トマス・ピンチョン全小説 メイスン&ディクスン(下) (Thomas Pynchon Complete Collection)
- 新潮社 (2010年6月30日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (558ページ)
- / ISBN・EAN: 9784105372033
作品紹介・あらすじ
独立の気運高まる。新大陸についに上陸したメイスンとディクスン。怪しげな人物に奇妙な生物が跋扈するなか、幅8マイルもの境界を設けるべく、森を、山を、切り拓きつつ測量の旅へと乗り出したふたりだったが…。読むものの度肝を抜く想像力と精緻極まりない史実が紡ぎだす微笑・苦笑・爆笑のエピソードの数々。黎明期の新天地に夢を見直す旅の果てとは-?ニューヨーク・タイムズ「ベスト・ブック・オブ・ザ・イヤー」選出全米図書賞最終候補世界的名声を誇る著者の傑作長篇。
感想・レビュー・書評
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終わった・・・10カ月読んだ・・・
うぅ、さ、寂しい~~
旅が終わってしまった。彼らは死んでしまった。噫!詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ときは植民地時代。新大陸を横断する線を引く天文観測士2人のロードムービー。ムービーじゃないけど。
脱線に告ぐ脱線と、始まりと終わりのはっきりしない妄想が錯綜して、何度も置いてけぼりになりそうになったけど、寸前のところで本筋に戻るのでぎりぎりついていけた。
文体が意図的に古風に書かれているのだけど、その一見すると重厚そうな口調とは裏腹に終始一貫してふざけてる。登場人物がふざけている、のではなくて、語りそのものがずっとふざけている。言わば、悪ふざけの語りだけで構成されたシリアスな物語。
まったく期待してなかったけど、ちゃんと終幕まで用意されていて、これがまたいい終わり方だった。普通のようで普通でないけど、でも終わってみれば案外普通だったかも・・?ていう。で、普通が結局一番いいじゃん、ていう話。
読みにくいのは確かだけど、面白かった。
史実を基にしているのだけど、「歴史」を軸に展開するのではなく、あくまで「メイスン」と「ディクスン」を軸に物語が展開される。二人のキャラクターを想像力だけで細部にわたって掘り起こすさまはやっぱり圧巻だった。 -
2020/6/26購入
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下巻を先に買うの巻。
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ピンチョンの小説を語るときによく問題にされる、荒唐無稽なエピソードの数々が織りなす重層的な物語の構造は本作でも踏襲されていて、インディアン捕囚を連想させる53章、亡き妻を幻視するメイスンの醸し出すメランコリックな空気、狼男ならぬビーバー男とその妻が主演を務めるメロドラマ、念力で空を飛んだディクスンが女王の幽霊に送る熱い視線、アーサー王伝説を思わせるドラゴン退治の逸話、王立協会で繰り広げられる政治的な闘争、アメリカ大陸におけるイエズス会の暗躍、独立戦争前の緊迫した雰囲気、世界中にはびこる奴隷制など読んでいて飽きがこない。だがしかし、本作の魅力はなんと言ってもメイスンとディクスンという二人の愉快なキャラクターであり、ピンチョンの二人への寄り添いようである。『V.』や『重力の虹』など、ピンチョンはどちらかといえば登場人物の誰かに肩入れするということをしてこなかった作家である。そもそも前述の二作品で採用された、物語の進行をカメラのレンズ越しに追いかけるような描き方とは違って、この作品にはウィックス・チェリコーク牧師という語り部が存在する。
物語は1786年クリスマス期のフィラデルフィア、世界中を旅してきたチェリコーク牧師が親戚一同に「おはなし」をするところから始まる。(メイスンの)葬儀に参列するためにフィラデルフィアに戻ってきたチェリコーク牧師は長居するつもりはなかったのに、なんやかんやとするうちに妹エリザベスの家に思いがけない長逗留をしている。その間、牧師の話に家族みんなで耳を傾けるのが午後の慣わしとなっている。ある日甥っ子たちに「アメリカの話をして」と促されたのをきっかけにチェリコークは二十年前の1766年にメイスンとディクスンの測量に同行した話を語り出す。(この時代設定も実に絶妙で、1786年はアメリカ独立宣言の前年であり、1766年は印紙法が課された翌年、独立戦争への機運が高まっていた頃である)。
以降、チェリコーク牧師がメイスンとディクソンのことを語り、幕間に聞き手がツッコミを入れるという形で物語は進行する。当然、牧師が二人のことを何から何まで網羅しているはずはなく、二人の出会いについては二人が昔を思い出して話しているのを聞いたのであり、そのほか多くの部分が牧師の想像によって語られてゆく。そういう意味でチェリコークはピンチョンの分身であるわけだ。(続く。眠いので中断)。冒頭でピンチョンのMとDへの寄り添いようが良いと言ったが、それはつまりピンチョンの分身たるチェリコークが二人のことを「正確に」というより「正直に」語ろうとしているということである。死の床にあるメイスンを妻と息子たちが取り囲むという、いつになくセンチメンタルなラストからもチェリコーク(ピンチョン)の二人に寄せる愛の深さが窺える。
また、この語り部の存在は、ストーリーテーリングの力を感じさせもする。「人間愛」だとか「実存」だとかのテーマに絡め取られない、物語られることでしか語られ得ぬものがそこでは展開されている。この物語の力について牧師自身が言及している興味深い一節がある。最後にそれを引用して感想文の〆としたい。舞台はボルチモア。奴隷商人の振る舞いに我慢がならないディクスンが(おそらくは人道的な怒りに駆られて)商人の鞭を奪い、黒人奴隷を解放したという牧師の話に聞き手のアイヴズがツッコミを入れる場面。
