冬の日誌

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制作 : Paul Auster  柴田 元幸 
  • 新潮社 (2017年2月28日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105217181

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冬の日誌の感想・レビュー・書評

  • 冬のニュー・ヨーク。ワシントン・スクエアは雪におおわれ、ベンチにも人の姿はない。コート姿の人の影が寂しく道を急ぐ様子。モノクロームで撮られた静謐な写真を使った書影が、いかにもポール・オースターらしい情感を湛えている。これは小説ではない。同じ作者による既刊の『孤独の発明』や『空腹の技法』に連なる、自分を素材にした一種の自伝的エッセイである。

    この後すぐに出ることになる『内面からの報告書』を、訳者は「ある精神の物語」と呼んでいる。対になっているこちらは「ある身体の物語」。たしかに、顔面を引き裂いた釘による怪我から、淋病や毛じらみといったセックスに係わる疾病まで、六十何年かの間、作家に降りかかってきた身体的な災難を片端から書き並べて見せるところなど、まさに「ある身体の物語」だろう。

    ただ、人間の身体と精神は別々のものではない。時には、ひとつながりのものであって、精神が難局に耐えられなくなった時に、それは身体を襲うことになる。オースターは、母親の突然の死に直面した時、一滴の涙を流すこともなく火葬から遺物の処理をこなし、一息ついた後、突然のパニック発作に襲われ、死を意識する。

    「これこそ君の人生の物語である。道が二叉に分かれたところへ来るたびに、体が故障する。君の体は心が知らないことを知っているのであり、故障の仕方をどう選ぶにせよ(単核症、胃炎、パニック発作)、君の恐怖と内的葛藤の痛みをつねに体が引き受けてきたのであり、心が立ち向かえない――立ち向かおうとしない――殴打を体が受けてきたのだ。」

    オースターの小説は、ミステリの体裁をとりながら、カフカやベケットの不条理劇を思い浮かばせるニューヨーク三部作から、最近の『闇の中の男』まで、内省的でありつつも底にユーモアを湛え、読んで面白いだけではない、考えさせられる何かを隠し持っている。初期から読んできた読者なら、ユダヤ人差別に対する激しい怒りの表出も、最愛の妻に対する臆面のない称賛もすでにおなじみのものばかり。

    それまでに住んできた所番地をすべてさらして、当時の暮らしの有様や思いを語る口調は、「君」という人称を使っていることもあって、どことなく懐古的。もうすぐ六十四歳になろうとする作家は、自分の生涯を総浚いする気になっているのだろう。年寄りの昔話ほど、聞いていてつまらないものはないわけだが、さすがにポール・オースター。事実を語っても小説以上に面白い話を選び抜いている。

    ほんの少ししか離れていない位置に座っていた友人が雷に打たれて死ぬ話は、すでに他の作品で読んで知っていたが、近所の悪がきに庭に繋いでいた愛犬のリードを解かれ、車に轢かれて死んだ話は初めてだ。子どもと犬が飛び出てきて、どちらかを選ぶしかなかったと語った相手の言葉に「違う、あの人は間違ってる、犬じゃなくて子供にぶつかるべきだったんだ、あいつをぶっ殺すべきだったんだ」と思ったところなど、いかにもオースターらしい。弱い者、虐げられている者に対する姿勢は少年時から変わらない。

    家族を乗せて運転していたカローラで事故を起こした時の話も短編小説のようだ。友人の父親の飄逸な遺言「いいか、チャーリー」「小便のチャンスは絶対逃がすな」から始まり、運転の上手さを誇っていた作家に対し、珍しく妻が異変を予感するところからサスペンスを高めていき、ついには交差点で左折時に対向車の速度を見誤って激突に至る事故の顛末を当人でなくてはかけないリアルさで綴っている。

    偶然交差点に居合わせたインド人医師の冷静な対処もあって、幸いなことに同乗していた愛犬も含め、家族は全員助かるが、新車のカローラは無残な有様に。後日、廃車置場を訪れ、どうしてこれで自分たちは助かったのか、と首をかしげる作家にドレッドヘアーの管理者が語る「天使があなたたちを見... 続きを読む

  • ポールオースター「冬の日誌」 http://www.shinchosha.co.jp/book/521718/ 読んだ。自伝だったのか。。オースター自身について些細なことまで書き尽くしてある。好きな食べ物が延々3ページも列挙されてるとか。内容よりも、一体どういう自意識でこれを書いたのか、のほうに興味がある(つづく

