- Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
- / ISBN・EAN: 9784105900533
作品紹介・あらすじ
旅仕事の父に伴われてやってきた少年と、ある町の少女との特別な絆。30年後に再会した二人が背負う、人生の苦さと思い出の甘やかさ(「イラクサ」)。孤独な未婚の家政婦が少女たちの偽のラブレターにひっかかるが、それが思わぬ顛末となる「恋占い」。そのほか、足かせとなる出自と縁を切ろうともがく少女、たった一度の息をのむような不倫の体験を宝のように抱えて生きる女性など、さまざまな人生を、長い年月を見通す卓抜したまなざしで捉えた九つの物語。長篇小説のようなずっしりした読後感を残す大人のための短篇集。
感想・レビュー・書評
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読んだ後しばらく考え込んでしまうような、読み応えがある話だらけ。
情景の描写が細かくて、個人的にはとても入り込める時と間延びして感じてしまう時があった。
なんだかもどかしい気持ちになる話が多かった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
久しぶりに読み応えのある本に出会いました。
9つの短編それぞれが、何処にでもいるごくごく普通の人達の物語。
それぞれの物語が映画のシーンのように突然始まって、この人誰?この人何者?ここで何やってるの?と疑問が生じ、読んでるうちに一つ一つ謎が解けていく。
日本語版の表題は『イラクサ』ですが、原作の表題は『恋占い』、個人的にその話が一番面白かった。
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主人公は老人と孫娘だけで暮らす家の家政婦。決して美人とは言えず…というか醜いと思われる事が多い。離れて暮している孫娘の父親と密かに文通していて、それが心の支えになっている。ところが父親からの手紙は孫娘の友達の悪戯だった。
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どの話も予想外の終わり方をするが、↑の話は驚きの展開でした。 -
書き出しは謎のような箴言のような一節ではじまる。あるいは、真空管があたたまって回路がつながったラジオから聞こえてくる会話のような。そんな切れ端だけでは、なんともつかみがたい見知らぬ他人の人生の中に土足で入り込んだような落ち着かない気持ちのまま、おずおずと物語のなかに招じ入れられるのだ。心してかからなければならない。見かけから伝わってくる印象ほど、理解するのは容易ではないのだ。今しがた足を踏み入れた場所は、他人には見せたことのない隠れ場所のようなものだから。整ってもいないし、快適でもない。積りつもった塵埃や湿気でぼろぼろになった古証文が散らばったままの地下室みたいなものだ。
アリス・マンローの短篇小説を読むのは心躍る行為だ。そこには、他の作家の見せてくれる世界とは確かに異なる光景が用意されている。北米大陸カナダを舞台にしてはいるが、飛び抜けて酷薄な自然があるわけでも、信じられないような事件が起きるわけでもない。読者が入り込むことを期待されているのは、誰にでもあって、どこにでも起こりうる、ごく普通の家族や親類縁者、友人知人の間にある長きにわたる交流だ。誰にだって、一人や二人噂話のタネになりそうな知り合いはいる。笑い話にされたり愚痴の対象であったりするが、世間というのはきっと、そういう人が潤滑油となって機能しているのだ。
一口で言えばゴシップである。誰それがどうした、こうしたという、主婦が台所で友だちと洗い物をしながら話したり、パーティー会場の片隅で声を潜めて語ったりするような仲間うちでの打ち明け話。有り体にいえば、小説というのは、それを読者という他者に開放してみせたものだ。アリス・マンローの凄いところは、難易度の高い手術を短時間にし遂げる外科医に似ている。たぶん傍で見ている者には、そこで何が行われているのか見当もつかないくらいの速度で事態が処理されている。特に現在と複数の過去の時間の処理。速い時には段落単位、高速度で切り替わるので、慣れない読者は面食らうにちがいない。馴れるとやみつきになるのだが。
