもその自覚はなくてもね。人は現在に生きているが、未来はあらゆる瞬間人のなかにあるんだ。書くというのも実はそういうことかもしれないよ。過去の出来事を記録するのではなく、未来に物事を起こさせることなのかもしれない』
     偉大な小説家ジョン・トラウズは云う。まさに「啓示の夜」。この世に存在する物語に加えて、人々の頭のなかで描いている妄想、疑念、あらゆる思考など目に見えない物語は無限近くある。すでに啓示は与えられていることを、誰が証明できる?誰が否定できる?言葉があるから人間、そして世界が存在しているんだということを、改めて感じ入った小説だった。

  • アントワーヌ・ガランがオリジナルの『千一夜物語』に滑り込ませた『アラジンと魔法のランプ』は、舞台が中国になっていた。『オラクル・ナイト』で「魔法のランプ」にあたるのが、主人公がニュー・ヨークの街を散歩中「ペーパー・パレス」という見かけない文房具屋で見つけるポルトガル製の青いノートである。店主の名がM・R・チャンという中国人というのが象徴的だ。西洋人にとってはオリエントは魔法の国なのだ。

    同じ青いノートは主人公の友人であり著名な作家であるジョンも使っている。ジョンは、そのノートの危険性については熟知しているようで、主人公に使い方に気をつけるよう注意を促している。どうやらそのノート、ランプの精よろしく、ご主人様の命令を実現する使命を帯びているらしいのだ。

    主人公のシドニー・オアは作家。少し前に大怪我をして九死に一生を得たばかりで、現在は病み上がり。仕事を休止して毎日街を散歩しながら社会復帰を目指しているところ。その散歩の途中で青いノートに出会ったシドは、何故かたまらず欲しくなり、早速買って帰る。それまで、全然書く気が起きなかったシドは、青いノートを前にすると俄然創作意欲がわいてきて、この前ジョンに話を聞いたフリットクラフトの話を書いてみようと思いノートにペンを走らせるのだった。ダシール・ハメット作『マルタの鷹』第七章に登場するその挿話は、一人の男が危険な事故から一命をとりとめたことで、世の無常を感じ、すべてを放り出して別の街に行き新しい暮らしを始めるというものだった。

    物語は、シドが現実生活を送るニュー・ヨークと、物語内物語であるニック・ボウエンの向かうカンザスの話が交互に語られ、それに語り手が施す詳細な註、さらにはシドがエージェントに依頼されたH・G・ウェルズ作『タイム・マシン』の映画脚本といった、オースターならではの複数の物語が錯綜する構造になっている。シドが執筆中の物語の主人公ニックは編集者という設定で、そこに送られてくる小説原稿の題名が『オラクル・ナイト』であり、当然、その物語も物語内物語として機能している。

    物語内物語という構造は、『カンタベリー物語』や『デカメロン』、『千一夜物語』などに用いられている古典的な技法だが、オースター偏愛の物語技法である。どうやら、ポスト・モダンの仮装をかなぐり捨て、本来のストーリー・テラーとして生きることを選んだらしいオースターは臆面もなく、『千一夜物語』を借用して、ニュー・ヨーク版『アラジンと魔法のランプ』を書こうとしている。

    シドが青いノートに物語を書いている間、彼の姿は部屋から消え、外部の物音も彼に耳には聞こえないという設定が、ノートが「ジン」の役割を果たしていることを示している。指輪の精やランプの精とともにアラジンは中国を遥か離れエジプトに飛んでゆく。それと同じように、シドは物語の世界に存在しているのであって、現実界には存在していないのだ。作家オースターに似て、シドもまた自分の周囲をモデルに物語を創作する。ヒロインは妻グレースにそっくりだし、ニックの部屋はジョンのそれを借りている。つまり、現実界と想像界がシャムの双生児のように一部を共有しており、その接合部分から、それぞれの因子が相互に流入しだすのだ。シドの書く物語が現実を歪め、現実に起きていることが、想像界に反映する。

    作中ジョンがシドに話す。 「言葉は現実なんだ。人間に属すものすべてが現実であって、私たちは時に物事が起きる前からそれがわかっていたりする。かならずしもその自覚はなくてもね。人は現在に生きているが、未来はあらゆる瞬間、人のなかにあるんだ。書くというのも実はそういうことかもしれないよ。過去の出来事を記録するのではなく、未来に物事をおこらせることなのかもしれない」

    作家が書く言葉は、ただの作り話として消費されるだけでなく、時には現実をも変える危険性すら持ち得ることがあるという、考えてみれば相当に重い主題をアラビアン・ナイト風のお伽話めいた設定にのせて読者に送り出すあたりが、如何にもオースター。心憎いばかりである。アラビアン・ナイト風であるのは、中国人の営む文房具店で見つけた青いノートだけではない。

    青いノートに書かれるシドの物語に登場するエドの歴史保存局、鉄道線路脇の地下の広大な書庫へ通じる入り口がそれだ。地面に穿たれた入り口を隠す四角い板でできた跳ね上げ戸、梯子を伝って下りる地下の宝物庫というのは、アラジンの世界そのものである。もっとも、そこに蓄えられたものは、ホロコーストで消された無数の人々の住所や名前を含む世界各地の電話帳なのだが。この地下の書庫は不思議なことにグレースの夢にも出てくる。夢の中では電話帳ではなくシドの著書が書棚を埋め尽くし、ニックが閉じ込められる核シェルター用の貧相な小部屋がペルシャ絨毯が敷き詰められ、絹の枕や繻子の布団に囲まれた寝室になっている。夫と妻の無意識の相違が同じ装置を別の世界に換えてしまっていることが分かる。