    わたしは他人や人の生活に興味がないんだなあ、とつくづく思った。作品を好きでも作家自身に興味はないの。日記に書くのではなく、これを作品として他人に読ませるのは何のため?別の構成や書き方ならもう少し興味を持って読めたかも。空腹の技法はおもしろかったのになー。住居変遷がよかった(おわり

  • 過去の自分に向かって「君は・・」と語りかける自分史。
    久しぶりのオースターです。小説だと思って借りたのですが、ジャンル的にはエッセイに当たるもののようです。
    淡々たる饒舌。
    これまで住んだ沢山の家の事、恋に落ちた女性たち、家族、30年連れ添い今も深く愛する奥さんについて、時代で並べるという事もせずに、ただひたすら書きこまれた文章。ほとんどページに余白というものが無く、しばしば見開きの2ページが全て文字で埋められています。
    もちろん翻訳なので原文は推測するしか無いのですが、饒舌なのに切れがあって、文章だけで作品の中に引き込まれて行きます(訳者さん、ご苦労様)。
    64歳になって老いを感じながら過去を振り返る。ただ、そこにあるのはおセンチなノスタルジーでは無く、淡々とした報告書のようです。来し方を振り返り、確認した上で次のステージに向かう、そんな感じがします。
    この「冬の日誌」はフィジカルな振り返りで、対をなすメンタル面が「内面からの報告書」という作品だそうです。少し間をあけて読んでみることにします。

  • 自叙伝的な内容。

  • 「内面からの報告書」がメンタル編でこちらがフィジカル編。体と地面が近かった子供の時に踏んだ冷たい床に始まり、怪我をしたり病気をしたり、20回以上引っ越した家、両親の死を受け止めた体の記憶…巧みな語りや描写力により最近の作家の小説より面白く読めるのだが、これを読んでいる人は私に限らずたぶんオースターの読者であり、「へえ、オースターはこんな人生を送ってきたのか」と思うから「面白く読める」ようには思うけれど。
    「内面」と並んで2冊も自分語りをするとは、オースターも歳を取ったものだ。ここまで付き合ったからには「4321」に、柴田さんの名訳ともども期待している。

  • あまりエッセイとか自叙伝のようなものは読みませんが、今回は好きな作家の自叙伝「的」な散文ということで、一つの小説のように受け止めて読んでみました。
    面白すぎます。
    二人称で自分を呼び、経験したことや感じたことを客観的に描いていますが、それが作家の主観を少し離して読ませてくれるので、自己主張が押し寄せてくるような自叙伝独特の印象はありません。
    共感できるエピソードや、考えさせてくれるエピソードが多分に散りばめられていて、書き散らしているような作品でありながら次々とページをめくらせる本です。
    事実は小説より奇なり、ともいいますが、まさしくそんな言葉を具現化している作品だと思います。
    ポール・オースターってどんな人?とか、どんな作品?とか、興味のある方は、入門編として是非。
    なお、対を為す作品で「内面からの報告書」という作品もありますが、それはこれから読みます。

  • やっと図書館で予約してたのが回ってきたら、お盆かよw
    その作品世界の稀有な美しさに比べて、多少出自が特殊とは言え、筆者の生の人生は、至って普通なアメリカ人のそれだ。ふーん、リディア・デイヴィスとこんなトコに住んでたんだ〜とか、お母さん三回も結婚したんだ(ボーイスカウトの野球でホームラン打っちゃうヒトだ)〜とか、なんか自分の下世話なトコを見せられて、精神衛生上、宜しくない。

  • ポール・オースターも既に初老と言われる世代に差し掛かっているのかと思うと、作家と云うものは、頻繁にメディアに出るものでは無いし(特に海外の読者にとっては)、大抵は作品を出版年度順で読むわけでも無いから、年齢を感じ難いものなのだなあと改めて思う。
    内容は、シンプルに表現すれば自分史であり、ノンフィクションだか、オースターの作家としての魅力と云うか、彼一流の表現方法や文章力が弛みなく発揮されていて、一種ドラマティックな家族史(少なくとも私のように平穏無事な人生を歩んでいる者からすれば)も相まって、まるで練りに練られて紡がれた物語の様にも思える。
    だが、何時もはより硬質で突き放した様な虚無感を孕んだオースターの作品とは違い、より血肉を感じさせ、ユーモアも皮肉もそれなりに、リアルな感情を伝えてくるものになっている。
    それは文章の中で彼が自身を「君」と呼ぶことでより顕著になる。彼は記憶の中の昨日までの自分を認め、愛し憐れみながら、より大きな視点で見つめて許している。
    今の自分が、かつてこうなりたいと思い描いた場所から遠く離れているとしても、その道は確かに過去から未来へ繋がっていると云うその喜びと共に。