素材となるのは自分とその周りにいた人物が主だ。人物に憑依したかと思えるほど、心の奥底に閉じこめ、誰にも見せなかったであろう思いを、腹腔鏡でも使うように適切な部位を過不足なく摘出してみせる。他の誰にもない、というのはそこである。他者を扱うなら思う存分メスでも何でも振るえばいい。しかし、どんな名手でも自分相手となればそうはいかない。躊躇が、逡巡が目を曇らせ、手を震えさせる。自分を自分ではない赤の他人のように冷静に、時には悪意さえ感じられるほど酷薄に見つめ、意識の深奥部に沈めてしまったであろう過去の記憶を探査し、掘り起こし、切り捌く、その手際に魅了されるのだ。
訳者によるマンローの邦訳としては初めてのもの。考え抜かれた選択だったろう。いかにもアリス・マンローという作品が並ぶ。いつも最後の文章に魅かれるのだが、父のいとこの思い出を語る「家に伝わる家具」の「なかに入って、コーヒーを飲んだ。コーヒーは沸かしなおしで、黒くて苦く――薬みたいな味がした。まさにわたしが飲みたかったものだった」がいい。マンローの書く自伝風短篇の味を語り尽くしている。今ひとつあげるなら、「ポスト・アンド・ビーム」か。
大学教授の妻になって二人の子を持つ年若いローナを訪ねて、実家から幼なじみのポリーがやってくる。そりが合わない夫とポーラの間に立って苦慮するローナはポリーを突き放すかたちで家を空ける。留守中絶望したポリーが自殺するのではという妄想に、ローナは神との取引を思いつく。自分の大事な何かを手放す代わりに、自殺を思いとどまらせて、と。神様との取引という民話によくある話を夫の教え子との「姦通」願望にからませ、幼な妻の揺れ動く心に迫る一篇。その思いがけない結末は神慮なのか、それとも思いなしか。読み方ひとつでどうにでもとれる、オープン・エンドもまたマンローの得意とするところ。表題作の「イラクサ」、「浮橋」も「人生の苦さと思い出の甘やかさ」を湛えて詩情あふれる佳篇。 -
圧倒された。
自分の人生とは似ても似つかないのに、懐かしい感情が、苦く甘く込み上げてくる。記憶は古びていたとしても、その感情はあまりにみずみずしく驚いてしまった。
アリス・マンローの小説はそういうものを掘り起こしてしまう。鋭い眼差しの中に感じられる愛嬌が、あらゆる耐えがたさを微かに和らげてくれるよう。
表題作『イラクサ』はまさに傑作だと思う。 -
アリス・マンロー単独の短篇集としては初めて読んだのだが、いや~、これは良かった。小説を読んだなあという深々とした満足感でいっぱい。
すごく刺激的というわけではないのに、どこかスリリングな読み心地がする。よくあるお話でもないのに、どういうわけか、これが人生なのだと思わせられる。そう、読みながらずっと、長くてはかない人生というものを考えずにはいられない、これはそういう小説だ。
最初の「恋占い」という短篇にまずぐっとひきつけられた。残酷な話か、はたまた「いい話」か、どちらにすることもできそうだが、作者はどちらにもしない。そこがいい。独身の家政婦ジョアンナの造型が見事。映画化されたそうだが、日本では公開されていないようだ。観てみたいなあ。
表題作「イラクサ」も良かった。「旅仕事の父に伴われてやってきた少年と、ある町の少女との特別な絆。30年後に再会した二人が背負う、人生の苦さと思い出の甘やかさ」と紹介されている、まさにその通り、苦くて甘いお話だ。ゴルフコースで通り雨と突風に見舞われた二人が近くの草原にうずくまる。そこに咲いている野花の描写が美しい。でもその中にはイラクサもあって、二人ともかぶれてしまうのが象徴的だ。
最も心に残ったのは「家に伝わる家具」。語り手の女性は、豊かではない家や支配的な母親、閉鎖的で俗っぽい親戚たちを嫌悪し、故郷を飛び出してもの書きとなっている。これはアリス・マンローの作品では繰り返し登場する設定のようで、ほぼ作者自身とみていいようだ。自負心と孤独がない交ぜになったこの女性に、生い立ちは違っても、自分を重ね合わせる人は結構いるんじゃないだろうか。少なくとも私はそうだ。
