見知らぬ場所 (Shinchosha CREST BOOKS)

  • 新潮社
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感想 : 70
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  • Amazon.co.jp ・本 (415ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105900687

作品紹介・あらすじ

母を亡くしたのち、旅先から絵葉書をよこすようになった父。仄見える恋人の姿。ひとつ家族だった父娘が、それぞれの人生を歩みだす切なさ(「見知らぬ場所」)。母が「叔父」に寄せていた激しい思いとその幕切れ(「地獄/天国」)。道を逸れてゆく弟への、姉の失望と愛惜(「よいところだけ」)。子ども時代をともにすごし、やがて遠のき、ふたたび巡りあった二人。その三十年を三つの短篇に巧みに切り取り、大長篇のような余韻を残す初の連作「ヘーマとカウシク」。-名手ラヒリがさまざまな愛を描いて、深さ鮮やかさの極まる、最新短篇集。フランク・オコナー国際短篇賞受賞作。

感想・レビュー・書評

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  • 家族における隔たりをことさらに強調するのではなく、ある種の前提や柔らかな諦めとして受け入れている、そんな印象がラヒリの文章にはある。
    この距離感と感覚が、いまの僕にとっては心地よい。

    インドからの移民第一世代である両親とアメリカ流の価値観の違いから軋轢が生じた子供時代は既に回想となり、少女は大人になって自らも子を持つ年齢となる。
    老境に差し掛かる親は、もはや幼少時の愛情や思春期の反発といった記憶だけで語れる対象ではない。
    そんな女性が暮らす家を、遠方から父が訪ねてくる。共に過ごした一週間の中で交わされる互いへの愛情と静かなすれ違いを、ラヒリは表題作である『見知らぬ場所』で細やかに描きだす。

    父と娘が章ごとに入れ替わり、交互に語り手となるスタイルから見えてくるのは、ひとつ屋根の下で同じ経験を共有していても、まつわる記憶や想いは重なりあわず、微かにずれていくことだ。
    ちょっとした手術を受けるはずが、麻酔の事故であっけなく妻が亡くなってしまったときに、父は娘をしっかりと支えるためにも泣くことはできないと思う。娘は涙さえ流さぬ父に、母を本当に愛していたのだろうかと、折に触れて思い続ける。

    昔気質で心の内を家族に上手く伝えてこれなかった父親と、出来がよい弟に引け目を感じて両親に対して屈折を感じながら育った娘、亡くなってから存在感いや増す母親といった人物造形が素晴らしく巧みなので、父娘が抱く感情や物語のプロットは、水が自ら行方を選ぶかの如く自然と流れていく。
    だからなのだろう。ラストで父娘の今が交差する瞬間も、そしてそれを静かに受け入れて離れていく心模様もまた、物語のために用意したエンディングというよりも人生の中で起こるべくして起きた出来事のように思える。

    親と子、妻と夫、姉と弟、そして恋人たちの想いがうまく重ならないこと。それでも残る想いがあること。
    心に残る美しい小説だ。




  • 「人情の機微に触れる」という文句がある。ふだん誰もが何気なく経験しているような、ふとしたできごとにあらためて目を止め、しみじみと味わったときに口に出る言葉だ。ジュンパ・ラヒリの手にかかると、気づかずに通り過ぎていたあれこれの日々が、ページを繰るたびに紙の上に記された活字の中から、立ち上ってくるように感じられる。

    コルコタ出身のベンガル人夫婦の子として生まれ、アメリカに暮らす移民二世を主人公とする8編の短編は、いずれも作家自身の経験からそう遠くは離れていないだろうと思わせるリアリティにあふれている。インドという国の躍進ぶりが話題になって久しいが、そのかげにはここに描かれたようなアメリカの大学で学位をとるために国を出た多くの俊才がいるのだろう。

    移民とはいえ、かつては苦労した父親も今では大学教授になっている。ボストンやマサチューセッツ郊外の落ち着いた町に居を構え、息子や娘は大学に通っている。インドの暮らしに郷愁を感じるのは母親くらいで、移民も二世になれば、アメリカの若者と変わりはない。親に隠れてマリファナを吸ったり、酒を飲んだり、異性との関係も早いうちからできている。

