大いなる探求(下) 人類は経済を制御できるか

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制作 : 徳川 家広 
  • 新潮社 (2013年6月28日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (357ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105415037

大いなる探求(下) 人類は経済を制御できるかの感想・レビュー・書評

  • 上巻に続き、経済学者の思想の背景を、彼らが生きた時代の状況と合わせて解説するもの。フリードマン、シュンペーター、ハイエク、サミュエルソン、ジョーン・ロビンソン、アマルティア・セン。感想としては、経済学というのは単に社会・経済の状況の統計・分析を行うだけもののではなく、平和な世界の前提条件を考えるものであること。景気循環は発展をもたらすものであるから、不況が起こるのは自然であり、むしろ健全とも言えること。経済の自由の侵害はやがて政治的自由の侵害へつながること。

  • 経済学の思想史という側面もあるが、一般的に理論の系譜を振り返るというより、経済学が政策や政治を動かす力をどのようにして得ていったかということを振り返る書物だった。

    上巻では、経済理論、特に計量モデルを使った経済学が現実社会を説明することができるということを、経済学者が徐々に社会に説得していったプロセスが描かれていると感じた。

    そして下巻では、ケインズを中心に、現実の政策、そして政治の中で活躍の場を広げていく経済学者の姿を描いている。

    もちろん、ハイエクのように経済政策の役割に限定的な位置づけを与える理論家もいるし、計量経済学のモデルが実際の社会を予測しきることができているのかについて、現在でも懐疑的な意見は多くある。

    しかし、過去を振り返ってみると、経済学自体が今のように重要な位置を政策や政治の中で与えられるにいたるまでには、非常に長いプロセスがあったのだということは、意外であった。

    経済学のない社会は現在ではとても想像できないが、この本を読むことで経済学が今の社会に果たしている役割とその限界について新しい視点から考えることができるように感じた。

  • 第2部 恐怖
    第3部 自信

  • 下巻は、戦中・戦間期のことが多くを占めていたので、理論的な部分よりも政治的、人間的な部分によりスポットが当たっており、評価が難しい。このへんは、まさに個人の人間観や好き嫌いでしか語れないような部分だろう。さらに言えば、この辺りは現代に近いので、歴史的な解釈部分についても人それぞれ違いがありそうで、この本だけで登場する人物の評価をすることもまた難しい。例えば、私の感覚では、ナサーのルーズベルトに対する評価は甘すぎるのではないかと感じる。たぶんそれぞれの読者の受け止め方にはずれがあるのだろう、という感じは持った。
    印象に残った部分について個人的な感想を書いておきたい。ケインズについては、その理論の核心部分についてわかりやすく説明してあるのがよかった。すなわち、一般理論が革新的だったのは、政府の財政政策の必要性でも、不景気時における赤字財政の正当化でも、ミクロとマクロの結果が一致しない合成の誤謬でもなく、貯蓄の存在によりセーの法則が成り立たなくなりその結果として完全な自由市場においても完全雇用が成り立たない可能性が存在するということを証明したということだ、とのこと。これは、現在の政策にも大きな示唆を持っているだろう。それから、少なくともケインズは2度の大戦の処理を通して人類に対して大きな貢献をしていると言えるだろう。それは、戦後賠償の仕組みをなくしたことにより、戦争を割の合うビジネスではなくしたことだ。それまでは、政府が借金を積み上げても、戦争を起こして勝てば相手国に全部支払わせるということで、戦争を起こす動機づけは非常に強かったわけだが、その選択肢が無くなったということで、勝とうが負けようが、戦争を起こす経済的なリスクは限りなく大きくなり、故に大国間での戦争は抑えられるようになったと言えるだろう。
    フィッシャー、ケインズ、ハイエク、そしてシュンペーターの経済に対する向き合い方の比較も面白かった。国家が比較的しっかりしていたアメリカのフィッシャーとイギリスのケインズは、政府による経済管理についてある程度の自信を持っていたが、結局のところは政府の方に彼らの意見を採用する意思がなく大不況を止められなかった。第一次大戦によって国家の崩壊を経験したオーストリアのハイエクとシュンペーターは、それぞれのやり方で、国家にはそれほど期待しなかった。ハイエクはルールに基づいて国家運営がなされるべきだと主張し、これは結果としては意見が取り入れられなかったフィッシャーやケインズよりも正しい指摘だったと言えるだろう。一方のシュンペーターは、自分の人生とも重ね合わせて、運命論に傾いて行ったとのこと。一つとても惜しいと思ったのが、シュンペーターがもし東京帝大の招聘を受けて日本に来ていたら、ということだ。もしそうだとしても、彼の人生における悲劇はおそらく避けられなかっただろうが、日本の行く末は多少は変えられたのではないか、と残念でならない。少なくともヨーロッパに強いネットワークを持つ彼が何らかの形で政府に助言をしていてくれれば、欧州のことは複雑怪奇、などという状況に追い込まれることはなかったのではないだろうか。そして、経済の国家主義化に対しても歯止めをかけてくれたのではないだろうか。それで歴史が大きく変わったかどうかはわからないが、惜しいことだった。
    ベアトリス・ウェッブとジョーン・ロビンソンについては、今現在に生きる私には、何が彼女たちをそれほど共産主義に共鳴せしめたのかが、まったく理解できない。初期資本主義というのは、そんなにまでして否定しなければならないほどひどい状態だったのだろうか。経済学を学んでいるのだから、当然スミスくらいは読んでいるはずだろうが、スミスとマルクスを比べて一体どの点でマルクスに共感を覚えるのだろうか。私にはその魅力が全く理解も想像もできないのだ... 続きを読む

  • 経済学大河ドラマの後半の主人公は、シュンペーター、ケインズ、ハイエクか。3人の天才の距離感が移ろいながら第二次世界大戦を挟んで経済学が世界の関係を作るプラットフォームになっていきます。激動の時代、それぞれの業績だけではなく、それぞれの資産形成の浮き沈みが描かれているところがこの物語にエンターテインを与えています。やっぱりどんな人生を歩むかが思想形成に影響するんですよね。お金だけじゃなくて同性愛あり、不倫三角関係あり、この生々しさが、やっぱり経済学って数学であると同時に人間の学問であることを伝えていると思います。ところで本書の最終章はアマルティア・センに当てられています。上下巻通じて舞台はずっと欧米でしたが、この終わり方が、著者のこれまでの経済学の総括と、これからの経済学への期待になっているのかな?と考えたりしました。

  • 後半はケインズが多くの頁を占め、サミュエルソンからセンまで駆け足で終わる
    やはり上巻のように、当時の雰囲気はよく伝えてくれてはいる
    ロバート・ソローのこの本の批評を見たので、かなり酷い内容かと思ったが、それほどではなかった

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大いなる探求(下) 人類は経済を制御できるかの作品紹介

経済学者たちは命がけで考え、戦い、恋をした――。なぜ貧困や格差が生まれ、なぜ恐慌や戦争が起こるのか――文明社会の存亡を握るこの大難題に挑んだ天才たちがいた。マルクス、マーシャル、シュンペーター、ケインズ、ハイエク、セン……偉大な経済学者たちの理論と破天荒な人生を鮮やかに描く、世界的ヒット『ビューティフル・マインド』の著者による歴史ノンフィクション。

大いなる探求(下) 人類は経済を制御できるかはこんな本です

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