「わたし」は、食べ物のことや噂話で明け暮れする暮らしにはうんざりだ。身内の女たちは、まるでそうする当然の権利があるかのように、「わたし」にズカズカと踏み込んでくる。容姿について、性格について、生き方について。「あら、太った?」「あんたは前から頑固だったものね」「もっとお母さんの面倒を見てあげたら?」などなど、などなど…。うーん、身につまされる。
さらに、そうなのよね~と思うのは、彼女が時折、結局そういう人たちの方が正しいのではないかと思ってしまうところ。自分の方が畸形で、真っ当なものから切り離されて漂っているのではないかと。でも、彼女は一人でドラッグストアのまずいコーヒーを飲みながら、自分の書きたい物語について考える。
「それがわたしの望んでいたもの、それがわたしが留意せねばと思っていたこと、それこそわたしが送りたいと思っていた人生だった」
こういうものに出会えるから本を読むのはやめられない。クレストブックスらしく装幀も美しい一冊だ。 -
「使いものにならない、身のほどをわきまえた愛。危険はひとつも冒さないけれど、それでも甘い滴りとして、地下資源として生き続ける。その上に、この新たな沈黙の重みを乗せて。この封印を。」
くるったようにまいにちアリスマンローなのだけれど、物語のはじまりにはいつだってどきどきしちゃう。時のながれとともに変わりゆく街並みと、人生の突飛さはとどまるところをしらず、それは哀愁をよぶものから滑稽にさえおもえるようなものへとその対象をうつしてゆくよう。
ふとした瞬間におとずれる満ち足りた幸せは、本のなかでふれる他人の人生、ごくたまに行くお笑いライヴ、そんなエキサイティングなできごとでなくて、年に50日程度の休日、繁盛しない(あるいはさせようともしない)店での、そんな日々のささやかなルーティーンのなかで訪れる。この人生における健気さは、誇ってもいいのだとおもった。楽しいことをつくらなければ、楽しくない は存在しないのだと気がついたときの寂しさと穏やかさのように、日々の倹しい美しさを思い出させてくれる。
"率直で曖昧、優しくて皮肉っぽい" わたしも、こころをすこしでもアンロックにしてしまったら、また愚かなことをしてしまうかもしれない、なんていうどうしようのなさを引きずりながら。
だって、「人生にはかなわないもんね」。
Hateship, Friendship, Courtship, Loveship, Marriage。もうそんなふうに、花びらをむしってゆくなんてことはしないけれど。
「Comfort」がくるおしいくらいに好きだった。「Post and Beam」も。じぶんが(あなたが)特別な存在だったかもしれないだなんて、ほんと笑っちゃう、そんなドラマチックなんて。
「しかし一方で ── 気持ちが高ぶった。急速に近づいてくる厄災が人生に対する責任のすべてから解放してくれるのだとわかっているときに感じる、言うに言われぬ高揚感だ。それから恥ずかしくなって、気を落ち着けて、じっと黙っていた。」
「それは、自分にとって本当に大切なものに対して、わたしが二度とつく必要のないことを願いたい類のうそであり、示す必要がないことを願いたい軽蔑だった。そんなことをする必要がないよう、わたしはなんとか以前の知り合いからは離れていなければならなかったのだ。」
「それぞれに結婚生活があるからこそ、このべつのなにかが甘やかで心を慰めてくれる期待となっていたのだ。それは独自で保てるようなものではなさそうだった。たとえ二人とも自由だったとしても。かといって、なんでもないわけでもなかった。試してみて、崩れ去るのを見てから、なんでもなかったと思うことになる危険もあった。」
「だが、まえには気づかなかったことに気づくようにもなった。毎朝ウィンドウに面したスツールや歩道のテーブルに座っている人々の幾人かが浮かべる表情に ── こうしているのがぜんぜんすばらしいことではなく、孤独な生活のありふれた習慣でしかない人たちの。」