    人情の機微と書いたが、ここには親と子の情愛がある。妻に先立たれた夫と夫に先立たれた妻との愛がある。父の再婚相手と、死んだ母の思い出の間で悩む子どもの気持ちがある。突然家に転がり込んできた知人の家族との微妙にすれちがう日々の暮らしがある。小さいころに少しの間一つ屋根の下で暮らした男の子と女の子との思いもかけぬ再会がある。

    「読者は知っているが、登場人物は知らない」というのが、読者の興味を引き続けながら最後まで引っ張ってゆくために物語が利用する構造である。一つのストーリーの中で、主人公二人のそれぞれに交互に話者の視点が移動するというのは、どうやらこの作家お気に入りの手法らしい。第一部巻頭に置かれた短編集の表題作「見知らぬ場所」と第二部を構成する「ヘーマとカウシク」の三部作では、特にその手法が功を奏し、互いを思いながらも微妙にすれちがうメロドラマ的な構造が、ある時はしみじみと、またある時はせつなく読者の胸を打つ。

    「見知らぬ場所」は、アメリカ人と結婚した子持ちの娘の家を、妻に先立たれてひとり暮らしの父が突然訪れる話。同居を期待しているのかと案ずる娘と、パックのツアー旅行中に知り合った女性との交際をはじめた父の、少し距離を生じた関係が抑制を帯びた筆致で織り出され、この作家独特の世界に自然に導いてくれる。娘夫婦の新居の庭に植物を植える父と孫のやりとりがほのぼのと胸に迫る佳編である。

    第二部は、親同士が知り合いで、たまたまある時期同じ家に住んでいた二人の男女の人生を、三つの短篇として描き分けるという意欲作。「一生に一度」は、ヘーマという女性の視点で二人が互いを意識しはじめた頃の思い出を描いている。「年の暮れ」は、大学生になったカウシクが再婚した父とその家族に会いに母の死を看取った家を再訪する話。「陸地へ」は、不倫に疲れたヘーマが別の男性と婚約中、研究のために訪れたローマでカウシクと再会するという三部作の結びにあたる作品。

    時事的な話題を織り交ぜ、物語に今日的な主題を導入しつつ、いかにもメロドラマに相応しい舞台としてのイタリア風景を点綴し、愛の物語らしい設定に十分配慮した「陸地へ」は、これまでのジュンパ・ラヒリとはひと味ちがった世界を見せている。最後の場面、こうとしかありえなかったのであろう結末に、秘かに予告されてあったことを認めながらも、鼻の奥がつーんとし、目に熱いものが滲み出してくるのを不覚にも押さえられなかった。

  • またもやジュンパ・ラヒリに脱帽。
    短編でも長編でもなく中編という長さも、一作一作が家族や恋人との関係で最後に皆思いがけない展開にななることも。圧巻はヘーマとカウシクの3部作。どの話も淡々とした筆致で驚くようなことが書かれていて魅力的過ぎる。

  • 第4回フランク・オコナー国際短編賞を満場一致で受賞。

    まず引用(表紙裏より)
    「母を亡くしたのち、旅先から絵葉書を送るようになった父。仄見える恋人の姿。ひとつ家族だった父娘が、それぞれの人生を歩み出す切なさ(見知らぬ場所)。
     母が「叔父」に見せていた激しい思いとその幕切れ(地獄/天国)
     道を逸れていく弟への、姉の失望と愛惜(よいところだけ) 

    子ども時代をともにすごし、やがて遠のき、ふたたび巡りあった二人。その三十年を3つの短編に巧みに切り取り、大長編のような余韻を残す初の連作「ヘーマとカウシク」

    ↑どれも素晴らしいです。
    最初の表題「見知らぬ場所」から惹きこまれました。
    私の父はもう亡くなりましたが、もし生きていたとしても、私が父に抱く思いというのはこんな感じなんじゃないかな・・・と。(母が生きているので、父は恋人は作らないと思いますが・・)。ベンガル系インド人、という共通した世界なのですが、日本人が読んでも深く共感できます。

    ・・・すごい脱線ですけど、川上弘美の「センセイの鞄」のラストの喪失感。あんな感じ(なによそれ?笑)
    でも不幸じゃない。
    大切な、いとしいものを抱きしめる感じ。

    大切な一冊になりました。買おうかなー。(しかしこの厚さ!絶対文庫本にならなさそうな・・・。)