72章からの引用。
「証拠はない、」アイヴズが断じる。「確かに、そもそも日誌にも、何日も記載はない、―でもとにかく証拠はないのだ。」
「いやいや、」牧師が目を輝かせる、「儂らはその鞭に無限定の信頼を置かねばならぬ。物語こそが正にその存在を物語っているのだ、―これら家族伝承は、何世代にも亘り家庭内で為される校訂作業の鍛冶場に於いて完璧の域にまで高められたのであり、その末に残ったのは、それぞれの人物を巡る、厳しく鍛錬された純粋なる真実に他ならぬ、―仮令それ等の人物像が、無分別な愛から頑固な嫌悪に至る種々の感情によって、長年の間に歪められ、引延ばされていようとも。」
「無責任な装飾って奴もお忘れなく。」
「寧ろそれは、記憶という万人の義務に免れ難く付随する要素だ。我等の様々な感慨は、―我等が互いに関して如何に夢見、互いを巡って如何に誤った思いを抱いたかも、―血の通わぬ年代記と少なくとも同等の重みを持つべきなのだ。」
素朴な疑問。牧師は何日掛けてこれを語ったのか。上下巻合わせて1000ページを越える大著である。 -
最後まで難解で、一行も追えない自分の読解力の無さが情けない。でも年代さえも飛び越える雑多感はタイプ。新し版でもう一度読みたい。
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もしも[四千万歩の男][天地明察][奥の細道][蝦夷地別件]などに親しみを覚える方ならば、この上下あわせて1000頁を超える物語に是非触れてみて欲しい。北米大陸を測量して境界線を作成するとは、本国英国の石炭需要を満たしつつ、原住民との関係を穿つ事に他ならない。江戸時代中期からの蝦夷地探索、測量、支配とアイヌとの歴史がリンクする。しかし単なる歴史小説ではない。読んでいるといつの間にか別の処に連れていかれるようなピンチョン+柴田による文体の妙。見上げると満天の星。メイスンは偏屈だが、普段の自分と姿がダブる。
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上巻から1年半かかって読破
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(承前)アメリカ南部と北部を二分するといわれているメリーランドとペンシルバニアの境界線をメイスン・ディクスン線というんだよ、そういう名まえであることは、アメリカ人なら小学生でも知っているらしい—ということが、この小説の唯一の前知識で、たしか新宿三丁目の“どん底”でヤマタツさんから聞いたのでした。
どうでもいいですが、“どん底”のチーズオムレツは美味しいよ。トマトサラダといっしょに食べるのがおすすめ。
日本の場合、国土の7割が山岳で、人が住めるエリアは限られていますから、県境はおのずと居住不可能な山や川など自然の地形によって決まり、ジグザグだったり複雑な線を描くのがふつうです。一方、アメリカ中部、南部、西部の州境は単純な直線が多いんですね。このあたり、だだっぴろい平地があるだけで目印になるような山脈も河川もない、それでも利害とか政治とかが絡むので無理矢理にでも分けなきゃってことで、あたかも地図上に定規をあてて線引きしたかのように見えますが、実際に定規で引いちゃったっていうんだからお立ち合い。メイスン・ディクスン線も北緯39度43分の線分を基準とした数理州境です。つまり「ない」ものを「ある」ことにした線で、『M&D』はこれを測量する話ですから、もともとの始まりが「ある」こと「ない」こと、ごちゃまぜのいっしょくた。なのでこの好々爺の話しっぷりが、あっち飛び、こっち飛び、脱線したり、断線したり、ときどき誰がアタシで誰がアンタなのか区別がつかなくなるのもお約束といえばまあお約束。
ところで出典は忘れてしまいましたが、アメリカ人の子どもがいちばん最初に覚えるおしゃべりのセンテンスは“It's mine.(それアタシのよ)”で、二番めが“It's not fair.(アンタ、ずるいわよ)”なんだそうです。ニンゲン、「おぎゃあ」とうまれたときは、アンタとアタシは未分化なので、それらを分け、隔てるところから、一生が始まるのですね。そういう意味では、これはアメリカがまだアンタとアタシの区別が曖昧だった、つまり線引きする前の時代のお話です。ひとは争いがおこるから境目のないところに線を引こうとするのか、逆に線を引くことによって争いがうまれるのか。いずれにせよ線が引かれた後の時代に生きるわたくしたちは、好々爺のニタニタ笑いにつきあってるうちに、もはや線を引く前に忘れてきたものを取り返せないことに気づくのです。
【付録】
*というわたくしの駄文はさておき、「行ったつもり『メイスン&ディクスン』発売記念、柴田元幸氏トークイベント」をfacebookのノートにまとめてあります。アカウントをお持ちで、ご興味あるフォロワーさんはそちらもどうぞ。
それにしても、もう1年以上になるのだにゃあ。
*上記でも紹介していますが、アクセスできないかたのために、3分でわかる『M&D』こと、マーク・ノップラーの“Sailing To Philadelphia”はこちら。
Mark Knopfler - Sailing To Philadelphia (Luxemburg 2010)
http://www.youtube.com/watch?v=VWHxnkZmVDo&feature=player_embedded
*「ピンチョン検定」なるものがあるのでやってみました。
全5問正解して「全国1位:あなたはピンチョンに詳しい人」と認定されてしまいましたが、それは違うと思うぞ。
合格ラインは全5問中4問ですが、すでに53人中51人が合格と、ようするに問題がやさしいのではなく、ほぼ“オタク”しか挑戦していないと思われ。あなたもトライ。
トマス・ピンチョン検定
http://kentei.cc/k/1045097