林檎の木の下で (新潮クレスト・ブックス)

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (429ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105900588

作品紹介・あらすじ

17世紀、エジンバラの寒村に暮らしていた遠い祖先。やがて19世紀前半、一家三代でカナダへ-。無名の人々の、幸福と不幸が等分に降り注ぐ、ごくありふれた人生。暮らしの移ろい、愛と憎しみ、野望と失意を、当代きっての天才的筆捌きで描きだす。連綿とつらなるその血脈の果てに、マンロー自身の人生があり、同じくわたしたち自身の人生がある。三世紀の時を貫く芳醇な短篇小説集。ノーベル文学賞候補、「短篇の女王」マンローによる12の自伝的短篇。75歳の最新・最高傑作。

感想・レビュー・書評

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  • 「過去は矛盾や複雑さに満ちている、おそらく現在と同様の。普通わたしたちはそんなふうには思わないのだが。」

    アリスが(アリス!!)がめずらしくまえがきで書いている、「これらは短篇小説である。そうした短篇は通常の場合と比べると人生のほんとうのところにいっそう注意を払っている、と言うことができるだろう。だが、絶対そうだと言い切れるほどではない。それに、この本の家族史と言えそうな部分はフィクションにも広がっている。もっとも、常に真実の物語の輪郭に収まってはいるが。こういった進展のうちに、二つの流れが互いに接近し、ひとつの水路に流れこむのではないかと思えるようになった。それがこの本である。」。
    いままでもそんなふうに(勝手に)読んでいたのだけど、ついに。それらの真実にいちばん近いところに触れることができるのだ。彼女の(ほんものの)過去を巡り、この思い出のその先に、あの物語があったのだと嬉しさがこみあげる。そして現実の過去と幻想のあいだにひかれている、うすいカーテンの奥へと誘われる。わからないことはわからないまま(ある種の敬意すらこめて)そのまま、たいせつにしまわれてゆくのがとても好ましい。第一部の終わりかた(立ち去りかた)も、たまらなく好きだった。

    わたしは彼女みたいに賢くはないので、父親のことをずっとしばらく憎んでしまっていたことも、そして"不安定な季節のなかの申し分のない一日" みたいにおもえる(おもってもらえる)結婚生活を続けてゆくという目標みたいなものも、人生における数々の矛盾や不一致をもだきしめて。「あれはなんだったの?」をきもちよく受け流すことのできる包容力を、教えてもらっているよう。
    アリスマンローの世界に浸りすぎて、記憶の回路がとけてしまう。夢。アリス。わたし。拡張された思い出。どこまでものびてゆく。あの日みた(ふれた)月までも。そしてその月面にもあなたの(わたしの)世界が映っている。



    「メアリの心の内には、だれも気づかない断固たる無関心があった。」

    「何かを始めるとするだろ。ところが、自分が何を始めることになるのかわかっちゃいないんだ」

    「まだそれほどの歳じゃない、あちこち駄目になるような歳じゃね。だけど人生に望んでいたかもしれないいろんなことに手が届かないという見極めがつく程度の歳にはなってる。そんな状況がなんで幸せなのか説明するのはむずかしいが、幸せだと思うことがあるんだ、と父は答えた。」

    「恥ずかしがりで同時に目立ちたがりという、あり得ないような性格だったわたしには、恥をかかされている人間の味方になることなどとてもできなかった。それが自分でなくてよかったという思いを、克服することができなかったのである。」

    「ああいうふうにべたべた世話を焼かれると、わたしは追いつめられるような、屈辱的な気分になった。まるでだれかにパンツのなかを覗かれたみたいな。」

    「父の嫌う性質が自分のなかにあるのがわかっていた。危なっかしい傲慢さ、臆病なくせに厚かましいところ、そういったものが父を激怒させるのだった。」

    「決めつけも憶測も何もかも、うじやうじゃとわたしの口や目に入りこもうとする虫の群れのようだ。叩き潰せるものならいいのだが。吐き出せるものなら。」

    「それが偽装であったとしても、わたしが楽にこなせる偽装だった。あるいは偽装ではなく、わたしという人間を構成しているらしいまるでちぐはぐで異なった人格のひとつに過ぎなかったのかもしれない。」

    「くっきり際立つような日々はもうない。運命がざわざわと、小さく執拗な昆虫の群れのように血管を巡っているような感覚はもうない。季節のへんか以外、たいした変化は約束されていないように思える生活に戻るのだ。いくぶんかのみすぼらしさ、無頓着、ちょっとした退屈の可能性までもが、またも地上や空に漂う。」