  • 久しぶりのポール・オースター! 私は彼の本を読んでいるととても幸せな気分になるから不思議(^^♪

    60代になったオースターが半生を回想したカッコいい本で、とりわけ「身体」をみまった痛み、怪我、死と隣り合わせの恐怖と緊張に満ちた体験を物語のように綴っていておもしろい。

    「君」と語りかける二人称が新鮮です。作者オースターが過去のオースターに語りかける、幼いオースターは作者オースターであると同時にいまのオースターではない。人は二度と同じ川へは入れない、他者性をもつ様々な顔のオースターは、初期の『孤独の発明』や『ガラスの街』を彷彿とさせます♪

    「クラスメイトの何人かは体に障害を持っていた。……今日ふり返ると、こうした子供たちは君の教育の欠かせない一部分だったことがわかる。生活の中に彼らがいなかったら、人間であるとはどういうことなのかをめぐる君の理解はもっと貧しいものになっていただろう。深さも思いやりもない、痛みと辛さの哲学への洞察を欠いた理解になっていただろう」

    繊細さと共感力の高さは彼のあらゆる作品に溢れていますので、今更わたしが言うのもおこがましいのですが、この本を読んで一番驚いたのは、私の想像をはるかに超えたユダヤ系の人たちへの迫害、偏見、差別。ひどく不条理で陰湿なそれは、おそらくオースターの半生、とりわけ幼少のころのあらゆる場面で剥き出しの暴力となり痛みになったはずです。

    おもえばオースター作品の根底には、いつも大きなものに小突きまわされる小さなものたちへの憂いや配慮が感じられます。そんな彼の人間性が、小気味よい、でも一筋縄ではいかない独特の物語世界をとおして多くの読者の心を幸せにしたり温めたりするのかも。

    ちなみに、この本は、「精神」面にクローズアップした『内面からの報告書』と対になっています。また『トゥルーストーリーズ』を補完する本にもなっていますので、あわせてお読みになると面白いと思います。柴田さんの翻訳もいつもながら素晴しいですよ♪

  • ‪64歳となり人生の冬の季節に入った著者による自らの身体に関わる歴史を振り返ったエッセイ。近親者の死や住居の変遷、自身の怪我や病気など人気作家の裏にある肉体性が記されている。‬

  • まずジャケットが素晴らしい。

    小説家にとっては作品が自伝でもあって、あえて自伝を書く必要というのは覚え書き以外にはないのではないかな、と思いながら、読んだ。

    人生の冬に差し掛かり、自分のこれまでを振り返っているわけだが、自分を「君」と二人称にすることで、自分の半生に対して、ある距離感を保って描いたのは成功だと思う。
    部分的には、これもまたウィタセクスアリスかーそれは別に興味ないんだよなーと思うところも。

  • 遅かれ早かれ終わりがくることを自覚する64歳の作家が書いた自叙伝。
    移り住んできたたくさんの家を順番に述べる部分もあるが、子供の頃や青年期の思い出、結婚生活での出来事などが順不同に織り込まれ、まさに細切れに記憶を辿っているという感じが味わえる。
    著書のいくつかの作品の主題となっている、アイデンティティを意識させられた。

  • 偶然のように、しかしどこまでも周到にこれまでの人生を語っている。息苦しいほどに。

  • ポールオースター、現代アメリカ文学を代表するうちの一人である作者(私は割と最近『リバイアサン』からのお付き合い)が晩年を迎えて、己が半生を綴った文字通りの『日誌』。
    序盤はやや単調に感じてしまったが、後半、共感とともに引き込まれていた。

    ひとりの人間と彼を取り巻く複雑な環境からは人生における喪失や哀しみ、決して平坦ではなく、喜びよりは苦悩に彩られている様が強く窺えた。

    ただ読後、不思議なことにネガティヴな感情よりむしろ仄かに希望を抱かせる作品であった。

    まさに『パンドラの甕』の趣き。

  • とても私的な話ばかりなのだけど、君、という繰り返される呼びかけのせいか、自分に起こったことのように思えて来る。
    と言っても、今ここにいる私ではなく、どこか遠いところ、時間も空間も遠い私。
    読み終えると、長い旅から帰ったような気持ちになった。