    物語は、シドが青いノートを引き裂いてゴミ箱に捨てることで、唐突に終わる。グレースの言葉でいうなら「いろんなことが入れ替わり立ち替わり出てくる、むちゃくちゃでぐじゃぐじゃのマラソンみたいな」物語は悪夢から覚めたような終末を迎える。ミステリ仕立ての作品であれば、一応合理的な解決が提示されるが、ノートは書きかけのまま廃棄されたのだから、真っ暗なシェルターに閉じ込められたニックは放置されたままだ。割り切れない思いを抱く読者もいることだろう。悪い夢を見たと思うしかない。ポルトガル関連でフェルナンド・ペソアの名が出てくる。最愛の作家の一人と書かれていてうれしくなった。

  • 久しぶりのポール・オースター。
    常々書いているとおり、彼の書く小説はエンタメ小説とは違って結末を書き切らず、敢えて読者に「未完」であることを感じさせて、想像力をかき立てるような終わり方をするものが多い。ワタシがこの作家の小説にハマった理由はまさにそこにある。そして、本作はその意味において、「未完」ここに極まれり、というところまで来た感がある。

    望みがないという重病から復活した34歳の作家シドニーは、リハビリを兼ねて歩き始めたブルックリンで中国人チャンからポルトガル製の青いノートを買う。そして、そのノートに小説を書き始める。オースターお得意の物語内物語だ。
    シドニーの私生活の部分だけで見れば、最愛の妻グレースと親友ジョンが関わる昼メロのような展開に思えるが、そこにシドニー自身が書いている小説や、多種多様なエピソードが重なりあうものだから、オースター自身が評したように「弦楽四重奏」のような厚みが出てくる。
    そして、シドニーの小説は「未完」のまま終わり、妻グレースの本心は(シドニーが想像はするものの)彼女自身の口からは最後まで明かされない。そう、何もかも「未完」。終盤の葬儀の場面では、「誰ひとり神という言葉は口にしなかった」というフレーズが出てくるが、これも「未完」を意識させる。神が登場してしまうと、すべてが完結してしまう。そう考えると腑に落ちる。

    ワタシもかなりオースターに毒されている気もするが、ここまで来ると人生は「未完」じゃないか、と思えてくる。それはそうだ。完結するときは死ぬ時だ。この小説はハッピーエンドではないが、絶望感はなく、望みがしっかり残っている。まだ人生には先があるのだ。「未完」である限り、希望は残るのだ。

  • 作家が主人公の物語であるが、その中にいくつかの物語が組み込まれている。
    言葉の持つ力、それを使って物語を書くことへの著者の誇りが感じられる。
    ニューヨーク三部作と比べると、かなり現実的かつ具体的なストーリーで、最後まで読ませる展開になっていて驚いた。

  • 返却期限が迫っていたためちゃんと読めなかった。オースター好きの人が面白いと絶賛していたので文庫になってからもう一回ちゃんと読む。

  • オースターの本って、読んでる間はすごい集中して読むけれど、読み終わるとふっと話の筋を忘れてしまうことがあります。リアルな夢を見ていたけれど、起きたら忘れてしまった、みたいな感じです。でも私にとっては、この集中する感じ、この独特の世界に浸れるのが、オースターの良さです。
    彼の新作は必ず読むことにしているので、読めて満足。

  • 一気に読んだし、夢中で読んだし、読み進めることがただただ楽しかった。先が気になるわけでもないのに先に進まずにはいられないっていう。純粋な物語と言葉のパウワーを感じる。

    物語内物語内物語内(しかも交差しつつ)とか長い脚注を駆使した挿話の洪水の中で、過去と未来とか生と死にまつわるモチーフが変化を見せながら繰り返されたり、関連したりしなかったり。めちゃくちゃ技巧的なんだけど、それでも最後には言葉の力に圧倒されてるっていう。

    ニューヨークを舞台にした小説家の話って事もあって、作家が書いた作家の物語の中で作家が書いた物語に出てくる小説をベッドの中で読んでる私ってのを思いっきり意識しちゃうので、全く物語に没入することもなく、純粋な言葉としてそれと向き合えるんだよね。やっぱこういうの好き。

  • 大怪我で生死の境をさまよった物書きの男が作り出す、めくるめく妄想の物語、なのだろうか。
    彼の実人生においては怪我からの回復、借金、創作の再開(不思議な青い手帳との出会い)等が軸になり、その中で主人公が紡いでいく物語、いわば物語内物語とが重層的に絡み合うとても凝った造りの小説だ。オースターはこういうの本当に上手い。テンポがいい。語り口がいい。まったく無理なくこの複雑な世界に入っていける。さすがオースターの筆だ、と感心しきり。でも・・・・読み終えて、この何も残らない感はなんだろう?
    オースターは何が言いたかったのか、何を見せたかったのか考えてしまう。友情、妻への無償の愛、信頼、裏切り、ひとの残忍さやいやらしさ、すべてがないまぜになって次々に物語が生まれてはあっけなく消え去っていく。あとがきで訳者が言うように、これはシド(主人公)の妄想の世界なんだ。誰もが日頃頭の中で繰り広げられる妄想の世界だから脈絡も一貫性もない。それはそれで面白いのだけれど、なんか食い足りない。

    最近のオースターにとって愛は重要なファクターであるらしい。
     
    ー私は顔を両手に埋めて、体の中が空っぽになるまでしくしく泣いた。どれくらいそうやっていたのかはわからない。けれども、涙があふれ出てくるさなかにも、私は幸福だった。かつてなかったほど幸福だった。それは慰めも悲しみも超えた、世界のあらゆる醜さと美しさを超えた幸福感だった。<本文より>
    ここ気に入りました。

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