    「働くのよ。でもお金がないの、一生ね。」


  • 2013年ノーベル文学賞を受賞したカナダ人作家の短編集である。2006年刊、邦訳は2007年に出ている。
    訳者あとがきによれば、作者が主に描いてきたのは、生まれ育ったオンタリオ州のごく普通の人々の生活についてであるという。
    本作は、そうした作品とはいささか趣を異にし、エディンバラから渡ってきた自らの一族のルーツを辿り、3世紀に渡るその歴史を追い、やがて作者自身の自伝めいた短編へとつながっていく。

    第一部が先祖たちの軌跡を記す5編である。
    大きな流れの中で、語るべきある地点にズームインしていく。ざっくりとした輪郭にぱっと鮮やかに色がほどこされるような、生き生きとした描写である。
    ウィリアム、メアリ、ロバート、アンドリュー、ウォルター。代を変えて、ときに同じ名を持つ人々が、スコットランドからカナダ・アメリカへと渡り、生活の基盤を作っていく。
    一作目に登場するウィル・オファープは伝説の人物である。妖精と話したとも言われ、とびきり足が速かった彼は、作者の直系の祖先に当たる。
    それから何代か下り、老ジェームズを筆頭として、幼子までの6人が船に乗り込む。長い船旅の果てに新大陸にたどり着き、生活のために働き、その地に根を下ろしていく。
    一族には、世代を越え、語り手・書き手となる者が現れている。そうした「血」を作者自身も引き継いでいるというわけだ。

    第二部の6編は作者自身の物語といってよいだろう。
    片田舎で、自然や文学に心惹かれながら、そうしたものに興味を示すことが「ここ」では似つかわしくなく、理解されないことを知っている少女。少女はやがて街へ出るが、田舎との縁が切れるわけではない。やはり彼女のルーツはそこにある、という見方もできよう。観察眼が鋭く、いささかシニカルで、それでいて詩情豊かな人物が、齟齬を感じつつ、「自分」と「世界」を冷静に見据えているような作品群である。
    第一部は、鮮やかでありつつも、どこか静止画像のように感じられる一方、第二部の舞台は濃厚に動きがある。個人的にはこちらの方がより引き込まれるものが多かった。
    第二部の二作目(表題作)「林檎の木の下で」では、少女は林檎の木の幹に頭をつけて寝そべり、空を見上げたらすてきだろうと思いつく。それに端を発して一連の出来事が起こっていくが、それはいささか薄汚れた思い出となるものだった。
    第二部の最終話「なんのために知りたいのか?」もなかなか印象的な話である。世界には意外に軛が多いのかも知れない。「何かを知りたい」と思ったときに、自分が何者なのか(あるいは何者でないのか)というのはときに非常に重要な条件となる。関係のないことになぜそんなに興味を持つのかといわれて、ただ知りたいからだと突っぱねるのはさほど簡単ではない。

    さまざまな読み方の出来る本だろう。人により、心にとまる場面はそれぞれであることだろう。人の中の思いに触れ、それを脹らませていくことが、優れた文学作品の資質であるのだろうから。

    以下は、いささかセンチメンタルに過ぎるかも知れない、個人的な感慨である。その日、農場の林檎の樹下に横たわることを夢想した少女に、私は告げたいと思う。
    現実がどうであっても、思うように「こと」は運ばなくても、あなたの描いた夢は十分に美しいではないか。
    同時に、どこか似た鬱屈を抱えてつつ、明確にそれを形容できなかった、かつての自分に、そっとその夢を教えてやりたいとも思うのだ。
    天に向かって伸び、空に広がる小さな白い花の海。
    この先、私は何度となく思い浮かべるだろう。空想の中のその海を。

  • 短篇集といってまちがいはないのだけれど、通常のそれとはいささか様子がちがう。本文に附された「まえがき」によれば、二部構成の第一部は、スコットランドで羊飼いをしていた一族が新天地を求めてアメリカ(カナダ)に移住し、原野を切り拓いてゆく、いわばレイドロー一族の年代記。第二部は著者が「自分自身の人生を探求する」つもりで書いた、「通常の場合と比べると人生の本当のところにいっそう注意を払っている」限りなく自伝に近い短篇小説集である。