  • 64歳ってまだまだ若いやん、と思うけど、冬なのか。
    「内面からの報告書」も読む。

  • Paul Auster's biographic novel. Memories of physical experiences, and life in N.Y. and Paris. (マサト)

  • 『全体の文脈の中ではすべて見慣れていても、部分を取り出してしまえばまったくの匿名性に埋もれてしまう。人はみな自分にとって見知らぬ異人なのであり、自分が誰なのかわかっている気がするのは、他人の目の中で生きているからにすぎない』

    こうしてまとまった文章は、どれもどこかで読んだようでもありながら、今まさに作家の口から語られたばかりの話のようでもある。それは、並べられた記憶のピースが一見何の脈絡もなく、まるで死を前にした人が見るという人生の走馬灯を眺めるような印象を与えるように流れていくからだ。

    記憶はいつも突然よみがえる。匂いや色、温度や湿度。五感をくすぐる刺激によっていとも簡単に。だのに思い出そうとすると記憶はいつも霞が掛かったようにぼんやりと輪郭を曖昧にする。楽しかった思い出は特に遠い。そんな凡人の記憶力と比べることも無意味だが、ポール・オースターのメモリーは、そんな曖昧さの欠片も感じさせない程きめ細かい。それが作家の性(さが)なのか、そんな記憶のコレクションが彼を作家に導いたのか。事実は小説よりも希なりと言うけれど、確かにポール・オースターの「トゥルー・ストーリーズ」は、いつも驚きに満ちている。しかし、これは小説の裏話を聞かせるために書かれた文章ではない。記憶を巡る考察と受け止める方がよい。

    一つ一つの段落は、語られる時間も前後し、長さもまちまちだが、その一定でないテンポが記憶を手繰り寄せるもどかしさと響き合う。どの話も結論めいたものがある訳でもなく、と言って何も示唆していない訳でもない。記憶に残らないものは存在しないものと同じだと言ったのはエーコだったか。ポール・オースターのしていることは、いつでも記憶の中で再び人々に生を取り戻す行為だとも言えると思う。

    凡人とは比べようもないと言ったけれど、ポール・オースターの記憶もまた身体の痛みや刺激と結びついているようであることが、本書を読み進めると理解される。なるほど、あとがきで柴田さんが言う通り。やはり本書は身体に刻まれた記憶を巡る考察、あるいはそのことが読者に及ぼす作用を狙った仕掛けだ。作家自身の感情もまた大きな波のように身体に繰り返し現れる症状と伴に記憶されていることが描かれ、その痛みと伴に感情が甦るかのよう。にもかかわらず、書かれた文章からは、痛みがそれ程伝わっては来ない。伝わるのはただ衝撃を受け止めた身体が起こす反射的な作用、神経の脳への伝達が遮断されて起きる貧血に似た脳の痺れ。もちろんそれは、書かれた出来事を想像して感じるのではなく、似たような記憶を手繰り寄せることで自分自身に再現される身体の反応だ。他人の記憶を辿りながら、自分自身の記憶と身体の結び付きを強く意識させられる。そして、作家自身が被った痛みについては、幽体離脱したものが自分自身を見るようして語られ、無表情のまま押しやられる。それが非凡な作家の天性の語り口なのか創作の技法なのか見極める術もないけれど、他人の記憶までもを呼び起こすポール・オースターの文書には、深い感動がある。

  • オースターの64年の人生における体の経験を語るエッセイ。

    どこまでが本当の体験談で、どこまでが創作なのかはわからないけれど、人生の晩年を振り返ったときには体のそれぞれに物語があるのだろう。

    最後の1ページに集約する想いが心に残る。

  • 64年分の羅列された身体の描写や、64年間食べ続けたものの羅列を読んでいると突然、生きていく人の存在そのものに愛しさが募りなみだがでてくる。
    そして時に、二言三言会話を交わすだけの通りすがりの人間(例えば車の修理工場の人など)との描写。人の形をした天使に出会う事もある、生きているとそんな事もある。
    柴田先生の朗読を聴けた事は一生忘れないだろう。次に出版される内面の報告書も、楽しみだ。

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いま語れ、手遅れにならないうちに。肉体と感覚をめぐる、あたたかな回想録。幼いころの大けが。性の目覚め。パリでの貧乏暮らし。妻との出会い。自動車事故。暮らしてきた家々。記憶に残る母の姿と、その突然の死。「人生の冬」にさしかかった著者が、若き日の自分への共感と同情、そしていくぶんの羨望をもって綴る「ある身体の物語」。現代米文学を代表する作家による、率直で心に沁みるメモワール。

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