「彼に会うときはのんきそうな顔をして、自立しているところを見せつけようとした。ニュースを交換し ─ わたしは必ずニュースを用意しておいた ── いっしょにわらい、峡谷へ散歩に行った。でも、わたしがほんとうに望んでいたのは、ただ彼をセックスに誘い込むことだけだった。セックスの激しい情熱が互いの最上の自我を融合させてくれると思っていたのだ。わたしはこういうことに関して愚かだった。」
「ずうずうしくなりすぎるかはにかみすぎるか、たいていはそうなってしまう。」
「冒険ってやつ。でもね。冒険に見えたけど、すべて筋書き通りなの、わかるでしょ。」
「そりゃ、もちろん、あの人がまちがってたのよ。男ってね、まともじゃないの、クリシー。あんたにも結婚したらわかるけどね」
「それに──と彼女は言った──ひとつはそういう場所がなくちゃ、いろいろ想像もし、知ってもいて、もしかしたら憧れてもいて──だけどぜったいにこの目で見ることはないってところが。」
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『旅仕事の父に伴われてやってきた少年と、ある町の少女との特別な絆。三十年後に再会した二人が背負う人生の苦さと思い出の甘やかさ(「イラクサ」)。長篇小説のようなずっしりした読後感の残る九つの短篇。チェーホフ、ウェルティらと並び賞される作家の最高傑作。コモンウェルス賞受賞、NYタイムズ「今年の10冊」選出作。』(「新潮社」サイトより▽)
https://www.shinchosha.co.jp/book/590053/
目次
恋占い/浮橋/家に伝わる家具/なぐさめ/イラクサ/ポスト・アンド・ビーム/記憶に残っていること/クィーニー/クマが山を越えてきた
恋占い
(冒頭)
『何年もまえ、あちこちの支線から列車が姿を消す以前のこと、そばかすの散った広い額に赤味がかった縮れ毛の女が駅にやってきて、家具の発送についてたずねた。』
原書名:『Hateship, Friendship, Courtship, Loveship, Marriage: Stories』
著者:アリス・マンロー (Alice Munro)
訳者:小竹 由美子
出版社 : 新潮社
ハードカバー : 448ページ -
しみじみ、良い物語を読みました。
短編なんだけれどどのお話も長編小説みたい。人間模様がほろ苦く現実的に描かれていました。
ドラマチックなようで普遍的なようで、外国のお話だけれど隣の人はこんな人生歩んできたのかも、みたいに思わせる身近さがあります。
映画化される短編もあるみたいで楽しみです。 -
心理描写、情景描写が面々と生々しく続き、あたかも作者の描くそのワンシーンの中に、わしづかみで同席させられたかのごとく。何とも言えない圧迫感。
三人称書きであるが、神の視点ではない。映画のカメラワークのように、視点となる登場人物が急にすり替わったり、時間軸が一足跳びに飛んだり。そもそも関係性が分からないまま語られ始め、会話などからそれらがようやく読み解けるなど、読者にとって親切設計ではない 笑
結構、読みにくいので、気持ちや時間にゆとりのある時にお薦めしたい。
ある一時に焦点を当てて、そこに主人公の人生を濃縮させて語るスタイルなのでしょうか?
読後感は悪くはないが、どの話も「そーなのよ、そうなんだわ」と主人公が合点する姿に、呆気にとられつつ終わりみたいな・・・。
物語としてのオチがない。
唯一、オオッ!と言って読み終えられた「恋占い」が1番好きだ。特に、ヒロインがブティックにドレスを買いに行った時の描写が素晴らしい。この本の最初の作品だったので、金の鉱脈でも発見したかのごとく期待が高まったのだが。
どの作品のヒロインにも、火山のマグマのようなフツフツとした感情のエネルギーがある。作者に嫌味や意地悪さを感じるという書評を目にするが、抑えきれないマグマはおのずと世界を斜に見させる。作者自身もそのマグマの持ち主なのでは?
また、病院や介護施設の訪問、学者や教師である男性登場人物といったストーリーの共通性が多く、読んでいて混乱を覚えた。
「恋占い」みたいな作品があればまた読みたいのだが。