    ある程度の年になると、誰でも自分の血筋のことが知りたくなるものだが、特別な家でもなければ、たいしたことは分からない。系図や書物が残っているのは一部の階級に限られている。辺境の地の羊飼い一族についてこれだけの小説が書けるには理由があった。いかにもアリス・マンローの先祖らしく、「一族にはどうやら世代ごとに、率直で、ときにはけしからぬ手紙や、詳細な回想録を長々と書き綴ることを好む人間がいたらしい」のである。

    直系の祖先は十七世紀末のウィル・オファープにまで遡る。妖精と話をすることができ、川をひと跳びで越えることができた、という伝説上の人物。その子孫の中から海を越えてアメリカで一旗上げようと考える者が出てくる。一家の航海の様子は「キャッスル・ロックからの眺め」に詳しい。しっかり者の嫁のアグネスや引っ込み思案ながら内に知性を秘めた姉メアリ、寡黙で責任感の強いアンドリュー、といった人物像はマンローの短篇集に度々登場する人物の原型だろう。弟のウォルターが書き残した「航海日誌」他の資料をもとにした創作である。

    第一部の最後に収められた「生活のために働く」には、ヒューロン郡にある農場裏の植林地で毛皮獣を捕獲する著者の父が登場する。祖父というのが、なかなかの人物だ。冬になると仕事を全部片づけて本を読んだという。「必ずしも稼げるだけの金を稼ごうとはしていなかった」「生活水準を上げるため、生活を楽にするためにより多くの金を稼ごうとするのはみっともないことだと思われていたのかもしれない」。著者の母親はちがったようだ。父の獲った動物の毛皮を加工し、自分で町へ売りに行き金を稼いできたという。清貧をよしとしながらも進取の気性に富む、著者は一族の多様な気質を受け継いだようだ。

    「家」と題された第二部は、少女時代から六十歳を過ぎた現在に至る半生を一人称形式で語る。これまでいくつもの小説に、ちょっと自意識過剰で、取り扱いが困難な、それでいて周囲の目を引く賢い女性が登場したが、その原型はここにいたと思わせる、ある意味非常に魅力的なヒロインが、すべての短篇に共通して現われる。著者の自画像である。

    表題作「林檎の木の下で」は、ゴールズワージーやL・M・モンゴメリの本の影響で「自然」に傾倒し、田舎道を自転車で走り回り、木の下に寝そべって下から花を見上げたいという願望を抱く少女に訪れた初々しい恋を描く。日曜日の午後になると自転車を走らせ、人目につかない田舎の学校でのデートを繰り返していた「わたし」は、とある夕暮れ時、少年が働く馬小屋に誘われる。突然響いた銃声が、少女の恋愛観を決定してしまう。微笑ましくも残酷な初恋譚。

    十七歳の夏、お手伝いさんとして避暑客に雇われた島での一夏の経験を描いた「雇われさん」。読書経験豊かな年頃の女の子が、遊興客を相手に感じる屈折した心理と、自我の安定を図るために耽る妄想が、ナウシカアーに関する知識とアイザック・ディネーセンの本という小道具を用いて鮮やかにまとめられている。短篇小説の名手の手にかかると、事実あったであろうアルバイト先での出来事の一つ一つが、まるで典型的な小説の素材ででもあったかのように見えてくるから不思議だ。

    「チケット」は、結婚を前にした女性の心理をスケッチした一篇。父や兄は、善良ではあるが貧しい家の暮らしについて無理解な婚約者をからかう。異なる環境で生きてきた家族の出身者が共に暮らす結婚というものが本来的に有する不条理を冷めた目で見つめる話者。「うちの家族には(略)自分たちより上の人間、上だと思っているんじゃないかと感じられる人間を戯画化しようとする習性」があった、と「わたし」は言う。「地位にふさわしい以上の知性を負わされた貧しい人間」は、相手を戯画化することで自分を優位の位置に置き、無理にでも均衡を保とうとする、というのだが。自己を含む一族を客観視してしまうこの視線もまた、地位に見合わぬ知性の賜物ではある。

    虚構であるが、かなりのところまで実人生に沿って書かれていることもあって、小説巧者の手際を見せるという点では他の短篇集に比べ物足りない。その一方で、作家が創作の基礎とする自分を含めた人間心理の探究、一人の作家を創り上げるために一族の果たした役割、移住者の目から見たカナダ開拓秘史等々、カナダ人作家アリス・マンローを知る資料として非常に興味深いものがある。