  • 親子の話。初恋の話。

    インドからアメリカに出て、こどもは否応無くアメリカ人になっていって、親の目線、子どもの目線、どちらから見ても、何かを失っていく人たちの話。悲しいばかりでもないけど、切ないって言うんでもないけど、ただ喪失感に包まれる。
    とても淡淡とした、文章なのに。

  • これ以上のストーリーを書ける作家を私は知りません。巧いの一言です。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「巧いの一言です」
      でも★三つなの?
      komusumeさんって辛口なんですね。。。
      「巧いの一言です」
      でも★三つなの?
      komusumeさんって辛口なんですね。。。
      2012/09/03
  • 「停電の夜に」「その名にちなんで」に続いて3冊目。相変わらず素晴らしい筆致。
    大切に思っていてもすれ違う家族の心情を娘、息子、父、母、きょうだいそれぞれの目線で丁寧に描かれていてとても心に刺さる。男女の愛情、確執もなんだか身につまされる。どの話もほろ苦く切ないが「よいところだけ」はタイトルにつられるだけにひときわ胸に迫る。第二部の連作もこれまたほろ苦く愛おしい。

    ラヒリの小説を読んでいると自分自身の様々な時期の様々な感情が蘇ってくる。しかも辛かった時期のことも何故か懐かしく思えるから不思議だ。小説のフィルターを通して多少なりとも客観的に見れるからだろうか。

  • 一言で清澄、ジュンパ・ラヒリらしい短中編集。
    アメリカに渡ったインド人たちの2-3世世代の話。人種差別など初代からの苦労も引きずりながらコミュニティのなかで逞しくかつ脆く生きていく姿。アメリカの超一流大学をバックグラウンドとして主にアカデミズムの世界に生きる若者たちの恋愛の確執を描く。彼女の経験してきた世界で起こったことが描かれているようでリアリティは十分に感じる。
    無駄のない選りすぐった言葉でテンポよくストーリーが展開され、独特の心の描写は読む者を奇妙な緊張感ある臨場の世界に引き込んでくれる。
    ただ、登場人物全てがいわゆる知的エリートであり繰り返される学歴の紹介には少し辟易とされ、ある種のスノビズムを感じる。

  • 家の描写が巧み、というのが、この短編集の最初の読後感だ。家族の物語が多いため、必然的に家にまつわるシーンが多くなると思うが、話ごとに少しづつディテイル変わる家を通じ、主人公とその家族の歴史が著されているのだとすれば、うまい、の一言である。

    本書におさめられている作品はどれも、「移民」の心情がメインとなっている訳ではない。時代が進み、「祖国」とのつながりを感じながら生きる世代が、徐々に現役を退く中で、物語の中心は、父母とは違う国が祖国となった若者である。その喜怒哀楽には、読者である私にも通づるものがあり、前作『その名にちなんで』にもまして、作品一つ一つがより身近に感じられながら鑑賞できた。

    特に印象深い作品は、『今夜の泊まり』。

    一つの作品の中で、一人称が段落ごとに変わる筆者のスタイルにも慣れ、一気に読めた。最後の『陸地へ』は、ある男女の30年に亘る物語をタイトルごとに視点を変えて紡ぎだし、最後の作品で合流するという、そのスタイルを応用した形にもなっている。

  • 当然の事だろうけれど、人はそれぞれの想いに従って「子」を生きて行く。そこにはビターテイストの有無にかかわらず、現実のやるせない感情が交差して行く。訳の日本語の素晴らしさも相まって、ラヒリの「時にあ川のせせらぎのような」「時にはタイガに吹きすさぶ氷の風のような」冷たさが有り、今回は一気読みできなかった。

    時間が流れるとそれはすべて「先祖の出来事」と化し、風化されて行くのだろう・・そして人々は何千年も前から行く世代も生を紡いできたのだ・・なんてセンチメンタルにもなった。

    思い出は忘却が有るからこそ、人の心情を豊饒に香らせてくれる。
    来し方行く末を俯瞰するからこそ未知なる世界への歩みを続けられる。

    かくありたいと思う信条はその人の強さと比例し、こうして文字になったものを読んでいると視座がぐるりと変わって行き、明日からの光も異なって感じられる。

    ラヒリが描く人物像や世界は余りにも非日常的 インテリばかりだが、皆人生街道を歩む旅人。軋轢との折り合いのせめぎ合いは素晴らしい仕上がりだった。

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