  • スコットランドから船で北米に渡って来た著者の一族のルーツを短編小説に仕立てた作品集。
    「父親たち」と「チケット」が心に残ると思う。
    年表的にたどっているわけじゃなく、きっと著者が振り返り、印象に残ったシーンをそれぞれに編んでいったのだろう。日本的なオーソドックスな私小説も好きだけどこういうのもいいなあ。

  • なかなか読み進める事が出来なかった
    全体的に重苦しいような
    時代とか人の営みとか
    そんな言葉が
    ぼんやり浮かんでくる感じ

    ささしまライブまちびらきイベント
    古本屋かえりみちにて購入

  • 2013年ノーベル文学賞受賞は、アリス・マンロー。
    どんな話を書くのかしら? ちょっと興味があったので読んでみます。

    最初数ページを読んで、中止。いまいちでした。

    2013/10/10  予約 11/2 借りる。11/8 読み始める。11/20 中止

    内容 :
    スコットランドの寒村から新大陸へ-。透徹した眼差、低く落ちついた声、天才的な筆捌き。
    語り部と物書きの血が脈々と流れる一族の来し方を3世紀にわたって紡ぎだす、人生のすべてを凝縮したような、芳醇な12の自伝的短篇。

    著者 :
    1931年カナダ生まれ。書店経営を経て、初の短篇集が総督文学賞を受賞。
    短篇小説の女王と賞され、2005年にはタイム誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選ばれている。

  • ずいぶん前に、同じ作者の「木星の月」を読んだのですが、その時は若かったせいもあって良さがあまり分からず、以来ずっとこの人の本は敬遠していました。
    今回、移動中に読むものがなくなって焦り、待ち合わせの合間に慌てて図書館に寄って適当に選んで借りたのですが、ものすごく良かった! グッジョブ私!

    久しぶりに「読む幸せ」を感じながら読んだ本です。
    生まれた場所も時代も性別も出来事も私とは全然違っていて共通点などまったくない人たちの物語なのに、「ああ、この人たちが感じていることは私も知っている」と思う。
    ちょっと偏屈で、無口で不器用な人たちの限られた世界を淡々と描写しているだけに見えるけれど、実際は人と人との関わり合いの機微や気まずさやいたわり合いやおかしみや哀しみといった非常に普遍的な、でも私自身は言葉でうまく表現できないような微妙な心の動きが的確に描かれています。
    毎日、陽炎みたいに消えてしまう心の目がとらえる一瞬一瞬をこんな風に再現してみせるなんてすごい、と驚きます。
    一字一句すべてを堪能しながら読みました。おかげで読み終わるのにやたら時間がかかってしまいました。
    ある哲学者が、マンローは「一つの大きなことを知っているハリネズミ」に分類されるタイプの作家だと評していた、というあとがきには大いに納得しました。おもしろい。
    うまいこと言うなぁ!と思いました。

  • 自分の祖先について、ものすごい想像力を駆使して書いているわけだ。自分に繋がっていく人たちのことをそうして書き表すというのはどんな気分がするものなのかな。
    普通の小説とも違うし、エッセイでもない、不思議な読み応えを感じた。

  • 新作「小説のように」を読むつもりが旧作から。カナダ人の著者がスコットランドの祖先を辿り、過去から連なる人間模様が重層的に交錯する。北米人は移民としてルーツ探しの欲求があるのだろうか。私は自分の歴史を考えた事はないけれど。

  • 友人からこの本のドイツ語版をもらったが、なかなか読み始められないので、ドーピングのため日本語版を購入

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著者プロフィール

Alice Munro
1931 年生まれ。カナダの作家。「短編の名手」と評され、カナダ総督文学賞(3 回)、
ブッカー賞など数々の文学賞を受賞。2013 年はノーベル文学賞受賞。邦訳書に
『ディア・ライフ (新潮クレスト・ブックス) 』(小竹 由美子訳、新潮社、2013年)、
『小説のように (新潮クレスト・ブックス)』(小竹 由美子訳、新潮社、2010年)、
『 林檎の木の下で (新潮クレスト・ブックス)』(小竹 由美子訳、新潮社、2007年)、
『イラクサ (新潮クレスト・ブックス)』(小竹 由美子訳、新潮社、2006年)、
『木星の月』(横山 和子訳、中央公論社、1997年)などがある。

「2014年 『愛の深まり』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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